第25話 残酷な因習

「お、おはよう。夏南汰君、古賀刑事」

 小柳川教授の顔色は悪い。うっすらと隈ができているのも気になるのだが、そんなことが頭から抜け落ちてしまうぐらい、悪い。

 砕け散っていないからセーフだけど、これ以上ストレスをためないでほしいって思えるぐらいに精神力がゴリゴリと削られ、心がひび割れている人の顔だった。

「おはようさん。まずはお前らの耳に入れてほしいことがある」

 関口刑事はおもむろに黒いバックをロビーのテーブルに置き、チェックを開ける。

「事件と関係あると思われることが、夏南汰、お前が持ってきたあの箱中に書いてあった」

 書箱に入っていたものだろうか。

 関口刑事はいかにも古文書といった古びた四つ目綴じの本を取り出す。

「で、路敏。隠れてないでこっちこい。ちゃんと教えてやるから」

 ビクン。

 関口刑事に隠れている場所を当てられた僕は小動物のように震えた。

 だが、情報をもらえるようなので、出てきて損はない。堂々と聞いていいのなら、それに越したことはないと、僕は言われるままひょっこりと姿を現した。

「お、おはようございます」

 あいさつは大事。

 夏南汰さんと瑞穂刑事は何か言いたげな複雑な顔をしているが、僕は思いっきりスルーする。

「正直この本に書いてあることが本当であると思いたくはないが、この怪事件を解決させる手がかりになる可能性があるので、情報を共有するぞ」

 古文書の原文に使われている文章はやはり古文で、しかもこの地方特有のなまりも混じっているらしく、普通の人なら読むのも困難だ。なので、これから関口刑事が語る本の中身は、小柳川教授監修のもと現代語訳されたものだ。


◇◇◆◇◇


 ・緑精大神が与えた『梅』は栄養素の塊で、通常の人間なら十日間飲み食いしなくても生き残れ、どんな病や怪我も瞬く間に治せるほどのご利益がある。

 ・ただし、緑精大神が作り出した『梅』を妊婦に食べさせると、生まれ出でる子が例外なく人間の赤子ではなく、緑の眷属となる。

 ・緑の眷属は人間に擬態できる。しかも人間と同じように齢を重ねるごとに成長していくため、平常時は人間とまったく変わらない。本人も自ら緑の眷属だと認識するまで自覚はない。

 ・緑の眷属は、不気味ではあるが人よりも身体能力が優れている個体が多く、緑精大神を絶対的な存在として崇めている。


◇◇◆◇◇


「ということは……『梅』の生気は人の体に多大な力を与えるもので、人間の生命力が一時的に高まった結果、傷をいやしたり、病を治したりするのは副産物。副作用が胎児を緑の眷族にしてしまうということなのかな」

 夏南汰さんの言葉に僕はハッとする。

 副産物と副作用。同じ副次的な効果でありながら、全く正反対の意味だ。

 正しい事を行えば知らない所で必ず副産物が与えられるが、間違った事をすれば必ず副作用が起きるのが、世の中の常。

 理にはかなっているな。ただその効果が普通では考えられないくらい、えげつない。

「でも、もしかしたら、『梅』を食べた人の中でたまたま緑の眷属になってしまった人もいるかもしれないし……」

 瑞穂刑事の意見も一理あるな。それはないときっぱりと言い切れないのが、研究と情報不足。

 世の中に百パーセントはないからな。

「それはないだろうな、古賀」

 意外にも反論してきたのは関口刑事だった。

「もし、『梅』を食べたものが緑の眷属になれるのなら、こんな小さな村だ。村人全員がとっくの昔に緑の眷属とやらになっているだろうよ」

 胎児しか緑の眷属になれないのは、偽りのない事実ということか。

「私もそう思うよ。関口刑事の意見のほうが、筋が通っているからね……。あ、古賀刑事、君が検討違いない案を出して場を乱したわけじゃないだ。そんな、悲しそうな顔をしないでおくれ」

 行方不明の娘のことがあるとはいえ、特定の年代に弱い小柳川教授。ここまで気を使うとなると、欠点の一つだよな。

 ……そういえば、旅館内限定とはいえ、昨日の夜、彩ちゃんの捜索をしていたのは教授ぐらいだったな。若い男衆は酔いつぶれていたとはいえ、村人のほとんどは彩ちゃんに対して好意的なものはもちろん、関心がないように見える。女将さんの親戚とはいえ、よそものだからか。

 これだけ排他的な村だったら、一人でも緑の眷属が生まれてきたら、排除するよりも、見た目はアレだが、人間よりも優れている緑の眷属に村人全員が生まれ変わるのを、選んでいてもおかしくないかもしれない。醜美に対してだって、皆が皆同じでならば、不気味ではなく、当たり前と受け入れるだろう。

「この本の後半部分に書かれている……緑の眷族が村でどう扱われてきたのか、で推測したというか……」

 小柳側教授の青ざめた顔がさらに険しくなっていく。

「そうだ。この先こそがこの怪奇事件を解決するには重要な項目だろうな。心しておけ、古賀、夏南汰、そして、路敏」

 覚悟が必要なほどなのか。

 僕はつばを飲み、関口刑事の話の続きを聞く。


◇◇◆◇◇


 ・緑の眷族は成体になるまでは、人間と同じ方法で食事させることができる。

 ・成体となった緑の眷属は、骨以外栄養にならない。だが、燃費はよく、一日ひとつまみ分の骨ですむ。緑の眷属を所持する家はなに食わない顔で、食事の中に骨を混ぜ、食べさせることができた。

 ・『梅』には緑の眷属を成体に促す効果がある。食糧難のときはわざと成体にさせた。

 ・緑の眷属は深刻な飢餓状態になると、なりふり構わず正体をあらわし、近くの生き物に襲い掛かる。襲われた生き物は骨だけを緑の眷属に吸い取られ、だいたい肉と皮だけになる。

 ・村の貴重な労働力として重宝していた緑の眷属は飢餓状態にならないように徹底的に管理していた。

 ・緑の眷属は一度正気を失うと、人間の姿と心を保てなくなる個体が多いため、状況を訝しまれた場合には、めんだし大祭の供物として神に返すことが推奨されている。


◇◇◆◇◇


「なんだよ。これ……」

 僕は管理していた、正気を失うと人間の姿と心が保てなくなるという表現から、緑の眷属は窟拓村では故意に作り出していた存在だとわかり、その衝撃的な事実に動揺した。

「書箱にはこの本のほかに、大きな鏡が入っていた。これだ」

 関口刑事がさらに取り出したのは、丸い大きな鏡。直径十五センチメートルぐらいだろう。

 本のすぐ右に置かれる。

「この鏡は緑の眷属の成長状態を確認するための道具らしい。幼少体の場合は人よりで、大きくなるに連れて、人型の緑色の化け物しか映し出さなくなる。本によるとこうだ」

 パラパラとめくられる、本。

 目的の項にたどり着いたらしく、関口刑事の手は止まる。そのページには図解で緑の眷属のことが描かれていた。

 この鏡を使って覗き見る、緑の眷属の成長記録は、墨絵ではあるものの、人型から緑の化け物になっていく工程が詳細で、特徴をつかんでいた。

 特に昨日の夜見た成体状態の図なんか、見たままだった。どろどろした粘液で覆われた、顔面キュビスムである。

「この村は、故意で緑の眷属を作り出していたってことか」

 夏南汰さんのやさしい顔が曇る。

 裏の汚い顔を見れば、みんないやな顔をするのは当然だ。しかし、ソレには理由があり、相応の利益と結果で相殺される。

 でも、こんなのってありなのか。

 人じゃない化け物になるために生まれる子ども。

 村のためとはいえ、生まれる前から自由な人生を奪われ、化け物として生きていくことが強制される。

 今、僕は猛烈な吐き気を感じながら、耐えている。

「そうなるな。しかし……最後のページではこういうことは四百年前に完全に廃止されたと書かれている」

 え?

 僕は一瞬小柳川教授の言葉にハッとする。

「緑の眷属を故意に作り出すことは、緑精大神を冒涜すると同じ、と大きな文字で書いてあるよ」

 教授の表情は柔らかだった。

 過去を恥じ、未来を信じるものだと、暗に訴えていたのかもしれない。

「そうだ。この本はもしも緑の眷属を作り出してしまったとき用の緊急マニュアルみたいなものだ。負の歴史を暴露するのはつらいのに、な。万が一のため心がある人間によって残されたものだと、思えば救いがあるだろ?」

 大切な資料を残してくれた。誰だかわからないが、そのことに感謝しようってことか。

 まったく、関口さんも前向きだよな。強面のクセに、あきれるぐらい人がいいよ。

 ……だけど、その考え方、嫌いじゃない。

 結局僕たちは起こってしまった悲劇を嘆いて立ち止まるよりも、これからを考えて進むしかないのだ。なら、進むためなら、勘違いであろうが、根拠がない願望だろうが、話題を明るいほうに持っていったほうがいいだろう。

「……これ以上起きているのはつらいようだ。できれば若竹さんにも言っておきたかったのだが、眠気には負けてしまうな」

 目の隈はもしかして徹夜で本を現代訳したからか。情熱があっても、歳にはかなわないらしく、小柳川教授はヘロヘロである。

「小柳川教授もお疲れ様でした」

「私のできることをしたまでさ。若竹君への伝言は任せたよ。そして、麻衣君の死を無駄にしないでくれ。あの子はあんな殺され方をしていい子じゃなかったからな……」

 本の内容をから、麻衣さんがどんな殺され方をしたのか知ってしまったのか。顔色が悪かったのは寝不足だけではなく、精神的なショックも合わさったものだったらしい。

 小柳川教授の足取りはややフラつき気味であったが、自身にあてがわれた客間にちゃんと入っていったところから、身体上問題ないだろう。

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