20:33 教室棟屋上
中学のころと比べると、少し大人びているような気もする。ううん…………でもやっぱり、何も変わっていない。
そこには、私の記憶のままのアリスがいた。
「ア、アリス……」
そのことだけで、私は胸がいっぱいになってしまった。感動と喜び、それから彼女を傷つけてしまった罪悪感と後悔がぶり返してきて……、
「あ、あの……」
彼女に何を言っていいのか分からず、ただ、いっぱいになった心からあふれ出る何かに突き動かされるように、私は彼女に手を伸ばしていた。
だけど。
「アリスっ!」「哀田さん!」
そんな私よりも早く、ディミ子ちゃんと城ケ崎さんが彼女に駆け寄った。
「アリス、ごめんなさい!」
「そ、そんな、ディミ子ちゃんが謝ることなんて……」
「いいえ。私は貴女に謝らなければいけません。
私に声をかけてくれた貴女の苦しみを、私は気づいていた。貴女が私に助けを求めてくれていたのを、私は分かっていた。だから私はあのとき、貴女を自分自身で励まさなければいけなかった。誰かに頼るのではなく、責任を負うのを恐れることなく、自分の手で貴女を抱きしめなければいけなかった。
本心では……そうしたかった。貴女の背負った苦しみを……共に分け合いたかった。だって、私は貴女の友人なのだから……」
「ディミ子ちゃん…」
「友人」という言葉に、アリスは目を潤ませる。
「私は、誰かと関わるのが怖かった……。自分の世界を乱されるのが、怖かったのです……。だから、貴女からも距離を置いてしまった。怯える貴女に、傷ついた貴女に、ずっと声をかけたいと想っていたのに……。貴女のことが、ずっと気になっていたのに……強がって、自分の気持ちを誤魔化していたのです。私は、どうしようもない『嘘つき』でした」
「ううん。私は『今日』、ディミ子ちゃんと話せて楽しかったよ?
……それに、いつも図書室で私のことを見守ってくれていたディミ子ちゃんは、それだけで十分、私の気持ちを支えてくれてたんだよ? 多分、ディミ子ちゃんがいなければ、私はもっと早くダメになってたと思う。だから、ありがとう……ディミ子ちゃん」
「アリス……」
優しく微笑むアリス。ディミ子ちゃんも、それにこたえて笑顔を返す。
そこにあるのは、ディミ子ちゃんと彼女だけの物語。私には入ることのできない、二人だけの世界だ。
私が知らない、高校時代のアリスがそこにいた。
気が付けば、ディミ子ちゃんの瞳にも、わずかに涙の雫がたまっていた。それは、これまでのクールな彼女のイメージには似つかない。とても、らしくないものだと思った。
でも、そこにいるのはもう、クールで『嘘つき』なディミ子ちゃんじゃなかったんだ。そこにいたのは、奥村ディミトリアという、ただのアリスの友だちの一人の少女だったんだ。
「私は、貴女が大好きです。貴女がいなくなるなんて、耐えられません。だから、どうか……飛び降りなんてしないでください。死ぬなんて……言わないでください……」
「ディミ子ちゃん……」
もう、ディミ子ちゃんは『嘘つき』なんかじゃない。能力も関係ない。それは、アリスの友だちとしての、心の底からの説得だった。
「哀田さんっ!」
ディミ子ちゃんとアリスが、向かいあって二人の世界に入っていたところで。相変わらず空気を読まずに、城ケ崎さんが叫んだ。
「困ってるなら、どうして貴女、私たち生徒会を頼ってくれなかったのっ⁉ 私たちは全体の奉仕者……生徒の誰もが楽しい学校生活を送るために、存在しているのよ⁉ 困ってたり……辛いことがあったのなら……いつでも相談してくれたらいいじゃないの!」
「え……」
急に話しかけられて、アリスも戸惑っている。
「で、でも、城ケ崎さんとは、そんなに面識もないし……私なんかのくだらない悩みなんて聞かされても、迷惑かもしれないし……」
「くだらない悩みなんて、ないわよっ!」
城ケ崎さんはアリスの手を掴んで、彼女を引き寄せる。
そして、圧の強い瞳でジッと見つめた。
「……いい、哀田さん? 私たち学生は、誰だってまだまだ未熟なの。だから、ときには誰かを傷つけてしまったり、逆に誰かの心無い行動で、必要以上に深く傷ついてしまうことはあるわ。それは、たくさんの人たちの中で生きる上で、どうしたって避けては通れない、私たち全員が背負わなければいけない宿命のようなものなのよ。
だから、たとえ貴女がこの学校の中で何かに心を痛めることがあったとしても、それは貴女が悪いわけじゃないの。そんなときの貴女の悩みを、『くだらない』なんて言う権利は誰にもない。もちろん、貴女自身にだってないのよ。
だってそれは、私たち全員に課せられた宿命なのだから……。だからそれは……私たち、全員が……」
城ケ崎さんの言葉は、まるで政治家の選挙演説のようだった。これまでポンコツだったくせに、やっぱりそこはさすが、この学校の代表として選ばれた生徒会長って感じだ。
優等生的に綺麗にまとまった言葉が、自信に満ち溢れた態度で、流れるように彼女の口から出てくる。意味云々はともかく、とても先生受け、大人受けは良さそうな綺麗な言葉だ。きっと、これがスピーチ大会とかだったら、たくさんの賛同を集められるだろう。
……でも。
今はそんな言葉が、とてもバカバカしく聞こえる。
そんな上っ面だけのきれいごとじゃあ、今の、追い詰められたアリスの心には…………。
え……?
「わ、私たち……全員で……貴女の……な、なやびに……」
自信に満ち溢れていたはずの城ケ崎さんの言葉が、だんだんたどたどしく、滑舌が悪くなっていく。
「なや……びに……むぎ……あっで……」
よく見たら彼女は、顔をくしゃくしゃにして、両方の目からボロボロと涙を流している。それどころか、ダラダラと鼻水まで流していて、整った顔が台無しになっていた。
「ど、どうじでよ……?」
「あ、あの……」
さっきまでとは別のベクトルで戸惑っているアリス。
「ど、どうじで……死ぬなんで、言うのよ……?」
「じょ、城ケ崎さん……?」
「バカ…………バカ……バカ、バカッ!」
ポカポカと、アリスの体を殴りつける城ケ崎さん。
「バカバカバカバカバカッ! 貴女、バカよっ! 貴女が死んじゃったら、残された私たちが、どんな思いすると思ってるのよっ!」
「え? 城ケ崎さんは……私がいなくなったら、悲しんでくれるの?」
「あ、当たり前でしょっ! 同じ学校の生徒が……同じ場所で同じ時間を過ごした仲間が死んで……悲しくならない人間が、いるわけないでしょっ⁉
そんなことも分からないで、勝手に死ぬなんて言うんじゃないわよっ! バカよっ! 貴女はバカよっ! 大バカよっ! 愚か者は、貴女のほうよっ!」
そうか……。
彼女は確かに、きれいごとのスピーチが上手で、人心掌握に長けた、優等生の生徒会長だ。
でも、それと同時に、目安箱の投書一つで学校中を駆け回ったり……「下校時間を過ぎても学校に残ってアリスを探した」りしてくれるほどの、不器用で融通の利かない、愚直な『愚か者』でもあったんだ。
彼女は、アリスのことでこんなにも感情をあらわにして必死になってくれる、優しい人だったんだ。
駄々をこねる子供のように泣きじゃくっている城ケ崎さんを見ながら、アリスは笑っていた。
何かに深く安心するみたいに。涙をこぼしながら、やわらかい笑顔で笑っていた。
それもまた、彼女が私には見せたことのない表情だった。
そして、彼女は言った。
「ディミ子ちゃん……城ケ崎さん……ごめんね。私、一人じゃなかったんだね? 私には、こんなに嬉しい言葉をかけてくれる友だちが、いたんだね? ……ありがとうね」
暖かい雰囲気に包まれながら、アリスは、ディミ子ちゃんと城ケ崎さんと抱き合っている。
その二人の友だちによって、アリスは絶望の淵からよみがえることが出来たみたいだった。もう、彼女が飛び降り自殺なんてすることはないだろう。
……。
そのとき。
私以外の誰も気づいていなかったみたいだけど……城ケ崎さんのつけている腕時計の針が、ものすごいスピードで回っていた。多分、私たちが持っているスマホのデジタル時計も、同じように表示されている時間がどんどん進んでいるんだろう。
十月二十八日が二十九日になって、十一月になって、次の年になって……。
それと同時に、忘れていた私の記憶も、完全によみがえってきていた。
『十月二十八日』……アリスが飛び降り自殺を計画した『あの日』の記憶と……その日からちょうど一年後の、同じ日までの記憶が。
『あの日』の放課後……私との電話によって深く傷ついて、死を決意したアリスは、飛び降り自殺をするためにこの屋上に隠れた。
その一方……一歩踏み出すのが怖くて、アリスの悩みを自分で聞くことが出来なかったディミ子ちゃんは、アリスと別れたあともそのことをひどく後悔していた。最終下校時刻を過ぎても彼女のことが気になって、図書室でずっとアリスのことばかり考えていた……らしい。
そしてそこに、目安箱の投書を見てアリスを探していた城ケ崎さんがやってきた。下駄箱にまだアリスの靴が残っていることに気づいた彼女は、万が一のことを考えてしまって、中々帰ることが出来ずにいた。だから、他の生徒会役員たちを帰したあとも、実は一人だけ学校に残って、アリスのことを探し回っていた……そうだ。
二人はお互いの話を聞いて、最悪の事態を想定した。だから、図書室に隠れて見回りの先生をやり過ごしてから、そのあともアリスの捜索を続けたんだ。そして、それからようやく八時半ごろになって、教室棟校舎の屋上にいたアリスを見つけて……さっきのように必死の説得をして、彼女が飛び降りるのを「思いとどまらせた」んだ。
私は『あの日』から一週間くらい経ったあとで、この学校に通っている別の知り合いから、「自殺未遂事件」があったらしいなんて話を聞いた。
それから私は、それとなくアリスの周囲の人間関係のことを調べて、その事件の関係者に個別に話を聞きにいった。なるべく自分の素性がバレないように慎重に、一年近くの時間をかけて……学校新聞の取材とか、イジメに関するレポートの調査と偽って、そのときのことについてインタビューをしたんだ。
アリスと同じ学年の五人や、当時三年だったOG、それから、元副担の先生だった人に。
それもすべてアリスのため。彼女のために、『あの日』何があったのかを明らかにしようとしたから…………なんかじゃない。
私は、怖かったんだ。『あの日』の自分の行動で、アリスを傷つけて追い詰めてしまったって知ることが。だから、言い訳を見つけたかった。
自分のせいで、アリスが自殺未遂をしたんじゃない。『犯人』は他にいる。その証拠が欲しかったんだ。
でも……。
屋上には、まだ抱き合っているアリスたちが見える。
これでもう、アリスは大丈夫だ。
彼女のことを大事に思ってくれる友だちが、二人もいる。アリスの絶望を自分のことのように心配してくれる人たちがいると分かったなら、彼女はもう、死にたいだなんて思わないだろう。
でも……私は、ディミ子ちゃんたちのようにはなれなかった。
中学時代はあんなに仲良くしていたはずなのに……アリスを励ましたり、彼女の絶望を軽くさせてあげることなんて、できなかった。
コロ……コロ……。
いつの間にかさっきのピンポン玉が転がってきて、私の足にコツンと当たった。
一年かけて調べた結果、やっぱり他に『犯人』なんていなかった。一番アリスを傷つけて、彼女を追い詰めたのは、私以外にはありえない。それが分かっただけだった。
私は、そんな自分が許せなかった。
私は、誰よりも愚かで臆病で卑怯な……『裏切者』だった。だから、『あの日』からちょうど一年後の同じ日、アリスが選んだのと同じ時間に同じ場所で、同じ方法で、命を断つことにしたんだ。
屋上を囲うフェンスの向こう側に行く。そして、校舎の端からゆっくりと足を踏み出す。
体が、だんだん斜めに傾いていく。
「あ……」
ようやく気付いた誰かが、小さく声をあげるのが聞こえた。
でも、もうすべては手遅れだ。
自由落下を始めた体は、徐々にスピードを増していく。
飛び降りた屋上から地面までの間に、うっすらと半透明の幽霊が見えた。それは……私の姿だ。現実の世界で飛び降りを実行して、死を覚悟して、今のこの『走馬灯』を見ている私自身だ。
その現実世界の私に、『走馬灯』の私が重なる。
そして重なり合った私たちが、だんだん地面に近づいて行って……。
「ごめんね……アリス」
目の前が真っ黒になって、私が作った『走馬灯』の世界は、終わった。
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『怠け者』ドミノ倒しのように力を伝播させる
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『独裁者』番号を振って命令を実行させる
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『卑怯者』誰か一人の視界から何か一つを隠す
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『嘘つき』嘘を真実にする
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『臆病者』目が合った相手の動きを止める
●
『偽善者』感謝の言葉をもらうと特典を得る
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『愚か者』一人遊びをしている間は他の能力の対象外になる
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『裏切者』何もできない。ただ、他人の気持ちを裏切るだけ
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