第35話 緑の眷属

 銃弾はまっすぐ僕が目を向けている人物である、馬渡村長の頭を撃ち貫く。

 グシャリ。

 トマトを潰したような音が響く。

 いや、ここは訂正しよう。

 メロンが弾けとんだような音だ。

 表現的にあまり変わらないように思えるかもしれないが、緑色の奇怪な頭の一部が祭壇に転げ落ちたのだから、メロンのほうを推す。

「……みなさん、いつから気がついていましたか。私が、緑の眷属だとね」

 撃ち砕かれなかった村長の頭が振り向いてきた。

 残っている右半分は人のままではあったが、吹き飛んだ左半分を補うように緑の眷属特有の触手がからまった、二面をあらわした不気味な顔に、僕は絶句した。

「怪しいと思ったのはなんとなく、だ。これでも人外に何度も出会っているからね。ある程度は人かそうじゃないかはわかる。ただ、いい奴か悪い奴かまでは付き合ってみるまでわからないものさ」

 本当に夏南汰さんはこういう幻想の世界での経験が半端ないね。

 眉一つ動かさずに、再び銃口を村長に向けているよ。

「で、私は夏南汰君が言う悪い奴のカテゴリーに入ったわけか」

 クスクスといやらしく笑いそうな村長の目は、先ほどまで田中さんに向けられた憂いを帯びたものと同じものなのかと疑ってしまうぐらい、雰囲気がガラリと変わってしまった。

 殺人鬼の顔はこうなのだと、感情を切り離したどこかで冷静な部分が納得してしまうぐらいに、おぞましいものだった。

「ああ。決定的だったのは、お前が言った被害者の人数だ。岸彩香の死は公表していない。それを知っているのは、犯人……彩香を殺した緑の眷属しかありえない」

 夏南汰さんは村長だったものに対して、静かな怒りに目を光らせる。

 その言い方は違うか。馬渡村長はずっと緑の眷属だったのだから。人の皮をかぶり続けた緑の眷属というほうが正解に近いだろう。

「本当に、私と葵の一族との相性は最悪だね。忌々しい……」

 村長が発した声は怨念がこめられていた。

 特に葵の一族という発音には今にでもたたるような、呪うような殺意をみなぎらせた凶悪なもので、そんな村長のすさまじい敵意を感じとってしまった僕は、思わずよろけてしまった。

「なぜ、そこまで……憎悪が……」

 若竹さんの表情は驚愕に満ちている。

 たしかに、この激しい憎悪には驚くしかない。

「ガァアアァアァアアアアアア!」

 獣のような咆哮を上げ、緑の眷属へと変貌しようとする村長。

 頭の一部を失っても動ける事実にも驚きなのだが、上から盛り上がる緑色の触手が不気味さを増している。

 まるでそれは、この世のすべてを呪わんとする闇が彼を中心に発せられているのではないかと思ってしまうぐらい、殺意しか感じられなかった。

「!」

 夏南汰さんは発砲した。

 魔力を帯びた弾は、村長の頚部を貫いた。

 神が授けたアーティファクトの弾丸の威力によって吹き飛び、村長の頭は胴体から完全に離れ、祭壇近くに転げ落ちた。

「うっ……」

 首だけだというのに、呪いによって作られているのではないかと思ってしまうぐらい、怨念がこめられていた。その執念に近い憎悪に僕は恐怖を抱く。

 地下室で遭遇したときからそうだったが、説得は不可能のやばい存在としか僕の目には映らない。それは、僕が緑の眷属に殺されたことを無意識に覚えているからなのか。

(麗姫……)

 いや……違うな。僕が弱いからだ。弱いからこそ、自分よりも優れているものや力強そうなものに無意識に劣等感を抱くのだ。

「終わったか? んっ」

 何かを感じた夏南汰さんはいきなり、右足で地面を蹴り、後ろに下がる。

 瞬間、閃光が走った。

 殺意と憎悪ににごりきった何本かの細長いしなやかな触手が、ムチのようにしならせて、飛ばす。

「夏南汰さん!」

 結果から言うと、夏南汰さんの服が切り裂かれたぐらいですんだ。不意打ちでも大事には至っていない。そこにホッとするが、どこから、攻撃が放たれたのかと探る。

 田中さんは……微動すらしない。

 ビュっ!

 まただ。

 また、どこからかわからない方向から触手が伸び、今度の対象は……若竹さんと関口刑事。

 二人が身につけている葵の花のブローチをピンポイントで砕く。

「な……」

 神域には葵の花を持つものしか入れない。途中で投げ捨てると、強制的に外に出される。村長はこの場の戦力をできるだけ削るほうにいったのか。

 それは理解した。しかし、どこからだ。どこから攻撃がきたのか。

 僕にはまだわからなかった。

「てめぇ!」

 関口刑事は消え去る瞬間、携帯していた電灯を投げ、村長の首にあてた。

「関口刑事、若竹さん!」

「くそ、夏南汰、後は頼んだ」

「……みなさん、どうかご無事で」

 こうして関口刑事と若竹さんの二人は不思議な力で神域から排出される。

 だが、あの一投のおかげで僕でも村長がどこから攻撃してきたのかがわかった。

 僕からすれば、ノーマークだった首が、揺れ動いたからだ。

「……これだから、警察は恐ろしい……」

 村長の頭だった肉塊は今度こそ沈黙する。

 そして、祭壇から陽炎のようなものが立ち上がり、跡形もなく消えていった。

「頭だけでも動けきたのかよ!」

 僕は村長の、緑の眷属のその生体に鳥肌が立つ。

「ああ、そうだよ、路敏君」

 今度は首のない胴体から声がする。

 へその穴からボコリと不気味な音を鳴らし、キュビスム面が飛び出てきた。

「だけど、脳がないとやはり単調な動きしかできないものだね。本当に砕かれた骨盤の代わりに脳と一緒に頭蓋骨を詰め込んでいて助かったよ。普段どおりなら詰んでいた」

 人間形態の頭はデコイだったのか。

 ここで僕らは正体と知っていたとはいえ、さらなる異形を目にしたことで、混乱に包まれた。

 異形は戦いなれた夏南汰さんでも一瞬凍りつかせたほどのありえなさは、僕の正気度をがりがりと削る。

「さて、今度は血祭りでもはじめようか」

 肉食獣のような覇気をまといだした村長は、右手を触手から鎌のような形状に変化させ、攻める。

 今度は夏南汰さんではなく、椿のほうに向かっていた。

「きゃっ」

「椿!」

 椿の顔面に唸りを上げ、風圧を感じられるぐらいの速さと勢いを持って、死神の鎌のように迫る。

 その光景を目撃した僕は思った。

 死ぬ。

 僕は冷静にこれから起きるであろう事を予測した。

 人の死がやけに安っぽく思えてくるのは、あっさりとわかったからか、それともここ最近のショッキングな体験により心がマヒをしているからか。

 逃れられそうにない少女の運命を、ただただ黙って見るしか僕にはできなかった。

「椿ちゃん!」

 間一髪だった。

 夏南汰さんが椿の小さな体を包み込むように庇う。

 自らの体を盾に少女を守る。美しすぎる光景に、僕の目から涙がこぼれおちた。

「すごいよ、すごいよ、夏南汰さん……」

 思いついても実行するかとなると、できることではない。

「おじさん……」

 愛するおじさんが駆けつけ、守る。

 恋する少女なら夢見る光景であろう。だが、夢は夢。現実は非情で、身を挺して少女の命を救ったのはいいが、相応の代償を払わなければならなかった。

「椿ちゃん、よかった……」

 グラリ。

 大きな体は崩れ落ちた。モデルガンは手を離れて、内陣の床に落ちた。

「おじさんは、椿ちゃんが無事で、うれしいよ」

 夏南汰さんの上着の胸を突き破って、触手鎌が飛び出し、先端が宙に浮いていた。

「まずは一人」

 村長は声を弾ませていた。

 緑の眷属にダメージを負わせる銃を持つ危険人物を潰せたのだ。

 上機嫌で村長は夏南汰さんの上着の背中と胸を貫通させた触手鎌を引き抜くと、胸と背中をつなぐ穴から、大量の鮮血が流出しだした。

 大量の血を一気に失った夏南汰さんの全身が蒼白に染まっていく。

「夏南たん、少し借りるわよ」

 落ちたモデルガンをとっさに拾う、瑞穂刑事。

 ここで村長を引きつけるか、倒さなければ、また子どもたちが狙われる。瞬時にそう判断した彼女は、基本姿勢、ダブルハンドホールディングを教科書どおりのきれいにとり、構えた銃口から火を噴かせる。

「女が!」

 夏南汰さんの魔力でなくてもいいのか。それとも、銃が、宿っているウサ公が、代理の瑞穂刑事とともに夏南汰さんの危機を脱しようと動いたのか。

 放たれた弾丸は吸い込まれるように村長のへその中から出ていた醜悪な頭に向かって突進、射貫いた。

「ぐああぁあああ!」

 灼熱のような痛みにもんどりをうつ村長。

 致命傷を受けた化け物は、ばたりと前のめりで倒れた。

 ヒューヒューとかすかに息をする音が聞こえるところから、生きているようだが動けないはずだ。

 骨盤の代わりにしていたという頭蓋骨のほとんどが吹き飛ばされているのだから、今度こそ、物理的に動かすことは出来ないだろう。

 そんな村長の姿を見て止めをさすという考えがよぎる。僕にとって村長は、家族を殺した元凶であり、憎い化け物だ。

 今なら非力な僕でも何度も足蹴をすれば倒せるかもしれない。

 だが、待ったをかける声が不意に聞こえてきた。恨みを発散させるよりも、近くにある、かけがいのない人にこそ、僕の力が必要なのだと。

 僕よりも二歳下の、気丈な妹の声が頭の中から直接聞こえてきたような気がした。

「……そうだね……麗姫」

 僕の力で不用意に敵に近づくのは蛮勇だ。戦ったことのない人間がいきなり戦える力をもてるわけがないのだ。復讐心に駆られた末の行動なら、なおさら始末が悪い。

 ないスキルに頼るのはよくない。

 ならば、あるスキルに頼るべきだ。

 一時的な感情を捨て、僕は、僕に出来ることをするため、医者の息子として学んだことすべてを駆使するため、夏南汰さんのほうに力強く足を進ませた。

 麗姫見ていてくれ。僕の器用な手先の真骨頂を、今ここで発揮させてみせるから!

「夏南汰さん! しっかりしてください!」

 僕は夏南汰さんの上着を破き、傷口をよく見る。

 あらわになった傷は、思ったよりも小さく、見た感じでは重要な臓器から外れているようだ。

「もしかして、血の流れをどうにかすれば助かるのでは……」

 貫通しているとはいえ、夏南汰さんは助かる。そう僕は信じて行動するしかない。

 僕は急いでリュックの中から止血に使えそうなもの……包帯を取り出した。

 一秒ごとに夏南汰さんの生命が流出されている今、このまま大量出血に陥るよりはマシだと強く自身に言い聞かせ、開いたばかりの夏南汰さんの胸の穴を包帯で縛り付けようと巻く。

 しかし、悲しいかな。

 子どもの力では意識のない瀕死の大男を支えきれない。

「路敏、前はわたしに任せて」

 そうだ。椿がいるじゃないか。

 一人でしようとするから、あきらめるところだった。

 二人なら、出来る。

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