第10話 人当たりのいい美女とそれとは対照的な無愛想な美人仲居

 翌日。

 朝の定番ソング、新しい朝が来た。希望の朝が~が耳をすませば容易に聞こえてきそうな時間。

「ふわ」

 規則正しい生活を心がけている僕は、もちろん起きる。

 そして、ジャージに着替え、準備運動。

 水分補給も忘れずにすると、いざ、ジョギングである。

 はじめた理由は、万が一現れた不審者から逃げるために、一キロ走れる体力がほしいからだ。

 具体的な目標を持つことで、体調万全、気合も十分だ。

 それに最近学校に行っていないので、体力づくりも自発的に行わないといけない。

 なぜ、学校に行っていないのか。

 それは僕自身、あの事件からまだ立ち直っていないからだ。家族皆殺しは精神的にきつすぎだ。

 それに何も知らない級友たちに囲まれ、僕は笑顔でいられる自信がない。

 何も知らず平々凡々と暮らし、何かをきっかけで容易に反転する世界があることを理解していない学友を見たら、怒りを感じ、妬まずにはいられないだろう。

 僕はこんなに不幸な目にあったのに、何でお前らは気にせず楽しそうなのだって。

 バカみたいな言いがかりだってわかっているけど、そういう考えがとまらない。

 心が深く傷つくというのは厄介なことだ。

 言い知れぬ孤独感が、不安と疑心を肥大化させ、あらぬ妄想をかき立てる。

 その結果、今まで何の疑問に思わなかったことが、マイナスの方向に全力で突っ走ってしまう。

 気持ちが落ち着くまで、僕には休息が必要だ。

 この村のゆったりした時間の中で健全な心を取り戻していきたい。妬みだらけの心は正直つらいし醜い。麗姫に嫌われるような兄になっちゃ、ダメだろ。

 僕はどんなときも妹に誇られるような兄でいたいものなのさ。

 そう、どんなときも……。

「はぁ、はぁ」

 走りこんで数分、ジョギングスポットにしている神社まで来た。

 といっても、境内まで行く気はない。入り口付近。木製の高い鳥居までだ。大体ここを折り返し地点にしている。

 鳥居の向こうは、今日祭りがあるので、屋台の下準備で来る人でいつもよりにぎやかだった。

 畳んである屋台もあるので、これから時間がたてばもっとにぎやかになるだろう。

「楽しみは昼過ぎてからだな」

 屋台の出店に思いを寄せながら、僕は鳥居に背を向けた。

 そして、帰りがけ、神社の駐車場で珍しい車を見た。

 たしかフォードのマスタング……しかもシェルビー・GT350じゃないか。こんな田舎に乗ってくる車種としては場違いだろ。マグネティックにブルーストライプと、上品で精錬されたモデルだ。誰もが耳にしたことがあるアメリカンスポーツカーの代名詞がそこにあった。

「うわ、かっこいい」

 どんな人が乗るのか、ちょっと興味がある。

 僕は足を交互に動かしながら、この場にとどまった。

 ガチャ。

 運転席から降りてきたのは、サングラスをし、ワントーンコーデを着こなした、青みがかった黒髪の女性。

 車と同じぐらい精錬している。

「こういう人も大祭に興味あるのかな」

 観光客にはいろいろな人がいるし、たまにはこんなおしゃれな人もくるのだろう。

「あら、そこの君。村の子?」

 僕の姿が見えたらしい。結構遠くで見たと思ったけど、この美女、目がいいのか、僕の思い違いなのか。

「あ、はい。おはようございます」

 美女に声をかけられ、慌てふためく僕。

 仕方ないだろう。だって、美女だよ、美女。サングラス越しでもそのオーラは隠しきれてないよ。

 かろうじて出たのは、なんのひねりもない、あいさつ。しかし、あいさつは大事だ。

「おはよう」

 年齢不詳の美女はあいさつを返してくれた。

 いい人だ。

 それと、僕が知らない人に声をかけられたからといって、とっさに逃げるという行動をとらず軽く対応したのは、襲われてもこの距離なら十分逃げられると思ったからというのもある。

 偶然なのか、この距離感、すごくいい。

「じっと見ていたけど、この車のことが気になったの?」

 はい。

 かっこいい車をもう少し見たかったという欲望もある。

 ふ。所詮ガキだ。車と美女のコンボにときめきとロマンを感じられずにはいられなかったのさ。

「ふふ。正直な子ね。いいわ、じっくり見て。何なら触ってもいいわよ」

「え、でも……あ、写真、撮っていいですか」

 知らない人の近くにはいけないが、スマホがあるのだ。

 スポーツカーの写真は収めておきたい。

「いいわよ」

 持ち主から了解を得たよ。やったね。

 パシャパシャと何枚か撮り終え、僕は満足する。

「ありがとう、見知らぬお姉さん」

 言い終わってから、ふと気づく。これ、警戒心が強いから、近づけませんって言っているようなものじゃねぇか。

「ふふ。おもしろい子。なら、軽く自己紹介しましょう。私の名前は若竹わかたけひびき

 若竹さんか。

 うん、覚えた。

「これでも、ノンフィクション作家なの。この大祭で見たことを本にまとめようと思ってやってきたのよ。これで、見知らぬお姉さんじゃなくなったでしょ」

 きれいでいい人だ。

「僕は……路敏」

 でも、北上一家殺人事件にかかわるヒントは与えられないと、僕は苗字は言わず、名前だけ名乗る。

「そう。路敏君ね。ところで、路敏君。君は葵の一族って知っている?」

 初耳だ。

 僕が知っていることといえば村に葵のシンボルが多いことぐらいだ。一族、となると心当たりがない。

 僕は首を横に振って、知らないことをアピールする。

「そうよね。結構昔のことだし。路敏君ぐらいの歳じゃ、わからないわね。あ、そうだわ。よかったら、これ」

 若竹さんから名刺を渡された。

 ほんのりといい香りがするのは香水かアロマか。

 僕はもらった名刺をポケットに入れた。

「お姉さん本を書いているから、興味あったら、読んでほしいわ」

「わかった。ありがとう、若竹さん。さようなら」

 こうして小さな好奇心が満たされた僕は、若竹さんに別れをつげ、朝ごはんにありつくため、神社を後にした。


◇◇◆◇◇


 エッホ、エッホ。

 ジョギングも終盤。今、僕は窟拓旅館まで来た。この旅館は窟拓村唯一の宿泊施設である。

 窟拓村は全体的に寂れた田舎ではあるものの、民俗学系の外部の人間に協力的なところもあり、村はその手の趣向をもつ人に地味ながらもそれなりに人気がある観光スポットである。

 村滞在期間を少しでも長くしたいので飯抜きで泊りたいという民俗学専攻の学生と、広い広間で宴会がしたいという村人との要望にこたえた結果、この旅館は泊まる人専用の宿泊スペースと、宴会(要予約)時には貸切りになる食堂スペースとで大きく二つにわかれている。

 そこでちょうど清掃している藤色の着物姿の女性従業員さんがいた。

 名前はきし彩香あやか。通称彩ちゃん。少しでも村になじめるようにと、旅館の女将がこのあだなを広めたという。

 ちなみに彩ちゃんと女将の関係は親戚筋。だからだろうか、お高くとまっている、縁故採用と村の若い連中に陰口をよくたたかれる。

 半分嫉妬も混じっているのだろうけど、半分女将さんと比べると愛想も器用も悪いからだ。どのくらい悪いかというと……。

「あ、彩ちゃん、おはようございます」

 プイ。

 この通り。つれない。

 子どもにちゃん付けされているのが気に食わないのかもしれないが、ここはもうすこし、感じのいいお姉さんを演じようぜ。クール系女子かもしれないけど、笑った顔一つもなしだと、せっかくの美人が台無しなんだよな。客商売だし、がんばれ。

 なお、これが女将さんなら……おはようございます。ごぎげんよう。今日も窟拓旅館をごひいきに、と、人懐っこい爽やかな笑顔で、洗練された朝のあいさつが返ってくるのだ。

 年の功でこんなにも違うのだから、世の中不思議だ。

「じゃあ、またな」

「……」

 もちろん返事が返ってこない。むなしい。

 だけど、僕は負けない。

 それに、彩ちゃんのことはどうも嫌いになれねぇ。なんか、言葉に表すのは難しいのだが、奇妙なシンパシーを感じるのだ。

 なんとなくだけど、村の中で一番僕のことをわかってくれるのは彩ちゃんじゃないのかってぐらい。

 といっても、お互いあいさつも交わせないぐらいの疎遠ぶり。

 彩ちゃんからのアプローチは期待するだけ時間の無駄かもしれねぇ。

 僕から歩み寄らないといけないだろう。だけど、こういう女性はどうすれば近くに寄れるのか。

 う~ん……。僕には難しくてわからない。

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