第36話 本当の元凶

「わかった」

 僕と椿。試行錯誤の末、何とか夏南汰さんの体を治療し、包帯を巻くことが出来た。

 予断を許されないが、応急手当としてはひとまずこれでいいだろう。こころなしか夏南汰さんの顔色がよくなった気がする。

「おじさん……」

 椿のこわばった顔から緊張が解けていくようだ。おじさんを失うかもしれないという恐怖は、恋する少女にはきつすぎる。

「よかった。本当に。まだ、終わってないけど……」

 命の危機ですっかり忘れていたが、神饌の儀の最中なのだ。

 村長を倒したら終わりではない。

 祭壇は光を放っていたが、今はどうだろう。よくみるとさらに輝いていた。どうやら光は時間がたつごとに増していくようだ。

「どのくらい光るのかな」

「さぁね。でも、心地はいいよ、路敏君」

 田中さんの声がした。

 あの殺伐とした雰囲気の中、ずっと眠っていた田中さんが起きたのだ。

「田中さん」

 僕は気を失っている夏南汰さんを守るように前に出て、身構える。

 先ほどまで緑の眷族である村長と対峙していたのだ。当然の行動だろう。

「大丈夫。私は路敏君にも、この場にいる皆さんにも、何もしないよ」

 田中さんはスタスタと歩くと、倒れている村長を抱きかかえ、肉の供物の場所に戻る。

 すると、村長がタイミングよく起き、混乱する。

「田中君、これはいったい……!」

「緑精大神の導きです、馬渡村長」

 その瞬間。

 一際大きく、ぴしりと、何かが割れる甲高い音が響いた。それは、上空から聞こえた。

 その音は、再び大きくあたりに響いたかと思うと、神社の天井に、不意に大きな亀裂を作った。

「え」

「皆さん、神社から離れてください。もうすぐ崩れますから」

 田中さんは微笑んでいた。

 いつも温和な笑顔であったが、その奥には覚悟を決めた男の顔があった。

「緑精大神は、地底湖の神社は閉鎖して、表の……拝殿でこれからは供物を受け入れたいと申しておりました」

「くそ、はなせ、田中。私は、私たちの同士はまだ、ここに……!」

「……路敏君は違いますよ。彼は、人間です」

 僕、緑の眷属だと誤認されていたのか!

 そういえば、村長は僕に対しては何もしていなかったな。てっきり手数や優先順位の関係かと思ったが、村長は自分の意思で僕に攻撃してこなかったようだ。

 でも、なぜ、僕を緑の眷族かと思ったのだ?

 話が見えないよ。

「しかし、あの惨状で生き残れるのは、緑の眷属だけだろう」

 普通の人間が餓死寸前の緑の眷属の暴走を止められるわけがないってことか。

 現に両親は骨なし死体になった。僕もそうだったはずだが、赤染様のゲームに勝ったからよみがえった。

「……ちがうのか」

「いいえ。緑の眷属は、路敏君の妹の麗姫ちゃんのほう。あの子は、両親を殺してしまったことで、自殺しましたよ……」

 僕の代わりに答えるのは、瑞穂刑事。

 何かを感じ取ったのか、彼女の表情には先ほどまであった仔を守る獅子のような顔つきは薄れ、代わりに浮かび上がるのは憐れみだった。

「……本当、なのだな。すまない、すまない……路敏君、本当にすまない」

 馬渡村長の謝罪の声が響いくと同時に、あれほど発していたおぞましい殺気が一瞬で消え去り、村長がガタガタと震えだした。

 今はとんでもないことをしてしまったといわんばかりの身の動かし方だ。

「なぜ、村長が、謝る……しかも、なんで、今になって!」

 僕は一変する瑞穂刑事と馬渡村長の態度に困惑しているが、そんなことよりも妹を緑の眷族にさせたであろう村長が憎い。顔を怒りの視線でにらみつけた。

 僕らを襲ってきたのに、こんな自責の念におしつぶれた姿を見せるなんて、どうかしている。

 憎しみきれなくなってしまうじゃないか。

「……路敏君、許してほしいわけではないよ。恨むのが当然だろうから。でもね、君は、村長にみたいに激しい恨みを持っちゃいけない」

「田中、さん……」

「村長の、あの姿を見ただろう。あの姿を見て、どう思った」

「それは、えっと……正直……ありえないな、とは思った」

 復讐心というやつは暴力性を加速させ、規律や常識などを無視して暴れてしまう。

 そういうことは、なんとなくではあるが、わかっているつもりだ。

 だが、実際、倫理観という拘束具をはずされた心が行き着く先なんか、ろくでもなかった。

 ……いい迷惑だ。

「うん。その感性は正しいよ、路敏君。復讐に身を焦がした姿はかっこ悪いね……」

 復讐は甘美であるというが、僕は……いくら甘美であろうと、そんな身勝手なものを……特に赤の他人を巻き込むようなことなんか……したくないっ!

「……村長は人間が、憎かったのか」

 アレだけ、村の人の信用を勝ち得て。

 アレだけ、村の発展のためにがんばっていたのに。

「いや、人間すべてが憎いわけじゃないわ。言い訳にしか聞こえないかもしれないけど。村長はずっと恨んでいる存在があるのよ」

 実は身も心も醜い化け物だって、危機迫る場面だったからもあったけど、それだけしかないようにしか思っていなかったけど、村長のやさしさは偽りではないということなのか、瑞穂刑事。

 そこまで考え付いたら、正直、少しだけど、ほっとした。

「そう……葵の一族……にね」

「それはつまり……村長は『家畜』と呼ばれ、葵の一族とのそのシンパたちによって理不尽に痛めつけられた存在だったということなのか、瑞穂刑事」

 そして葵の一族が伝承を書き換えたことによって起きた事件は巡り巡って、僕ら家族に降りかかってきたということか。

「……そういうことかよ、くそ、くそ、くそがぁ!」

 僕の妹のことについて謝り、後悔している村長の様子からすると、瑞穂刑事が見当違いで言っていたような、『梅』を食べたら誰でも緑の眷属になるリスクがあると思っていたのだろう。

 僕みたいな『梅』を食べなければ生きられなかった人間もいる現実。死ぬよりも化け物になったほうがいいだろうという思いで、『梅』を渡したていたということになる。

「僕は何に対して、この怒りをぶつければいい!」

 元凶はすでに亡くなった葵の一族だというのなら。

 それでなくても村長はこんなに苦しんでいるから。

 ……僕の憎しみはどこに向かえばいいのか。

「路敏君……」

 瑞穂刑事の申し訳のない様子からは僕よりも先にその結論を導き出していたようだ。

 ……今なら村長に憐れみを抱いた気持ちがわかるよ。

 ならば、教えてほしい。行き場のない怒りに満ちた僕はこれからどうすればいいのか。誰か、導いてくれよ!

「……俺たちは、葵の一族の尻拭いをしたってことだろうな」

 ヨロヨロと。

 体は大量の血液を失ったこともあり、おぼつかない足取りであったが、その瞳が強い意志の光を発している、夏南汰さんが起き上がってきた。

「おじさん!」

「椿ちゃん、心配かけたね」

 夏南汰さんは側にいる姪っ子の頭をなでながら、祭壇にいる緑の眷属たちに視線を向ける。

「話の本筋は聞かせてもらったよ。本当に……路敏君には厳しい話ばかりで、いやになるぐらいだったよ」

「夏南汰さん……」

 椿ほどではじゃないか、僕も夏南汰さんが動いている姿を見たときから、うれしさと安堵がこみ上っていた。しかも、僕のことを気づかうような視線を向けてくるものだから、冷え切っていたはずの心に、なにやら熱いものも感じる。

「葵の一族が緑の眷属に対して都合のいい解釈をして、馬渡村長こと、馬渡雅彦の尊厳を傷つけ、こんな悲劇を引き起こした……」

 話をまとめるとそうなる。

 怒りをダイレクトにぶつけるべき元凶がすでに死に絶えた世界で、何をどう思えばいいのか。

 何をなせばいいのか!

 僕にはわからないよ……誰か、僕の質問に答えて……。

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