20:19 図書室
“あなたは裏切者です。
あなたには、何も特別なことはできません。ただ、人の気持ちを裏切るだけ”
それが、私が目覚めたときに持っていたカードだ。
ディミ子ちゃんにそれを暴かれてしまった私は、もう逃げ出す気力を失っていた。
私は『裏切者』。
『あの日』、久しぶりに電話をかけてくれたアリスにひどい言葉を言って、彼女を傷付けてしまった罪人。彼女を最後に追い詰めて、死に追いやってしまった『犯人』……私が、アリスを殺したんだ。
本当は、最初から私はそのことに気づいていた。目を覚ましたときに、ポケットの中に入っていた『裏切者』のカードを見た瞬間から。
だって、私はアリスをずっと裏切っていたんだから。アリスと出会ったときからずっと、彼女がいつまでもみじめに苦しみ続けて、自分よりも下の存在だと思わせてくれることを願ってしまっていたんだから。
だから、もしもアリスが死んでしまったのなら、その死に一番責任があるのは自分以外にはありえない。そんなことは、分かっていたんだ。
「飯倉さん……私、言いましたよね?」
図書室の床に横たわる私に、ディミ子ちゃんは言う。
「アリスの復讐のために、この世界にいる罪人は私が皆殺しにする、と。それはつまり……『裏切者』の飯倉さんもそうですが、『嘘つき』の私も例外ではないということです。
私はこれから貴女を殺す。そして、この世界に残っている他のすべての人間も殺したあと……最後には、自殺します。それでやっと、アリスの復讐は完成する。彼女を死なせてしまったすべての人間に、その罪の報いを与えることが出来るのです。ですから、飯倉さんは安心して死んでくださって大丈夫です。
だって……これも、飯倉さんには以前言ったと思いますけれど……私の目的は、貴女と同じなのですからね?」
うっすらと聞こえてくるディミ子ちゃんの言葉は、今の私には、神様の救いの言葉のように聞こえた。
そうだ……。
私とディミ子ちゃんが考えていることは、同じことなんだ。
私のこの世界での目的は、死んでしまったアリスの願いを叶えること。
そしてこれまでの私は、この世界がアリスの復讐の世界じゃないって証明しようとしていた。そうすることで、「罪人を処刑することはアリスの願いを叶えることにはならない」……なんて、ディミ子ちゃんに言うために。
でもそんなのは、ただの私の願望に過ぎなかった。
アリスを死に追いやった私は、そう思う事で自分に罪なんてないって思いたかった。アリスが私を憎んでないって、自分で自分を思い込ませていただけだったんだ。
そんなのありえないって、最初から分かっていたくせに……。
私がアリスにしてしまったことを考えれば、彼女が私たちに……いや、私個人に……復讐を願っているのは当然だ。私だって、『裏切者』と書かれたカードを見た瞬間に、そんなことはすぐに分かってたんだ。
ディミ子ちゃんが言った通り、この世界は、アリスが自分を殺した憎い罪人を集めて、復讐するための世界だ。それ以外にはありえない。私たちは全員その罪の償いとして、死ななくちゃいけない。
だから、私は『偽善者』の土岐先生を見殺しにしたんだ。『臆病者』の大神先輩の『嘘』を、わざと『告発』したんだ。そしてさっきこの図書室に戻ってきて……『嘘つき』のディミ子ちゃんを殺そうとしたんだ。
今は、そんな私と同じ考えを持つディミ子ちゃんが、私の代わりにアリスの復讐をやってくれるってだけ。どうせ、最後には罪人全員が裁かれるのなら……それを私がやるか、ディミ子ちゃんがやるかの違いには意味はない。
だったら私は、喜んで死を受け入れるよ……。
「あ……あ……が……」
呼吸がだんだん荒くなる。息を吸っても吸っても酸素が体の中に取り込まれずに、余計に苦しくなってくる。その苦しさを少しでも早く終わらせようと、自分で自分の喉を絞めようとするけれど……その力さえも、だんだん失われていく。
あ……。
図書室の床をのたうち回る私のぼやけた視界の中を、そのとき、何かが通り過ぎたような気がした。それは灰色で、ぼんやりとして、半透明の……この世界でこれまで何度となく見てきた……幽霊だ。
でも……。
これまでは子供だったその姿は、今は、私と同じくらいにまで大きくなってきていた。それに、現れてもすぐに消えてしまうから今まであいまいでよく分からなかったその顔が……ちょうど目のピントがタイミングよく合ったのか、ついさっきの一瞬だけはっきりと見えた。
アリス……?
その幽霊は、私が知っている中学時代のアリス……いや、それを少しだけ成長させたような顔に思えた。
そして私は、やっと理解した。
そうか……この幽霊は、『走馬灯』なんだ。
この世界で目覚めてすぐのとき……見えていた幽霊の姿は、子供のように小さかった。それが小学生くらいになって、中学生くらいになって……今は、高校生の私と同じくらいに「成長」してきている。子供のころのアリスから、今のアリスの姿に近づいていってる。
アリスが飛び降り自殺をしたのは、夜の八時半。きっとその時間になったときに、ちょうどこの幽霊の姿も、現実のアリスと同じ高校二年生になるんだろう。
つまり、アリスが生まれたときから高校二年で校舎から飛び降りて死んでしまうまでの人生を、早送りで再生している映像……死にゆく人が見るっていう『走馬灯』のような映像が、私が幽霊だと思っていたものの正体だったんだ。
きっと、アリスは十月二十八日の『今日』、校舎から飛び降りて死を覚悟した瞬間に、今までの彼女の人生を振り返るこの『走馬灯』の映像を見始めた。
そして、そのときよく分からない超自然的な力が働いて……その『走馬灯』の中に、私たちを呼び出したんだ。
つまり……この灰色の学校は、アリスの『走馬灯』の世界。私たちは、死にゆくアリスが見ている、ほんの一瞬の間に始まって消えてしまう『走馬灯』の世界に、閉じ込められていたんだ。
今さらそんな状況を理解したところで、何かが変わるわけでもないけれど……。
私は、目をつむる。それだけで、意識はどんどん薄れていって、まるで深い闇の中に落ちていくような気持ちになった。
もう、頭痛も気持ち悪さも感じない。体の感覚もない。ただただ真っ黒な「無」が、体の中に広がっていくだけだ。きっとそれが私のすべてを覆いつくしたとき、私は死ぬのだろう。それが、『裏切者』の汚名を与えられた私の最期だ。
広がっていく闇の中で、漠然と感じていたことは……これは、「正しいこと」だってことだ。
罪を犯してしまった私が、「正しく」罰せられて、殺されようとしている。これは、水が上から下に流れるように必然で、変えようがないもの。変えるべきでないものなんだ。
だから……。
もしも今、この流れを変えようとする人が現れたとしたら……それは相当の場違いで、空気が読めない人に違いないな……。
なんてことを、私が考えていたとき……。
「し、しっかりしなさいっ!」
意識がもうろうとしていた私の耳に、甲高い女の子の声が届いた。
それから続いて、
パシッ! パシッ!
私の頬が、乱暴にひっぱたかれる。それも、何度も何度も。
「い、痛……い」
パシッ! バシッ! バシィッ!
「ちょ、ちょっと……? い、痛い……痛いって……」
ビシィッ! バシィッ! ビシバシィッ!
「……あぁーもぉーうっ! 痛いって言ってるでしょぉーがぁーっ!」
失われていたはずの痛覚が、強引に引き戻される。闇に落ちてしまったはずの体が一瞬にして戻ってきて、私はたまらず目を開ける。
そこにいたのは……私が初めて見る、黒髪ロングで高身長の、モデルのようなスラリとしたスタイルの女の子だった。
「い、痛いじゃないわよっ! よ……余計なことはいいから、とにかく今は、ここを逃げるわよっ⁉」
でも、その声には聞き覚えがあった。
「やれやれ。飯倉さんが亡くなったあとで、こちらから生徒会室に伺う予定だったのですけれど……計画が狂ってしまいますね」
「よ、よ……予定なんて、知らないわっ! わ、私は……貴女の思い通りには、いかないんだからねっ⁉」
それは、生徒会室に引きこもっていたはずの、城ケ崎心花さんだった。
城ケ崎さんは、そばにいたディミ子ちゃんを押し倒すと、倒れている私を乱暴に起き上がらせる。
「ね、寝てるんじゃないわよ、いつまでもっ!」
そして私の手を引いて、図書室の外に連れて行こうとした。
「ま、待って……」
でも私は、感覚が戻ってきたのと同時に、激しい吐き気や頭痛、めまいも復活してきて、手をひかれた方向にそのまま倒れてしまう。
城ケ崎さんは倒れ掛かる私を受け止めて、
「ちょ、ちょっとっ⁉ フラフラしてるんじゃないわよっ! って……ああ、もおうっ!」
と私の体を上下に揺さぶる。
彼女に悪気はないだろうけど、気分が最悪の今、そんなことをされたら逆効果だ。揺れる体と一緒に、こぼれ落ちるように意識がなくなっていく。体の感覚も体調の悪さも、水に溶けて薄まっていくように感じなくなっていく。また、さっきの「正しい闇」の中に体が落ちていく。
「む、無理だよ……だ、だって私、そこの……スズランの毒を、飲んじゃったんだ……。だから、もう……ここまでで……」
「え?」
かろうじて、それだけは言うことはできた。
でも、それが限界だった。
視界がさぁーっとブラックアウトして、もう何も見えない。自分が目を開けているのかどうかすら分からない。考えることすらも……ままならなく……なっていく……。
で、でも……。
でも……これで、いいんだ……。
アリスを傷つけた『裏切者』の私は……ここで、死ななくちゃいけないんだから……。
だから、起こしてくれた城ケ崎さんには悪いけど、私はこのまま……。
遠ざかる意識の中で、また甲高い城ケ崎さんの言葉が聞こえてきた。
「はあっ? スズランの毒? 何言ってるの、あれは造花よっ⁉ そもそも、図書室に水の入った花瓶なんか置くわけないでしょっ⁉」
え……?
その言葉を聞いた瞬間、真っ黒になっていたはずの視界が、一瞬にしていつも通りに戻っていた。さっきまで感じていたひどい頭痛や吐き気も、今は消えている。
あ、あれ……?
首を動かして、さっきディミ子ちゃんが私に見せた花瓶を見る。それは、遠くからパッと見たかぎりでは、ガラスの花瓶に入った普通のスズランの花だ。
でもよくよく見てみれば確かに……葉っぱの緑の部分とか、茎の透け感なんかが、結構作り物っぽい。花瓶自体もプラスチックのような光沢があるし、その中に入っている水も、多分色を付けただけの水色のプラスチックだ。
きっとその花瓶を床に落としたりひっくり返したりしても、割れたり水がこぼれたりすることはないんだろう。
え? 本当に、造花……?
じゃあ、毒っていうのは、やっぱり……。
「残念。バレましたか」
城ケ崎さんに押し倒されたディミ子ちゃんが、起き上がりながらそうつぶやく。
な、なんだ……『嘘』、だったのか。
「ほらっ! だから、早くっ!」
正気を取り戻して状況が飲み込めた私の手を引いて、城ケ崎さんは図書室の出口に向かって走り出す。
「……う、うん」
彼女に連れられるまま、私もその方向に向かった。
図書室のドアを開けて、そこを出ていくとき。
ディミ子ちゃんが、
「飯倉さん……貴女はもう、分かっているはずですよ? アリスを傷つけた自分が、この世界でこれから何をすべきなのか……」
と、つぶやくのが聞こえた。
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