Chapter 1

16:10 ???

「う……うう……」

 目を覚ましたとき、私――飯倉いいくら絵里利えりり――の視界に入ってきたのは、一面の「灰色」だった。



 ただただ、絵の具で塗りつぶしたかのような完全な灰色。

 それがあまりにも現実離れしていたから、その灰色が空であるということ。そして、自分が地面に仰向けで横になっていたことに気づくまでには、しばらく時間がかかってしまった。



 体を起こして、周囲を見回してみる。


「え? なに、これ……?」


 そこにあったのは、やっぱり灰色の風景だ。

 片側一車線の並木道。信号。郵便ポスト。バス停や、遠くのほうにはよくあるコンビニの看板も見える。

 ただ、それらの全てが、コントラストを抑えた淡い灰色っぽい色彩になっていた。


 曇りの日の昼間よりももっとどんよりとしていて、陽が沈んだ黄昏時よりは明るい。もちろん、霧に覆われているわけでもない。

 太陽の光が少ないとかじゃなくて、あくまでも、周囲の風景の色の彩度だけが落とされている感じ。例えば、「灰色の太陽に照らされている」なんてシチュエーションがありえるなら、それが一番しっくりくる気がする。

 でも、空を見上げても灰色一色で、太陽はもちろん雲一つさえ見えないんだけど。


 しかも……。

 そんな灰色の空間の中で、なぜか私の体だけがいつも通りのフルカラーなのが、また意味不明だった。手も脚も、ちゃんと肌色。服も、いつも通りの学校指定のえんじ色のセーラーだ。

 アーティストのМVなんかでよくある、モノクロの中でリンゴだけが真っ赤になっているような映像とか。あるいは、一部だけ色を付けたところで飽きてしまった塗り絵とか。

 そんな状況だった。



「どうして……こんなことに?」

 記憶を手繰り寄せてみても、自分がこんなところにやってきた経緯は思い当たらない。灰色の風景はもちろん……仮にこの風景にちゃんとそれっぽい色がついていたとしても、こんな場所には見覚えはない。

 そもそも普通のJKの私が、さっきまで道路の真ん中で眠っていたなんて状況が、明らかに異常だ。


 この状況で、一番納得のいく仮説をたてるとするなら…………ここは夢の中だ、ってことになるんだろう。自在に考えたり動いたりできる夢、いわゆる明晰夢ってやつ。


 そこで、ふっと思い付いて制服のポケットの中に手を入れてみた。中に入っていたのは、スマホとかハンカチとか。

 スマホのボタンを操作して、スリープを解除する。なんとなく想像してたけど、アンテナは圏外だ。時間は十月二十八日の、午後四時十三分だった。

 普段通りなら、ちょうど授業が全部終わって放課後になったころだ。そう考えると確かに、午後の授業が終わって部活に行こうと思ったところまでの記憶はあるような気がした。


 じゃあきっと私は、部活の女子バスの途中で、チームメンバーからのパスを顔面で受けちゃったりなんかして、気絶しちゃったんじゃないかな。それで今、やっと意識を取り戻して目覚めた、ってことで……。

 あれ? じゃあ、なんで保健室のベッドじゃなくって、こんな道端にいるんだ? みんなが私をビックリさせようとして、こんなところまで連れてきたの? ……って、さすがにいくらなんでもそんなイジメはやらないか。寝てる私を外まで連れてくるの、すごい大変そうだし。

 じゃあやっぱり、ただの夢かなあ。実際の私は保健室で寝ていて、そこで見ている夢。……うん、それが一番ありえそうだ。きっとそうだ。そうに決めた。

 無理矢理そう結論付けて、それ以上深く考えるのをやめた。今の段階じゃあ、それ以上考えても何か分かるとも思えなかったから。無駄なことを考えるのは、意味がないから。



 と、そのとき。

 私の視界の端を一瞬、小さな灰色のものが通り過ぎたような気がした。


 あまりにも一瞬で、あまりにもぼんやりとしていたから、もしかしたらただの見間違いかもしれない。瞬きしたときに視界がブラックアウトしたのを、何かが動いたように勘違いしただけかもしれない。

 でも、何もせずにこのままここにいてもしょうがない気がしたので、私はそれが向かったほうに行ってみた。


 移動して周囲を見回しても、そこにはもうさっきの「何か」はどこにも見えない。

 ああ、やっぱり気のせいだったのかな、なんて思っていると……またそこから少し離れたところで、同じような何かが一瞬だけ現れて消えた。


 本当にほんの一瞬で消えてしまうので、それが何なのかは具体的にはよく分からない。ただ、目に映ったぼんやりとした輪郭を思い出してみると、なんとなくだけど……人の形をしていたような気がする。サイズはすごく小さくて、身長は、多分私の半分もない。小学生よりももっと幼い子供、って感じ。

 しかも、一瞬しか見えなかったからあんまり自信はないけど、その人影はちょっとだけ体が透けていたような気もする。もしかして……子供の幽霊?


 恐る恐る、さっきそれが見えた方向へと向かってみる。すると、やっぱりまたその先でも別の場所に同じようなものが現れて……。

 その幽霊らしきものに導かれるように、灰色の世界を進んでいく。

 やがて……気づいたときには私は、外壁と門に囲まれた大きな建物の前までやってきていた。


 ここは、学校だ……。

 見た目からして、それはすぐに分かった。でも、私が通っている高校じゃない。


 校門には、知らない学校名が書かれた札がついている。だけど、その門や建物を見ているとなぜか少し懐かしいような雰囲気を感じてしまう気もする。デジャヴュってやつかもしれない。

 その不思議な雰囲気にひきつけられた私は、校門をくぐって、その学校の敷地内に進んでいった。



 校門を入ってすぐ左手には、大きな体育館。正面と右手には、それぞれ四階建てと三階建ての校舎が見える。やっぱりその校舎も外の風景と同じようにコントラストが弱く、すべての色が淡い。でも、夜のように暗いわけではないので、校舎の窓から中の様子をうかがうこともできた。


 あ……。

 正面の校舎三階の部屋――本棚がたくさん見えるから、多分図書室だ――の窓に、動くものが見えた。しかもそれは、さっきみたいな灰色の幽霊じゃない。私と同じようにフルカラーの色が付いた、人間の姿だ。

 ブレザーの制服のような恰好をしていたから、この学校の生徒かもしれない。


 恐怖心が全くないわけではなかったけど、好奇心のほうが、それよりもちょっとだけ大きかった。意味不明の現状を打破するには行くしかない、っていう使命感は、もっと大きかった。私は正面校舎入ってすぐのところにあった階段を上って、その三階の部屋を目指した。


 ここは、自分が通っている高校とは、構造や部屋の配置が結構違っているようだ。でも、外から見たときに大まかに把握した位置関係を頼りにすれば、迷うことはなかった。校舎の中もやっぱり外と同じように薄暗くて彩度の低い光景が広がっている。廊下や壁、階段やそれぞれの部屋も、すべてが灰色だ。

 それにここでも、さっきみたいなぼんやりとした子供の幽霊はときどき見かけた。やっぱり幽霊だからか、すぐ近くに現れてもぶつかったりはせずに、私の体をすり抜けてどこかに行ってしまう。足音や声も聞こえない。

 だんだん慣れてきていたのか、私はもう、いちいちその幽霊に反応しなくなっていた。今はそんなぼんやりとしたよく分からないものよりも、もっとはっきりと見えた、さっきの人影のほうが大事だったから。


 そして。

 入ってから五分もたたないうちに、私は図書室の入り口に到着していた。


「……」

「……」

 引き戸の向こうからは、複数人の話し声が聞こえてくる。

 やっぱり、誰か他の人がいるんだ……。


 覚悟を決めて、その扉を開けた。

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