19:56 図書室

 静海が去ってからだいぶ経ってから、私はやっと屋上を出て、ディミ子ちゃんがいるはずの図書室に向かった。

 さっき言われたことが頭から離れなくて、足は重い。


 私たちは、最初は『あの日』起きたことを忘れていた。

 でも、その記憶は時間がやってくれば思い出す。嫌でも、思い出してしまう。

 もしもそれが真実だとするなら、自分たちとアリスの関係は、その記憶を思い出した時点ではっきりすることになるだろう。自分が持っている『肩書』の理由や……本当にアリスを追い詰めた『犯人』が私たちの中にいるのなら、きっとそれも……。


 考え事をしているうちに、図書室の前に到着していた。相当長い時間をかけたような気がしたけれど、実際には五分もかかっていなかった。

 部屋の中からは、特に何の声も聞こえない。静海はまだここに戻ってないのだろうか……? ドアを開ける。


「ああ、飯倉さん。おかえりなさい」

 室内では、ディミ子ちゃんが一人で紅茶を飲んでいた。軽く見回してみるけど、やっぱり他の人はいないようだ。

 私の分の紅茶を新しく淹れてくれたディミ子ちゃんは、席に座るように勧めながら、

「どうでした? 城ケ崎さんとは話せましたか? ……その様子だと、何か新しい情報が分かったようにも見えますが」

 と、相変わらずすべてを見透かすようなことを言った。

「あ……うん」

 正直、さっき静海から聞いたことをディミ子ちゃんに言うべきなのかどうなのか、私はちょっと迷っていた。自分の中でさっきの話をまだちゃんと整理できていなくて、どうやって言ったらいいのか分からなかったから。

 でも、ディミ子ちゃんを前にして隠し事なんて出来そうもなかったので、結局私はそのまま頭に浮かんだことを彼女に言うことにした。

「えと、城ケ崎さんと話は出来たんだけど……実は、彼女からはほとんど新しい情報はもらえなかったんだ。だけど……そのあとで偶然静海と会ってね。そこでちょっと、あいつに言われたことがあってさ……。ところであいつは、まだここには戻って来てないの?」

「ああ……そうですね」

 そこでディミ子ちゃんは、わざとらしく何かを思い出したかのようにポンと手を叩いて、懐から小さな紙キレを取り出した。

「先に、こちらの状況についてお伝えしておいたほうが良いかもしれませんね。

 実は、ついさっき不破さんと鶴井さんもここに戻ってきたのですが……私が彼女たちに『この紙』のことを説明したら、また急いで出て行ってしまったのです」

「え?」

 彼女が取り出したのは、何の変哲もない、ただのノートの切れ端だ。ただ、そこには何か文字が書いてあるようだった。


「今から一時間ほど前に、飯倉さんが城ケ崎さんに会いにこの図書室を出て行ったあと……一人になって暇を感じた私は、保健室の大神先輩の様子を見に行きました。ですが、なぜかそこには大神先輩の姿は見られませんでした」

「え? な、なにそれ? よ、よくわかんないんだけど……トイレにでも行ってたとか?」

「ええ。最初は私もそう思ったので、少し待ってみようと思ったのですが……しかしそこで、彼女が寝ていたベッドの上に『この紙』があるのを発見したのです」

 ディミ子ちゃんがテーブルの上に置いたその紙を、改めてよく見てみる。

 そこには、こんな言葉が書いてあった。


“私は元の世界に戻る方法を見つけた”


「え」

 紙からディミ子ちゃんのほうに視線を向けると、彼女は感心したように何度もうなづいていた。

「な……何、これ?」

「これは、大神先輩もなかなか面白いことを考えましたよね? 私もまさか、彼女がこんな行動をとるなんて想像できませんでしたよ」

「ど、どういうこと……? こ、これって、大神先輩が書いたってことなの……?

 つまりあの人は、元の世界に戻る方法を見つけて、帰っちゃったってこと……?」

「いや、そういう問題ではないのですよ。大神先輩がこの紙キレを使って私たちに提示しているのは、もっと興味深いことなのです」

 小さく首を振るディミ子ちゃん。彼女はさっきから、ちょっと楽しそうだ。

「きっと彼女は、土岐先生の一件で気づいたのでしょう。土岐先生の『偽善者』の能力が、『言葉ではなく文字や絵でも有効だった』のと同じように……自分が持っている『嘘つき』のカードの能力も、『言葉ではなく文字で嘘をつく』ことが出来るのではないか、と」

「言葉ではなく文字で嘘って……そ、それじゃあこれは、『嘘つき』の大神先輩がついた、『嘘』ってこと? つまり先輩は、本当は元の世界に戻る方法なんて分かってないのに、こんな『嘘』を書いたってこと……? 一体、なんのためにそんな……」

 私はそう言った直後に、「あっ!」と気づいて慌てて口をふさいだ。

「ふふふ……」

 ディミ子ちゃんは、そんな私の行動を予測していたかのように微笑んで、慌てずに紅茶を一口飲んでから、言った。

「安心してください。今の飯倉さんの発言は、大神先輩がついた『嘘』の『告発』にはあたらないはずです。だから今の発言のせいで、あの先輩が土岐先生のように死ぬということもないと考えていい。

 ……だからこそ彼女は、こんな手紙を残したのでしょうから」

「……?」

 いまだにディミ子ちゃんの意図が分からない私。頭には、大きな疑問符が浮かんでいる。

 彼女はさらに説明を続ける。

「大神先輩の持っていた『嘘つき』のカードの文面を、よーく思い出してみてください。あのカードには、こう書かれていませんでしたか?

 『嘘つきがついた嘘は、それを知った全ての人間が信じた場合にのみ、真実になる』。そして、『嘘を目の前で嘘と告発された場合、死ぬ』と……。

 つまり、嘘をつくときは『声で言わないといけない』なんて書いていないので、土岐先生の『偽善者』のように、紙に書いて見せる方法でも構わないと思われる。しかし、他者が『嘘を告発』する場合は……『目の前で告発』しなければならないと明言されているのです。

 だから、大神先輩がこの場にいない状態でこの紙のことを誰がなんて言っても、それは『嘘の告発』にはならない。『嘘』をつく行為とその『告発』の間には、明確な非対称性が存在するのです。

 要するに……こうやって書置きを残して、自分自身はどこかに隠れるという方法を使えば、大神先輩はノーリスクでいくらでも『嘘』をつき放題というわけなのです」

「そ、そうなんだ……」

 『嘘を告発』されたときのペナルティが怖すぎて、何もしゃべれなくなっていた大神先輩。だけど、彼女もようやくそれを回避する手段を見つけたというわけだ。

 正直、私はさっき自分のうっかり発言で彼女を殺してしまったかと思ったので、そうではなかったということにちょっと安心していた。


「しかしもっと面白いのは、先輩がついた、この『嘘』そのものです」

 ディミ子ちゃんは、テーブルの上の大神先輩の残した紙を指さす。


“私は元の世界に戻る方法を見つけた”


「え? でも結局それは『嘘』なわけでしょ? つまり実際には、大神先輩は元の世界に戻る方法なんて見つけてないってこと。この文章は、ただの嘘でしかないってことだよね? それが、何か……?」

「私たちにこの紙を残して『嘘』をついた大神先輩は、今はこの学校のどこかに隠れているのでしょう。誰かに会って、『目の前』で先ほどの飯倉さんのようにうっかり『嘘を告発』されてしまったら、その瞬間に彼女は死ななければいけないはずですからね。つまり今、彼女は命を懸けて全力でかくれんぼをしていると考えられるわけです。

 そしてもし……そのかくれんぼに彼女が勝利したとしたら? 仮に私たちがどれだけ彼女を探しても、彼女を見つけることが出来なかったとしたら……一体、どうなると思いますか?」

「え、どうなるって、それはもちろん…………どうなるの?」

 複雑すぎて、私の頭じゃあもうよく分からなくなっている。考えることを放棄して、私はディミ子ちゃんに尋ね返した。

「きっと私たちは、どれだけ探しても見つけられない大神先輩について……こんなことを思い始めてしまうはずです。

 『これだけ探しても見つからないなんて、もしかしたら大神先輩は本当に、元の世界に戻る方法を見つけたんじゃないか?』と……。つまり、この紙に書いてある『嘘』が、嘘ではなく本当のことなのではないかと思ってしまう。彼女の『嘘』を、信じてしまうでしょう。

 『嘘つき』がついた『嘘』を全員が信じたとき、その『嘘』は真実となる。私たちがこの紙を信じてしまうと、この紙に書かれていることは真実となる。すなわち、大神先輩はこの紙を残してただ隠れているだけで、本当に『元の世界に戻る方法を見つける』ことが出来てしまう。『元の世界』に帰れてしまうということです。

 これは、とてもクレバーな『嘘つき』の能力の使い方だと思います。正直私は、『嘘つき』のカードに書かれているペナルティが大きすぎて、大神先輩はこの世界で『嘘』なんてつくことはできないのではないか、と思っていました。彼女は何も出来ないだろうと、侮っていたのです。しかしまさか……こんな方法を思いつくなんてね。

 完全に予想外の使い方を見せてもらえて、私は今、少し感動しているくらいですよ」

 その言葉通り、今までよりも言葉が弾んでいるような気がするディミ子ちゃん。そこでまた、紅茶のカップに口をつけた。

 少し考えを整理するのに手間取っていた私は、そんな彼女を真似して、自分も紅茶を一口飲んでみる。でも、当然だけど、それによって突然彼女のように頭の回転がよくなったりはしない。


 諦めて、ディミ子ちゃんがまたカップをソーサーに戻したのを確認してから、また尋ねた。

「え……と、じゃあ今、静海と千衣がいないのも、その話を聞いたからってこと?」

「そうです。彼女たちは私から同じ説明を聞いて、すぐに大神先輩を探しに出て行ってしまいました。大神先輩を元の世界に逃がすわけにはいかない。もしも彼女が『犯人』だった場合、自分たちが帰れなくなってしまうから、と言ってね」

「そ、っか……」

 もしも静海と千衣がこの学校のどこかに隠れているという大神先輩を見つけたら、きっと彼女たちは、先輩の目の前でその『嘘を告発』するだろう。土岐先生のときにディミ子ちゃんがしたように、大神先輩を殺すために……。

 私の立場としても、このまま大神先輩を『元の世界』に戻らせるわけにはいかない。まだアリスがこの世界で何を望んでいるのかを解明できていない状況で、勝手に帰ってもらうわけないはいかないから。

 でも、だからと言って静海たちに殺されてしまうのが正しいはずもない。

 私も席をたって、図書室の出口を目指して動きだしていた。


「飯倉さん」

 そこで背後から、ディミ子ちゃんが落ち着いた声で呼び止める。

「どちらへ行かれるつもりですか?」

「どちらへ、って……とりあえず、静海たちを止めないとでしょ⁉ だってこのままだと大神先輩、あの二人に殺されちゃうかもしれないし……」

「そうですね……」

「大神先輩がどこに隠れてるのかは分かんないけど……でもやっぱり、このまま放っておけないよ!」

 また出口に向かおうとした私を、ディミ子ちゃんはもう一度制止する。しかも今度は、『臆病者』の能力を使って強制的に。

「⁉」


 そして、口だけを動かして、私に言った。

「彼女たちのことは、もう放っておいていいかと思います。どうせ彼女たちは……哀田アリスが作り出したこの世界では、ただの端役でしょうから。

 ……それよりも、私たちはもっと大事な話をしませんか?」

「え?」

「どうやら私は、ようやくこの世界で自分がすべきことを把握できたのかもしれません」

「そ、それって……」

「私……アリスが飛び降り自殺をしてしまった『今日』のことを、思い出したのです。彼女の身に本当は何があったのか……そして、彼女を追い詰めたのが誰なのかということも……」

 私の目をしっかりと見つめるディミ子ちゃんの迫力に圧倒されて。

 私は、既に『臆病者』の能力が解除されていることにも気づかずに、その場に立ち尽くしてしまっていた。



   ※



 時間は、十五分ほど前にさかのぼる。


 奥村ディミトリアから、大神響が残した書置きのことを告げられ、図書室を飛び出した不破静海と鶴井千衣。二人は渡り廊下を渡って、教室棟二階の廊下を歩いていた。

「えっとー……シズちゃん? 大神先輩がどこに隠れてるか、アテはあるんだよね?」

 前を歩く静海に、話しかける千衣。しかし静海は何も答えない。

「え? もしかして、いつもみたく何も考えてないの? うわ、マジか……。ま、なんにしても、サッサと先輩のこと見つけないとだよね?

 だって、もしも大神先輩が本当にアリスに一番恨まれてる『犯人』だったとしたら、逃げられちゃったらヤバいもんね? うちら、『犯人』殺せなかったら詰んじゃうもんね?」

「……」

 静海は、やはり何も答えない。千衣は無視されていることに苛立って、聞こえないように小さく舌打ちをする。しかし、それ以上反発することもなく、おとなしく彼女についていった。


 やがて静海は、二年B組の教室までやってくると、その扉を開けて中に入った。

「え? ここってアリスの教室じゃん。ここに大神先輩がいんの?」

 千衣も戸惑いながら、その中に入る。

 少し前に、絵里利が土岐励子と来た時に調べたままになっているため、ロッカーや掃除用具入れの扉は開けっ放しになっている。軽く見回してみるだけで、誰もいそうにないことは明らかだ。

「え? 誰もいなくない? ねえシズちゃん? ねえ、さっきから無視してないで……って、え?」

 教室の中心で立ち尽くしている静海の様子に、さすがに、何かがおかしいと気づいた千衣。ゆっくりと後ずさりをして、彼女から距離を取ろうとする。

「……んども……」

「え……」

「何度も、何度も……」

「な、何? シズちゃん、何か言った?」

「何度も、なんども、なんんんっども言ってるけどさぁー……シズはぁ、さっさと元の世界に戻りたいんだよねぇ」

 そこでやっと、静海が静かに何かを話し始めた。

「だからぁ、この世界がアリスちゃんが一番憎いって思ってるヤツを殺すための世界だって言うんならぁ……。そうしないと、シズたちが元の世界に帰れないっていうんならぁ……シズは全然殺せちゃうのぉ。そぉゆぅの、全然気にならないのねぇ?」

「あ、あー……そ、そうだよね? シズちゃんって、そういうとこあるよねー? だ、だから、今だって大神先輩を殺すために……」

「アンタでしょ?」

「え?」

 振り返り、千衣を見る静海。その表情は、先ほど屋上で絵里利に見せたときのように、怪しい微笑みだ。

「『今日』、アリスちゃんを追い詰めて、死にたいって思わせた『犯人』は……千衣、アンタなんでしょ?」

「な、なんで……」


 千衣は、自分を問い詰める静海の言葉と表情に悶えて、体を震わせてしまった。

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