20:25 生徒会室

 心変わりした私は、城ケ崎さんの考えに乗ることにした。



「私、思うんだけど……」

 そこで、城ケ崎さんは少し顔を伏せた。それは、今まで常に自信満々で正論を語っていた彼女が見せた、ちょっと悲しそうな顔だ。

「もしかしたら奥村さんも、心の中では私と同じ考えなんじゃないかしら? 私が考えていることなんて、彼女だったらとっくに思いついているんじゃないかしら……?」

「同じ……って。つまり、私たちはまだ死ぬべきじゃないってこと?」

「ええ」

 城ケ崎さんはまた生徒会室の窓から、図書室を見る。

「奥村さんは多分……私たちの中で誰よりも哀田さんへの気持ちが強い人だわ。彼女、目が覚めて自分のカードを見た瞬間から、他人への復讐も自分自身の自殺も覚悟していたってことでしょう? そんなの、よっぽど日頃から哀田さんのことを想っていなければ、できないはずだもの。

 だから、そんなにも想っている哀田さんにとって何が一番大切なことなのか。今の自分が、彼女に何をしてあげるべきなのかっていうのは……奥村さんだって知っているはず。私なんかよりもずっと哀田さんの気持ちを考えることのできる彼女なら……きっと、彼女の世界と最後まで向き合わずに死んでしまうなんてただ罪悪感から逃げているだけだってことが、分かっているはずよ」

「じゃあ、どうして彼女は……」

「きっと、さっきまでの貴女と同じよ、飯倉さん」

「え、私と……?」

「きっと奥村さんも、自分が哀田さんにしてしまったことの罪悪感に耐えきれなくって、思考が袋小路に入っているだけなのよ。自分で自分を追い詰めてしまって、理性的に考えればすぐに分かることも分からなくなっている。……いいえ、むしろ分かっているのに、自分から分からないふりをしてしまっているのね。

 哀田さんが亡くなっているのに、自分が生きていることが許せない、っていう表面的な判断で思考が停止して、それ以外の選択肢を見ようとしていないのよ」

「ディミ子ちゃん……」


 さっきまでの私は、ディミ子ちゃんと同じ考えだった。でも、城ケ崎さんのまっすぐな言葉を聞いて、思いを変えることが出来た。

 だったら、同じように思いつめてしまっている彼女に城ケ崎さんと私が思いをぶつけたら、彼女も考えを変えてくれるだろうか? 残り少ない時間を、アリスの世界を理解することに使うことを許してくれるだろうか? 私たちに、協力してくれるだろうか?


 その考えは、少し甘すぎるように思えた。

 彼女は、私ほど馬鹿でも単純でもない。

 「罪を償うために私たちが死ぬべきだ」という気持ちが、自分で自分を追い詰めようとする気持ちから来ているのだとしたら。その気持ちの強さと複雑さは、きっとディミ子ちゃんのほうが私よりもずっと強い。

 頭のいい彼女は、私なんかには分からないような無数の理由を用意して、徹底的に自分自身を追い詰めているんだろう。私よりももっともっと深い思考の闇の奥に閉じこもっていて、アリスの復讐を果たそうとしているんだろう。

 そんな彼女を説得するには、きっとさっきみたいな単純な言葉だけじゃだめだ。何か、もっと違うもの……彼女の考え方を根本的に覆すような、まったく新しい事実でも突きつけないと……。


「さっきの様子を見た限り、奥村さんはきっと、私たちの言葉を素直に受け入れてくれたりはしないでしょうね。多分彼女なら、どれだけ私たちが理論武装して立ち向かっても、力業でそれをねじ伏せるくらいの屁理屈を用意することが出来そうだもの」

 城ケ崎さんも、私と同じことを考えているようだ。

「そうですね。でもそうなると……残り少ない時間でディミ子ちゃんを説得するのは諦めたほうがよさそうですね。むしろ、私たち全員が死ぬことが正しいと思っている彼女は、私たちに自殺する気がないと分かったら、容赦なく攻撃してくると思います。

 だから私たちは、彼女から逃げながら、この世界のことを調べなくちゃいけないわけですね」

「ええ、そうね。……出来れば、彼女に協力してもらえたら、とても心強いのだけど」

「でも、もう仕方ないですよ。ディミ子ちゃんの思いは相当強いっぽかったし。今は、残された少ない時間を有効に使うことを考えなくちゃですよ」

「残念だわ。ああ、ここに不破さんがいたらよかったのに」

「ほんとにそうですね、って……え?」

 突然おかしなことを言った城ケ崎さんに、私は聞き返す。

「え? 不破さんって……不破静海のことですか? どうしてここで、静海の名前が出てくるんです?」

「ああ、だってそれは……彼女の『独裁者』の能力があれば、奥村さんに『命令』することが出来るでしょう?

 『自分の本当の気持ちを言いなさい』とか、『全員を皆殺しにすることが本当に哀田さんのためになると思っているのか、答えなさい』って『命令』をすれば……さすがに彼女も、自分の本当の気持ちに気づくはず。残された時間で自分が本当にすべきことを、きっと正直に答えてくれるはずでしょう? そうすれば、彼女もきっと私たちに賛同してくれると思ったのよ」

「ああ、なるほど……」

 『独裁者』の能力だけ考えれば、それはそうかもしれない。あの能力なら、『命令』によってディミ子ちゃんの本当の気持ちを聞くこともできるだろう。


 でも、本当に実際にここに静海がいたら……多分、事態は今よりも余計ややこしいことになっていたに違いない。

 自分の利益のためだけに、平気で全員を皆殺しにしようとするようなやつだ。私たちに何か協力してくれるとは、とても思えない。絶対、何かしらのよからぬことを考えて、さらに場を混乱させていたはずだ。

 だから城ケ崎さんのその言葉は、ただの机上の空論でしかないと思った。今まで生徒会室に引きこもっていて、静海のことをよく理解していない彼女だから言える、『愚か者』のたわごとに過ぎないと…………え?



 あ、あれ……?



 そこで、私の脳裏に一つの小さな疑問が浮かんだ。その疑問は、ものすごくどうでもよくて、今さら別にスルーしてもいいことのような気もする。

 だけど、その割に妙に気になる。何か、放っておいてはいけないようにも思えるものだった。



 だから私は、その疑問を声に出していた。

「えと……確認なんですけど城ケ崎さんって、今までずっと、生徒会室にいたんですよね?」

「え? ええ、そうよ……」

 さっきまでの真剣な表情に、また少しポンコツっぽい焦りが混じる城ケ崎さん。何故か、必要以上に言い訳じみた返答を続ける。

「ほ、ほら。だから、さっきも言ったでしょう?

 私は、この生徒会室で目覚めたあと、廊下に出たところで奥村さんと会ったんだけど……すぐに彼女とは別れてここに戻ったの。それで、それからはずっとこの生徒会室で……」

「でも、だったらそれって、少しおかしくないですか?」

「な、何よっ! 何が、おかしいって言うのよっ!」

 やけに強いこの反発は多分、彼女が「隠している何か」を暴かれたくないという思いからだ。私の頭の中の疑問は、もやもやした不定形から、何かの形を作り始める。

「だって……ずっと引きこもっていたはずの城ケ崎さんが、どうして静海の『独裁者』を知ってるんです?

 今の話からすると、城ケ崎さんがこれまでに会ったことがあるのは、ディミ子ちゃんだけなんですよね? あとは、ドア越しに私と話したことはありましたけど……それ以外には、誰にも会ってないんですよね? 城ケ崎さんは、さっき図書室で私を助けてくれる前に、私とディミ子ちゃんの会話を立ち聞きしてたって言ってましたけど……そのときだって、私たちは『独裁者』の能力のことなんて話してません。

 それだと、城ケ崎さんが静海の『独裁者』の能力を知る機会って、今までなかったような気がするんですけど……。もしかして城ケ崎さん、これまでに生徒会室の外に出たことあります?」

「ゔ……」

 城ケ崎さんの顔が、沸騰するように徐々に赤く染まっていく。その様子もやっぱり、彼女が隠している何か……それも多分、「何か恥ずかしいこと」が、露呈しそうになっているせいだろう。それって、つまり……。


「よく考えると、さっきも『ディミ子ちゃんは土岐先生を殺した』とか……。この世界のことについては何も知らないはずなのに、妙に状況を把握しているっぽいところもありましたよね?

 もしかしたら城ケ崎さん……これまでに、この生徒会室を抜け出したことがあって、そのときに状況を把握したり、静海の『独裁者』の能力も見た……とか? だから『独裁者』が、『命令』してそれを実行させる能力だってことを知っている……。

 っていうか、そんなに赤くなるほど恥ずかしがっているってことは、もしかしてもしかして……能力を見ただけじゃなくって……実際に、『独裁者』の『命令』を食らっていて、あいつに何か操られたことがある……とか?」

「ゔゔゔぅ……」

 彼女の顔が完全に真っ赤に染まる。それは、私の質問に対する無言の肯定だ。


 え? そ、それってつまり、そういうこと……?

 今まで私が見てきた中で、『ディミ子ちゃんが土岐先生を殺した』ことを知れて、かつ『城ケ崎さんが独裁者の能力で操られた可能性がある』のは……あのときしかない。


 私はそれを確認すると、彼女はゆっくりとうなづいた。

 ああ、やっぱり。

 じゃあ、あのときあの場所には、城ケ崎さんがいたんだ。


 頭の中で形作り始めたイメージは、バラバラに散らばった記憶を取り込んで、一つの答えを出そうとする。


 え……? それじゃあ、あのときのことって……そういうこと、なの……?

 でも、そうとしか考えられない……。

 だ、だとすると……この世界は……。



 最後に残ったその答えは、とても信じがたいものだった。

 でも、信じる他なかった。

 だってそれが……それだけが、今考えられる唯一の希望だったから。


「……ど、どうしたのよ?」

 突然黙ってしまった私を心配して、城ケ崎さんが声をかけてくれる。ゆっくりと深呼吸をしてから、私は彼女に言った。


「ディミ子ちゃんのところへ、戻りましょう。

 この世界の、本当の意味が分かりました」

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