*19:41 二年B組教室
「『シャッフル』! 『1番』は『死ね』!」
次の瞬間、静海は一息でそう叫んだ。
その言葉はひどく簡潔で端的で、確実な殺意を持って発せられた、必要十分な『独裁者』の『命令』だった。もしもその声が届いていたなら、即座に千衣は「現時点で自分に実行可能な一番確実な方法による自殺」をしていただろう。
それが、不破静海の『独裁者』の能力なのだから。
しかし、これまでずっと静海と一緒にいて彼女の性格を熟知し、彼女の『命令』を常に警戒していた千衣には、その声は届いていなかった。彼女は静海の『命令』が言い終わる前に両手で両耳を押さえて、それを無効化していたのだ。
静海が『命令』を言い終わったのを確認して、耳から手を外す千衣。
「ちょ、ちょっとシズちゃん? いきなり何を…………うわっ⁉」
千衣はその言葉を言い終えることはできなかった。静海が、隠し持っていたナイフを持って切りかかってきたからだ。
一瞬のところで体を後ろに引いて、千衣はその攻撃をかわす。ナイフの先が軽く二の腕をかすめて、タラリと血が流れる。
「くっそっ! 何すんだよっ⁉」
灰色の世界に対峙している、フルカラーの静海と千衣。その千衣から流れる血も、目の覚めるような真紅で塗られている。
静海が完全に自分に敵対心を持って攻撃していることを理解した千衣。静海をにらみつけて、何か
「『シャッフル』! 『1番』は『死ね』!」
今度はその攻撃と『独裁者』の『命令』を、同時にしてきたのだ。
「……!」
焦ってしまい、耳をふさぐのがさっきよりも少しだけ遅れてしまう千衣。しかし、それでもどうやらギリギリで間に合ったらしい。静海が『命令』を言い終わる直前のところで両手が耳を覆い、彼女はまたその『命令』を無効化することができた。
だが……。
「う……う、あぁぁぁぁーっ!」
耳をふさぐ動作に気をとられたせいで、ナイフによる攻撃を避けるほうが、おろそかになってしまった。
静海の持ったナイフの刃は千衣の脇腹をざっくりと切り裂き、みるみるうちに真っ白な制服のブラウスに大きな赤いシミを作った。
激痛に叫び声をあげる千衣。しかし静海はその声にもひるむことなく、ナイフを振りかぶって更なる追撃を繰り出してくる。もちろん、口では『独裁者』の『命令』を言いながら。
「『シャッフル』! 『1番』は……」
痛みのあまり、傷口を両手で押さえていた千衣。今回はさっきよりもさらに反応が遅れてしまって、耳をふさぐのは間に合わない。
しかし、
「くっそがぁぁぁーっ!」
「『死……ぅごっ⁉」
千衣はすかさず右脚を蹴り上げて、静海に対して強烈なハイキックを繰り出していた。攻撃と『命令』に集中して防御を考えていなかった静海は、それをモロに顔に受けて、机をなぎ倒しながら教室内を吹っ飛んだ。
「はあ……はあ……はあ……」
大きく動いたことで、さらに血があふれ出してくる。両手で強くそれを押さえながら、千衣は激痛をこらえて気力を振り絞って、教室の出口に向かって駆け出した。
はあ……はあ……。
甘く、見ていた……静海を……。
攻撃と同時に、『命令』するなんて……そんなことが、あの子に思いつけるなんて……。
血をポタポタと垂らしながら、廊下を走る千衣。
でも……まだ、大丈夫だ……。
私にはまだ、チャンスがある。
あの子の『独裁者』の能力は……一対一のときに一番強力な効果を発揮する。あの子の声が聞こえるのが一人だけのときは、『シャッフル』で番号を振られるのは一人だけ。だから、常に『1番』に『命令』するだけで、相手を操ることが出来る。
でも、声が聞こえる相手が複数いるときは、そうじゃない。相手が複数の場合は、『シャッフル』で振られる番号はランダムに決まるから……静海には、私に何番が振られたのかは分からない。
何番に『命令』すればいいか分からないから、そのときに必ず隙が出来る。だから……まだ……。
千衣は二年B組の教室を出て左側、渡り廊下があるほうへと向かっていた。
※
千衣のハイキックを食らって吹き飛ばされた静海が、起き上がる。
軽い
それでも、深呼吸を繰り返して気分を落ち着かせて、ゆっくりと周囲を見回す。そして、教室から千衣がいなくなっていることに気づいた。
「あ、い、つぅぅ……」
今の自分の苦しさよりも、普段自分の腰ぎんちゃくのように思っていた千衣に反撃されたことへの怒りのほうが上回る。そして……『犯人』だと確信している千衣を取り逃がしてしまったことに対する焦りは、その怒りよりもさらに強い。
朦朧とする意識をその二つの気持ちで上書きして、足元に落としてしまったナイフを拾い、千衣を追って廊下に駆け出した。
そこで……。
「ぷ、ぷぷ……ぶふぅっ」
灰色の廊下に点々と落ちる真っ赤な血液のあとが目に入ってきて、彼女は思わず噴き出してしまった。
その血は、静海が今出てきた二年B組を出て、まるで道しるべのようにまっすぐに渡り廊下があるほうへと向かっている。明らかに、千衣のものだ。
「あーもぉう、千衣ったらぁー! どこ行ったのよぉーっ⁉」
わざとらしくそんな言葉を叫びながら、静海は、その血が意味することをちゃんと理解していた。
千衣は、教室棟から渡り廊下を渡って事務棟に行くつもりだ。図書室にいるはずの絵里利たちと合流するのが狙いなんだ。静海はそう思った。
アイツ、バッカじゃないのぉ?
もしかしてもしかしてぇ、一対一じゃなきゃ、シズの『独裁者』が使えないとでも思ってんのぉ? そんなわけないじゃぁん。
『シャッフル』で番号を振られる人間がたくさんいて、アイツの番号が分かんないってゆうなら……「一番」じゃなくって、「全員」とか「みんな」って言って『命令』すればいいだけだもぉーん。どうせ、シズ以外のやつは『犯人』に当たるまで全員殺してやろうって思ってたんだから、その手間が省けるだけだしぃ。
そんなことじゃあ、『独裁者』のシズから逃げ切れるわけないんですけどぉー?
しかし、廊下を曲がって渡り廊下へと続く場所にきたところで、静海は立ち止まってしまった。
「あれぇ……?」
千衣の血のあとが続いていたのは、図書室へ向かう渡り廊下ではなく、一階に行くための下り階段のほうだったからだ。
……はぁ、何これぇ?
千衣のキックによる朦朧とした意識は、既にほとんど平常に戻っている。
いくら千衣が陸上部で、静海は文化系の演劇部の所属だとしても。このまま血をたどっていけば、今の手負いの千衣になら確実に追いつくことが出来るだろう。
もしかしてぇ、シズのこと、
静海が一階に降りると、千衣の血のあとはだんだん間隔を広くしながら廊下へ……そして、すぐ近くの一年A組の教室へと続いていた。
「うふふぅ……」
静海は邪悪に笑う。
教室に入っていく血痕はあるが、出てきたものはない。
賢い動物がまれにやるという、バックトラック――自分の足跡を踏みながら来た方向に戻って、追跡者をかく乱する技術――の形跡もない。そもそも、血液の間隔が広くなっているということは、こぼれる血の量が減っているということ……千衣はすでに虫の息ということだ。そんなことをしている余裕なんて、あるはずもない。
一応、廊下から用心深く教室の中の様子をうかがう。千衣の姿は見えない。
『卑怯者』の能力を持っている彼女なら、姿を消して見えなくなっていることもありえるが……いや。そこまで考える必要はなさそうだ。
廊下から続く血痕を目でたどっていった静海は、それが、教室後方の掃除用具入れまで続いているのを発見して、また小さくほくそ笑んだ。やはりその血痕も、掃除用具入れに入るものだけで、出ていった痕はない。
千衣がそこに隠れているのは、明白だった。
「シズはさぁ……」
もはや勝利を確信した静海は、躊躇なく教室の中に入り、血痕をたどりながら掃除用具入れに向かって大股で歩いていく。
「この世界にきてすぐにぃ、『十月二十八日』の放課後に、アリスちゃんに『もうイジメはやめてあげるよぉー』って言ったこと思い出したんだけどさぁ……あれぇ、これって千衣にはもう言ったんだっけぇ?」
話しながら、さっきのナイフを構える。
「ま、どっちでもいっかぁ。実はそのあとねぇ、アリスちゃんがシズに言ったことも思い出してたんだよねぇ。
アリスちゃんそのとき……『これから千衣にも会いに行って、イジメをやめてもらえるようにお願いしてみる』って言ったんだよぉ?
ほら、だってシズってぇ、今まで一度も、直接自分からアリスちゃんに危害加えたことなんてなかったでしょぉ? 物隠すのも、アリスちゃん脱がしたり殴ったりするのも。いつもいっつも、実際にやってたのって千衣たちだったでしょぉ? シズはそれ、見てただけでしょぉ?
だぁかぁらぁ、アリスちゃんもとっくに気づいてたんだよぉ。本当にアリスちゃんのことイジメたがってたのはシズじゃなくって……千衣、アンタだったってこと。シズなんて、アンタのイジメに付き合ってあげてるだけだったってことにさぁ」
掃除用具入れの前に立つ静海。
やはり廊下からみたときのように、千衣の血痕はその用具入れで途切れている。しかもよく見れば、その灰色の取っ手にもべったりと血が付着している。
これだけあからさまな痕を残して気づいていないなんて、今の千衣はよっぽどの重症なのだろう。もう、放っておいてもそのうち勝手に死んでしまうかもしれない。
そうは思ったが、静海はここでしっかりとトドメをさしておくことにした。
「ってことはさぁ……『十月二十八日』の『今日』、アリスちゃんはシズのあとにアンタに会いに行ったはずなんだよねぇー? アンタそのとき、アリスちゃんに何をしたのぉ? アリスちゃんが死にたいと思うようなこと、やっちゃったんじゃないのぉ?」
扉の取っ手に手をかける。もしかしたら、開けた瞬間に最後の力を振り絞って千衣が襲い掛かってくるかもしれない。『独裁者』の『命令』で、用具入れの中で舌でも噛ませたほうが安全だろうか?
いや……。
多分千衣は、いつでも耳をふさげるように、準備をしているはずだ。用具入れの外から『命令』をしても、効果はないだろう。
それに、仮にそうではなかったとしても……自分の血液が道しるべになってしまっていることにさえ気づいていないような状態の千衣では、ちゃんと静海の声を聞けるか分からない。朦朧とした意識のせいで、『命令』を聞き逃してしまう可能性は十分にある。やはり、自分で直接トドメをさす方が確実だろう。
ちぇ。シズは、あんまり自分の手を汚したくないんだけどなぁ……。でも、しょーがないかぁ……。
もう静海には、何の迷いもなかった。
「じゃぁ千衣……そろそろ死んじゃってくれるぅー?」
そして彼女は、その用具入れの扉を開けて、素早くその中にナイフを突き刺した。
しかし、その静海の攻撃は、千衣にトドメをさすことはなく、虚しく空を切った。用具入れの中には、誰もいなかったのだ。
「うああああぁぁぁーっ!」
次の瞬間、静海が背を向けている教室の教壇から、ものすごい叫び声が聞こえてくた。静海がその声の方向に振り向くと……まず見えたのは、教壇の中から出てくる千衣の姿。そしてその次の瞬間に、千衣がその位置から放り投げたらしい掃除用のモップが、静海の目の前に現れた。
「うぁっ⁉」
かわす暇もなく、モップが顔面に直撃した静海。付着していた汚れた水が目つぶしとなって、視界を遮られる。
「ち……千衣てめぇーっ! ふっざけんなよぉっ!」
怒りが心頭に達して、余裕ぶった口調が完全に消えた静海。目をつぶったまま叫ぶ。
「『シャッフル』! 『1番』が『なるべく苦しい方法で死』……ぐぶぁっ!」
しかし、その言葉はまた、最後まで言うことはできなかった。
すでに静海のところまで駆け寄ってきていた千衣が、彼女の喉元を両手で掴んでいたから。
「ふふふ、シーズちゃん……」
千衣は、静海の喉元を押さえたまま、彼女を教室の後ろ側の黒板に叩きつける。
「あが……が……」
喉を押さえつけられて呼吸が出来ない静海は、苦しそうにもがいている。千衣の右手を掴んだり、爪を立てて引っかいたりするが、彼女はビクともしない。さっき静海に刺されたキズの激痛に、すでに千衣は慣れ始めていた。だから、もはやそれ以下の痛みには動じなくなっていたのだ。
千衣は、静海の苦しそうな表情にうっとりと見とれるように、微笑んでいた。
「私の『卑怯者』の能力は、『誰か一人に対して、何か一つの物を見えなくする』こと……。物っていうなら、『床にできた血の痕』だって、一つの物でしょ? だから私、シズちゃんの視界から『血の痕』を隠してたんだよ。自分自身はただ単純に教壇の中に隠れて、それと同時に『卑怯者』の能力で、掃除用具入れから教壇まで繋がってる……『一つの血痕』を隠してたんだよ」
静海がうっすらと目を開くと、さっきは見えなかった血痕が、確かに今でははっきりと見える。掃除用具入れから教壇まで、何かを引きずるように途切れることなく繋がっている、一つの血痕が。
「く、くそ……千衣の……くせ、に……」
押さえつけられた喉から、なんとか声を絞り出そうとする静海。血管を浮かび上がらせた怒りの表情で、千衣をにらみつけている。
「うぐ……ぐ……」
「あは、あはは……」
しかし、千衣が少し手の力を強めただけで、そんな静海の喉から出てくるのはただのうめき声だけになってしまう。千衣は自分をにらみつけている静海を見ながら、次第に恍惚の表情に変わっていく。
「ああ……シズちゃんが、私を見てる。こんなに醜くて、怖くて、ひどい顔で……私だけを、見てるんだね……」
「な、……にを……言っ……んっ……」
静海の喉にかけた両手を、さらに強く締め付ける千衣。
「こうなっちゃったのは……シズちゃんが悪いんだからね……?
私はずっと、シズちゃんに振り向いてもらいたかっただけなのに……。シズちゃんの感情を全部、私だけに向けて欲しかったのに……。アリスのことだって……シズちゃんに振り向いてもらいたくてやってたのに……。
それなのに、シズちゃんが勝手に『やめる』なんて言うから……。『もうアリスのことは放っておく』なんて、言っちゃうからさ……。
だから、だから私……」
「で、めぇ……」
「でも……これでまた、シズちゃんは私を見てくれるよね? こんなふうにあなたを傷つける私を憎んでくれて……私だけに、その感情を向けてくれるんだよね?
ああ、いいなあ……。こんなにシズちゃんに見てもらえるなら……もっと早く、こうやってシズちゃんを傷つけていればよかったなあ……」
目には喜びの涙を浮かべ、口元からよだれを垂らしている千衣。もはや喋る言葉は支離滅裂で、完全にハイの状態になっている。
「ふふ……ふふふ……。これでシズちゃんを終わらせれば……シズちゃんは永遠に私のことを憎み続ける。永遠に、私だけのものになるんだ……」
そして。
千衣は静海の首を絞める両手の力を極限まで強め、彼女の息の根を完全に止めようとした。
しかし、次の瞬間。
『シャッフル』、『1番』は『死ね』。
その場に、くぐもった静海の声が響いた。
「え……?」
何が起こったのか分からない様子で、千衣は目を丸くさせる。
しかしやがて、押さえつけていた静海の喉から、両手を離してしまう。
「な、なんで……?」
千衣の体が天井から糸で操られてでもいるかのように、ぎこちなく動かされていく。
「う、うそ……? だってシズちゃんは、確かに、私が喉を押さえて……声が出せなくなっていたはず、じゃあ……」
そこで彼女は、静海の手から何が落ちるのを見た。
それは、スマートフォンだ。その画面には、音声録音アプリが起動されており、ちょうど何かの音声を再生し終わったところだった。
「そ、そんな……!」
『偽善者』も『嘘つき』も、声だけでなく文字でも能力を使うことが出来た。ならば、録音した音声で『独裁者』の『命令』をすることができたとしても不思議はない。
そう思った静海は、この教室に来る前に、事前に自分の声をスマートフォンで吹き込んでおいたのだ。もしも何か不慮の事態が起きて声を出せないような状況になってしまっても、反撃出来るように。
千衣も、既にその状況を理解していた。しかし、今さらもう起こってしまったことを取り消すことは出来ない。千衣は、さっき静海が床に落としたナイフを拾う。そして、それを徐々に、自分の体へと近づけていく……。
「う、うそ……でしょ? シ、シズちゃん……こんなの、嘘だって……言ってよ」
嘆きの声をあげる千衣。しかし、その動きは止まらない。
「シ、シズ、ちゃん……や、やめて! わ、私はただ……あ、あなたのことが……」
やがて……彼女はそのナイフを、心臓を突き刺していた。
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