第8話 民俗学の大学教授と窟拓村の村長
「あ、路敏君じゃないか、こんにちは」
ワイシャツにベスト、黒縁眼鏡といかにもインテリといった感じの落ち着いた初老の男性。
田中さんいわく、とある大学の偉い教授。その名も
「あの、小柳川さん、もしかしてのこの本……」
僕は、少しドキドキしていた。
だって、こういう難しいけど興味を引く本を書いている人が目の前にいるかもしれないんだぞ。尊敬とか、羨望とか、ともかく胸が高まっていると思ってくれ。
「ああ。この本か。私が数年前書いたものだな」
詳しく聞けば、窟拓村だけではなく県内の民俗にも精通し、その研究内容を本でまとめているとのこと。たしかに、本のコーナーの一角には小柳川民雄の民俗学シリーズがすらりと並んでいる。読みやすいので、これからは暇なときは読んでおこうかな。
そして僕にとって一番驚いたのは、この資料館の監修も手がけたこと。
このとき僕の中で小柳川教授の株がノンストップ株となった。
いままでの田舎には似つかないが品のいいインテリで変り種のおじさんから、田舎に来ている研究熱心な大学教授へとチェンジしたのだ。当然の結果といえよう。
大学教授とは知っていたけど、功績が目に見えてあるものじゃないとピンとこないものな。
「ああ、緑精大神の『梅』についてか。それなら、神社にお参りしなくても食べらるぞ。すぐ近くの窟拓旅館の食堂でも出されているから、人気メニューだ。甘くてあっさりして美味しいぞ」
広げられている雑誌を見てこの一言。
そういえば、食堂のメニューには『梅ゼリー』として出されているな。あれがそうなのか。
「二十年に一度しかもらえないものなのに、ですか?」
「いやいや。厳かに書かれているが、正体は村の特産品の普通の何の変哲もない梅だよ。ほら、ご利益があると、プラシーボ(偽薬)効果が期待できるだろう」
「ああ、なるほど」
限定品やみやげ物は縁起のいいものに限るね。
教授の話はおもしろく、僕は退屈しなかった。
夏南汰さんも僕ほどではないが、興奮して聞いていたな。
大人だから表情に出にくいだけかもしれないけど。
小柳川教授も多弁だった。
目を細めて夏南汰さんにいろいろなことを教えていた。
物分りがいい積極的で熱心な生徒がいるとうれしいようだ。
ただ、椿のほうはおじさんをとられたとか思っているようで、嫉妬の炎がメラメラと燃えていた。
妹の麗姫もそうだったけど。僕が医学書に夢中になっているときなんか、気を引こうと邪魔してきたな。
愛情表現の一種ということで半分あきらめつつ、かわいいと思ったものさ。
椿の頭をナデナデしながら、精神を落ち着かせるという夏南汰さんのテクニックには、身に覚えがある。
かまってほしいと訴えている子には、だいたいスキンシップで解決できるものな。
そんな資料館で祭りや村について話し込んでいる僕たちに、話しかけてきた人物がいた。
「あ、教授。今日はここにおいででしたか」
今度は半被姿の三十代後半の男性がやってきた。夏南汰さんよりは身長は低いが、なかなかの長身で、肩幅も広く、思慮深そうな面立ち。
この窟拓村の若き村長、
日々の生活や仕事、人間関係などを切実に丁寧にこなしている人望が厚い人物で、数年前に病に倒れた前村長から引き継ぐように、村長になった。
年配の方々には、前任に負けないぐらい、村のことを考えてくれているとおおむね好評だそうだ。
役場では田中さんの上司にも当たる人で、構いたがりなのか、時々田中さんの家に来ては晩御飯を催促してくるので、僕とはすでに面識がある。
「馬渡村長、どうかしましたか」
「明日の祭りのことでちょっと話したいことがありまして。学者さんからみて、どうすればより観光客が楽しまれるかと……」
なにやら、大人たちの会話が始まるようだ。
子供と観光客という部外者は空気を読んで、この場から退出したほうがいいだろう。
それに、椿がそろそろ限界のようだ。
おじさん、おじさんと小さな声でブツブツと言い始めているぞ。
正直怖い。
僕らは解散する流れに乗ることにしようとしたときだった。
ガタガタガタ。
地震だ。
ここ数日、連続的に小さな揺れから大きな揺れまで来ている。
地震大国である日本ではそれほど珍しくない揺れを感じる程度のものなので、大事はないのだが、本棚から数冊、零れ落ちてきた。
地震でスペースからずれた本を、当番の人がしっかり本棚に入れ込まなかったのが災いしたようだ。
「あ、あぶない」
とっさに、村長が僕の小さな体をくるむように守ってくれた。
「ま、馬渡村長」
「田中君のところの路敏君がケガをしたら大変だからな」
村に来て日の浅い僕であろうと、大切にしてくれる、ありがたい存在。
「あ……ありがとう、村長……」
閉鎖的な村ということで、遠巻きに見守っている大人たちと少し違うからのは、村長だからなのだろうか。
「どういたしまして」
やさしい人だ。
僕は今のところおおむねいい人と、馬渡村長を評価しているが、その一面だけを盲目的に信用できない。
外面がいいだけなのではないかと、疑うこともある。
疑心暗鬼の固まりか、お前……とつっこまれそうだが、家族を理不尽な形で失ったばかりの僕は庇われているとわかっていても、身構えてしまうものなのだ。
警戒心が強い自分が悲しいと思う。
疑うたびに、生意気なことを思っていてごめんなさいと心の中で謝る、で勘弁してくれ。
「じゃ、村長、バイバイ」
別れのあいさつをし、僕と都甲家は資料室から退室するのであった。
「あ、そうだ、路敏君」
僕と夏南汰さんと椿は階段を下りている間のことだ。
もともと祭りのためにこの村に来た夏南汰さんは何気ない一言だったのだろう。
「明日、祭りであえたら一緒に屋台をまわろうか」
夏南汰さんの誘いはうれしいが、椿の目が怖かった。
おじさんと二人きりがいいのという文字が顔にデカデカと書かれている。
「えっと……。もし、祭り会場であえたらそうしましょう」
ひどくあいまいな言葉で返すしかなかった。
だって、ここでいやですって、断ってみろ、椿。
お前なら、おじさんの誘いを断るなんて、むかつくって怒るだろう。
短時間だが、椿の性質がわかってきた僕は差しさわりのない言葉で、承諾するしか選べなかったのである。
もし、明日祭りを一緒にまわることになっても、椿のことをフォローするから、勘弁してくれ。
僕は椿の無言の圧力に堪えるのであった。
「そうだね。またね」
電話番号交換までにはいたらなかったが、こんな小さな村だ。村一番の馬渡村長さえも越す夏南汰さんの長身ならすぐ見つけられるだろう。
僕は資料館を出て、夏南汰さんたちと別れた後、まっすぐ田中さんの家に向かった。
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