幕間劇 エピソード3

 ──時間は昨晩まで巻き戻る。

 森の中で男は愛した女の首を抱えていた。

 沸き上がるのは、後悔。

 抑えつけるのは。食欲。

 自分の中にうごめく緑の眷属に意識を乗っ取られていく田中圭は、加々見麻衣の首だけが、人間としての心の支えだった。

「ごめんね、ごめんね、麻衣ちゃん……ごめんね……」

 自分で殺しておきながら、許されるわけがないことをしておいて、何を謝っているのだろうか。

 しょせんは自己満足でしかないとわかっている。

 しかも、この感性も、緑の眷属へと思考が完全に書き換えられたら、何も思わなくなるだろう。

 なぜそう思うのか、わからない。

 だけど、確定されている未来だということだけは、直感でわかる。

 緑の眷属は、人間ではない、別種の生き物なのだ。

 今まで人間の中で平然と暮らしてこれたのは、田中は自身が人間だと思い込んでいただけ。

 錯覚の部類だ。

 緑の眷属視点からすれば、今の田中は、自分を人間だと思い込んでいる精神異常者と結論付けられてしまうだろう。

「う、う、う……」

 そして、肉体が人間のものから完全に緑の眷属へと変化していくことに、異様な空腹を覚える。

 目の前の麻衣の首が、炊き立てのご飯のようにおいしそうに見えてくるのは、変化するのに必要なエネルギーを摂取しろと本能が訴えているから。

 なにより、麻衣の骨はものすごく美味だと覚えてしまった。

 よだれが抑えきれない。

「はは……関口刑事の言う通り……私はもう、とんでもない化け物なんだな……」

 関口刑事に組み付かれたとき、本当は殺されたかった。

 だけど、緑の眷属へと思考がシフトしている田中には、それは許されなかった。

 何のルールか知れないが、人間によって殺されるのは、ダメのようだ。

「麻衣ちゃん……」

 抱きかかえている麻衣の頭は悲しいぐらい穏やかな表情だ。

 おそらく、彼女は自分が死んだことに気がつかないぐらいの早業で首を切り取られた。

 緑の眷属の本能のままに、田中は麻衣を一瞬で殺し、切り取った首と手から輪切りのようにむき出しになった骨を勢いよく吸引。

 あまりの速さに内臓はすぐに落ちてこなかったが、あの吊るされた状態なら、重力に従い、ボトボトと落ちていったに違いない。

 一面が血の海になるのはすぐに予想できる。

 だけど、田中はそんなことより、久しぶりに食べた、という満足感をかみしめてしまった。

 そして、この解放感。

 今までどれだけ重いおもりでガチガチに拘束されていたのかと、嘆いてしまうぐらい、この緑色のねばねばした体はあるべき自分に戻れた幸福感を味わってしまった。

 不気味という感情はすでにない。

「ああ、なんておいしそうなんだ……麻衣ちゃん……」

 麻衣の口に自分のそれを押し付ける。

 冷たい。

 だけど、いいにおいがする。

 甘そう、やわらかそう、おいしそう。

 ああ……食べたい。

 食べたい、食べたい。

 食べたい、食べたい、食べたい。

 食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたイ、食べたイ、食べたイ、食べたイ、食べたイ、食べたイ、食べたイ、食べたイ、食べたイ、食べたイ、食べたイ、食べたイ、食べたイ、食べたイ、食べたイ、食べたイ、食べたイ、食べタイ、食べタイ、食べタイ、食べタイ、食べタイ、食べタイ、食べタイ、食べタイ、食べタイ、食べタイ、食べタイ、食ベタイ、食べタイ、食べタイ、タべタイ、タべタイ、タべタイ、タべタイ、タべタイ、タべタイ、タべタイ、タべタイ、タべタイ、タべタイ、タべタイ、タべタイ、タべタイ……。


 ──モウ、我慢デキなイ……。 


 ……。

 ……、……。

 ……、……、……イタダキマス。


 パックン。

 ゴリ、ゴリッ!

 ムシャ……ムシャ、ムシャムシャ、ムシャムシャムシャ、ムシャムシャムシャムシャムシャム、シャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャ、ムシャムシャムシャムシャムシャ、ムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャ、ムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャ。

 ……ごっくん。


 ゴチ、ソウ……サマ。



 血の一滴残らず完食した田中はうっとりとした恍惚な表情で、舌で唇を舐める。

 キスをした唇には冷たくも、愛おしい感触がまだ残っている。

「さすが麻衣ちゃん……おいしかったよ……」

 ペロリ。

 これ以上ない満腹感を得て、田中の人格は眠りにつく。

 まだ、涙が出る目だけが、人間としての名残だった。

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