第27話 田中さんの家
──田中さんの家。
麻衣さんの家も考えたが、旅館から近いところから捜すのは至極当然だよな。
僕はカギを開け、家の中に入る。
「……ただいま」
返事はない。
田中さんは帰ってきていないのか。
僕は電話機のすぐ横にあるメモと一枚破り、ちゃぶ台に書いたメモと、風に飛ばされないように適当な文鎮をその上に乗せる。
とりあえず、これで大丈夫だろう。
まったく何もしなかったというよりは、無駄足でも形ある努力はしたという証拠をきちんと残しておかないと。微妙な世渡りスキルを発揮した僕は、玄関先で待つ夏南汰さんたちのところに戻る。
「夏南汰さん、終わったよ……あれ?」
玄関で待っているはずのみんながいない。
庭の方でガザゴソと小さな音がしてきた。どうやらみんなソコにいったのか。
「もう。なにやっているのか」
庭には何もないというのに何をしているのか。
僕が覚えてある限り、蔵や物置などはなく、ただ広い庭があるだけだ。
隠れられそうな場所もないので、田中さんがいないのなら、探索スペースがないこの家で時間をつぶすのはもったいないはずだし、蚊に刺されるのもごめんだろう。
「あれ……?」
突如地震が襲い掛かる。
震度は四ぐらいだろうか。大きくはないけど、長い間、はっきりとゆれを知覚できる程度の揺れ。
グラグラと地面が揺れるたびに、ザワザワと枯れ枝が互いを打ち合い、すさまじい音を撒き散らしている。
「うわわわわ……」
さらに、ゴゴゴゴゴゴォと岩が崩れるような大きな音が庭から聞こえてきた。
もしかして土砂崩れか?
窟拓山のふもとにあるこの家、危なくないか?
足場が揺れてうまく動けないので、僕は悪い予感が当たっていませんようにと、祈りながら待つしかなかった。
「……お、おさまったかな」
そして、地震が止まった。
僕は庭に駆け込む。夏南汰さんたちが土砂崩れによる最悪のケースに陥っていないか、確認するためだ。
「あ……路敏君、無事だったか」
そこには元気な姿の夏南汰さんたちがいる。
「よかった……」
とりあえず、一安心。
だが、庭はかなり変わっていた。
やはり土砂崩れが起きたらしく、小規模だがところどころか土に埋もれていた。
しかし、そんなことよりも大きな変化があった。
なんと、岩肌が崩れたことで、岩壁から大きな穴が現れたのだ。
外から見た中の様子は真っ暗で、明かりがなければ中の様子がわからない。
ごつごつした岩肌の自然の洞窟だ。
「うっ……」
僕は洞窟の中のおどろおどろしい闇に形容のしがたい威圧感を覚え、めまいに襲われた。
「これは探索し甲斐がありますわね」
若竹さんはうれしそうである。
そうだよね。こういう緊迫感と臨場感あふれる状況が好物だろうね。地震によって急に現れた洞窟なんて、小説のネタとして格好だよね。
しかし、ぽっと出たよくわからないものは警戒すべきだろう。
「あ、若竹さんは椿ちゃんと……」
昨日と同じく待機してもらおうというのか、夏南汰さん。
安全策をとるとそうなるよな。
「おじさん、私も行く。こんなわざとらしく地震が起きたのよ。きっと、これは行けという合図だと思うの」
「椿ちゃん……うん、たしかに、それもあるかもね。洞窟に入らなかったら、そういう弱虫は嫌いだと言いがかりをつけて、緑精大神じきじきに殺しにかかってくるという無理ゲーになるかもしれないし……」
事件を解決させる気がない者には強制罰ゲームってことか。
そういえば、赤染様も、ゲームに参加しないとはえにえにしていたな。人間が悩みながら、がんばる姿が見たいのか。意地が悪いというのか、神々の感覚ではソレが普通なのか。
どちらにしろ、人である僕には理解できないものがある。
「おじさんに守られっぱなしの私でも事件に巻き込まれた限り、結末を知る権利はあると思うの。だから、私も連れて行って、おじさん」
「わかった。今回はいっしょに行こう」
神様の気まぐれに付き合わされる人間の哀愁があるものの、夏南汰さんは覚悟を決め、声高々に椿と一緒にいる宣言をする。
椿はもうご満悦だ。
ハートマークが飛び散っているぞ。
「しかし、準備する時間はあるよな。瑞ぽよたちに一応メールでどこに行ったか報告しておこう」
ほうれんそうは、円滑な探索には必要なことなのである。
「それと、路敏君、風呂を貸してくれ」
「え……?」
神域の入り方。
身を清め、葵の花を身につけること。
椿と若竹さんは条件を満たしているが、僕と夏南汰さんは、今日はまだ入浴していない。
洞窟の中が神域だという可能性があるからな。
「わかった。田中さんには悪いが、今は緊急事態ってことで」
「穴埋めはするさ」
水道料とガス料金的な意味で。
僕たちは田中さんの家に上がり、風呂の準備を始める。浴槽の栓が閉まっているのを確認すると、電源スイッチを押した。コポコポとお湯を満たそうとする音がよく響く。
「後数分で風呂が沸くよ……って、何をしている椿!」
椿は人の家だというのに、許可なく本棚をあさっていた。
「すまない、路敏君。実はここに、盗聴器の類がある反応があったから」
夏南汰さんの手にある、盗聴・盗撮発見器がおもしろいぐらいに光っている。
田中さんの家も監視されていたのかよ!
「はっ、まさか刑事さんたちが!」
目を放した隙に……。
国家権力には逆らえねぇじゃねぇか!
「瑞ぽよたちはそんなことしないよ……」
夏南汰さんからの弁護、いただきました。
言われてみれば、村まで僕に会いに来るぐらいの熱心さがある刑事さんたちなら、こんなまどろっこしいことするよりも、直接僕を監視するだろうな。
「じゃぁ、誰が……」
「あったわ、おじさん」
僕の複雑な心情を無視して、早速見つけ出される悩みの種。
しかもこの盗聴器、夏南汰さんたちが宿泊していた鶴の間と同機種。仕掛けた犯人は同一人物と見て間違いないだろう。
「いったい誰がこんなものを……」
そんな僕の疑問に答えるものはこの場にはいない。
「あ、椿ちゃん、路敏君、あぶない!」
そして、そんな疑問よりも、本棚の上から何かが落ちてきたことのほうが、急務であった。
地震によって、上に重ねてあった本のバランスが崩れかけていたのだろう。あとはほんの少しでもいいから本棚に刺激を与えればこのとおり。いくつかの本が降り注いでくるというわけだ。
「うわぁ」
夏南汰さんの声で、ある程度頭をガードしやりすごしたのだが、埃が目にしみる。
椿のほうは回避を選んだらしく、安全圏に退避済みだ。反射神経がいいな。
「路敏君……けがはないか?」
本による打撃は受けたが、切り傷はなかった。今のところ唯一の幸運だろう。
「それにしても、何が落ちてきた?」
落ちてきたのは、家系図の巻物と料理本だった。
家系図といっても、田中家というよりも、葵の一族のものらしく、窟拓旅館のパネルで見た葵を模した家紋が描かれている。
一方料理本には、いくつか付箋が貼られていた。付箋の先にある料理は、梅ゼリー、梅マフィン、梅ジャム……数年前村の特産品を考えるさいの参考資料とその候補といったところだ。最終的に選ばれたのは梅ゼリーではあるが、ところどころに書き込みがあり、当時は難航していたことがわかる。
「なんで田中さんの家にこんなものが……」
村の役員だからなのか?
「田中君自身が葵の一族の子孫じゃないのかな?」
夏南汰さんの発言から、僕は閉鎖的な農村なら外からの嫁入り、婿入りは一世代に一人か二人……そんな近親婚を繰り返しているのはよくある話だということを思い出す。
気になったので、パラパラと家系図をめくってみると、何人か村人の名前が記されている。村人がほとんど親戚なのだな。改めてその事実を確認しつつ、末端の田中圭の名が載っているのを見つけた。
ただし、嫁入りの形で村に着た田中さんの母親の名はなく、空欄になっていた。
「村に残っている葵の一族が中心となって書かれている家系図みたいですね」
いつの間にかきていた若竹さんも家系図を見て、一言。
田中さんの母が僕の父のいとこの子供だったらしいからな。葵の一族とはまったく関係ない、僕の名前がない理由もそこにあるのだろう。
「葵の一族の本家は、彩香という人で止まったらしいですね」
大火災で亡くなったらしいからな。
それにしても彩香か……。
どっかで聞いたような名前だが……思いだした。彩ちゃんの名前だ。
でも、彩香なんて、僕の路敏ほど珍しい名前じゃないな。偶然の一致と考えていいだろう。
チャララー、チャララー、チャ・ラ、チャ、ラー……。
お風呂のガス給湯器の音楽が流れてくる。
これ以上家系図をみても、僕では情報を得られそうもないことだし、気持ちを切り替えるためにも風呂に入ることにした。夏南汰さんと二人で入ってもよかったのだが、田中さんの家風呂はそれほど広くないことを、僕自身思うことがあるので一人で入った。
チャプン。
浴室に水温が響き渡る。程よい湯かげんは、僕の頭の中にぶち込まれてきた衝撃的な事実を融解していく。
「はぁ……。父さん、母さん、麗姫……僕が真相にたどり着けるよう、見守っていてくれ」
祈るように。願うように。
僕は身を清めたのだった。
「じゃぁ、今度は俺が入るね」
僕は風呂から上がると、夏南汰さんは入れ替わるように風呂場に向かっていった。
おじさんがいない椿は、熱心に料理本を夢中に読んでいた。家系図を眺める若竹さんのところには雰囲気的によれそうにないので、僕は自然と椿のすぐそばにちょこんと座った。
僕はお風呂に入った後は、ゆっくり休む派なんだ。
「へ~。梅を使った料理も結構あるのね。よく、梅ゼリーに決定したわね」
そういえば、田中さんに梅ゼリーに決定したのは、馬渡村長の一言が決定打だったと聞いたことがあるな。なんでも見た目が涼しく、腹持ちがよかったとか。
見た目には同意するが、腹持ちってなんだよ、とは思ったな。
料理本に挟まれているメモからすると窟拓村特製のゼラチンは牛由来の牛骨・牛皮ゼラチンらしい。牛か……イメージ的に腹持ちがよさそうだな。
「……おいしそう」
どうやら、椿は興味があるらしく、ときおりスマホの写真機能をつかって、数々のレシピを写し取っていた。
「おじさん、喜んでくれるかしら」
椿、お前の世界はおじさんこと夏南汰さんが中心に回っているのだな。椿らしいといえば、椿らしいので、あきれつつも温かい目で見守ることにした。
今は梅マフィンの項目だな。
「……」
ふと僕は思い出す。
三年前の入院時、母が手作りの梅マフィンを持って来てくれたな。
病院食に飽きていたこともあったけど、母と妹が作ってくれた梅マフィンは少しいびつではあったが、程よい甘さがあって、僕の寂しさと病気のつらさをいやしてくれたものだった。
「梅マフィン……今度、僕も作ってみようかな」
食べてもらいたい人はもういないけど。
料理の一つ二つ作れるようなお兄ちゃんになったほうが、麗姫も喜んでくれるかもしれないな。
「さて。とにかく、洞窟に入る準備をするか」
身を清め終えた僕たちは田中さんの家で改めて準備を整え、洞窟に向かうのだった。
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