17:32 図書室

「ちっ……」

「げ」

「うわぁぁ、出たぁ!」

 ディミ子ちゃんの舌打ちと、顔を引きつらせている千衣の声。それから、静海のオーバーなリアクションが同時に聞こえてくる。


「え? だ、誰……?」

「あらあら、あなた、見ないお顔ね? 制服も違うし……もしかして、よその学校の生徒さんかしら?」

 そう言って、その金髪の女性は微笑む。


 彼女のことを私がさっきすぐに「大人の女性」だと認識することが出来たのは、彼女が他の子たちのような学校指定の紺のブレザーじゃなく、ピンクのニットとフレアスカートの私服だったから……だけじゃない。

 そんなことよりもなによりも、彼女が一目見てわかるくらいにスタイル抜群で、高校生じゃあ到底太刀打ちできないくらいの色気を全方向から醸し出していたからだった。


 さっき図書室から出ようとした私がはじき返されてしまったのは、その金髪美女の豊満な胸に私が思い切りぶつかって、押し返されたせいらしい。でも彼女は、そんなことを少しも気にしている様子はなかった。

 長い髪をサラリとかくと、図書室の床に座り込んでしまっていた私に手を差し伸べて、言った。

「大丈夫? ケガはなかった?」

 美人でグラマラスな女性に優しく話しかけられて、私は無意識のうちに照れるように頬をピンク色に染めてしまう。

「あ、はい。ありが……」

 感謝の言葉を口にして、伸ばしてくれた手を取って立ち上がろうとする……でも。

「待ってください」

 私のその手は、別の誰かによって横から強引に引っ張られてしまった。

「え? ……え?」

「あらぁ?」

 不思議そうに、首を傾げる金髪美女。

 まるでその彼女から守るように、私の手を引いて自分の胸元へと引き寄せていたのは、ディミ子ちゃんだった。

土岐とき先生、貴女という人は……本当に油断なりませんね」

「えぇ? 何のことかしら?」

「え、えっと、ディミ子ちゃん……? この人って……」

 土岐先生と呼ばれた金髪の女性と、すぐ近くで彼女をにらみつけているディミ子ちゃんの顔を、交互に見る。何が起きているのかは全然分かんなくて、頭はだいぶ混乱気味だ。

 とりあえず、今の私がディミ子ちゃんによって、「王子様が悪漢からお姫様を守る」みたいに抱きしめられてしまっていることに気づいて、逃げるように彼女の腕から離れる。


 ディミ子ちゃんは視線をその金髪女性に向けたまま、私に説明をしてくれた。

「彼女は、土岐とき励子れいこ先生。この学校の家庭科の教師で、二年B組……哀田アリスのクラスの副担任です。

 私たちの他にこの世界に呼ばれた人間の一人で……先ほど私が言おうとした、要注意人物です。なぜならば、彼女の能力は……」

 睨みをきかせているディミ子ちゃん。でも、その睨まれている張本人の土岐先生は、ディミ子ちゃんとは別のほうを向いて、わざとらしくそれに気づいていないような振りをしている。

「先生、分かっているでしょう⁉」

「……え? あ、なになに? ディミ子ちゃん、今あたしに何か言ったかしら? ごめんなさーい、ちょっとぼーっとしてて聞いてなかったわ」

 さっきまでと比べると、ずいぶんとディミ子ちゃんの口調は強い。そんな彼女の態度を気にせず、土岐先生は相変わらずとぼけるような態度をとっていたけど……。

「あ、これ? もしかしてディミ子ちゃん、これのこと言ってるのかしら?」

 やがて、そんなことを言いながらもピンクのニットの胸ポケットから、『例のカード』を取り出して私に見せてくれた。




“あなたは偽善者です。

他人から感謝の言葉をもらった数に応じて、特典を得ることが出来ます。ただし、同じ人間から何度感謝されても一人としてカウントします。


『特典』

二人:健康な体(済)

三人:完璧な美貌

四人:一生遊んで暮らせるお金

五人:自分以外の全員の能力

六人:元の世界への帰還”




「『偽善者』……」

「そう。この土岐先生は、他人から感謝されることでメリットを得る能力を持った、『偽善者』なのです。

 ですからさっき、この先生が飯倉さんに手を差し伸べたのも、本当に貴女のことを思ってやったわけではないでしょう。自分のために、貴女から『感謝の言葉』を引き出すために行った行動だと考えるべきです」

「あらー?」

「そ、そんな……」

「さきほど、飯倉さんがこの学校にやってくる前に、私たちは一度この図書室に集まって情報交換をしたと言いましたが……そのときにこの土岐先生は、今と同じような方法を使って私たちを『だまし討ち』しているのです。自分の能力が知られていないうちに、『肩についたゴミを払う』ふりをして……既に私と不破さんの二人から『感謝の言葉』を引き出しているのです」

「二人の、『感謝の言葉』……」


 確かに。

 さっき見たカードによれば、二人から『感謝』をもらったときの『偽善者』の『特典』は『健康な体』。カードのその部分には、ご丁寧に(済)というスタンプのようなものが押されていた。あれはつまり、ディミ子ちゃんと静海の二人分の『特典』は既に獲得済み、ということを意味していたのだろう。


「もーう、ディミ子ちゃんったら、なんでそんなこと言うのー? あたしが『だまし討ち』なんて、するわけないじゃなーい」

 妖しく微笑む土岐先生。

 その様子にいら立つように、今度は静海が答えた。

「はぁ? なんで、ってぇ? そんなのもちろん、センセーの目的がバレバレだからに決まってるじゃぁんっ! 土岐センセーの目的はぁ、一刻も早く六人分の『感謝』を集めて、その『偽善者』の能力で元の世界に戻ることなんでしょぉ⁉

 どうせさっきのことだって、絵里利ちゃんのこと倒したところまで含めて、全部計画のうちだったんでしょぉ⁉ この図書室に入ってくる直前で、中に新キャラの絵里利ちゃんがいるのに気づいて、『あの子をわざと倒して起き上がるの手伝ってあげれば、感謝が一個もらえるんじゃね?』とか思ったんでしょぉっ⁉ そんなの、ただのマッチポンプじゃん! さいってぇ! 油断も隙もないんだからぁっ!」

「あーん。ディミ子ちゃんもシズちゃんも、あたしよりもこんなカードのほうを信じちゃうのねー? 先生、ショックー……」


 そう言って目元に両手を添えて、涙をぬぐう土岐先生。でも、さっきのディミ子ちゃんと静海の言葉が頭にあるからか、その仕草はものすごくわざとらしく見える。


「ねえ……? あなたには分かるでしょう? あたしがわざと倒したなんて、違うわよね?」

「え……」

 そこで土岐先生は、急に私のほうに話を振ってきた。

 しかも、うるうると目を潤ませながら、訴えかけるように上目遣いに私を見つめている。

「そ、それは、ど、どうなんでしょうか? わ、私には、ちょっと……」

「……あなた、お名前は?」

「え、えと……飯倉、絵里利です」

「エリリちゃんね? うふふ……可愛いお名前ね」

 そう言って土岐先生は、私にウインクする。もちろん、それに深い意味なんてないってことは分かっているはずなのに……。大人びていて美人の先生がそんなことをするのを見ると、不思議と気持ちが高ぶってしまうのを抑えられない。

「ディミ子ちゃんたちが言ったことは全然違うけど……でも、あたしが図書室の外でちょっとだけあなたたちの話を聞いてたのは、実はホントなの。なんだか真面目そうな話をしていたものだから、入りづらくなっちゃってね。

 それで知ったのだけど……。エリリちゃんあなたって……アリスちゃんの中学のときのお友達だったのね?」

「は、はい」

「アリスちゃんのこと……悲しいわよね? 信じられないわよね? それは、あたしも同じよ……。だってあんな、アリスちゃんみたいないい子が……」

「え……」


 少し、彼女の雰囲気が変わったような気がした。さっきまでは確かにちょっとふざけているような印象だったのに。今はそれが消えて、アリスの死という重要な出来事を語るために、彼女の真面目な面が出てきたような気がした。

 何かを思い出すように、土岐先生は顔を上に向けながら、つぶやく。


「あたしはアリスちゃんの副担だったんだけど……でも、それ以上にあたしたちとても気が合って、仲が良かったの。あの子があたしのために、お菓子のマドレーヌを焼いてくれたことだってあったのよ?」

 天井を仰ぐ彼女の瞳に、一瞬、輝く雫がにじんだように見えた。

「……」

「そんな彼女が、死にたいって思うほどつらい思いをしてたなんて……。死んでしまったなんて……」

 顔を覆う土岐先生。見てられなくなった私は、止めようとするディミ子ちゃんの腕を払って、彼女に駆け寄る。

「だ、大丈夫ですか?」

「ああ、ありがとうね……」

 私は土岐先生に肩を貸して、立ち上がらせる。体を密着させたことで、やわらかい彼女の体の感触と、かすかに香る高級そうな香水の香りがダイレクトに感覚を刺激してくる。


 ふと視界の端に、ディミ子ちゃんや他の子たちが呆れたような表情でこっちを見ている姿が映った。

「エリリちゃん……」

 でも、耳元で土岐先生に名前をささやかれると、他の子たちのことはすぐに意識から消えてしまった。

「あたし……やっぱりまだ、信じられないのよ。あんな優しくていい子が、屋上から飛び降りちゃうなんて……そんなの、信じたくないのよ」

「わ、私もです」

「もしかしたら……本当はアリスちゃんは飛び降り自殺なんかしてないのかも……。この世界は、アリスちゃんがあたしたちに復讐するために作った世界じゃなくて、何か別の意味があるのかも……。そう思うのは、おかしいかしら? こんなこと考えるのは、あたしだけなのかしら……?」

 まっすぐに私を見つめる土岐先生。その表情は、とても真剣に見える。


 本当に、アリスのことを思っている人間の表情。アリスのことを信頼していて、彼女への愛情を持った人間だけが作れる表情だと思えた。

「あたし、この世界の本当の意味を知りたい。この世界が、本当はなんのためにあるのか……その謎を解き明かしたい。それがきっと、アリスちゃんのためになるって思うから……。だからエリリちゃん……あたしに、協力してくれないかな?

 本当は、ディミ子ちゃんたちにもお願いしたいんだけど……あたし、彼女たちから嫌われてるみたいだから……」


 この世界は、アリスが復讐するための世界じゃない……? 本当は、別の意味がある……?

 それは、とても希望に満ちた考え方だった。さっきディミ子ちゃんや静海から聞いたショッキングな話で落ち込んだ気持ちを、癒してくれる仮説な気がした。


 それに……。

 土岐先生はアリスの先生として……いや、そんな肩書を超えたもっと個人的な感情から、心の底からそれを私に言ったように思える。そこには裏表はなくて、とてもカードに書いてあるような『偽善者』なんかには見えなかった。

「はい……」

 だから私は、そう返事をした。

「……ありがと」

 うれしそうにそう言って、土岐先生は私を抱きしめた。私の平らな胸に、さっきの弾力ある柔らかい二つの塊が押し付けられる。

「じゃあ、いこっか……」

「は、はい」


「飯倉さん」

 ふらふらと、土岐先生に手を引かれるまま図書室の外へと向かう私に、ディミ子ちゃんがまた声をかける。

「貴女がどう行動しようと、それは貴女の勝手ですが……くれぐれも、その先生には気を許さないほうがいいかと思います」

「こーらっ、ディミ子ちゃんってば! よその学校のエリリちゃんに、おかしなこと言わないのっ!」

 またさっきの調子に戻って、可愛らしくおどけて見せる土岐先生。でもディミ子ちゃんは彼女にはノーリアクションで、私に語り続ける。

「哀田アリスに罪がある生徒たちが集められている中で、なぜたった一人教師である土岐先生もこの世界にいるのか? 彼女が、哀田アリスとどんな関係だったのか? それは私には分かりませんが……。

 確実に言えることは、彼女の『肩書』……すなわちこの世界での彼女の役割は、『偽善者』だということです。そのことだけは、忘れないでください」

「……」


 ディミ子ちゃんの言葉に、一瞬私の心が揺らぐ。

 確かに……この土岐先生の行動は、ときどきひどくわざとらしく感じるときもある。最初に倒れた私に手を伸ばしてくれたのが、静海の言うように全部この人の作戦だった可能性も、全くないわけじゃない。

 でも……。

 さっきアリスを語っていた言葉は、真実だった気がする。「この世界が、アリスが復讐するために作った世界なんかじゃない」と言ってくれた彼女は、嘘なんかついていなかった気がする。


「飯倉さん。この世界での私たちの目的は、八時半までに哀田アリスを追い詰めた『犯人』を探し出して、殺害することのはず。その目的に対して、土岐先生の『偽善者』の能力はとても危険なのです。

 彼女が仮に『犯人』だったとして、しかも六人分の『感謝』を集めて元の世界に戻ってしまったなら……この世界に残された私たちにはもう、土岐先生を『犯人』として殺害することはできない。課せられた目的を果たすことが、出来なくってしまうのですから。

 だから、貴女は絶対に土岐先生に対して『感謝の言葉』を言わないようにしなければ……」

 私はそこで、ディミ子ちゃんの言葉を遮る。

「それは、ディミ子ちゃんたちの都合でしょっ⁉ カードを持ってなくて、『犯人』探しになんて興味のない私には、関係ないことだよっ!

 むしろ……今の私には、いくら言っても私のことを信じてくれなくて、『犯人』とか言って平気で人殺しをするようなあなたたちのほうが信じられない! よっぽど、危険だって思えるよっ!

 ……私が誰を信じるかは、私が決めるから」

 それだけ言って、私は土岐先生も追い抜いて、今度こそ図書室の外へと出て行ってしまった。


 私のあとを追いかけてきた土岐先生は、図書室を出る直前でディミ子ちゃんたちに対して、

「うふふ。先生にそんな態度をとって……悪い子たちね」

 と言ってから、その扉を閉めていた。

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