第21話 二十四歳

 若竹さんが出て行ってから数分後。

 僕らも混浴風呂から上がり、割り当てられている鶴の間にまっすぐ向かっていた。

 元々湯上り卓球をするぐらいの気力はなかったし、あの妖艶なノンフィクション作家を部屋に上げる前に一度整理しておきたい。

 ここを曲がれば鶴の間まで一直線という角まで来ると、そこには小柳川教授が一人ウロウロしていた。

 迷ったのかな?

 いや、小柳川教授はこの窟拓旅館に何度も泊まったことがあるようなので、いまさらという感じがする。

「やあ、夏南汰君」

 小柳川教授は僕たちに気がついて声をかけてきた。

「今日は大変だったね」

 麻衣さんが亡くなったことはもう村中に広まっているらしく、素面の人間なら知らない人はいないという。知らないのは酔いつぶれて寝ている若い衆だけだ。

「はい……。まさか、あんなことが起きるなんて」

 神楽の舞が終わってから数分の間にあんな事件が起きたのだ。

 人外の仕業であるというほうが納得できるほどの短時間で、被害者から骨をすべて抜き取り吊るすという悪魔の所業。

 村に着てから知り合ったとはいえ、麻衣さんは僕にしてみればお姉さんのようなあたたかくて、素敵な人だった。

 そんないい人が殺されたという事実だけでも気が滅入るというのに、むごたらしく……だなんて、ショックが強すぎて、どこまで心を痛めればいいのか、わからないよ。

「そうだね。でも、君が気に病むことじゃないさ。君が駆けつけたときにはもう麻衣君は亡くなっていたのだろう。割り切らなければならないところだ。それに子どもたちが無事でよかった」

「あ、はい……」

 小柳川教授の様子から、殺人事件が起きたことは知っているようだが、死体の状況までは伝わっていないと思う。知っていたら、夏南汰さんへの声のかけ方がもっと違うものになっていたはずだ。

「ところで、教授。どうしてここに。この先はほぼ行き止まりですよ」

 この先にあるのは鶴の間ぐらいだ。

「そうなのだが……先ほど、ここで従業員の彩ちゃんの姿が見えたと思ったのだが、どこにも見当たらなくてね」

「彩ちゃん?」

 夏南汰さんたちを鶴の間に配置させた人か。

「馬渡村長の指摘をうけてから彩ちゃんがまだ姿を見せていないのだよ」

 あの昼間からずっといないのかよ。

「だから女将さんがなじみの客に探すようにお願いしたのさ。といっても、旅館内だけだけどね。彩ちゃんの履物は旅館内に残っているので、どっか自分の知らないところで一人泣いて、泣き疲れて寝ているのだろう」

 子どもかよ。

 と、いうか……どこに殺人者がいるかわからない状況だというのに一人行動。

 危険すぎるだろ。

 当の彩ちゃん本人は知らないだろうけど、ずいぶんはた迷惑な人だ。

 まったく感情だけで行動する人間って苦手だ。

「そこで、夏南汰君。もし彩ちゃんを見かけたら、女将さんが心配しているから事務室に戻るように説得してくれないかい。オーナーの息子のいうことなら、聞き入れるだろうからね」

 さらに夏南汰さんの温和な人柄なら、説得に応じてくれるだろう。

 小柳川教授、結構人を見ているようだ。

「わかりました」

 だけど、幼い子どもをつれている夏南汰さんが積極的に人を探せないだろう。

 それに、後数分で若竹さんが部屋にやってくるわけだし。

「それにしても、小柳川教授はずいぶん人がいいのね。いくら年若い女性がいなくなったといえども旅館から離れてはいないのでしょ」

 椿、愛しいおじさんに好意を持っていそうな人物すべてに嫉妬しなくてもいいじゃないか。

 皮肉なんて言ったから、夏南汰さん、困っているぞ。

「人がいいか……。どうしても、あの子と同じ年代の子を見ると世話を焼きたくなる。あの子にとって、私はいい親ではなかったからな……」

 小柳川教授の顔に暗い影がさす。

 後ろめたい感情と後悔がにじみ出ているようだ。

「あの子、とは……?」

 夏南汰さんがたまらず尋ねる。

 たしかに、これだけどんよりしたオーラを発する人を無視するとか、ないがしろにすることはできないな。

「二十年前のめんだし大祭のときに行方不明になった私の娘……早紀だ。当時四歳だったよ」

「……俺や瑞ぽよと同い年ぐらいか……」

 たしか……彩ちゃんもそうだ。

 偶然とはいえ、二十四歳に何か縁があるのかなと思うぐらい、僕の周りにその年代の大人が多いな。

「私があの子の同世代に関わりたいのは、あの子に与えることができなかった分の愛情を誰かに渡したいからなのかもしれないな」

 代わり、か……。

 しかし、僕は笑えない。

 妹を失った喪失感で、胸がぽっかりと空いている僕。

 その穴を埋めるために、いつか妹の代わりに愛情を注ぎたい子が出てきてもおかしくないって、なんとなく思っているから。

「そうでしたか」

 力不足の僕たちは、なぐさめる言葉は思い浮かばない。

 ただ、教授に起きた悲劇を悔やむしかできないのだ。

「ごめんなさい」

 さすがの椿も言葉が過ぎたと反省しているみたいだ。

「あ、いや。君たちは知らないからな。妙に馴れ馴れしい怪しいおっさんだと思われても仕方がないさ」

 いい人過ぎる……。

 昨日から、小柳川教授の株が上がりまくっているのだが、どうしよう。

 枯れ専、渋専、老紳士萌えの人の気持ちがわかる日が来るなんて、予想外だよ。

 僕らはいなくなった彩ちゃんの捜索の手助けできないことを心残りに思いつつも、小柳川教授と別れ、鶴の間へと向かうのだった。




 三人分の布団が敷かれているが、違和感を覚える部屋。

 その違和感の正体は畳だ。

 僕らは一般的な祝儀ではなく、不祝儀敷だからと前もって知っているわけなのだが、実際こういう縁起の悪いのは気になるな。

 いっそ、畳をはがして、普通の敷き方に配置したくなる。

「ん?」

 僕が畳をはがせるかどうか、注意深くみると、畳の隙間にはわずかなズレと、真新しいキズがあった。

 合間に何かを差し込んで、テコの原理ではがそうとしたのか。僕は誰かが、畳を動かし配置を変えようとした痕跡を見つけた。

「おじさん、この畳、なんかボロいね。古いものなのかしら」

 椿は畳のささくれを劣化だと思ったらしい。

 そういう考え否定できないが、僕が見つけたこの跡はつい最近できたものなので、年月のせいだけではないだろう。

「いや、この畳。最近動かそうとしたみたいだよ」

「なら、なんで、配置を変えなかったのかしら」

 そういえば、そうだな。

 変えていれば、従業員の彩ちゃんが泣きながら廊下を走らずにすんだはずなのに。

「う~ん。畳も部屋にあわせて作るものだと聞いたことがある。配置を変えてみたら、嵌らなかったから、あきらめたかもね」

 配置を変えるには畳自体を一新しないといけないわけか。

 夏南汰さんの推測に、納得できる。

 そして、今はこれ以上畳の跡や配置について考えてもどうしようもない。後数分で若竹さんが来る。

 僕らは頭を切り替えて、協力者の女性がいつ来てもいいように、ある程度部屋を整えたのだった。




 時間通り若竹さんが鶴の間に来た。

 窟拓旅館の浴衣姿という、僕らと変わらない格好。

 幻想怪奇殺人事件のことに話し合うのにしてはちょっと締まらない気がするが、だからといってあからさまに警戒していますと武装するのも、悪目立ちしてしまうだろう。

 殺人現場の窟拓神社から近いとはいえ、多くの人にとっては日常を崩すほどのことではないということだ。事件が無事解決するまでギスギスした空気が流れようとも、事件の中心にいない限り、所詮は他人事だ。

 従業員の彩ちゃんが、たかが客に文句言われたぐらいで無謀にも一人行動するわけも、ここにあるのだろう。

「改めて、よろしくおねがいします、夏南汰さん」

「で。若竹さんはどこまで掴んでいるのかな。ノンフィクション作家というのは、ウソじゃないだろ。むしろその肩書きを利用して、俺のことを調べたといったほうが正しいな。まぁ、俺のことだけならまだいいよ。特に隠しておくものではないし。ただし、椿ちゃんや路敏君のことまでになると、ね」

 夏南汰さんの顔つきが変わる。

 雛を守る親鳥のように威嚇する顔つき。知り合ってたった数日だというのに、僕は愛情を感じてしまう。自意識過剰かな。

「そうですわね。私が調べられることすべて調べさせていただきましたわ。でも、本には書きませんよ。いくらおもしろいネタでも、幼い子どもを食い物にするほど鬼畜ではありませんから」

 若竹さんの意味深な含み笑い。正直怖い。椿とは違うベクトルで怖い。

「さて、と。路敏君に椿ちゃん。これから先はすべて幻想の世界でしか通じないことだ。保護者としてはここでおとなしくしてほしい」

 夏南汰さんは静かに何かの覚悟を決めた目で僕と椿をやさしく見つめると同時に、感じたこともないぐらい緊迫した空気が流れた。

「おじさん、わかったわ。おやすみなさい。でも、無事に帰ってくるって約束してよね」

 椿は夏南汰さんにお休みのあいさつをすると寝室に向かい、即座に布団に入っていった。

 仕切りがないはずなのに、僕にはそれが大きな隔たりが見えた。

 正気の世界と狂気の世界の境目。

 布団の中でぐっすり眠る。そんな平凡で当たり前のことが僕には遠い異国に感じられた。

「夏南汰さん、僕は……僕は、知りたい……たとえ、傷つくことになっても、知らなければならないと思う」

 この殺人事件は、狂気的な幻想の世界の出来事。人間が本来触れるべきではない領域のものなのだ。だけど、僕は殺された両親のためにも、あの場に残った妹のためにも、そして僕自身のためにも、どんな残酷な真相であろうと見極めなければならないのだ。

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