第33話 勘がいいからこそ
しかも、それは……妹の麗姫が生まれる、数ヶ月前のものだった。
「……ま、まさか」
僕はある考えに思い当たってしまった。妊娠中の母は『梅』を食べたのではないかと。
じゃぁ、麗姫は……。
「うわぁああああぁああぁあ!」
気がついてしまった僕は叫ぶ。手はブルブルと震え、脂汗が止まらない。
「路敏君! しっかりして」
瑞穂刑事はどっちだ。気がついたのか、気がついていないのか。
「麗姫ちゃんが何者だって、路敏君の妹だったことには変わりないわ」
気づいていたのか。
ドジっこのくせに、勘がいいンだな、瑞穂刑事。
「そ、そんな……麗姫……」
驚愕の事実に、僕の心は悲鳴を上げる。
そして、同時に麗姫が『わたしが殺してしまったお父さんとお母さんのぶんまで、生き延びてね、路敏おにいちゃん』と言っていた意味を理解してしまった。
北上一家殺害事件は、緑の眷属という人とは違う生き物のゆえに起きてしまった悲しい事故だったのだ。そこまではなんとなくわかっていたが、問題はだれが、緑の眷属だったかということ。
僕の妹の麗姫だった。
麗姫であってしまったのだ!
それが何よりも悲しい。
緑の眷属としての本能に従っただけの麗姫には罪はないだろう。だが人の部分が残っている麗姫には、『飢餓状態に陥ると、目の前の生き物に襲いかかる』という残忍な面がどうしても許せなかったのだ。
人の心があったからこそ、自殺した。
彩ちゃんの死体を見るからに、緑の眷属は切りつけるような攻撃手段があるのだろう。麗姫はその方法で、自分の体を切って、切って、切りまくり、骨を砕き、損傷の激しい死体になるまで、自分を切りつけたのだ。
「くっ……。麗姫……」
妹の壮絶な死にざまに、僕の気分は最悪だ。
だが、このノートには衝撃的な事実はまだ続いていた。
そう、僕はさらに自分の心を打ちつけるような日付を見つけてしまったのだ。
「……三年前にもある……」
三年前。僕が入退院を繰り返していた時期だ。
母と麗姫の手作りの梅マフィン。
やさしいはずの思い出が、ガラガラと崩れていく気がした。
「僕は……麗姫の人生の犠牲の上で生きている……のか……」
両親が緑精大神の『梅』の存在を知り、なおかつその効能について確信していなければ、僕は病によって死去していた可能性がある。
実際どんな病気にかかっていたのかわからないが、『梅』を食べていなければ恐らく……いや、絶対だ。ガンガンと異様に鳴り響く心臓音が、病があった場所はここであったと告げているようだった。
「……っ!」
僕の目からポロポロと涙がこぼれ出てくる。
知るということが、こんなにもつらいことだと思わなかった。
真実がいつもハッピーエンドなわけがないと、わかりきっていたけど……ひどすぎる。
いろいろありすぎてパンク寸前の頭。精神的ショックで卒倒していないのが不思議なぐらいだ。いや、まだしてはいけないと、どこか冷静な頭が命じているのかもしれない……。
「椿、すまないがこのノートはお前が持っていてくれ……。僕じゃ、せっかくの証拠を握りつぶしてしまいそうだから」
そうだ。このノートを筆跡鑑定すれば、現在の持ち主がわかるかもしれないのだ。
一時の感情で、破り捨ててはいけない。
わかっているけど、感情に引っ張られて、いつ合理性を失うか。僕自身のことではあるが、予測できない。ならば、理性が残っているうちに、物理的にしにくい状況を作り出すしかないじゃないか!
「……わかったわ。このノートはわたしがちゃんと持っておく」
僕はこの場で一番物を壊さないようにしてくれる椿に大切な証拠を預けると、ほぼ同時に理性が焼ききれる感覚がする。やはり、激情を一人で抑えきれるほど、僕は大人ではなかったようだ。
「……くそっ……!」
僕は両手を自分の胸部に置き、こんな心臓、いっそ両手でかき乱してしまいたいとガリガリとつめを研ぐかのように、何度も何度も服の上からひっかく。いや、本当はかきむしっているのだが、いかんせん僕の力は弱いので、心の臓周辺をかいているようにしかならないだけだ。
「路敏君、まって」
瑞穂刑事が駆け出し、僕を抱きしめてきた。
触れられた部分が……熱くて、やさしくて……一層僕自身がみじめに感じた。
「ご、ごめん……瑞、穂刑事……僕が、生きて、るのっば……いも、うと、ギゼッ、イにしでまで、い、ぎだぐっ、な……」
のどが震えて、言葉がうまく発せられない。
だけど、瑞穂刑事は妹を犠牲にしてまで、生きたくなかった……そんな僕の想いを酌み取ったのか、自傷行為に走っている僕の両手をわしづかみ、自身をしゃがみこませ、僕の目線と同じぐらいの高さまで調節すると、強い光を放つするどい目を向けてきた。
「それは違うわ!」
普段のドジさ加減をまったく感じさせない。
これが瑞穂刑事の本気の目なのだと僕が思ったときには、より強く抱きしめられていた。
「路敏君……事実を知って悲しい。胸が裂けてしまいそうにつらいのはわかるわ」
そういえば瑞穂刑事は、僕が事実を知ろうとすることに対して否定的だったな。なんとなくだろうけど、僕がこういった状態になるのが、わかっていたからなのだろうな。
仕事、ということもあるが、夏南汰さんとお互いニックネームを呼び合うぐらいの付き合いだ。幻想怪奇の世界に何度も足を踏み入れては、僕のように過酷な現実を目の当たりにして、心を痛めたものたちをたくさん見てきたのかもしれない。
……なぐさめてきたのかもしれない。
「だけど、だけどね、路敏君。あなたの命を否定しないで。あなたを助けるため、がんばったやさしい人たちをも、否定することになるから」
あっ……。
瑞穂刑事に言われて、僕は理解した。
「瑞穂、刑事……ごめんっ、なさいっ、僕、僕、妹のこと、麗姫のこと大好きだから……っ、事実を知った、今でも……今だって! 化け物だって、かまわねぇよ! 僕の妹は、麗姫だけだ! 大好きだから! 否定、じだ、ぐ、ない!」
僕の脳裏に焼きついている妹の最後の姿は、最後の瞬間だというのに、僕に微笑んだ気丈な姿だ。
それでいい。
それでいいのだ。
僕の妹は、僕のために微笑むぐらいの、やさしい妹であった。その事実だけで、僕は前に進んでいける。
「本当に、いけないのは……『梅』を妊婦に勧めたやつなんだよ! 『梅』の副作用を知りながら、隠すどころか、わざと広めた奴、なんだ! 麗姫を産む、僕のお母さんに、な!」
僕たち家族に起きた理不尽に怒りを覚えた。
悲嘆を怒りに変える力が、僕の精神を急速に立て直す。
「そうね。このノートさえ持ち帰れば、筆跡でわかるはずだから、捜査が進展するわ、路敏君」
「うん」
本格的な感謝は、事件が無事解決してからだろうが……。
「瑞穂刑事、ありがとう」
残酷な真実を知った僕ではあるが、ここで過酷な運命に対し、意志の力で立ち向かうという選択肢を改めてとれたのは、瑞穂刑事のおかげだ。
僕は瑞穂刑事のスーツにつけた僕の涙のあとを見ながら、礼を述べた。
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