第28話 真実はやさしいとは限らない

 ──窟拓山、洞窟内。

 僕たちは田中さんの家にあった懐中電灯を片手に進む。

 入り口付近は出来たばかりということもあり、天然の洞窟という感じであったが、突き進んでいくとその目の前に突如として広大な空間が広がる。

 何かあたりを照らしているのか、ぼんやりと明るいその場所に、僕たちは異様なものを目のあたりにする。

 そこは、巨大な地底湖だった。

 僕たちの視野、果てしない地下空洞を満たした、見渡す限り静かな水面。そして、その大自然の中で、自らの威風を誇るように立つ、一つの建造物があった。

 いくつもの亀裂を見せるひび割れた石畳。コケがむし、空洞世界と同化して見える石造りの鳥居。

 神社だった。

「……この神社、どこかで見たことがあるな。どこでだ?」

「あ、窟拓神社の本殿だわ」

 椿に言われて、僕も気がつく。たしかに窟拓旅館の写真パネルに同じような建物があった。

「窟拓神社の本殿は地底湖の神社を模したものだったのですね」

 若竹さんが求めるような神秘的な光景と関連性。バックの中からビデオやスマホを取り出し、撮影し出したのは彼女にとっては当然の行為だろう。

 とりあえず、窟拓神社に本殿があった理由がわかってよかったね、とでも思おう。

 ご神体が山だというのにわざわざ本殿を作っていたのは変だとは思っていたが、ここに来てなぞは解けたのだ。あまり事件に関係なくても、なぞが解けるのはホッとするものだ。

「しかし、氏子たちが本殿に愛着がなかったところからすると、この場所を知っていたのは葵の一族だけだったのかもしれないな」

 夏南汰さんの考察は相変わらず深いな。

 僕らは夢中になって映像資料を撮る若竹さんから少し距離を置きつつ、石段を上がる。一応礼拝をしてから扉を開け、神社の内部へと侵入する。

 天井は高く、神社の中は開けていた。外装こそは古い年月を感じたが、中はまるで違う空間だった。煌びやかな装飾に、新鮮な空気。洞窟であることを忘れさせるような明るく開けた場所であった。

「すごく広いな」

 中央には祭壇があり、見れば、田中さんが祭りの半被姿で寝ていた。


「誰か来たのか」

 目を開き、田中さんは上体を動かして、僕たちに顔を向ける。

「路敏君……まさかこんなところにまで来てしまったのかい」

 その表情は、自責の念と悲しみに彩られていた。

 まぶたは腫れていて、頬には涙のあと。僕たちが来る前に号泣していたのは一目瞭然。先ほどまで寝ていたのは、泣き疲れていたからだろう。

「どうしたの、田中さん。そんな顔をして」

 少なくても、僕が知っている田中さんはこんな暗い表情はしていなかった。

「路敏君、私はね、取り返しのつかないとんでもないことをしてしまった。もう、ここにはいられない。手伝ってくれ」

 田中さんの態度、表情、言語などは正常ではなく、不安定であった。焦燥し、感情の不安動揺が見える。意思の抑制は不十分で投げやりだ。

 うん。直接聞くのは、完全にお手上げだな。

 どうしてこうなったのか、僕たちで推測していくしかないようだ。

 とはいえ、大方見当はつく。

 麻衣さんの死がショックだった。

 どこまであの無残な死を聞かされたか知らないが……いや、どんな殺され方をしたかまでは知らないはずだ。警察が情報規制しているので、殺されたという事実だけしか伝わっていない。現に昨日の晩の小柳川教授は、麻衣さんが殺されたという事実しか知らなかった。死体の惨状を詳しく知るのはこの場では第一発見者になった僕と夏南汰さんぐらいだ。

 なのに、取り返しのつかないとんでもないことをしてしまったと嘆く田中さん。

 そこに妙な違和感を覚える。

 僕はいやな予感がしつつも、聞かずにはいられなかった。

「田中さん、もしかして……麻衣さんが心臓部にフック状のものを掛けられ、木に吊るされて殺されているって知っているのか。で、フック状の何かが、たまたま現場近くに置いてあったのは、田中さんが片付け忘れたものだった……のか」

 現場に凶器になるものがなかったら、そもそも事件が起きなかったのではと、責任感の強い田中さんは思いつめ、自責の念を持った。どうだ、推理的には穴はないだろう。

「路敏君、少し違うな。フックはね、確かに私が用意したものだけど」

 僕の推理……無理やりだってことは知っている。

 もっと、単純に考えればすぐわかることだってわかっている。

 だけど、僕は否定したいよ、田中さん。

 僕が最も恐れている答えが、真実だと思いたくない。

「排出といったほうが近いかな……だって、私は……」

 田中さんは左腕を高々に上げる。

 少し日に焼けた、健康的な小麦色の肌の腕だ。

 いつも、僕を支えてくれたものだった。

「……この手で……」

 だが、田中さんの手が、緑色の体液を垂れ流す、異形の手へと変化する。

 ねじ曲がったその形態は、昨日の晩、地下室で見たものとそっくりだった。

「麻衣の手を切り落として、骨を……喰った化け物だから」

 骨しか栄養素にならない化け物。

 田中さんは緑の眷属だったのだ。

「私はたくさん麻衣ちゃんに与えられてきた……」

 ……それは、そうだ。

 昨日の朝も、おとといの夕方も、おいしいご飯を作ってもらっていた。

「でね……今まで食べてきたどんな料理よりも麻衣ちゃん自身が一番おいしかった」

 ゾクリ。

 田中さんのその言葉が、僕の肌を震わせる。

「さすが、麻衣ちゃんだよ。おいしくて、おいしくて、おいしくて、おいしくて、おいしくて、おいしくて、おいしくて、むしゃぶりつくしてしまった。まったく、残せなかったんだ……」

 その一言に夏南汰さんがわずかに反応する。人間の味に嫌悪感を示したのか。

 それとも、麻衣さんの愛がこんな形で終わってしまったことに心を痛めているのか。

 ……そうだ。麻衣さんの、恋は……無残に散ってしまったんだ。恋愛のイロハがよくわからない僕でも、胸がキュッと締め付けられるような気がする。

 年齢的に、初恋を終えているであろう夏南汰さんはより胸が苦しいのかもしれない。

「しかも私は麻衣ちゃんを殺してしまったという後悔よりも、いなくなってしまったという悲しみよりも、これ以上おいしいものは食べられないという絶望のほうが大きかったんだよ……」

 田中さんは悲しそうに微笑んだ。

「た、田中さん……」

「ハハハ……気味が悪いよね。だけど、これでわかってくれるよね。私はもうこの世にいていい存在じゃない……」

 ポロポロと零れ落ちる涙。

 僕はそんな田中さんになんと声をかければいいかわからなかった。

「緑の眷属は一度正気を失うと、人間の姿と心を保てなくなる個体が多いとあったのだが、田中君は違うのか?」

「都甲さん……わから、ない、です……私は、人の体を保つ、の……本当の姿じゃいけないわけが、頭の中が書き換えられているような……そのせいで死にたいのに、死ねないのです」

 どうやら田中さんの精神力は、現在進行形で削られているようだ。

 化け物だとわかって、いきなり性格が豹変するわけではないということか。

 理にはかなっているが、考える時間がある分ひどく残酷にも感じられる。

「だから……頼みます。自分の中の化け物と折り合った結果、緑精大神の元に行くという方法なら、この世から消えてもいいって思えるのです。でも、これもギリギリで、私という残滓が健在なうちにしかこの場にとどまれない……」

 めんだし大祭の供物として神に返すことが推奨されている……か。これ以外の方法が面倒くさかったわけか。

 ひどい話だよ。

「酷なことを頼んでいるとわかっていますが、神饌の儀を完成させてください。私だけではもう、完成させるまで意識が保てない」

 改めて、田中さんの周りを見ると米、葵の花で飾られた酒樽、もちがある。

 無造作ではない。きちんとした形式をとった置き方をしている。

「神饌の儀ってまさか……」

 僕はここで緑精大神に旅館にパネルにあった神饌するときの手順を思い出す。

 米、酒樽、もち、肉、野菜と果実、菓子、書物……。

「肉の順番まではそろっているのね」

 椿、何を言っている。

 もちまでしかないじゃないか。肉が供えられるべき場所に田中さんがいるけど……。

 僕はそこで気がつく。

 ポスターの絵では牛一頭が丸々置かれていた場所に、田中さんが陣取っているのはふざけているわけでも、休んでいるわけでもないということを……。

 田中さん、あなたという人は……。

「眠るたびに……だんだん、自分が自分ではなくなっているのです。今となっては田中圭という人間の残滓がかろうじて、ここに留まるように動きを止めている状態です。いつまで持つかわかりません、だから……」

 田中さんは意識が遠のいたのか、再び眠りについた。

 今度起きたとき、これは田中さんなのか、それとも完全な緑の眷属なのか。

 わからない。

「神饌の儀を完成させて、自分を緑精大神のもとに送り出してくれってことか」

 夏南汰さんの言葉が重く僕の心にのしかかる。

「田中さん自身の願いですし……叶えてあげるしかなさそうですわね。後味は悪いですが、ソレしか方法がありませんし」

 若竹さんの言葉がさらに追加される。

「田中さん、田中、さん……」

 僕は田中さんを救いたかった。

 だけど、緑の眷属だと認識した田中さんはもう人には戻れないし、元々人ではない、化け物だ。

 飢餓状態に陥って、麻衣さんを殺してしまった、殺人者なのだ。

 たとえ、田中さんが『梅』によって化け物として生まれてしまった被害者であっても、その事実は覆せない。

 排除するしかない。

 結論を導き出したとき、僕は嗚咽を漏らし、どうしようもない無力感に打ちひしがれた。

 僕は、僕は……恩人の心も命も救うことができない。

 そんなの、納得できるわけがないよ!

「……行こう、椿ちゃん、それと路敏君」

 夏南汰さんは左手で椿の手を握り、右手を僕に向けさせた。

「今は急ぐしかないから……」

 そうだ。タイムリミットがあるのだ。

 後の言葉はたぶん、せめて田中さんの望む形でこの世界から消させてあげようということだろう。

 偽善だ。

 だけど、この方法しかないのなら、最善だと信じて進まなければならないのだ。

「うん。待っていて、田中さん……」

 田中さんは、たぶん……殺してしまった麻衣さんをなかったことにしたくないのだろう。完全に緑の眷属になってしまったら、人間を人間と思わず、虫を潰してしまって気分が悪いぐらいしか感じなくなってしまうのだろう。

 人間の想いが残っている状態で……美しいぐらいに残酷だけど、人間のままで消えたいと田中さんは思っているのならば、叶えるしかないじゃないか。だいたい、恩人の願いを聞き入れられないかっこ悪い兄なんて、あの世にいる麗姫に幻滅されてしまうじゃないか。

「ちゃんと送り出してあげるからな!」

 意識のない田中さんに言っても無駄だろうが、僕は僕自身を奮い起こすために大声で叫んだ。

 完璧なハッピーエンドがありえないぐらいで、くじけてたまるか!

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