Chapter 2

18:46 図書室

 灰色の図書室。テーブルをはさんで向かい合った席に座っている二人。


 一人は私、飯倉絵里利。

 そしてもう一人は、輝くほど美しい銀髪を両サイドで大きな三つ編みにした女の子、奥村ディミトリア……ディミ子ちゃんだ。


「私に話……とは、いったいなんでしょうか?」

 ディミ子ちゃんはあまり興味なさそうにそう言って、私のほうに顔を向けた。彼女をにらみつけていた私は、そこで慌てて目線を外す。彼女の『臆病者』の能力を思い出して、目を合わせるのは危険だと思ったからだ。



 土岐先生のことがあったあと。

 『独裁者』の不破静海は、――自分が『完璧な美貌』に誘惑されていたのがだいぶ恥ずかしかったらしく――考えつく限りの悪態をついたあとに、そのまま体育館を出て行ってしまった。もちろん『卑怯者』の鶴井千衣も、いつものように金魚のフンとしてそのあとについて行った。

 『嘘つき』の大神響先輩は、目の前で土岐先生がボロボロに崩れて血だまりになってしまったのを見て具合を悪くしてしまったので、今は事務棟一階の保健室で休んでもらっている。

 私は大神先輩を保健室まで送り届けたあと、一緒にそれを手伝ってくれたディミ子ちゃんに「少し話がしたい」と言って、彼女をこの図書室まで連れてきたんだ。



「話っていうのは……さっきの、体育館でのことだよ」

 言葉にするだけで、勝手にさっきのシーンがよみがえってくる。

 目の前で、体が砕けて死んでしまった土岐先生。あまりにも現実感がなくて、あれが本当にあったことなのか、既に少し自信がなくなってきている。まるで、昔見た残酷なホラー映画のワンシーンを思い出しているだけのような気さえする。でも……。

 最後に私に手を伸ばしてきた彼女の悲痛な表情は、今でも目に焼き付いて離れない。そのときに飛んできた先生の血が、私の制服に黒いシミを作っている。それが、先生の死が実際に起きた事実であることを証明していた。

「うぅ……」

 私も少し吐き気がしてきて、できることなら大神先輩のようにどこかで横になりたいと思った。

 でも、今の私にはやらなくちゃいけないことがある。だから私は、ここにいるんだ。だから私は、ディミ子ちゃんを呼び出したんだ。

 気分の悪さを我慢して、私は言った。

「ディミ子ちゃんは最初から、ああするつもりだったの?」

「『ああする』、というのは……飯倉さんに無理やりディープキスをしたことですか?」

「ち、違うよっ!」

 ディミ子ちゃんを追及しようとしていた強い決意が、一瞬にして彼女とのキスの思い出に上書きされる。

 柔らかくて、優しくて、とても気持ちがよかったキス…………って、今はそんなことはどうでもいいの!

「あのときは、ああするより仕方がなかったのです」

 話を続けるディミ子ちゃんの言葉で、私は我に返る。

「あのときにも言ったように、私は、『犯人』候補である土岐先生には元の世界に帰ってもらいたくなかった。だから、どうしても『独裁者』の『命令』で『感謝の言葉』を言わせるのを邪魔しなければいけないと考えていました。そして、実際に不破さんが『命令』を言ったあのとき……まだ『感謝の言葉』を言っていない三人のうち、私の一番近くにいたのは飯倉さんだったでしょう? だから、飯倉さんにキスをすることになってしまったというわけなのです。

 ここ日本では、人生で最初のキスというものに大きな意味を持たせているようですので、もしもあれが飯倉さんにとってのファーストキスということになると、私は取り返しのつかない大変失礼なことをしてしまったということになりますが……しかし、どうか許していただければ幸いです。これを言って気休めになるかどうかは分かりませんが……ちなみに私は、あれが初めてのキスでした」

「も、もういいから! ……べ、別に私は、初めてじゃなかったし」

 話が変な方向に進んでしまって、言わなくてもいいことまで口走ってしまう私。慌てて話題を軌道修正する。

「わ、私が話したいのは、そのことじゃなくって……!」

「では……『土岐先生に嘘をつかせて死なせた』、ということでしょうか?」

「……そうだよ」

 気を取り直して、彼女を追及する。

「ディミ子ちゃんは最初から、それを狙ってたの……? 土岐先生がみんなを体育館に集めたときから……ううん、もしかしたら私と土岐先生が図書室を出て行ったときから。土岐先生に五人分の『感謝の言葉』を集めさせたあとで、『嘘を告発』してあの人を殺すつもりだったの?」

「ふふ……」

 少しも動じていない彼女。その態度は、すでに私の問いの答えになっているように思えた。

 ディミ子ちゃんは、静かにうなづく。

「ええ。土岐先生の『偽善者』のカードの文面を見たときから、五人分の『感謝の言葉』を集めた時点で彼女が『嘘つき』の能力を得ること。そして、『嘘を告発されたら死ぬ』状態になるだろうということは、想像していました。ですから、仮に先生が六人分の『感謝の言葉』を集めてしまいそうになったときには……あえて彼女に『嘘』をつかせて、それを私が『告発』する必要がありそうだ、ということは考えてはいましたね」

「そ、それじゃあやっぱりディミ子ちゃんは、全部予想していて、わざと土岐先生を殺したんだね……」

「わざと、ですか? ……まあ、私個人としては、まだ分からないことが多い今の状況で無為に生存者を減らす必要はないと考えていましたので、殺さずに済む方法があるならばもちろんそれを選んでいたと思うのですが……。

 前にも言ったように、元からあの先生はなかなかの要注意人物でした。その上、あのとき三人分の『特典』として『完璧な美貌』を手に入れてしまったことによって、その危険度がさらに跳ね上がったと言えるでしょう。ああなってしまったら、私たちがどう手を尽くしても、そのうちどうにかして元の世界に帰ってしまうことは自明だと思えました。だから……仕方なかったのです。

 あの結果に私の意図が関与している点については否定するつもりはありませんので、『私がわざと先生を殺した』と飯倉さんが言いたいのであれば、それは差し支えないかと思います」

 全く悪びれもせずに、彼女はそんなことを言った。私は、そんな彼女に得体のしれない怖さを感じていた。

「ど、どうして……どうして、そんなことが出来るの⁉ 人を殺すなんて、そんな、ひどいこと……それじゃディミ子ちゃんも静海と同じ、異常な殺人者ってことじゃないっ!」

 気持ちが高ぶっていたからか、私はさっきからずっと視線を彼女と合わせてしまっていた。そんなことを、気にしている余裕なんてなかった。

 でも、そのときのディミ子ちゃんは、『臆病者』の能力を私に使ったりはしなかった。

 彼女は私の質問には答えずに、逆に私に尋ねてくる。


「では飯倉さんは……どうして最後まで先生に『感謝の言葉』を言わなかったのですか?」

「え……」

「私が彼女の『嘘を告発』したあと、先生が『ありがとうと言ってくれ』と死の間際まで貴女にお願いしていましたよね? あのとき私は、『もう手遅れ』と言いましたが……でも、もしかしたらそうではなかったかもしれない。

 あのとき飯倉さんが土岐先生に『ありがとう』と言えば、彼女は本当に六人分の『特典』として、元の世界に帰れたかもしれない。死ななくてすんだかもしれなかった。少なくとも、そうならないという確固たる証拠はなかったように思います。

 それでも飯倉さんは、最後まで先生に『感謝の言葉』を言いませんでしたよね? それはなぜですか?」

「そ、それは……」

「それどころか貴女は、最後に先生に向かって……」

「……や、やめて!」

 無意識に、私は声を荒げてしまっていた。


 ディミ子ちゃんはそんな私に「ふふふ……」と微笑みかけてから、

「私は、ただ元の世界に帰りたいためだけに行動している土岐先生や不破さんとは違います。おそらくですが……私がこの世界にきてから考えていることは、飯倉さんが今考えていることと、根本ではそう変わらないと思いますよ」

 と言った。

「私が考えていることと、ディミ子ちゃんが考えていること……」



 最初に図書室でみんなに会って、アリスの死を告げられたとき……私は、それを信じられなかった。信じたくなかった。

 それは、中学時代の友だちのアリスが死を選ぶほど苦しんでいたということに対して、自分が何もできなかったことが許せなかったからだ。アリスに対する罪悪感から逃げるために、無力な自分を認めようとしなかったんだ。

 だから、「アリスは本当は自殺してない」、「この世界には別の意味がある」なんていう土岐先生の言葉がすごく心地よくて、あの人のことを信じてしまったんだ。


 でも今では……その気持ちは少し変わっている。

 アリスは、この学校でずっとつらいイジメにあっていた。一番近くにいた先生でさえ、彼女を救ってはくれなかった。そんな状況じゃあ、「すべてを諦めて終わらせよう」と思っても、無理はない。

 彼女が死んでしまっているという残酷な現実……そして、そんな彼女を救うことが出来なかった自分の罪悪感に、私自身が向き合わなくちゃいけないと思い始めていた。


 だけど……。

 やっぱりそれでも……私の知っている優しいアリスが、この世界で望んでいることが本当に復讐なのかってことについては、まだ納得できていない気持ちが大きかった。これは、ただの自分のワガママかもしれないけど……私はやっぱり、「私が知っている中学時代の優しいアリス」を信じてみたい、って思ってしまっている。

 あの頃のアリスが復讐なんて望むはずがないって、思いたがっている。


 だから、今私が考えていることは、土岐先生と話したときからまだそれほど大きくは変わってなくて……死んでしまったアリスがこの世界に込めた本当の願いを知って、それを叶えてあげたい、ってことだった。


 アリスの本当の望みを叶えてあげたいと思う私と……既にその望みが「復讐」だと納得していて、その復讐を果たすために元の世界に逃げようとした土岐先生を殺したディミ子ちゃん。

 そっか……確かに、二人の考えは根本では同じだ。



「ごめん……」

 私はそうつぶやいた。

「さっきの私、ちょっと卑怯だったね……」

 ディミ子ちゃんは優しく微笑んで、「いえ」と答えてくれる。

「ディミ子ちゃんは、この世界が『アリスが復讐するための世界』だって考えて、あの子のためを思って行動しているんだよね? さっき土岐先生を殺してしまったのも、その復讐が果たせなくなるかもって思ったから仕方なく、なんだよね? そんなディミ子ちゃんのことを追い詰めるようなこと言って……そんな資格、私にはないよ。

 私だって、土岐先生の本性を知ったときにすごくショックを受けて……あの人のことがすごく憎く感じたんだ。あのときは、同時に『完璧な美貌』で混乱させられていたから、自分でその気持ちをはっきりと自覚してなかったけど……でも、アリスのことをなんとも思ってないなんて言ったあの人のことを、アリスを追い詰めた『犯人』かもしれないって、ちょっと思い始めてたんだ。

 だからもしも私が、ディミ子ちゃんと同じくらい頭の回転が速かったら……私だって、同じことをしていたかもしれない。先生をこの世界から逃がしてしまってアリスの目的が果たせなくなってしまうくらいなら、いっそ自分の手で、って……思ってたかもしれない。最後に土岐先生のことを偽善者呼ばわりしたのは、私がどこかで、あの人はああなるのが当然だって思ってたからだよ。

 それなのに、そんな自分を棚に上げてディミ子ちゃんだけを非難するなんて、ずるかったよね……」

「いえいえ。飯倉さんの立場ならば、土岐先生だけでなく私たちのことは誰も信用できなくても当然です。別に、ご自分のことをずるいだなんて思う必要はないと思いますよ」

 そんな風に言ってから、ディミ子ちゃんはまた私に微笑んでくれた。


 彼女は本当に、静海たちとは少し違うのかもしれない……。その笑顔を見て、私はそう考えていた。


 土岐先生や静海は、自分が元の世界に帰ることしか考えていなかった。そのためなら他の人のことなんて気にしていなかった。

 でも、目の前のディミ子ちゃんは、もっと慎重に行動して『犯人』を見つけようとしている。自分が元の世界に帰るためじゃなく、アリスがこの世界に込めた思い――それを復讐だと信じて――を果たすために、『犯人』を探している。

 私とはやり方は違うけど……彼女は彼女で、この世界でアリスのことを考えて行動しているんだ。


「ここが本当に死んだアリスの世界だっていうなら……私はここで、アリスの願いをかなえてあげたい。あの子が何を願ってこんな世界を作ったのかを解明して、それを実現させてあげたいって思ってる。あの子の意志を叶えることが一番大事だって思ってる。

 それは、今のディミ子ちゃんの考えていることと同じ……ってことなんだよね?」

「ええ」


 確かに、私たちが今考えていることは、根本ではそれほど違ってはいないのかもしれない。

 ということは……もしも私が、アリスが復讐なんかする子じゃない、この世界はアリスが復讐するために作った世界じゃない、って証明することができたなら……彼女は私にとって、一番心強い味方となってくれるかもしれない。


 ……でも。

 そのためには、どうしても彼女に聞いておかなくちゃいけないことがある。


「ねえ……」

 だから私は、ディミ子ちゃんにそれを尋ねた。

「どうしてディミ子ちゃんは、『臆病者』なの? ディミ子ちゃんがアリスにした罪って、いったい何なの?」

「……そうですね。飯倉さんには、知っておいていただくべきでしょうね」

 そう言って、ディミ子ちゃんは自分とアリスとの間にどんなことがあったのかを、話してくれた。

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