幕間劇 エピソード4
──葵彩香は、前のめんだし大祭時に起きた不審火が原因で、四歳で焼死した──。
少なくても、岸彩香はそう思っていたし、窟拓村の人々も声を上げて、そういうだろう。
当時四歳という、物心つくかつくないかの瀬戸際。不可解な火災で、大祭の用に着る、葵の花の
遺体は、首なしの焼死体だったので、状況的に葵彩香しかありえないとされていた。
そう、状況的に。
炭化した体では、これ以上の特徴を引き出すのは無理だった。
ショックのため記憶を失い、さまよった葵彩香が、まさか数か月後みすぼらしい格好で隣の県で保護されたとは、だれも気がつかなかった。
この空白期間に何が起こったか。
少なくても、早紀と交換した際に着た、早紀の服装ではない。
いたずら好きの神の異空間に閉じ込められたのか、浅ましい人間の欲望のはけ口にされたのか。
わかっても、精神が削れるだけなので、この際忘れたままにしておく。
かわいそうな幼女が道端に倒れていた。
親切な人が救急車を呼んでくれたおかげで、彩香は一命をとりとめ、身元不明の子供として、相応の施設に送られ、相応の手続きにより、岸彩香として第二の人生を歩んだ。
岸彩香は記憶力が悪くて、子どものころのことなど全然覚えていないが、その生活自体はごく平凡だった。
ただし……時に赤い神様がちらつく以外は。
その神は時折……というか、気まぐれで、彩香の前に現れてはニタリと笑うのだ。
オリの中に入っている動物を見る子どものように。
……実験動物を定期的に見に来る研究員のように。
ニタニタと、彩香を見ては、気がついたら姿を消す。
認識した当初は怖がった彩香も、次第に慣れ、赤い神様を受け入れていった。
その神様も数年前、どこから持ってきたのか、かわいらしいウサギを常に持ち歩くようになってから、彩香を見に来る回数が減り、二、三年前には完全に現れなくなった。
彩香はそのころには、子どもから大人になり、縁故とはいえ、旅館の仲居として働いていた。
あの赤い神様は大人になると見えなくなる部類だったのかと考えるのだが、あの神様の代わりに、不気味な夢を見るようになった。
おぞましく、痛々しく、苦しい夢。
つらくて泣いた時もある。いい歳した大人が、と自分に言い聞かせるが、涙は止まらない。
その涙の理由がわかったとき、彩香は後悔することになる。
あの火災事故の時、たまたま知り合った同い年の少女、小柳川早紀と着せ替えっこした。
小さな女の子たちの小さないたずらで終わるはずだったのだ、着せ替えっこ。
葵の一族とそのシンパたちを惨たらしく殺した、怒り狂った怪異、緑の眷属は何も知らない小さな少女たちさえも見逃さなかった。
巫女装束の少女の首がはねられた瞬間に、彩香は立ち会っていた。
あまりにもあっけない死。
彩香はあの時、悲鳴を上げるどころか、何が起こったのか判断することもできなかった。
ちょうど、彩香は動かなければ見つからない位置、緑の眷属にとっては死角だったために、追撃は起きなかった。
あの血まみれの緑の眷属の目的は、わからない。
だが、すべてを破壊しないと気が済まないほどの怒気だけは、幼い彩香にわかってしまった。
刃のように鋭く、鞭のようにしなやかな触手で、大人も子どもも男も女も関係なく、切り刻んでは骨を吸っていくその姿は、殺りくを楽しんでいるというよりも、暴力的な飢えを、渇きを、いやすために義務的に動いているようだった。
そして、大人の一人が、自らガソリンを被り、火を放ち、緑の眷属に抱き着いたところで、この悪夢は終わる。
赤い神様の甲高い笑い声とともに……。
葵彩香の過去として受け入れたのは、早紀の写真を見た時だ。
小柳川教授が肌に離さず持っている、パスケースの中に、悪夢の女の子がいた。
父親に抱っこされ、ごきげんな笑顔を浮かべる女の子。
自分の身代わりに殺されたような女の子。
受け入れてから、徐々に子どものときの記憶が流れていく。
無念を晴らせと、この地に染み付いた亡霊たちが、葵彩香に流れ込むように。
亡霊たちは、村人を見下していた。
だから、適当な妊婦たちに『梅』を食べさせることに躊躇はなかった。
緑の眷属を増やして、村を、葵の一族を反映させようと、本気で思っていた。
葵彩香はそんな身勝手な夢物語を大人たちから子守唄のように、何度も、何度も、何度も、聞いていた。
聞き分けのいい、お人形だった。
子どもらしい自我が目覚め、早紀と一緒に小さないたずらを決行しようとした時……プツリと消える。
記憶を取り戻した彩香は、緑の眷属を止めると決めたのはすぐだった。
不思議と、あの緑の眷属は生きていると確信している。
そして、赤い神様が彩香の前に現れた意味も今なら何となくわかった。
あの柱は、彩香が悩む姿を間近でみたかったのだ。傲慢と偏見にみちた最後の葵の一族がどんな生き方をするか。どんな死に方をするか。
二、三年前に彩香より、心惹かれるものができたから、現れなくなったようだが、あの柱の本質は変わらない。
足掻く人間の姿に、ニタニタと笑っている。
久しぶりに現れた赤い神様は、彩香が死ぬ間際だった。
「あ、は。やっぱり……そうだった……の、ね……」
笑い返してやる。
すると、意外だと赤い神様は鳩が豆鉄砲を食ったよう顔をする。
「私だって……このまま、死ぬ気はないのよ。あんただって……このままじゃ、興ざめでしょう……」
半場、賭けだった。
赤い神様は……いや、赤染様は、面白いほうにつく、と。
生命の限界。生と死のはざまの狂気の中で、彩香はひとつのひらめきを得ていた。
「契約よ、赤染様。本家本元葵の一族の最後の一人として、願う。私を見つけた勇敢なるものに、私の最後のメッセージを……手帳のことを、伝えよ……」
この願いがかなったのかどうかは、彩香にはわからない。
だが、最後に何かを残せたのなら、それでいい。
いつ死んでもいいように、本音や思いのすべてを、手帳の中にしたためていたのだから……。
──葵彩香は、今年のめんだし大祭、緑の眷属の触手に突き刺され、二十四歳で出血性ショック死した──。
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