16:41 図書室

「マ?」

「ほお……」

「あれ?」

「……ひぃっ⁉」


 そこは、私の学校と大差のない、どこにでもあるような作りの図書室だった。

 入ってすぐ左側に貸し出しカウンターがあって、そのすぐ前には大きなテーブルが何個か並んでいる。そのうちの一つに、ブレザーの制服を着た四人の女の子たちがいた。

 誰もが、突然部屋に入って来た私に驚きの視線を向けている。

「あ、えーっと……こんにちわぁー」

 不審者と思われても困るので、とりあえず、無難に挨拶しておくことにした。

「あの……私、飯倉絵里利っていいます。こことは別の学校の生徒なんですけど……。なんか、よく分かんないうちに、迷い込んじゃいまして……えへへ」


 すると。


「よいしょ、っとぉっ」

 その四人の中の一人。短いスカートで行儀悪くテーブルの上に座っていた茶髪のツインテールの子が、ピョンとテーブルの上から飛び下りて、こっちにやってきた。

「はぁい。初めまして、絵里利ちゃぁん。わたし、不破静海。シズちゃん、って呼んでねぇー?」

「あ、どうも……。シズちゃん」

 小動物のように可愛らしい彼女は、見かけ上はとてもフレンドリーなスマイル――でも、よく見ると目は全然笑っていない――で、馴れ馴れしく話しかけてきた。

「えーっとぉ……それでシズ、ちょっと聞きたいんだけどさぁ。絵里利ちゃん今、『別の学校から来た』って言ったぁ? それってぇ、どぉゆう意味ぃ? どうやってここまで来たのぉ?」

「え? 交通手段ってこと? えと……実は私、ついさっきこの近くの道路の真ん中で目が覚めたんだ。なんか、意味分かんないんだけど眠っちゃってたみたいで。だからさ、その前の記憶は曖昧で……」

「うぅんん。そぉゆう意味じゃなくってさぁ」

 静海は、割と突拍子もなかったはずの私の発言を、あっさりとスルーする。

「シズが言っているのはぁ、絵里利ちゃんがこの学校の中に、どうやって入って来たのかなぁってことなんだけどぉ?」

「ど、どうやって、って……それは普通に、そこの正門っぽいところを通って……」

「マ⁉ 今って、正門通れるのぉっ⁉」

 よく分からないところで突然驚いて、大声を上げる彼女。さっきまでの胡散臭い微笑みは消えて、今は、私をにらみつけるような鋭い目になっている。

 私は、無言でうなづいた。


「ちょっ、千衣っ!」

 静海は後ろを振り返って、残りの三人のうちの、メガネをかけたポニーテールの子に命令する。

「アンタ、ちょい走って正門まで行って、ホントに通れるようになってるか見て……」

 と思ったけど……。

 なぜか途中で「あ、やっぱいいやぁ。シズが自分で見に行くからぁ」と思い直して、さっさと図書室の出口に向かってしまった。もう私のことなんか忘れてしまったみたいに、見向きもしない。


「え、シズちゃん? ちょっと待ってよ、私が行けばいいんでしょ?」

「ええぇ? 別にいいよぉ。だってぇ、もしもホントにソト出れるようになってたらぁ……アンタ、シズたち置いて一人で勝手に帰りそうだしぃ。シズが見に行ったほうが確実だもぉーん」

「は? 私がそんなことするわけないでしょ……」

「ふん、どうだかぁー?」

「……」

 千衣と呼ばれたメガネの子は、やれやれと首を振ってから静海を追いかける。結局、二人とも図書室を出て行ってしまった。


「な、なんだ、あいつら……?」

 それが、私の率直な感想だった。


「驚かせてしまったようで、すいませんでしたね」

 二人が出て行った図書室の扉を、私が呆然と見ていたところで……。

 背後から、また別の女の子が私に話しかけてきた。

「あの二人は、少し常識がかけているみたいで」

「あ、うん。それは、なんとなく今の感じで分かっちゃったかな……ぁわっ⁉」

 そこで私は振り返って、話しかけてきてくれた女の子のことをちゃんと見た。そして、ちょっとギョッとしてしまった。


 髪は、まるで金属のように輝く綺麗な銀髪を、両サイドでみつ編みにしている。はっきりとした二重に、瞳は宝石のようなブルー。陶磁器のようにツルツルした真っ白な肌。そんな、明らかに日本人離れした容姿の少女が、流暢な日本語で私に話しかけていたから。


「改めて、初めまして。ええと……飯倉絵里利さん、でしたよね?

 私は、日本とルーマニアのハーフで、奥村ディミトリアといいます。クラスメイトは、『ディミ子ちゃん』なんて呼んでくれているみたいです。高校二年です。

 この容姿で驚かせてしまったかもしれませんが、物心つく前には日本に住んでいたので、中身は生粋の日本人ですよ」

 私の心を読んだかのように彼女はそんな自己紹介をして、さっきの驚きの理由を完全に解決してくれた。きっとそれは、彼女が今まで初対面の人から何度もさっきの私と同じようなリアクションをされてきて、慣れているからなんだろう。

 そんな彼女のことをあまり奇異の目でジロジロ見るのも悪いと思ったので、私はなるべく気を使わせないように自然に振る舞った。

「あ、こちらこそどうもよろしく。私も高二だよ。ディミ子ちゃんってかわいいね。私も、ディミ子ちゃんって呼んでいい?」

「はい、どうぞどうぞ」

「ありがと」


 それからディミ子ちゃんは、さっき出て行った二人――茶髪ツインテールの不破静海と、ポニーテールメガネの鶴井千衣――のことを、改めて説明してくれた。


 それによると、二人も私たちと同じ二年。

 静海のほうは、私は全然知らなかったけど、実は結構有名な若手アイドル声優なんだそうだ。ゲームとか、テレビでやってるアニメとかにもちょいちょい出てて、学校の内外にファンがいるほどらしい。まあ、あのワガママそうな態度知ってからだと、ちょっと応援する気にはなれないけど。

 あとを追っていった千衣は、その静海のファンの一人というか、付き人というか……どこに行くにも一緒についていく、腰ぎんちゃくみたいな存在らしかった。


 次にディミ子ちゃんは、この図書室にいた最後の一人の女の子のことも、紹介してくれた。

「それからこちらは、三年生の大神おおがみひびき先輩です」

 大神先輩は名前とは裏腹にものすごく小柄で、顔もなかなかのボーイッシュ。だから、スカートの制服を着てなければ可愛い系の男子中学生――あるいは男子小学生でもいけるかも……――みたいに見える。

「あ、どうも」

「……」

 私が話しかけても、オドオドとして目線も合わせずに、無言でうなづくだけ。そんなところもまた、女の子とうまく話せないピュアな男子中学生っぽい。

 可愛いな。抱き寄せて、ヨシヨシって頭をなでてあげたいな、と一瞬思っちゃったけど……さすがに初対面でそんな失礼なことは出来なかった。



 一通り自己紹介を終えてから、私は尋ねた。

「え、っとー……それでさっきも言った通り、私って、こことは別の学校から来たんだよね。だから、イマイチ今の状況が飲み込めてないんだけどさ。

 なんか学校の中も外も全部灰色だったんだけど、あれって何なの? 今って、この学校の何かのイベント中とか?」

「……」

「そうですね。何からお話しすればよいのか……」

 三年の大神先輩が完全に無口だったからか、ディミ子ちゃんが率先して私の相手をしてくれる。

 彼女は、私に図書室のテーブルにかけるように促してから、自分は席をたって、貸し出しカウンターの奥の倉庫のようなところに消えていく。そして、空のカップを持ってすぐにまた戻ってきた。

「実は私たちも、まだ現状をはっきりと把握できているとは言えないようなのですが……」

 そう言いながら、彼女はテーブルの上にあったポットから、カップにお茶のようなものを注いで、私の前に出してくれた。

 よく見ると、テーブルの上にはディミ子ちゃんと大神先輩、それからさっき出て行った二人の分らしい飲みかけのカップが、既に並んでいた。っていうか、そもそも図書室にそんなティーセット一式があるのも、おかしな気がするけど……。

「ああ、気にしないでください。実は私はこの学校の図書委員なのですが……放課後一人のときに、よく倉庫に隠してある茶器でこうやって紅茶を飲んでいるのです」

 やっぱり私の考えていることを先回りするみたいに、ディミ子ちゃんはさらっと私の疑問に答えてくれてから、また話を続けた。


「まず、最初に断言できるのは……今のこの状況が、学校のイベントなんかではなさそうだということです。

 私たちが今いるここは、そんな常識的な言葉ではとても説明できない。もはや私たちがいた世界とは全く別の空間のような……ある種の、異世界のようなものだと思ったほうがよいかと思います」

 異世界……。

 その言葉に、私は驚かなかった。

「……うん」


 この、全面が灰色の世界の非現実感。そして、それと矛盾するようだけど、同時に五感からひしひしと伝わってくる確かな現実感。

 それらは、ここが私たちがいつもすごしている普通の世界や、あるいは曖昧で何でもありの夢の中なんかではないってことを、すでに直感的に私に教えてくれていたから。

 ここは普通とは違う……でも、ちゃんとどこかに存在している別の世界。自分でディミ子ちゃんに聞いておきながら、私の中でも、既にそんなイメージが出来上がっていたんだ。

「順を追って、今までの経緯を話させていただくと……」

 そう言って、ディミ子ちゃんは、彼女が分かっていることを簡単に説明してくれた。



 私が今から三十分くらい前に学校の外で目覚めたのに対して、ディミ子ちゃんたちはみんな、だいたい今から一時間くらい前の三時半――それは、この学校の放課後が始まる時間らしい――に目覚めたんだそうだ。

 各自が起きた場所や時間は、それぞれ微妙に違っていたらしいんだけど――たとえば、図書委員のディミ子ちゃんはこの図書室。今は引退しちゃったけど元映画研究会だった大神先輩は、ここの一つ上の階の視聴覚室。演劇部の静海は演劇部の部室で、鶴井千衣は陸上部だったから校庭の陸上トラックの上、って感じ。基本的にみんな、その人にとって関係がある場所で目覚めたらしい――、その誰もが、私と同じように記憶が曖昧で、「自分がどうしてこんなところにいるのか」ってことは分からなかったんだそうだ。

 目覚めたあとのディミ子ちゃんたちは、最初に校内を歩き回って、そこで他の人と出会って、自分と同じ境遇の人が他にもいたってことを知った。そして、一旦みんなでこの図書室に集合して、情報共有とか作戦会議的なことをした。

 この不思議な世界は一体なんなのか? そして、どうやったら自分たちはこの「閉ざされた学校」から脱出することができるのか? ってことを……。


「え? え? え? ちょ、ちょっと待って? 閉ざされた学校、ってどういうこと?」

「はい」

 話を聞いている途中で、あやうく私は、飲んでいた紅茶を喉に詰まらせそうになってしまった。ディミ子ちゃんは、そんな私の質問に何でもない風に答える。

「実は、私たちのうちの何人かは、目覚めてすぐに校外に出ようと試みていたらしいのです。ですが、まるでこの学校の周囲が見えないガラスの壁で囲まれてしまっているかのように物理的に何かに阻まれてしまって、誰も学校の外に出ることが出来なかったのだそうです。

 ですから私はさっき、『閉ざされた学校』という言葉を使ったわけです」

「で、でも……私は確かに、さっきそこの正門から入ってきたんだよ?」

「ええ。だからこそ不破静海さんたちは、さっき慌てて出ていったのでしょう。もしかしたら、最初は存在していたガラスの壁が、今はなくなっているのではないか……と思ったのでしょうね。

 ただ……その確認結果については、彼女たちが帰ってくるのを待つまでもなく私にはなんとなく想像がついてしまうのですが……」


 と、ちょうどそこで。


「ちょっと、ちょっと、ちょっとぉ! 絵里利ちゃんさぁーっ! どういうことなのぉーっ⁉」

 さっき出て行った茶髪ツインテールの静海が、苛立たしそうに戻ってきた。

「アンタ、『正門から来た』って言ったよねぇー? 『もう普通に帰れる』って、シズに言ったよねぇー⁉ 全然、状況変わってないんですけどぉー? 出らんないんですけどぉー? もしかしてぇ、シズたちのこと騙したのぉー?」

 静海はズンズンと入って来た勢いのまま、椅子に座っていた私の背後から覆いかぶさる。茶髪のツインテールから、ほのかに甘ったるい香水の香りが届いた。

「だ、騙す? そ、そんなわけないじゃん! だって私、ホントに正門から来たんだし……。

 って、っていうか、『普通に帰れる』なんて一言も言ってな……」

「じゃあ、なんでさっきシズたちが行ったときは、まだ透明な壁があったのぉー? なんで出らんなかったのぉー? 入ってこられたのに出らんないなんて、普通ありえなくなぁーい? それって、絵里利ちゃんが嘘ついたってことじゃないのぉー? ねぇー? ねぇー? ねぇ……ってばぁー?」

 最初は甲高くて可愛らしかった静海の口調が、だんだん恐ろしくドスが効いた低い声に変わっていく。その声色の使い分けのうまさは、さすが声優って感じだ。

 いや、こんな風に思い知りたくはなかったけど……。


 彼女は椅子に座ったままの私の首に、後ろから自分の両腕を絡ませる。遠くから見れば、私が可愛らしい女の子に後ろから抱きつかれているようにも見えなくもないかもしれない。けど……実際のところはただのヘッドロックだ。

 そこまで絞める力は強くないけれど、息苦しくて喋りにくくなってしまう。

「い、いや、だから……私が嘘なんて、つく意味……ないし……」

「もしかして絵里利ちゃんさぁ、シズたちの敵なんじゃないのぉー? シズたちのこと困らせて笑ってる、『犯人』なんじゃないのぉー?」

「は、『犯人』って? な、何言って……」

「あぁーもぉうっ! シズは、こんなところでウダウダしてないで、さっさと元の世界に帰りたいのっ! こんなバカみたいなこと、もう付き合ってらんないのっ!」

 そして更に、彼女は意味のよく分からない言葉を続けた。

「どうせアンタか……そうじゃなきゃこの中の誰かが『犯人』なんでしょ⁉ だったら最初っから、みんなぶっ殺しちゃえばよかったんだよ! めんどくさい話し合いとか、もうやってらんない!

 だから……『シャッフル』ッ!」

「え?」


 『シャッフル』……って、何?

 ふと見ると、いつの間にか私の左手の甲に、大きく「2」という文字が浮かび上がってきていた。え、なにこれ……?

 訳が分からず、その文字を見つめている私。静海は更にそこで、何か『命令』のようなものを叫んだ。



「『全員』、『舌をんで死んじゃ……」

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