第12話 窟拓神社の神事の中心部にいた葵の一族
「あれ、路敏君。おはよう」
おはようというのは微妙な時間ではあるが、世間一般では休日なのだ。
この時間まで寝ていてもおかしくないのかもしれない。
朝風呂を楽しんでいたのか、温泉浴衣姿の小柳川教授がロビー近くに備え付けられているソファーの上でくつろいでいた。
「おはようございます、小柳川教授」
小柳川教授にあいさつしちゃったよ。
ちょっと、興奮するね。
民俗学専攻とはいえ、教授は教授。頭のいいえらい人を尊敬してしまうのは当然であろう。
「あれ、今日は一人かい。いくら外が明るいとはいえ、感心しないね」
刑事さんにも言われたな。
やはり、子供の一人歩きについて世間は厳しいものなのだろうな。
外に出ると敵になるもの多いからな。小さいうちは集団でいるほうが万が一のとき対処しやすいのはわかるけど。今の僕の心情では難しいな。
親切にされているはずなのに、居心地が悪い。
「あ、路敏君。旅館にまで来てくれたのかい」
今度は、夏南汰さんの声だ。
声をするほうに素直に顔を向けると、銀髪の若い男性がいる。
昨日とは少し違う服を着ていたが、地味という共通点は変わらなかった。
「あ、夏南汰さん……と椿」
そう、椿もいる。だが、おじさんにべったりするのに忙しいらしい。
僕に気がついてペコリと頭を下げるが、すぐにおじさんの足をスリスリしだした。
お前は妖怪すねこすりか。
「ああ。そうか……そういうことかい」
小柳川教授が一人納得しだしたよ。同い年の女の子に逢いに来ていると思われるだけで、こうもあっさりと受け入れられるのか。
「でも、こういう人通りの激しい祭りのとき、一人で行動するのは危ないから気をつけなさい」
タダの注意だと思うが、小柳川教授の顔には暗い影が差しているように見えた。
「前のめんだし大祭で、一人遊んでいた子供が行方不明になってね。今も見つかっていない。また子供が狙わるかもしれないだろうから、路敏君、ちゃんと大人といるべきだよ」
僕が生まれるよりも前の話とはいえ、こんな平和な村にそんな事件が起きていたのか。
刑事さんたちもその話を知っているのかな。
若い瑞穂刑事はともかく、関口刑事なら知っていそうだな。
「そ、そんな事件があったのですか。路敏君。一人は危ないから、一緒に屋台をまわろうな」
夏南汰さんはびっくりしているところを見ると知らなかったらしい。そりゃ、二十年前のことだしな。事件が起きたときは、物心つくかつかないかの瀬戸際だろう。
「わかりました」
ここは素直にうなずく。
と、いうわけで、椿。二人きりにできなさそうだけど、僕や指摘した小柳川教授を呪うなよ。
「やさしいおじさん……ステキ」
……椿は僕が思っているよりも、たくましい子だった。
おじさんの勇士が見られるのなら、多少の便宜を図るらしい。おじさんの見えない角度で愉悦に浸る姿は、まるっきり恐怖映像だけどな。
改めて、僕らは壁のポスターを見ると、めんだし大祭専用の神饌のしきたりが事細かに記載されていた。
窟拓村郷土資料館にある小柳川教授の本『地域民俗セクション・窟拓神社と緑精大神』にも、獣一頭が丸ごと供えられるとは書いてあったけど。
ポスターには写真つきで、神饌の作法が事細かに記されている。
まず、神事を行い、神域に入る者は、身を清めた後に、葵の花か葵の花を模したものを身につけておかなければいけない。そうしないと神域に入れないという。
厳かな儀式らしいしきたりである。
さらに、神饌には順番がある。米、村のシンボルである葵の花で飾られた酒樽、もち、肉……写真では牛一頭、村で取れた新鮮な野菜と果実、菓子、書物の順である。
「ずいぶん、オープンですね」
夏南汰さんは珍しいものを見る目をしている。
僕としては、めんだし大祭について書かれているというのなら、こういう資料があってもおかしくないと思っていた。だから、なんで夏南汰さんがそんなに興味津々だったのか、不思議でならなかった。
「たしかに。神饌に関する作法は、神への供物という性質から世俗の物とならないよう社家の中でも信頼のおける者が世襲し、無闇に広まらないよう伝承されてきたものが多いものだね」
僕はこの小柳川教授の言葉で、神饌というものは一般的に公開することがほとんどないことが、やっとわかった。
情報の価値は、その道に精通していないとわからないものなのだな。
「おや、これは小柳川教授……と、都甲さん」
後ろから男性の声がする。
「あ、馬渡村長」
祭り開催時間が迫っているためか、葵の花の印がプリントされた半被姿の村長がいる。
大祭でなんらかしらの役割がある村人も揃いの半被を身にまとっているようだ。
「みなさんおそろいで……ああ、めんだし大祭のことについて調べているのですか。今年は葵の一族が亡くなってから初めてのめんだし大祭ですが、村人一同、がんばって盛り上げたいと思いますよ」
葵の一族?
亡くなって?
どういうことなのか。
僕にはさっぱりである。
僕は知らない単語のオンパレードで、はてなマークをたくさん宙に浮かべさせると、小柳川教授は隣のパネルを指した。
「村長さんの言葉の意味を知りたかったら、こっちのパネルを見たほうが早いよ。この村の伝承が、こんなに露見されているのかもこれでわかるしね」
パネルにあるのは窟拓旅館ができる前の歴史。かつてこの場所に存在していた窟拓神社の本殿についてのまとめだった。
「へ~。この旅館の宿泊場所は本殿を土台に作られたものだったのか」
そういえば、宿泊スペースの平屋建ての外見はかなり古い。手作り感もある。だが、けして安っぽくはない……とは思っていた。
その理由がまさか窟拓神社の本殿だったから、とまでは思い浮かばなかった。
で、なぜ神社本殿から旅館になったのか。
その経緯もちゃんと書かれている。
もともと窟拓神社で緑精大神に仕えていたのは、葵の一族らしく、窟拓神社の神事をつかさどり、めんだし大祭では祭主を勤めていたという。
あのアメリカのスポーツカーに乗ってこの村に来た若竹さんが言っていた葵の一族とは、こんなに重要な立場だったのか。
そして僕が知らなかったのは、この葵の一族と熱心なシンパたちは二十年前に起きた不可解な火事で全員亡くなったから。
当時四歳の幼い子どもから、八十過ぎのご老体まで。老若男女問わず、すべてが炎の中に消えた。数字だけでもその凄惨さは伝わってくる。
この火事の異常性は、建物自体をあまり燃やすことなく、体の一部を残して後は見わけもつかないほど炭化してしまったことからきている。祟りだと恐れられたり、集団人体自然発火現象だったのではないかと騒がれたりで、この事件は怪奇現象としてオカルト業界では有名となった。
書類上では発電機にガソリンを給油しようとしたところ、気化したガソリンに引火、爆発したのが原因だとされているが、真相は謎のままらしい。
こんな奇怪な事件で葵の一族が亡くなってから、神事は村の氏子たちが引きつがれ、儀式で雅楽を舞う巫女も村人から選ばれるようになったという。
村人の心のよりどころである神事についてはこれで一応の決着がついたが、当時財政がかなり圧迫していたらしく、急遽金をかき集めなければならなくなったという。氏子たちの話し合いにより、事件現場である葵の一族の居住区と本殿を売却。
居住区はともかく、本殿を売り払ってもよかったのかと思うところだが、そもそも窟拓神社のご神体は背後にある森、窟拓山そのものなのだ。
伝承によると、緑精大神が窟拓村の友好関係の証として山を創造し、村人に託したという。本殿は、財政に余裕があった時期に格式を高めるために建造されたもの。そんなとってつけたようなものに愛着がなかった氏子たちは、売却することに異論がなかったという。
売却先というのが現旅館のオーナーだったわけだ。オーナーは元居住区には食堂を新設、本殿を宿泊スペースとしてリフォーム。
こうして数年後には自然豊かな景観を武器にした、窟拓旅館が建てられたのだった。
「ふ~ん。葵の一族か……」
葵にもちゃんとした伝承がある。
言い伝えでは緑精大神は土砂崩れを起こすほどの気性が荒い神らしいが、一方で葵の花一つで、願いを聞き入れるほどの太っ腹な面もあるらしい。
一輪ではなく一つというニュアンスにちょっと引っかかるところがあるが、誤植の範囲だろう。伝言ゲームにはこれぐらいのミスはよくあることだ。
そういう理由で、神事をつかさどる一族は、緑精大神のご機嫌とりのため、葵の一族と名乗るようになったそうだ。
村に葵のシンボルが多いのも、この伝承からきているらしい。そういえば、今小柳川教授が着ている旅館の浴衣もそうだな。葵の花で彩られている。
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