20:31 教室棟屋上
『傍観者』と名乗った彼女が、気持ちよさそうに何かを語り始めたところで……それに水を差すように、ディミ子ちゃんの言葉が割り込んだ。
「え、っと……? ディミ子ちゃん、今、何か言いました?」
「はい、言いました」
ディミ子ちゃんは、落ち着いた様子で続ける。
「聞こえなかったのなら、もう一度言いますね。貴女が言っていることは、
だって、アリスはまだ生きているのですから」
「え?」
自信を込めて断定するディミ子ちゃん。最初呆気にとられていた『傍観者』は、やがて顔を引きつらせてヒステリックに反論を始めた。
「は、はーっ⁉ わたしが『嘘』言ってるとか……な、なにそれ! ちょ、意味わかんないんだけどっ⁉
そ、そりゃあわたしだって、アリスちゃんが生きてたらどれだけいいかって思うよ? 思うけど、でももう手遅れなんだよ! だってわたし、全部見てたんだから!
さっきも言ったでしょっ⁉ 『傍観者』のわたしは、すべてのことを見通すことが出来る能力があるの! そんでその能力で、アリスちゃんがこの屋上にやってくるところも、ここから飛び降りるところも、全部見ちゃったの! だ、だから……!」
「いいえ。それはありえません」
ディミ子ちゃんは首を振る。
「もしも本当に貴女が言うように、既にアリスが飛び降りたあとなのだとしたなら……彼女が見ている『走馬灯』であるこの世界は、とっくに消えているはずです。この世界はまだ残っている。つまり、私たちがまだこの世界に存在できている時点で、アリスはまだ生きていることは動かしようのない事実です。
だから、貴女のさっきの発言は嘘です」
「で、でも……っ!」
「というか」
さらに何か反論しようとする『傍観者』を、今度は城ケ崎さんが遮る。
「ええっと……貴女の『傍観者』の能力って、『他人と関わらない代わりにすべてを見通す』って言ったかしら? だとしたら私、ちょっと気になることがあるんだけど……。
貴女は、ずっとこの世界で起きていることを見ていたのよね? 誰かが誰かを傷つけたり、私たちが悩んだり苦しんだりしていたのをすべて見通していた上で、ただ傍観していたのよね? それって、『困っている人たちに声もかけずに放っておく』っていう関わり方をしたってことじゃないの? 既にその時点で、貴女は十分に私たちと『関わっている』って言えると思うわ。
だとしたら、貴女の『傍観者』の能力なんてもう無くなっていた……というか、最初っから存在してなかったようなものじゃない? 貴女は『すべてを見通すことが出来る』からこそ、最初から『何も見通せてなんかいなかった』んじゃない?
おおかた、さっき哀田さんが飛び降りるところを見たっていうのも、貴女の見間違いか……ただの気のせいじゃないの?」
「そ、そんなはずは……」
私は、もう一度校舎の淵から下のコンクリートを覗き込んでみる。確かに今でもそこには、真っ赤な血だまりが見える。
でも、もう一度それをよく見返してみると……それは、本物の血にしては少し色が薄すぎるような気もした。例えば、誰かが一年の教室の近くで「血のり」を作ろうとしていて、その失敗作をそこに捨てたとか考えたほうが、しっくりくるような……?
なんにせよ、飛び降りてしまったアリスの血っていうのはなさそうだ。きっと、ただの「気のせい」だったんだろう。
「バ、バカな……だ、だって私は、『傍観者』で……そんな……そんな……」
私の隣で、『傍観者』の子もそれに気づいたみたいだ。さっきまで得意げだった態度は完全に消えてしまって、今は自分の存在意義を揺るがされて、アワアワと言葉にならない言葉をつぶやき続けている。
最後に、そんな彼女にトドメをさすようにディミ子ちゃんが言った。
「私たちは、アリスを助けるためにここに来ました。今の私たちには、自分の命に代えてでも彼女を助けるという覚悟があります。それが、この世界での私たちの存在意義です。
ただの『傍観者』に過ぎない貴女には、もうこの物語に出番はありません。引っ込んでてください」
「うぅ……」
それで、その『傍観者』は完全におとなしくなってしまった。文字通り、それからの彼女はもう、ただの傍観者に過ぎなかった。
「さて」
ディミ子ちゃんは、スマホを取り出して時間を確認する。私も城ケ崎さんも、それを覗き込む。
時間は、既に八時半を過ぎている。
もしも、この世界が本当に「アリスを助けるための世界」なのだとしたら……既にこの屋上のどこかに、アリスがいなければおかしい。でも……。
「……いないわね」
ぐるりと周囲を見回した城ケ崎さんが、つぶやく。その言葉の通り、屋上のどこを見ても、アリスの姿は見えなかった。
園芸部の屋上庭園やビニールハウス、貯水ポンプや、入ってきた扉の裏まで見てみる。けれど……やっぱり、彼女はどこにもいなかった。
ディミ子ちゃんが、そこでちょっと表情を曇らせる。
「もしかしたら……この世界を作ったアリスと、その世界の登場人物である私たちとでは、『存在の次元』が違うのかもしれません。
物語の登場人物が、その物語を作った作者を認知することが出来ないように……。この世界の住人である私たちも、世界の創造主であるアリスを認知することはできないのかもしれない……」
「ちょ、ちょっと⁉ そんなのあり⁉ それじゃあ、私たちがアリスを救うことなんて、できないじゃん!」
「ほら、やっぱりダメなんだよ……。もう、手遅れだよ……。アリスちゃんはもう、飛んじゃってるんだから……」
『傍観者』が、それ見たことかとでも言うように何かボソボソとつぶやくけど、誰も相手にしない。
「でも、どうすればいいの……? このままじゃあアリスは……」
「いや、まだ可能性はあるはずです。この世界が消えていない以上、アリスはまだ生きている。それだけは確かです。だから、私たちにはまだ……」
「で、でも……」
一瞬見えた希望が、またすぐに消えてしまった気がして、私は体から力が抜けていくのを感じた。
「……」
少し眉間にシワを寄せながら、おさげを触っているディミ子ちゃん。でも、何もいい考えが思いつかないらしく、黙りこんでしまった。
そして、城ケ崎さんも、
「……」
え……?
ボケーっとした表情で、バカみたいに口を開けて、あさっての方向を見ている……? ああもうっ! この人は、こんなときにまでポンコツの『愚か者』にならなくても……。
「何かしら、あれ……?」
と、そこで城ケ崎さんはそんなことをつぶやいて、ボケっと見ていた方を指さした。
「え?」
彼女の指さすほうに、私も顔を向けてみる。
そこは、さっき私たちがここに来るときに通ってきた、事務棟校舎と教室棟校舎をつなぐ、二階の渡り廊下だ。
別に、特に変わったことなんて…………いや。
ゴロゴロゴロ……。
その渡り廊下の上を、何かが動いている……?
ゴロゴロゴロ……。
それはどうやら、どこの学校にでもあるような、手持ちの消火器のようだった。
そういえば、確かあの渡り廊下の入り口の壁にも、あのタイプの消火器が備え付けてあった気がする。例えば、その備え付けの消火器に「偶然」何かの衝撃が加えられて、その衝撃で消火器が倒れて転がってしまったとしたら? それが「たまたま」渡り廊下のほうにまで転がってきて、今見ているみたいに、私たちがいる教室棟のほうに向かってくるなんて状況も、なくはないのかもしれない。
まあ、滅多にあることではないだろうけど……。
「ふふ……」
「え? ディミ子ちゃん、どうしたの?」
ふと見ると、ディミ子ちゃんが笑いをこらえるみたいに、口元に手をやって小さく震えていた。
「いえ。ちょっと、驚いてしまったもので……」
そんなことを言ってから、ディミ子ちゃんはまた小さく笑う。そして、私に尋ねてきた。
「飯倉さんは……白石琴乃さんのことを覚えていますか? 飯倉さんが来る前に、体育館で不破さんが殺害……いえ、元の世界に帰してしまった方です」
「え……? あ、うん。もちろん覚えてるよ。土岐先生がスタンプで『感謝の言葉』を集めた人だよね?
確かカードの『肩書』は……『怠け者』だったっけ?」
「はい。実は私は、飯倉さんがこの学校にやってくる前に、不破さんたちから白石さんのことを教えてもらっていたのですが……彼女の『怠け者』の能力は……例えるならルーブ・ゴールドバーグ・マシン……あるいは、ドミノ倒しのようなものだったそうです」
「ドミノ倒し?」
「つまり、『最終的に自分が狙った対象にぶつかるまで、物を連鎖させて動かすことが出来る能力』……それが、白石さんの『怠け者』だったんだそうです」
「へ、へー? でもそれが今、どういう関係が……?」
「例えば……例えばですよ?」
そこでまた彼女は、笑いをこらえるように口元を引くつかせる。
「例えば……白石さんが不破さんと戦っていたとき……彼女が、『この世界への悪態をつきながら怠け者の能力を使った』なんてことは、考えられないでしょうか?」
「え……?」
「話を聞いた限りでは、白石さんは最初、不破さんの『独裁者』の能力にかなり苦戦していたそうなのです。例えばそんな彼女が、『誰がこんな世界を作ったんだ』、『こんな世界を作ったやつは出てこい』なんて言いながら、『怠け者』の能力を使っていた……。そして、『どんなことがあっても必ず最終的にはドミノ倒しを連鎖させる』という『怠け者』の能力は、白石さんが元の世界に帰ってからもずっと、『この世界を作った人間』に向かって動いていた……。そんな都合のいい話は、信じられませんか?」
「そ、それって……」
『世界を作った創造主』に対して、『怠け者』の能力が動いていた?
つ、つまりそれって、ドミノ倒しの能力が、今もアリスに向かって動いてるってこと……?
ゴロゴロゴロ……。
渡り廊下を転がりきった消火器は、教室棟の中に入る。そして、そこでやっぱり「偶然」何かにぶつかって、ハンドルがオンになってしまったらしく……。
プシュゥゥゥーッ!
キィンッ! ギィンッ!
屋上にいる私たちにはもう見えないけれど、多分消火剤をぶちまけながら、壁に何度もぶつかるような派手な金属音が聞こえてくる。きっと、さっきの消火器が廊下を暴れまわっているんだ。
しかもその音は、消火剤の噴射の角度が「奇跡的に」階段を上っていくような方向を向いていたらしく、だんだん屋上の私たちに向かって近づいてくるようだ。
そしてやがて……。
バコンッ!
思いっきり段ボールを叩いたような音に変わった。
そういえば……このすぐ下の三階の廊下には、生徒会のサインが入った段ボール箱が置いてあった気がする。選挙の投票箱のようなあの箱は多分、生徒からの意見を集める目安箱のようなものだろう。
例えば、消火剤をぶちまけて暴れていた消火器が、「ちょうど」その段ボール製の目安箱にぶつかって、ビリヤードの弾みたいに今度はその目安箱が弾き飛ばされたとしたら……? しかも、その目安箱が弾き飛ばされた方向が、「たまたま」屋上に出るための上り階段のほうだったりなんかして……。
バンッ! ドカッ!
その音は、どんどん大きくなって近づいてくる。そして……。
バァンッ!
開けっ放しだった屋上の出入り口から、勢いよく段ボール箱が飛び出してきた。
「うわぁっ!」
……ベシャッ!
その箱は、弧を描いて私たちの頭上を飛び越えて、屋上の真ん中あたりに着地して、そこで衝撃によってあっけなくつぶれてしまった。
だけど、その中から……。
ポン……ポン……ポン……。
多分、誰かがいたずらで箱の中に入れたらしい卓球のピンポン玉が、小さくバウンドしながら飛び出してきた。
そのピンポン玉の行方を、私たちは目で追う。
その玉はポン、ポンとバウンドしながら、屋上の隅にある、貯水タンクに向かっていく。
そして、そのタンクの後ろに入り込んだところで……。
ポン……ポン……ポン…………ポト。
最後に何かに当たって、音が止まった。
その場のみんなの視線が、その貯水タンクに向けられている。
「え? そ、そこに……誰かいるの……?」
答えは返ってこない。
でも、みんなそのとき期待していたことは同じだった。さっきディミ子ちゃんが言ったことを、その場の誰もが、完全に『信じて』いた。
「ア、アリス……いるの⁉ いたら出てきて!」
だから、やがて……。
「えへへ……見つかっちゃった」
貯水タンクの陰から、哀田アリスが現れた。
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