プロローグ
わたしの愛するおじさん。
今日もおじさんはわたしのお願いを聞いてくれる。
ちょっと、いじわるなお願いも。
ちょっと、不思議なお願いも。
かなえようとがんばる、おじさん。
ああ、大好きよ、おじさん。
大好きすぎて、わたし、わたし、うれしくて仕方がないの。
◇◇◆◇◇
地元では有名な私立小等部のセーラー服を着て、ランドセルを背負う姿はさまになっているが、中身はともなっているわけではない。
椿は旧家の仕来りという家の事情で他家に養子に出され、今は義理の叔父のマンションに住み着いているという複雑な事情の持ち主ということもあり、普通一般とはかけ離れている生活を強いられてはいる。
大人の思惑に翻弄される少女。
早く独立し自由になりたいというたぐいの理由ではない。
早く家主であり保護者でもあるおじさんに、自分が本気で恋をしていると思われたいからだ。
おじさんとの愛に生きる小学生、それが都甲椿である。
「椿ちゃん、朝ごはんができたよ」
リビングから程よいテノール声が響く。
恋のターゲットにされていると露にも思わず、のほほんと花が浮かぶようなさわやかであたたかい雰囲気をかもし出す、黄色いエプロン姿を着た若白髪の男性。
彼こそが、椿の義理の叔父であり、おじさんと親しみと愛情をこめて呼ばれる相手、
純和製の人形のような美しい黒髪と愛らしい容姿をもつ椿と違い、夏南汰の顔の彫りは深く、異国の血が流れているように見える。
それもそのはず、夏南汰はクォーターで、先祖がえりしているタイプだからだ。
若白髪と記したが、どちらかといえば地毛がプラチナブロンズ……銀髪なだけ。涼しげでツヤのある美しい銀髪はさわやかな印象である。
育ちの良さもあり紳士的で、質素なエプロンも似合う家庭的な男。
見た目よし、中身よしの最優物件である。
「おじさん、おはよう。愛しているわ」
このままおじさんに恋人や好きな人が出来なければ、なし崩し的にもいけそうな気もしないでもない。そんな絶好なポジションを椿は確保している。
しかし、千里の道も一歩から。恋愛の道も長き道のりなのである。
そして油断大敵。どこの馬の骨ともわからぬ人間に奪われるわけにはいかない。
日々欠かさず恋する少女らしく椿はおじさん好き好きアピールをし、逃がしてなるものかと縛り付けるように愛をささやくのだ。
「はは。ありがとう、椿ちゃん。おじさんもうれしいよ」
「もう。ここは愛していると返すものでしょ、おじさん」
椿は愛の告白をさりげなくかわす叔父の前で、ムスッとあどけない頬を風船のように膨らませる。
しかし、世間一般ではいくら本人が本気でも小学生では……『気持ちは嬉しいけどお前はまだ小さいから、好きの気持ちを勘違いしているだけだ』という現象を引き起こしているだけにしか思われていないわけで。
今日も今日とて、椿の粘着力ある愛の語らいはあっさりと剥がされるものなのである。
(む~。おじさんったら、私をまた子ども扱いして。む~、む~!)
早く大人の女性になりたいのは、一つ屋根の下にいるおじさんとゴールインしたいという、おマセな願いのためである。
なお、『おマセ』とかわいく表現したが、椿ちゃんは小さくても立派な肉食系女子。狙った獲物を鋭いツメとキバでモグモグしようとしている。
穏やかとはほど遠い愛の弾丸の的となっていることも知らずに、おじさんは味噌汁をよそい、椿が席に着くのを待っている。
「いただきます」
椿は席につき箸を持つ。
できるだけ朝食は二人でとろうという約束を守るため。
かわいい姪っ子のために、毎日朝食の時間を設けてくれるのはありがたい限りである。
今日も味噌汁のほどよいあたたかさと味に椿は満足しながらも、目をギラギラさせておじさんを見つめるのであった。
「今日のニュースは何があるかな」
ふと何気なくつけているテレビから、椿とおじさんの幸せでさわやかな朝には、ふさわしくない報道が流れてくる。
『ご覧ください。ここが北上医師とその家族四人が殺害された自宅です。今は窓に青いビニールシート、出入り口に黄色い「立ち入り禁止」のテープで囲われています。同級生からの最後の贈り物でしょうか、やさしい白色をした可愛らしい花束が家を囲うように置いてあり……』
残酷な事件のリポートが、延々と続く。
これは最近騒がれている北上一家殺害事件だ。一家の遺体の頭部や手首を切断し、骨を抜き取り、皮と肉だけにして放置するという、何とも猟奇的な事件。
連日連夜昼のワイドショーから夜のニュースまで取り上げ続けているが、何も進展していない、痛ましい事件なので、夏南汰も憤りを感じている。
被害者と怨恨関係を匂わせる人物が浮上していないからだ、とは報道されている。たしかに行きずり犯行なら、捜査は難しいだろう。だが、そこをなんとかして、警察には早急な解決を求めてしまうのは傲慢だろうか。いや、一市民としては当然の感情だろう。
「……」
しかし、このニュースは子供にじっくりと見せていいものではない。
良識のある大人、夏南汰は眉間にしわを寄せ、リモコンを手にすると、チャンネルを変えた。
ピッ。
今度は行楽シーズンのお勧めスポットを紹介する番組が映る。
季節の花々に囲まれたお散歩し甲斐のある公園、愛らしい動物たちが投げられた餌を曲芸食いする鍛えられた動物園、日本で一番高い観覧車をうりにした遊園地。
大人も子供も楽しめそうな行楽地が次々映し出されている。
「そろそろ連休か……そうだ、椿ちゃん、今度の土曜日、どこか行きたいところ、ある?」
「ん……じゃあ、
夏南汰としてはテレビ画面に出てきた観光スポットをおねだりされると思っていたのだが、予想の斜め上だった。
「つ、椿ちゃん、ず、ずいぶん渋い趣味だね」
窟拓村とは、人口二千五百人程度の村で、窟拓神社と背後の窟拓山を中心とした自然的景観の良好な地である。
神社までの道なりには石畳が敷き詰められているのだが、森を一番良く知っているケモノたちの有志による道が美しい景色へ導いてくれる、神秘的な秘密の道がほとんどだという。
言い換えれば、自然豊か過ぎて、獣道しかないから、新参の都会者が入り込む隙間はほとんどないともいう。
ニョロっと出てくるヘビさんや、密集し好戦的なやぶ蚊に襲われても大丈夫な精神力を持ち、なおかつ山登りできる体力とスキルがないとまず入山は無理であろう。
椿みたいな、もの静かでアスファルトの地面しか歩いていないような子には、大変厳しいところである。
地元名産品は梅という、小さなお子様が楽しめる観光スポットとはお世辞にも言いづらい。
「おじさんの机に上にひろげっぱなしだったから、興味持ったの。それに二十年に一度の行われるめんだし大祭があるって。おもしろそうだから見てみたいの」
「そ、そうか。たしかにおもしろそうだよね」
めんだしという名前的な意味で。
そうか、椿ちゃんが行きたいのはお祭りなのか。
旅行雑誌の記事では珍しいお祭りで、毎年行われるものよりも規模が大きくなると書いてあったが……しょせんは田舎なのでそれほどすごいものになるとは思えないが。
そんな田舎あるあるの現実を知る夏南汰だからこそ、椿が楽しめないのではないかと少し渋い顔をする。
「それに、おじさんにはお義父さんからもらったものあるでしょ。お祭りなら着てくれるよね?」
夢見る少女そのものの顔で頬を赤らめ、お願いしだす、椿。
かわいい。
だが、夏南汰の内心はお願いの内容に冷や汗をかいていた。
「あ……あれか……」
椿の義父であり、夏南汰の実兄、
いくつもの会社を運営しているいわゆるやり手の若社長なのだが、その性格は非常にわがままで扱いづらい。弟である夏南汰は、幼少期から振り回されているので慣れている。いきなり椿を養子にしたから預かってくれといわれても、笑って承諾した経緯は伊達ではないのだ。
菩薩のようなメンタルがなければ兄と兄弟をやっていけないのだ。
さらに兄もまた弟に対して甘く、そして甘えてくる。
そのことについては、夏南汰としてはかわいいものとしか思っていない。
結局のところ夏南汰もそれ相応に兄馬鹿なところはある。
ともかく兄には押しの弱く人のいい弟に趣味を押し付けるときが多々ある。
そのひとつが、ファッションである。
しかも自社ブランド。そこなりに業績がいいらしいが、それは夏南汰のあずかり知らぬところ。問題なのはその中でも夏南汰に送りつけるもの。
後数年後には流行りそうな、時代を先取りしすぎた前衛的な衣装である。
「で、でも、あれはちょっと派手だからあまり人前では……」
兄から送られてくる衣装は、服に無頓着で、私服は地味なものしかない男にはハードルが高すぎるのだ。
夏南汰としては、兄好みの派手な衣装はファッションショーだけで取り上げてほしいと常々思っているのが、妙にセンスがいい兄が選び出したものは、いつもいい意味で当たりである。
「だから、小さな村で、知り合いに会う可能性が低いところならいいでしょ、おじさん。本当に似合っているから着てほしいのに。着てくれないし!」
そう、椿は絶賛しても仕方がないくらい、夏南汰には似合う服ばかりなのだ。
着ないというのはもったいない。
……派手だけど。
「うっ……」
「おじさん、だめ?」
椿は首をかしげ、大きな瞳をキラキラとさせている。
どうみても、行きたい、連れてって、そしてあの衣装を着て一緒に屋台をまわろうよと訴えている目である。
この目に逆らえるのは、悪魔しかいないぐらいだ。
「いいよ。せっかくだし、泊まってじっくりお祭りを楽しむか」
人のいいおじさんに、断るという選択肢があるわけがない。
ごまかす、ほかの服に妥協してもらうという選択肢も、姪っ子からの期待をこめた目から出てくるキラキラとした光線により、塵となった。
もうここまでくれば、無駄な抵抗はやめよう。
夏南汰は、普段わがままを言わないよくできた義姪の願望をかなえるしかない。
自身を覆い隠す何かを犠牲にする覚悟さえすれば、後はもう何も怖くない。
「やった! おじさんとデート!」
このときの椿のご満悦に微笑んでいた顔は、大変美しいものであったという。
この恋する少女にはあまり人がいない静かなところでおじさんと一緒にいられるというほうがうれしいのである。
ここまでは何の変哲もない平凡な日常。
だが、見えぬところから手が伸びている。
狂った世界に巻き込まれるまであと、十日。
窟拓神社のめんだし大祭が開催されるその日に、幻想怪奇な事件が起きる。
気まぐれな神が黒幕の、翻弄された人々の悲しい事件。
その前に、一つ。
幻想の世界に押し込められた少年の話をしよう。
この少年がいなければ、今回のめんだし大祭の怪異が表立つことはなかったのだから。
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