19:00 教室棟三階廊下

 ディミ子ちゃんと別れて、図書室を出た私。今は一人で、教室棟三階の生徒会室を目指していた。

 それは、さっきの会話のあとにディミ子ちゃんから聞いたからだ。

 彼女……この世界に呼び出された『最後の一人』が、そこにいるということを。



「彼女の名前は、城ケ崎じょうがさき心花このかさんといいます。私と同じ二年A組で、一か月ほど前にあった生徒会選挙に当選し、この学校の生徒会長をされている方です。

 私はこの世界で目覚めたあと、校内を調査するために教室棟に行きました。そして、そこでちょうど生徒会室から出てきた彼女と出会ったと記憶しています。その時点で私はすでに大神先輩や不破さんとは会っていて、彼女たちに『四時になったら一旦図書室に集合して情報交換をしよう』という話はしていたので、彼女にもそれを伝えたのですが……。

 どういうわけかその話を聞いた途端に彼女は生徒会室に戻ってしまって、しかもどうやら内側から鍵までかけてしまったようなのです。それきり、私が何度声をかけても何も答えてくれなくなってしまい、集合時間の四時になっても図書室に来てくれませんでした。

 私としては、せめて彼女が哀田アリスにとっての『何者』であるのかくらいは知りたいところだったのですが……しかし、彼女には彼女の事情があるとも思ったので、特に深く追及することはせず、他の人たちにも彼女の詳細については伝えずにおいたというわけです」


 ディミ子ちゃんが城ケ崎さんのことを他の人に教えなかったのは英断というか……ある意味当然のことだろう。だって、例えば静海が彼女のことを知ってしまったら……あいつは白石さんと同じように城ケ崎さんのことも殺してしまっていたかもしれない。あいつの『独裁者』の能力があれば、たとえ鍵をかけて引きこもっていても、部屋の外から城ケ崎さんのことを操って殺すことなんて簡単なんだから。


「私からは逃げてしまった城ケ崎さんも、『肩書』も能力も持たない飯倉さんが行けば、もしかすると会ってくれるかもしれません。

 目覚めた直後なのに、私たちと距離を置いて引きこもることを選んだ彼女は……もしかしたら不破さんと同じように、何か私たちが知らない情報を持っているのかもしれませんね。もしも、彼女から有益な情報が聞けましたら、どうか私にも教えてくださいね」

 そんなことを言って、ディミ子ちゃんは私には彼女のことを教えてくれたのだった。



 事務棟三階の図書室から教室棟三階の生徒会室へ行くには、図書室を出てから一旦階段を下りて二階に行って、すぐ近くにある渡り廊下を通って教室棟に入ってから、また階段を上ることになる。教室棟三階の廊下に出て、右側が三年の教室。左の突き当りまで行くと、そこが生徒会室だった。


 生徒会室のドアは図書室と同じような作りの引き戸で、半透明のすりガラスがはめられている。すりガラスの向こう側はやっぱり一面の灰色で、人影どころか電気がついているのかどうかすら分からない。中から物音も聞こえない。

 でも、そのドアの隙間をのぞくとロックがかかっているのが分かった。彼女が今ここにいることは、間違いないのだろう。

 私は覚悟を決めて、そのドアをノックした。


 ガタッ!


 その瞬間、部屋の中から明らかに何かが動くような音がした。

 でも、そのあとはどれだけ待っても何の反応もなく、静かになってしまう。一応もう一度ノックしてみたけれど、やっぱり同じだ。

 次に私は、声をかけてみた。

「城ケ崎さん……中に、いますか?」

「……」

 何の反応もない。

 やっぱり、一人でこの部屋に引きこもるくらいに用心深い人だ。急に知らない奴がやってきて声をかけても、そうそう応えてくれるはずはない。だとすると、何か別のアプローチを…………いや。

「だ、誰よ……」

 そのとき部屋の中から、突然そんな言葉が聞こえてきた。全然人になついていない野良猫のような、強い警戒心を感じる声だ。


「あ、あの私……ちょっと前にこの学校の外からやってきた、飯倉絵里利っていいます。ディミ子ちゃ……奥村ディミトリアさんから、ここに城ケ崎さんがいるって聞いて、会いに来たんです。

 城ケ崎さんがどんな人なのか知りたくて……。もし可能なら、ちょっと話を聞かせてほしくて……」


「……」

 そこから、また長い沈黙。

 やっぱり彼女は、かなり警戒心が強いようだ。



 私が城ケ崎さんに会いに来た理由は、大きく二つ。

 一つは、彼女に会えば何か新しいことが分かるかもしれないと思ったから。

 ディミ子ちゃんが言ったように、目覚めてすぐに引きこもってしまった彼女は、何か私たちの知らない情報を持っている可能性がある。いや……そうでなくても。この世界にどんな人がいるのか――アリスがどんな人をここに呼んだのか――ということを知ることは、確実にこの世界の真相に近づくことにつながるはずだ。

 それから二つ目の理由は……彼女のカードの『肩書』を知りたいからだ。

 さっきは、ディミ子ちゃんに言われて私も納得しちゃったけど。でも、やっぱりまだ少しだけ、大神先輩の『嘘つき』っていう『肩書』が仲間外れなことに引っ掛かりを感じてしまっていたんだ。だから、その引っ掛かりを解消する――あるいは、さらに疑惑を深めるかも?――ために、城ケ崎さんの『肩書』にも『者』っていう字がつくのかどうかっていうのを、調べさせてもらいたかったんだ。


「城ケ崎さん……どうか、このままでいいので聞いてください」

 その二つの理由のためにも、まずは彼女の警戒心を解いて、彼女に私のことを信用してもらう必要がある。だから私は、生徒会室のドアのすりガラス越しに、彼女に話しかけた。

「城ケ崎さんはもしかしたら、私がどんな能力を持っているか分からなくて、それを恐れたりしてるんじゃないですか? このドアを開けたら、私がカードに書いてある能力で城ケ崎さんのことを攻撃してくるんじゃないかって思って、警戒してるんじゃないですか?

 でも、安心してください。実は私、他の人とは違って、不思議な能力は何も持っていません。みんながもらっているカードや『肩書』を、私は持っていないんです。

 だから、城ケ崎さんを傷つけるようなことはしないし……多分、やろうと思っても出来ません。だって、それが何かは分かりませんけど……城ケ崎さんも能力を持っているんですよね? だったら城ケ崎さんはその能力を使って、簡単に私のことを倒してしまえるはずです。……だから、ちょっとだけ話をさせてもらえませんか? この扉を開けてもらえませんか?」

「……」

 やっぱり、しばらく沈黙。


 でもまた、それから少しして、

「呼んでないわ……貴女なんか」

 という、かすれるような声が聞こえてきた。


 私はすぐに、その言葉に応える。

「も、もちろん、それは分かっています! 城ケ崎さんには城ケ崎さんの都合があって、それでここにこもっているんだってことは、理解しているつもりです。

 でも、私は城ケ崎さんと話したいんです! 話さないと、いけないと思うんです! だって、もしかしたら城ケ崎さんだけが知っている情報とかがあるなら……私は絶対にそれを知らなきゃいけないからっ! この世界の本当の意味を知るためには、今はどんな情報でも必要なんです! だから、お願いです城ケ崎さん! この扉を開けてくださいっ! 私のため、だけじゃなくって……この世界の真実のために! 何より、アリスのために!」


 また、沈黙。そして……、

「関係ないでしょ……そんなの」

 城ケ崎さんはそう言った。

「か、関係ないって……そんなわけないじゃないですかっ! この世界にいる以上、城ケ崎さんだってこの世界のことを無視することなんて、できないはずですよっ⁉

 だって……だって城ケ崎さんだって、アリスに何かの罪を犯した、アリスにとっての『何者』かではあるんでしょうっ⁉」

「⁉」

 その言葉を聞いた瞬間、生徒会室の外まで伝わるほど城ケ崎さんが動揺したのが分かった。彼女が飛び上がるか何かして、その勢いで椅子のようなものが倒れる「バタンッ」という音が聞こえてきた。

「じょ、城ケ崎さん⁉」

 すぐにそれは、さっきまでの沈黙に変わる。声をかけても、何も返ってはこない。

 でも、さっきの城ケ崎さんの反応は、私の中で小さな閃きを生んでいた。


 彼女、さっき……動揺した? 私が、アリスに対する罪を指摘したから?

 それって、もしかして……。


「城ケ崎さん、あなたやっぱり……アリスに対して、何かの罪があるんですね? 何か、強く引け目を感じていることがあるんですね?」

「……」

 彼女は答えない。

 でもその沈黙からは、何か「言いづらいことを隠しているような」雰囲気を感じた。私はさらに追及する。

「あなたは、アリスに罪を犯している……。だから、この生徒会室で目覚めてディミ子ちゃんと出会って、この世界にいる他のメンバーを聞いたときに、思ったんじゃないですか? ここに集められているのは、自分を含めてアリスに対して罪を犯した人間だ。だから、この世界は『アリスが自分たちに復讐するための世界』なんじゃないかって……。

 そして、そのことで自分の罪が断罪されるのが怖くなって、生徒会室に引きこもった。違いますか?」

「……」

 やっぱり彼女は答えない。

 でも、違うなら違うって言えばいいだけだし、このタイミングで沈黙するっていうのは、もうほとんどYESと言っているのも同然じゃないだろうか?

 それに、さっきの動揺も、アリスに対して何か後ろめたいことがあるとしか思えないし……。

 それじゃあもしかしたらこの生徒会長の城ケ崎さんは、アリスが飛び降り自殺したことに関して、かなり重い責任があるってことなんじゃないだろうか……? 少なくとも、ディミ子ちゃんみたいな「見ていただけで声をかけなかった」なんて程度じゃあ、ここまで警戒したり他人を遠ざけたりするはずがない。

 それってつまり……彼女が『犯人』、とか?

 じゃあ、もしも彼女を殺せば私たちは…………えっ⁉


 突然自分の頭の中に現れた恐ろしい考えに、自分で驚いてしまった。


 いやいやいや……。

 そもそも私は「アリスが復讐なんて望んでいない」っていう立場だったはずだ。だから『犯人』なんてものはいないと思ってるし……もしも仮にいたとしても、その『犯人』を殺すことをアリスが本当に望んでいるとは、思っていない。そういう考えだったはずだ。

 それなのに、城ケ崎さんのことを『犯人』だと思ったり、あろうことか……静海みたいに彼女のことを殺そうと思うなんて……。優しくて、自分よりも他の人のことを考えるアリスが、そんなことを望んでいるはずがないのに……。 

 頭の中に、さっきディミ子ちゃんと話したときの言葉が蘇ってくる……「誰でもつらい思いをすれば、復讐をしたいと思うのは当然。アリスだって例外じゃない」。

 でも。

 私は落ち着いて首を振って、それを否定した。

 ううん。そんなはずはない。

 私は、アリスを信じる。中学時代の私が知っている優しいアリスを信じる。今の私がすべきことは、それだけだ。


 気を取りなおした私は、そのあとも何個か、ドア越しに生徒会室の中の城ケ崎さんに質問してみた。

 例えば、「城ケ崎さんは、『肩書』が書かれたカードを持ってますよね?」とか。「そのカードに書いてあること以外で、何か知っていることはありますか?」とか。「カードの『肩書』に『者』という文字は付きますか?」とか……。

 でも、そのどの質問に対しても、もう彼女は何も答えてはくれなかった。もちろん、部屋の中に私を入れてくれたりもしない。

 どうやら、私やディミ子ちゃんが期待していたよりも、彼女の警戒心のほうがずっと強かったみたいだ。


「分かりました……」

 これ以上はやっても結果は変わらなそうだ。観念した私は、とりあえず今は、城ケ崎さんを説得することは諦めることにした。

「私、ディミ子ちゃんたちのところに戻りますね。あなたはこのまま、生徒会室に隠れていてかまいません。

 私は城ケ崎さんがここに隠れていることも、あなたが不利になりそうなことも、今のところは他の人に言うつもりはありません。でも……油断はしないでください。もしも私とディミ子ちゃん以外の人間に城ケ崎さんがここにいることがバレてしまったら、たとえ部屋に鍵をかけていても、全然安全じゃないですから。この学校には、放っておいたら何するか分からないサイコなやつがいるんですから。

 ……もしも城ケ崎さんの気が変わったら、図書室に来てください」

 そう言って、生徒会室の扉に背を向けた。



 結局、私は城ケ崎さんについて、ほとんど何も知ることは出来なかったわけだ。

 かろうじて分かったと言えそうなのは、彼女もアリスに対して何か引け目を感じていそうだ、ってことくらい。しかもそれだって、彼女が部屋の中で動揺したから、そうなのかもしれないと思った程度だけど。

 まあ、これだけ警戒心が強くて非協力的な彼女のことだ。たとえ生徒会室に引きこもらずに一緒に行動していたとしても、まともに情報交換が出来たとも思えない。彼女については、もう少し放っておくことにしよう。

 ただ……残り時間が少なくなってきたら、多少強引にでも、改めて彼女の素性を知らないといけないかもしれないけど……。



 なんてことを考えながら、私が廊下を歩き始めたとき……生徒会室からボソッとつぶやくような声が聞こえてきた。

「ノブレス・オブリージュ……」

「え?」

 生徒会室を振り返る。あまりにもその声が小さすぎて、一瞬空耳かと思った。でも……、

「……私はそれを、果たすだけよ」

 という言葉が続いたので、それが城ケ崎さんが言ったことだと分かった。


 ノブレス……オブリージュ? えと……それって、確か……地位のある人間の責任、っていう意味だっけ? でも、なんで今、そんなことを言ったの?

 城ケ崎さんはこの学校の生徒会長だから……つまり、アリスに対して、生徒会長としての責任を果たす……っていうこと?


「……」

 やっぱり城ケ崎さんはそこでまた黙ってしまって、それ以上は、どれだけ待っても何も言ってくれなかった。仕方ないので、私はそこでまた生徒会室に背を向けて、図書室に向かって歩き出した。



 でも……。

 あとで、私はこの言葉の本当の意味を知って、とても驚くことになるのだった。

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