こーりゅー★3

「う……うう……」

 目を開けたとき、まず私――飯倉いいくら絵里利えりり――の目の前に広がっていたのは、灰色の壁だった。


 いや……。

 少し首を動かして、それが壁ではなくて天井だということ……それから、私が今、どこかの部屋のベッドに横になっているということが分かった。


「こ、ここは……?」

 体を起こしてその室内を見回してみても、この部屋がどこなのかは分からない。


 ……もう少し、正確に言うなら。


 ここが、多分「どこかの学校」の保健室であるということは分かっている。ベッドの周囲を囲むカーテンや、壁に貼られた健康診断の日程表なんかから、それは明らかだ。

 でも……。

 その「どこかの学校」っていうのが、私の通っている高校でもなければ……これまでディミ子ちゃんたちと一緒に閉じ込められていた高校でもなさそうなのが、私を混乱させていた。

 私は確か……ディミ子ちゃんと一緒に、具合が悪くなった大神先輩を保健室まで連れて行ったことがある気がする。そのときに見た「あの高校」の保健室は、こことは全然違っていたから。



「ああ、目が覚めたんですねっ⁉」

 突然、そんな声が聞こえる。声のしたほうをみると、そこには、

「廊下で倒れている貴女を見つけたときはどうなるかと思いましたが……ああ、目を覚ましてくれてよかった! 本当に……」

 フワフワとした緩いパーマのかかったロングヘアーがよく似合う、かわいらしい女の子が立っていた。今まで、一度も見たこともない子だった。


「私、さっきこの灰色の学校で目覚めて……何も分からなくって、とても心ぼそくて……でも、そんなときに貴女と出会えたんですっ! それで、私は一人ぼっちじゃないって知ることが出来たんですっ! だから、貴女が目覚めてくれて、本当に嬉しくて、嬉しくて……」

 涙で目をウルウルとさせて、私を見つめている彼女。パッと見でも分かるくらいに、すごく可愛らしい子だった。

 そんな彼女の、涙を流すほどのテンションにちょっと圧倒されながら、私は尋ねる。

「こ、ここは……学校だよね? えと……ど、どうして私、こんなところに……?」

「ああ! ああ! 大丈夫ですっ! 私に全部任せてくださいっ!

 こんなわけの分からない世界で私の不安を取り払ってくれた貴女は、私にとっての恩人です! むしろ、運命の人です! だから今度は私が、この命にかえても貴女のことを守ります! 貴女はもう、何も気にしないで大丈夫ですから!」

 彼女はオーバーにそんなことを言うと、私を抱きしめる。その瞬間に、体が甘く優しい香りに包まれて、気持ちが安らぐのを感じた。それは、香水やコロンとは違う、彼女自身の体の匂いだろう。

 それがあまりにも心地よくて、リラックスしてしまって……。

 もう、細かいことなんてどうでもいいか。彼女の言う通りに、すべてを任せてしまっても……なんて思ってしまう。


「さあ、まずは服を脱いで、汗まみれの体を清めましょう。大丈夫です。私にすべてを任せてください……」

「あ、ああ……うん」

 彼女に言われるがままに、私は着ていた制服のボタンに手をかける。そこで……ふと気づいた。

 彼女が今着ているのは、やっぱり私が見たことのないような学校の制服だ。その制服のスカートのポケットから、何かの「白い布切れ」がはみ出していた。


 あ、あれ……? あれって、ハンカチ……だよね? うん。そうだよ。だって、ポケットに入ってるんだから、ハンカチに決まってるよ。

 でも……、そのハンカチがなんだかやけに、見覚えがあるような……? っていうか、ハンカチにしては形がイビツっていうか……。あれじゃ、ハンカチっていうより、まるで……パ、パン……。

 そして、私はさらに気づく。

 そういえばさっきから、ベッドで寝ている私の下半身に、若干の違和感があったんだ。着ている制服のスカートの中が、なんだかやけにスースーするというか……。すごく、心もとない感じというか……。

 おもむろにベッドから出て、スカートの中を確認する。


「は、はあっ⁉」

 私はやっぱり、スカートの下に何もはいてない状態……端的に言うと、ノーパンだった。

「な、なんで⁉ どうしてこんなことに⁉ っていうか、私のパンツは……」

 意味が分からなくて混乱する頭の中で、ある恐ろしい仮説が浮かぶ。それを確認するために、恐る恐るさっきの、ノーパンに気づくきっかけとなった物……私を介抱してくれていた女の子のポケットからはみ出している「白い布切れ」に視線を戻す。

「ちょ、ちょっと……も、もしかして、それって……」

「ええー? 何ですかー?」

 彼女は笑顔を浮かべながら、ゆっくりとその「布切れ」を取り出す。その笑顔が次第に……妖しく……怪しく……嫌らしくなっていく。

「これが、どうかしましたかー?」

 そして、穴が三つある――太ももが入るくらいのサイズの穴が二つと、胴回りくらいの穴が一つ――その「布切れ」の、一番大きな胴回りくらいの穴を、スポッと自分の頭にかぶせた。


 あ……あー、なるほどー。

 その「布切れ」は、ハンカチでもパンツでもなくって、ただの帽子だったんだねー?


「……って、そんなわけあるかーいっ!」


 思わずノリツッコミしてしまったけど、内心は相当ドン引きしていた。どう見ても、今の彼女がかぶっているのは、私がはいていたパンツだ。

 つまり、彼女は眠っている間に私のパンツを脱がしてポケットにしまって、しかもそれを今は頭にかぶっているっていうことだ。

 優しく介抱してくれてたのかと思ったら……ただの、えげつない変態だったよ!

「ちょっと! それを返してよっ!」

「えへ……ぐへへ……」

 本性を現したのか、パンツをかぶったまま気持ち悪く笑っている彼女に詰め寄って、乱暴にそのパンツを取り戻そうとする。でも……。


 ヒラリ。


 彼女は、まるで「私の動きを読んでいた」みたいに、こっちを見もしないで伸ばした私の手を避けてしまった。

「ちょ、ちょっとっ⁉」

「はあ……はあ……」

 呼吸を荒くして、ヨダレまで垂らし始めた彼女。最初に感じた「可愛らしい女の子」なんてイメージはもう完全に消え去って、今やただの変質者だ。

 正直、気持ち悪すぎて近づくのさえ嫌だったけど……このままパンツを取り返さないわけにもいかない。

「か、返してよっ!」

 また私は、彼女の頭に手を伸ばす。なのに……。


 ヒラリ。


 彼女はそれも、紙一重のところで避けてしまった。

「ど、どうしてっ⁉」

 こんな、ただの変質者の異常者のくせに、なんでさっきから私を避けられるのよっ⁉ 思い通りにいかないことに苛立って、彼女を睨みつける。

 でも、彼女はむしろ私のそんな視線に興奮するように、体を震わせながら……こう言った。

「ち、違いますよ……? 私、『変質者』とか、『異常者』じゃないですよ……うひゅ、うひゅひゅひゅ……」

 え……?


 「変質者とか異常者じゃない」って……。

 私、さっきそれを、声に出してはいなかったよね? ただ、頭の中で考えていただけだったよね……? なのに、どうして彼女、私の考えていることが……。

「はあ、はあ……うひゅひゅ……」

 さらに悦楽の表情を浮かべた彼女は、頭にかぶったパンツを指で優しくなでる。その瞬間に、ゾクゾクッという悪寒が私の全身を包みこんだ。

 まるで、本当に自分がパンツの上から体を触られているような、気持ち悪い感覚が……っていうか、この感覚は本当に本物⁉


「わ、私の『肩書』は……『信者しんじゃ』です。私が『運命の人』と決めた人の聖骸布脱いだ衣類を身に着けることで、その人とつながることが出来る……それが、『信者』の能力……。だから私、さっきから貴女の考えていることは、全部分かっていました……。貴女が私に与えてくれた神の啓示が、このパンツを通して、全部私の頭の中まで届いていたんです……うひゅ……ぐひゅひゅ……」

 彼女は、パンツをなでた指を嫌らしく舐める。

 それを見たときにも、吐き気を催すほどの気持ちの悪さを感じて、私は震え上がった。それが彼女の言う『信者』の能力のせいなのか……それともただ単に彼女の行動に対する嫌悪感なのか。もう、よく分からなかった。


「きっとパンツだけじゃなくって、私が『運命の人』の着ている服を全部身に着けることが出来たなら……私は、その人と一つになることも出来ると思うんです……。うひゅ、うひゅひゅ……。つまり、貴女自身を完全に取り込んで、貴女の知識と力と……貴女の能力を全部、手に入れることだって、出来ると思うんですよ……。

 だ、だから、絵里利さん。私と……一つになりましょー⁉」

「ひ、ひぃーっ!」


 目をギラつかせて抱きついてこようとする彼女をなんとかよけて、私はその保健室を飛び出した。これ以上あそこにいたら本当にヤバいことになるって、本能が伝えていたからだ。


 保健室の外の廊下は、やっぱり私が知っている学校のものではなかった。校舎の構造も違っていて、自分の向かう先に何があるのかもさっぱり分からない。

 でも、私はとにかく走っていた。


「ま、待ってくださぁーい! 私の『運命の人』は、貴女だけなんですからぁーっ!」

 後ろから、追いかけてくる彼女の声が聞こえてくる。


 『信者』……の能力は、イマイチよく分からなかったけど。

 どうやら、私のパンツをあいつがかぶっていると、あいつは私の考えていることを読むことが出来る。さらに、あいつがパンツに触れた感触を私の肌に直接伝えることも出来るってことらしい。だから、私が今どこに逃げているのかってことも、きっとあいつには筒抜けなんだろう。

 でも、あいつ本体の運動能力自体はそれほどでもないみたいだから、このまま走り続ければ、とりあえず距離を引き離すことは出来そうだ。


 ……っていうか。こうしている間にも、だんだん私の下半身が湿ってきてる気がするんだけど……。

 あ、あいつ、私のパンツに今、何をしてるんだよっ⁉ ま、まさか……直接舐めたり、口の中に入れたりしてるんじゃあないでしょうね⁉


 それ以上深く考えるのは怖かったので、とにかく今は前に進むことだけを考えることにした。



 そして……。

「うそ、でしょ……」

 深く考えずに闇雲に走った結果、私は見事に廊下の突き当り……ドアも窓もない、完全な行き止まりに到着してしまった。


「どうしたんですかあー? 絵里利さん、大丈夫ですかあー?」

 私の絶望をパンツから感じ取っているらしい『信者』の声が聞こえる。

「今、私がそこに行きますからねえー⁉ もう、大丈夫ですからねー! だ、だから……安心して一つになりましょーねー⁉」

 振り返ると、廊下の向こうから真っ直ぐにこちらに走ってくる彼女の姿が見えた。


 その距離は、あと三十メートル……二十メートル……十メートル……。


 行き止まりで、どこにも逃げることの出来ない私のところまで到着するのも、もはや時間の問題だ。

「わ、私……次は、絵里利さんの靴下が欲しいんですけど……い、いいですよね? きっと、靴下もパンツと同じくらい香ばしくて酸っぱくって、すんごく美味しいんでしょうねー……ぐひゅ、ぐひゅひゅ……」

 すぐ近くまで来たことで、彼女が口の端で私のパンツをくわえているのが分かった。やっぱり彼女、さっき私のパンツを口の中に入れてたんだ……。


 もう、私が彼女に感じるのは気持ち悪さや怒りなんかじゃない。ただただ……理屈では理解出来ないものに対する、純粋な恐怖だけだ。

 全身から力が抜けて、その場にペタンと座り込んでしまった。


「ああ、やっと分かってくれたんですね……? 私の、絵里利さんへの愛を……。『信者』の、崇拝を……」


 彼女まで、もう五メートル……三メートル……一メートル……。

 そして、彼女の手が私の足に触れて、彼女が私の靴下を脱がそうとした……。


 そのとき。

 ふわ……。

「え……?」

「あ、わわわっ⁉」

 まるで天使が空から大地に舞い降りるように、私と『信者』の子の間に、知らない別の女の子が現れた。


「おまたせ! ちょっと遅れちゃったかもしれないけど……許してね! だってほら、ヒーローは、いつだって遅れてやってくるものじゃない⁉」

 彼女はそう言って、『信者』を私から引き剥がした。


「にゃ、にゃんですかあーっ⁉ 私と、私の『運命の人』である絵里利さんとの間の愛を邪魔するのは、一体誰ですかあーっ⁉」

 変態行為をいいところで邪魔されて、完全に激怒している『信者』の子は、今度はその新しく現れた彼女の首につかみかかろうとする。

「私たちの崇高な愛を邪魔する汚らわしい悪魔には……私がこの手で罰を与えてあげますー!」

「ふんっ。汚らわしい悪者は、あなたの方でしょっ! 私はむしろその逆……正義の味方なんだから!」

 彼女はそう言うと両手を上に掲げて、それから、『信者』の子に向けて勢いよく振り下ろした。

「くらいなさいっ! 正義の雷ジャスティス・サンダー!」

「ぎゃ……ぎゃびぃーっ!」


ガラガラガラ、ドッシャーンッ!


 ものすごい音をたてて、廊下の天井からその『信者』の子めがけて、雷が落ちた。

「うっぎゃーっ!」

 マンガみたいに黒焦げになった彼女は、間抜けな叫び声をあげながら遠くに吹っ飛んでしまった。


「あ、あの……」

 正直、状況はさっぱり分からないけど……一応、私を助けてくれたらしい彼女の背中にお礼を言おうとする。

 でもそれよりも早く、彼女はこっちを振り向いて、瞳をキラキラさせながら言った。

「お礼ならいらないよ! だって私、当然のことをしただけだから!

 弱きを助けて、悪者をぶっ飛ばす! それが私、『勇者ゆうしゃ』の役割なんだから! ぶいっ!」

「は、はあ……」




 『信者』とか、『勇者』とか……。

 正直もう、そういうのウンザリだわ……。

 目の前で繰り広げられる展開についていけなかった私は、ただただ、呆れ果てているだけだった。

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