20:00 図書室
「た、大変ですーっ!」
そんな、聞きなれない大声とともに、図書室の出入り口のドアが突然開かれる。
その瞬間に、私とディミ子ちゃんの間で張り詰めていた雰囲気は壊された。
「あ、あのディ、ディミ子ちゃんと絵里利ちゃん……二人とも! た、大変なんですっ! こ、こんなところに、いる場合じゃないんですよっ!」
「お、大神先輩……?」
入ってきたのは、大神響先輩だった。彼女を最後に見たのは、土岐先生の件で調子を悪くしてしまって、保健室に送り届けたときだった。
それまで、『嘘つき』の能力のペナルティが怖くて何もしゃべることが出来ずにいた先輩しか知らなかったので、今のように大声を出して話している姿は、とても新鮮だった。
……っていうか、先輩ってこんな喋り方だったんだ? 小柄な先輩が「ですます」口調で喋ると、ちっちゃい子供が大人ぶってるみたいで余計可愛いな…………ん?
よく見ると、先輩の制服は血まみれだった。
「ど、どうしたんですか? そんなに慌てて……」
「い、いや、慌てますよ! あ、あんなことになったら、そりゃ、慌てずにはいられませんよっ⁉」
「ちょ、ちょっと……とにかく、落ち着いてください。そ、それに、顔も制服も血まみれですけど、どこかケガでもしてるんですか?」
「え? あ、こ、これ? これなら、大丈夫です! じ、実は、さっき不破さんと鶴井さんがケンカしてるところに巻き込まれちゃって……そ、それで、彼女たちは結局相打ちになって、私の目の前で二人ともバラバラに砕けて死んじゃったんですけど……。こ、これは、そのときのただの返り血だから……」
「え⁉ 静海と千衣は、死んじゃったんですかっ⁉ そ、そんな……」
「は、はい……。二人は土岐先生みたいに砕けた体が溶けて血の塊になって、今はもう、跡形もなくなっちゃって……って!
だから、そのことはもう、どうでもいいんですよ! そんなことより今は、もっとすごいことが起きてるんですってばっ!」
「す、すごいこと……ですか?」
一度に二人も死んでしまったなんて、それ自体が結構すごいことな気がするけど……それ以上のことって?
どこから来たのかは知らないけれど、この図書室までは走ってきたのかもしれない。息を荒げながら、全然落ち着きのない様子で先輩はまくしたてる。
「ふ、二人が死んじゃったのは、教室棟一階の教室のところなんですけど……い、今、そこに、『元の世界に戻る出口』が出来てるんですぅっ!」
「えっ⁉」
「ほぅ……」
大神先輩のその言葉に、私はかなり驚いてしまった。
黙っていたディミ子ちゃんも、小さく感心したような声を出して、何度かうなづいている。
「も、元の世界に戻る出口⁉ そ、それ、本当ですかっ⁉」
「う、うん! 間違いないですよ! 空間が裂けたみたいにパッカーンって亀裂が走って……その先に、カラフルな普通の世界が見えてたんです! あれ、元の世界に違いないですよっ! た、多分、あの二人のうちのどっちかが『犯人』だったんだと思います! だから、あの二人が相打ちになったことで条件クリアになって、私たち、元の世界に戻れるようになったんですっ!
……で、でもあの出口、だんだん、小さくなって消えかかってるように見えました。多分、急がないと帰れなくなっちゃうんだと思います。
だ、だから、二人とも早く、教室棟のほうに行きましょう!」
「は、はい! 分かりました!」
大神先輩の誘いに従って、私は席を立って図書室の出口に向かう。
でも、ディミ子ちゃんのほうは、何故か席に座ったままその場から動かない。
「ディミ子ちゃん、どうしたのっ⁉ 元の世界に戻れる出口が出来たらしいから、行こうよっ!」
「……そう、ですか」
彼女は落ち着いて、お茶をまた一口飲んでから、
「私はまだ、少しここでやり残したことがあるので、あとから追いかけようかと思います。お二人とも、どうぞ先に行っててください」
と言って微笑んだ。
「え? で、でも……」
彼女がなんでそんなことを言ったのか理由が分からず、私は少し戸惑ってしまう。
大神先輩は、
「ほ、ほら! ディミ子ちゃんもああ言ってますし、とにかく絵里利ちゃんだけでも、早く! 早くしないと、出口が消えちゃうんですってばっ!」
と私の手を引いた。
「は、はい……」
ディミ子ちゃんを置いていくのはちょっと気乗りしないけれど……でも、さっきまでの気まずい雰囲気から逃げ出したかったというのもあって、私はそれ以上は深追いしなかった。とにかく、今は元の世界に戻る出口を確認しなきゃ。
大神先輩に連れられるまま図書室をあとにした。
それにしても……。
『犯人』が死んだら元の世界に帰る出口が現れた、って……。
それじゃあやっぱりアリスはこの世界で、イジメに対して復讐をしようとしてたってことなの……?
そのときの私は、大神先輩の言葉を完全に信じて、少しも疑っていなかった。
※
図書室を出て、二階への階段を下りている絵里利と響。
前を走る響は、絵里利には気づかれないように笑みを浮かべていた。
……あーあ。
うまくいけばこれで『元の世界に戻る出口が現れた』っていう私の『嘘』が真実になって、一気に元の世界に戻れるかなーって思ってたんですけど……。おバカな絵里利ちゃんと違って、ディミ子ちゃんはさっきの『嘘』、信じてくれませんでしたか……。
まあ、別にいいですけどね。
ダメだったらダメで、全員皆殺しにすれば、どうせ私は元の世界に戻れるでしょうし。
一人ずつなら、私の能力は無敵です。
まして相手が絵里利ちゃんなら、騙すのなんか超簡単なのですし……。
「あ、そうだ! もしかしたら、勘違いしてるかもしれませんから、先に言っておきたいんですけど……」
響は走り続けながら、絵里利のほうを振り返って言う。
「なんか、私が寝ていた保健室に、メモみたいなのが置いてありませんでしたか? 『元の世界に帰る方法』を見つけたとか、そういうやつが……」
「あ、あー……あったらしいですね。で、でもあれって……」
何かを言おうとした絵里利は、そこで自ら口をふさぐ。不用意な発言で、響の『嘘』を『告発』してしまわないようにと思ったのだ。
しかし、響はそれに笑顔で応える。
「あはは。あ、気にしないでください。実はあれ、鶴井さんが書いたものなんです。鶴井さんったら、保健室で寝ているうちに私のことを殺そうとしてたみたいで……あの書置きは、私が急にいなくなっても怪しまれないように、他の人の目をごまかすつもりで書いたみたいなんです。
まあ、私は途中でそれに気づいて、彼女から逃げることが出来たんですけど」
「あ、そうだったんですね……」
「はい。だから、『あの書置きの内容が嘘だー』とか私の前で言っても、それは『嘘の告発』にはならないので、私は死にません。だって、あれは私の『嘘』じゃなくって、鶴井さんがついた嘘なんですから」
「ああ。良かったです……。それ聞いて、安心しました。私、実はさっきから、ついうっかり自分が『嘘の告発』しちゃうんじゃないかって、ハラハラしてたんですよ」
「あ、ほんとですか? それはそれは、気を遣わせちゃったみたいで、すいませんでした。
……まあどちらにしろ私たちはもうすぐ元の世界に戻れるわけですから、そういう意味だと完全に『嘘』ってわけでもなかったのかもしれませんけどね?」
「はは、ほんとですねっ⁉」
「あははは……」
はい、チョロいー。
顔を前に向けたところで、響はまたほくそ笑む。
これから絵里利ちゃんのこと、隙をついて殺すつもりなわけですけど……そのときに唯一心配だったのは、あの『嘘』を暴かれることです。
だって、私が絵里利ちゃんをどれだけ追い詰めても、ひとこと「あの書置きは嘘」って言われただけで私は死ななくちゃいけないんですもん。ひとことで全部台無しになっちゃうのは、さすがに怖いですよ。
でも、これでもう私は死にません。
絵里利ちゃんは、私が新しくついた「あの書置きは鶴井が書いた」っていう『嘘』を信じちゃいました。だから、少なくとも私と絵里利ちゃんの間では、それが真実になった。今から絵里利ちゃんが「あの書置きは嘘」って言葉を言っても、それはもう『私の嘘を告発』したことにはなりません。「鶴井が書いた書置きが嘘」は、私の『嘘の告発』にはならないです。だから、私は死なないのです。
まあ、今度は「あの書置きは本当は私が書いた」って言われたら死んじゃうわけですけど……私のこと信じ切ってる今の絵里利ちゃんが、そんなこと言うはずありませんしね。
あとは、どこかでこのお間抜けちゃんの背後に回って、隠し持っているナイフで心臓をズブリってすれば、それで終わり…………あははっ! やっぱり最強じゃないですかーっ!
懐のサバイバルナイフを確認しながら、響は自分の思い通りにことが進んでいることに、心の中で高笑いをした。
と、そのとき。
「う……そ……?」
「え?」
突然、後ろを走っていた絵里利が、何かつぶやくのが聞こえた。
思わず、立ち止まってしまう響。
「うわっとととっ! せ、先輩⁉ 突然、どうしたんですかっ⁉」
「え……? え、絵里利ちゃん……い、今……な、何か……言いました?」
恐る恐る振り返る響。
そこにいるのは、突然止まった自分の背中にぶつかりそうになって、よろけている絵里利だ。今の彼女に、自分に対する敵意のようなものはまったく感じない。
「あ、え? 私、今何か言ってました? あー……もしかして、声に出ちゃってました? うわー、恥ずかしーなー。えっと、別に、全然大したことじゃないんですけどね……あはは」
「は、はは……」
笑いかける絵里利に、自分もひきつった笑みを返す響。
さ、さっきのは……なんでもない、ですよね? ただの、私の聞き間違い……ですよね? だ、だって、私はなにも、失敗なんてしてないんですから……。
心の中で何度もそんな言葉を繰り返すが、指先や体の末端が、少し震え始めている。
「いやー、あのですね。ほんとにくだらないことなんですけどね……。その、先輩の脇腹のとこにですね……」
絵里利のその言葉に、ビクッと体を震わせる響。素早く視線を動かして、自分の脇腹を調べる。
別に、異常はない。あるはずがない。だって、今の自分は最強なのだから。作戦も完璧で、何も失敗なんてしていないのだから……。
「わ、わきばら? が……な、なにか……?」
「いやー。なんか、静海たちの返り血だとおもうんですけど……その、ブラウスの脇腹のとこに付いてる血が、偶然にも『う』、『そ』っていう文字の形になっちゃってるように見えたもんで、つい、声に出しちゃってたみたいです。
ほら、街で英字プリントのTシャツ着てる人見たときに、相手は全然知らない人なのに、思わずそのTシャツの文字を声に出して読んじゃった、みたいな? そういうことって、ありません?」
そ、そんな、はずは……。
響の制服には、確かにそこかしこに千衣を殺したときの返り血がついている。でもそれは、さっき図書室で言った「目の前で静海と千衣が殺し合いのケンカをしていた」という言葉と、何も矛盾していないはずだ。むしろ、「元の世界に戻る方法を見つけたので慌てて図書室に来た」ということをアピールするために、あえて血を拭き取ったりしなかったくらいだ。
ただ、それでも何も怪しまれるような血痕がないことくらいは、一応トイレの鏡で事前に確認もした。
だから、「そんなもの」があるはずが……。
「あー、そっち側じゃなくって、右側の脇腹です。ほら、ありますよね? 文字みたいな血。『一筆書き』みたいにうっすらと繋がってますけど、けっこう分かりやすくはっきりと、『うそ』って書いてある文字が…………え?」
そこで、絵里利は気づいた。
響が、まるで凍えるようにガタガタと体を震わせていることを。
指先や末端だけではなく、手、腕……いや、体全体で。彼女はまるで何かにおびえるかのように震えていたのだ。
「い、いや……こ、これは……あ、あの……」
響の声は、すでに意味をもった言葉にならない。上下の歯も震えによってガチガチと音をさせていて、舌を噛んでしまいそうだ。どうして彼女がそんなことになっているのか分からない絵里利は、目を丸くしながら尋ねる。
「え? も、もしかして大神先輩、見えてないんですか? その『血文字』が……? そんなにはっきりと見えるのに……先輩に、だけ?」
「ち、違う……ますよ……? み、見えないなんて……そんな、そんな、そんなはずは……あ、ありませんので……ですから……」
さっきまでの自信に満ちた彼女とは、まるで別人のようだ。天敵を前にした小動物のように、おびえきっている。
……いや、きっと今の姿こそが、響の本来の姿なのだろう。
『嘘つき』のペナルティにおびえ、何も声を出せなくなっていた彼女。そして今、「死の恐怖」におびえて体を震わせている彼女こそが、いつも通りの大神響なのだ。
「それじゃあもしかして、その『血文字』って……鶴井千衣の『卑怯者』の能力で、先輩にだけ見えなくなってる、とか……?」
「ち、違う……そんな……そんな、わけは……。私は、違うから……。私じゃ、ないですから……」
響も、何が起きているのかをもはや完全に理解していた。
あのときだ。
鶴井千衣が、最後の力を振り絞って自分に抱きついてきたとき……。
あのとき彼女は、自分がついた『嘘』を『告発』しようとしたのだと思っていた。「大神響は『独裁者』の能力で既に死んでいる」という『嘘』に対して、「まだ生きている」という言葉を言って、自分を道連れにしようとしていたのだと思っていた。
でも、それだけじゃなかった。あいつはあのとき、抱きつきながら脇腹に血で「うそ」という文字を書いていた。そして、その『一筆書きで書いた一つの血文字』を、『臆病者』の能力で見えなくしていたのだ……。
響の震える手が、自身のブラウスの右脇腹に触れる。その瞬間に、さっきまではまったく見えなかった文字が、彼女の視界に現れた。それは絵里利の言うとおり、はっきりと分かる「うそ」という文字だった。
「ひ、ひぃぃーっ!」
響は、叫び声をあげてその場に尻もちをついてしまう。
「あ、あの、先輩……」
心配して手を差し伸べようとする絵里利から、無様に床に手を突きながら逃げる。
「ち、違う……! 違うんです……! 違うから……! や、やめて……こないで……!」
「せ、先輩? 私、別に何も……」
そのときの絵里利には、本当に響に対する敵対心はなかった。
というより、「響の体に『卑怯者』で隠された文字」があったことがどんな意味を持つのか、まだよく分かっていなかった。
だからそれは、彼女が「そのとき心に思ったこと」を、そのまま口にしただけだった。街で見かけた英字プリントのTシャツを読んでしまったときのように、「うっかり」声に出しただけだった。
「え? も、もしかして……千衣は静海と相打ちになったんじゃなくて、先輩が殺した、とか?」
「うぎ……」
その瞬間、大神響の体に、亀裂のようなものが走る。
そして、
「……っぎゃあぁぁぁーっ」
苦痛に満ちた叫び声とともに彼女の体はバラバラに砕け、廊下に崩れ落ちていってしまった。
※
「……」
目の前で、土岐先生のように崩れ落ちていく大神先輩の姿に、私はそれほど驚いてはいなかった。
さっきまでは彼女のことを信じていた。完全に、信じ切っていた。
信じたいと、思っていた。
……でも、心の奥底ではやっぱり、信用なんてしていなかったのだろう。
アリスについての罪を背負い、不名誉な『肩書』の書かれたカードを持った彼女のことを、私が信用できるはずがなかったのだから。
「ど、どう……じで……。どうじで……わ、わだじが……」
ほとんど頭だけになった先輩が、血だまりの中で何か言っている。
溺れるように口から血を吐き続けながら、頭もボロボロと崩れ落ちながら、最後の言葉を言おうとしている。
「わ、わだじは、う、うぞ……なんが……」
ぐちゃ。
でも、私はそんな先輩の頭を足で踏みつぶして、その言葉を遮った。
彼女の頭は、スイカ割りで木刀に叩かれたスイカのように、ぐちゃぐちゃな切り口で割れる。そしてやがてすべてが溶け切って、ただの血だまりになってしまった。
「……」
さっきまで大神先輩だった赤い液体を見下ろしながら、私は考え事をしていた。
それは、ずっと前からぼんやりと考えていたことだ。そして今、そのことについてはっきりと結論が出た。
私は、大神先輩の血だまりの中に残っていた『嘘つき』のカードを拾うと、無言でその場を立ち去り、図書室へと戻った。
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