16:28 体育館(一階)
「な、なに言ってんのぉっ⁉ 死にぞこないのくせに調子乗っちゃって……全然、全然だっせぇーんですけどぉーっ!」
自分の能力が効かなかったことに驚いて、明らかに動揺しているらしい静海。さっきまでの余裕ぶりが嘘みたいに、ザコっぽく何かを喚き散らしている。でも、今の僕の耳には、彼女のそんな言葉は全く届かなかった。物理的に、本当に僕の耳に、彼女の言葉は届いていなかった。
だって僕、両手で両方の耳をふさいでいたから。
さっき僕が非常口に向かったとき、そこが外側からロックされていることを知らなかった静海は、慌てて「走って」追いかけてきた。でもよく考えると、それはすごく奇妙な行動だ。だって静海は、声にさえ出せば何でも命令できる最強の能力を持っているんだから。
僕を非常口から逃したくないのなら、単純にそう『命令』すればよかったはずだ。でも、彼女はそうせずに、わざわざ僕を追いかけて直接止めようとした。
その奇妙な行動の理由は、非常口に向かったときに「僕がしていたこと」を考えれば、おのずと分かる。
あのとき僕は、痛みを忘れるために「大声で叫んでいた」。だから、たとえあのとき静海が『シャッフル』や『命令』を言っても、多分その言葉は僕の叫び声にかき消されて、はっきりとは聞こえなかっただろう。
だから、静海は能力を使わなかった。使いたくても、使えなかったんだ。
つまり静海の能力は、『シャッフル』と『命令』の声を、確実に相手に聞かせないと効果がない。静海の声を聞いていない相手は、操ることが出来ない。
それが、この能力の弱点だったんだ。
一番最初に僕を攻撃したとき、あいつは僕が起きるのを待ってから『命令』を言ってきた。あれも、同じ理由だ。眠っている間は、あいつの言葉を聞くことなんて出来ないから。だから、僕が起きた瞬間を狙って『命令』をしてきたんだ。
「……! ……!」
静海が何かを言っているようだったけど、ずっと耳をふさいでいる僕には、その内容はさっぱり分からなかった。でも、それで今の僕が困ることは何もない。むしろ、あいつの負け惜しみを聞かなくて済むのが、好都合なくらいだった。
「あははは。もう、タネはバレちゃったんだからさ……お前の勝ちは無くなっちゃったわけよ。形勢逆転ってやつ?」
能力自体が強力すぎるってことは、その分弱点も大きいはず。そうじゃなきゃ、他の能力と釣り合わない。僕のその予想は見事に当たったってことだ。静海の能力は、もう何も怖くなかった。
勝利を確信したことによる安心感からか、僕は少し饒舌になっていた。
「……ーっ!」
それが、自分を煽ってバカにしているように思ったのか――実際にバカにしてたんだけどね――、静海は僕に向かって直接殴り掛かってきた。
でもそれも、既に想定内だ。
きっとあいつは自分の能力を封じられたら、次は直接力づくでなんとかしようとするはず。二か所も重傷を負って出血もひどくてフラフラの僕だったら、能力がなくったってどうにかできる、なんて思うだろう。
そんなことは、とっくに想像できていた。
だってさ……僕、さっき言ったよね?
あいつに、ちゃんと忠告してあげたよね?
これからは「僕の能力の番だ」ってさ。
ポーン、ポーン、ポーン……。
非常口に寄りかかっている僕に、向かってくる静海。その背後の体育倉庫から、「何かの拍子」にバスケットのボールが転がり出てきて、こっちに向かってバウンドしてきた。
ポーン、ポーン、ポーン……。
耳をふさいでいる僕には音は聞こえないけど、そんな感じのゆったりしたペースでそのボールはバウンドを繰り返している。そして、一旦静海を追い越して、僕のすぐ横の壁に当たって跳ね返って……「運の悪いことに」ちょうどいい位置にいた静海の顔面にヒットした。
「……ぅがっ!」
完全に予想外だったその衝撃に、間抜けな顔を作って後ろにひっくり返る静海。すぐに起き上がって、何が起きたのかと周囲を見回す。
ぷっ。
なんか、お笑い番組のコントみたいで笑える。
「……――! ……――!」
怒りからか、恥ずかしさからか――多分その両方だ――顔を真っ赤にした静海は、さっきよりも逆上した感じで、こぶしを振り上げて何かを叫びながら向かってくる。でも、それも無意味だ。
ガタ、ガタ……。
ちょうどそのとき。
さっき僕が非常口の扉を叩いたときの振動がきっかけになったのか、体育館の天井の
「……⁉」
今回は何かを感じ取ったらしい彼女は、ギリギリのところで後ろにのけぞって、そのボールをかわす。バレーボールは床にバウンドして、また上に飛んでいってしまう。
不審そうな視線でそれを追いかけていた彼女は、すぐに我に返って、またこちらをにらみつける。そして、さっきみたいに襲い掛かってこようとする。……でも。
バシィ……キィーンッ!
バレーボールが飛んで行った先には、「偶然にも」老朽化していたバスケットゴールがあった。バレーボールは、そのゴールの
ズッドォーンッ!
さすがにその音と振動は、耳をふさいでいても迫力があった。
「…………」
突然真上からバスケットゴールが落ちてきて、静海も無傷ではいられなかったようだ。さっきまでの元気は消え失せて、完全にグロッキー状態になっている。
ふふ……。
さっきまで調子にのって自分を傷めつけていたやつの弱っている顔を見ていると、なんだか元気がわいてくる気がする。僕は、バスケゴールの残骸に押しつぶされている静海を見下しながら、彼女に言ってやった。
「……驚いた? これが、僕の能力だよ」
能力とその『名前』は、目が覚めたときに着ていたジャージのポケットの中にあった、名刺サイズの小さなカードに書いてあった。僕はそのカードを取り出して、その内容を静海に見せてやった。
“あなたは怠け者です。
あなたが物を動かすと、そのときの力を物から物へと連鎖させて、最終的に狙ったターゲットにまで力を到達させることが出来ます。
ターゲットが遠くにいたり逃げたりした場合はその分余計に時間がかかりますが、あなたの力は確実に最後にはターゲットまで到達します”
これが、僕の『怠け者』の能力。
カードに書いてある内容は、文章を読んだだけだとちょっと分かりにくい気もするけど……不思議と僕には、この能力で何が出来て何が出来ないのかが分かっていた。
自分自身が動かなくても、物から物へと力を伝播させて遠くのターゲットまで届けることが出来る。つまりドミノ倒し――あるいは、教育テレビか何かでやっていた「何とかスイッチ」とか、そういうやつ?――みたいなものだ。
そして。
僕はさっき、非常口の扉が開かないって分かったときに、ヤケクソ気味に何度もそこを叩いていた。そのときに実は、ターゲットを静海として、この『怠け者』の能力を使っていたんだ。
僕が扉を叩いた力は、体育館の壁とか天井とかに伝播して、それがまた別の物に連鎖していって……まわりまわって、ちょっと時間がかかったけど、最終的にターゲットである静海にヒットしたってわけだ。
「正直、お前の能力……確か名前は『独裁者』だっけ? それと比べると……だいぶ地味だし、使い勝手は悪いし、威力もいまいちだけどね。
でも、ここまで状況が揃えばそんなの、もう問題にならないんじゃないかな?」
「……!」
自分の体に覆いかぶさっているバスケットゴールの板から抜け出そうと、必死にもがいている静海。ときどき、悔しそうに何かを叫んでいる。もしかしたら、また例の『独裁者』の能力で、何かの『命令』をしようとしてんのかもしれない。
でも、僕は相変わらず耳をふさいでいるから、そんなの全く意味がないんだけどね。
「……!」
「ははは……」
なんだかちょっと、彼女のことがかわいそうに思えてきた。だってさ……。
「正直言って、僕はお前と違って、人を痛めつけて喜ぶような趣味はない。
それに……今の自分たちの状況とか。僕たちが今、どうしてこんな能力を持ってるのかとか。あと、お前がいきなり僕のことを殺そうとしてきた理由とかも……。
とにかく、聞きたいことは数え切れないくらいにたくさんあるからさ。さっきまで僕にやっていたことはきれいさっぱり水に流して、助けてあげてもいいかなあーって思うんだけどさ……は、はは。でも……悪いね」
そこで、自分の笑顔をちょっと意地悪な表情に変える。
「僕、自分の能力なのに、分かんないんだよね。一回発動した力を、止めるやり方がさ……」
その瞬間、静海の顔がさあーっと青ざめるのが分かった。どうやら、僕が言ったことの意味を理解したようだ。
「つまりさ……僕がさっきお前をターゲットにして『怠け者』の能力を使ったのって、二回なんかじゃないんだよね。
ちょっと正確な回数は覚えてないんだけどさ……僕、少なくとも十回以上はそこの非常口の扉を叩いて、能力を使ってるんだよね」
静海はキョロキョロと周囲を見回し始める。耳をふさいでいる僕には分からないけど、もしかしたら、また「何か」が自分に向かってくる音でも聞こえたのかもしれない。
ガターン……。ぽーん、ぽーん、ぽーん……。
さっきバスケットボールが転がってきた体育館倉庫の中で、ボールをしまっていたカゴが「何かの拍子」に倒れてしまって、新しく三つのバレーボールがバウンドしてきた。
そのボールの一つ目は、僕たちの近くの体育館の隅にまでバウンドして飛んできて、「ちょうどよく」そこに出しっぱなしになっていた筋トレマシンにぶつかる。すると、「偶然」固定が緩んでいたらしいその筋トレマシンからバーベルが外れて、そのバーベルが静海のいるほうへとゴロゴロゴロと転がり始めた。
しかも、体育館の床が建付け悪くて水平じゃないのか、そのバーベルの速度は静海に近づくにつれて徐々にあがっていく。
二つ目のボールは、体育館の反対側の隅に向かって行って、いつもはしまってあるはずなのに「今日に限って」しまい忘れていたレシーブトレーニング用のバレーボール発射装置にぶつかる。すると、「偶然」その衝撃で電源スイッチが入って動き出したその装置は、セットされていたバレーボールを発射口へと運び始めた。
しかも、ボールがぶつかったときに回路がおかしくなってしまったのか、本来設定できる最大速度よりもさらに速い動きで発射しようとしている。その発射口が向いている先は……もちろん静海だ。
そして最後の三つ目のボールは……一旦壁にぶつかって、体育館入口の方向にバウンドしていく。そして、入口の横についていた電気スイッチの一つにぶつかった。
それは、故障中だから触らないように、ガムテープで固定されていたスイッチだ。ボールがぶつかったことでそのスイッチがオンになると、体育館の天井についているたくさんのライトのうち、静海の真上のあたりにあるライトが、火花を散らしながら点滅を始める。
そしてやがて……バチンッ! という雷のようなひときわ大きな火花が散ったあと、コードの一部が燃え始めてしまった。その炎はライトにも燃え移り、ライトを固定してた金具も燃えつくして……ライトは取れかけの歯みたいにユラユラと揺れ始めた。
加速するバーベルと、故障して限界突破したボール発射装置と、炎に包まれたライト。
その三つが、すべて身動きのとれない静海に向かっていたんだ。
「ぷぷぷ……あーあ、やばいなあ……。これ、このままだと、どうなっちゃうんだろうなあ……?」
これから静海がどうなってしまうのかなんて、そんなのはもう分かり切っていた。だって、僕の『怠け者』の能力は、「力を確実にターゲットまで届ける」のだから。
それを止める方法は、能力の使用者である僕だって分からない。
でも、仮に僕が自由に能力を解除できたとして……さっきまでさんざん自分を傷めつけた静海への攻撃を、どうして解除してあげる必要がある? むしろ、まだまだ追加してもいいくらいなんだけど?
あれ? 僕って、「人を痛めつける趣味」は無かったはずなんだけどなあ……。でも、もしかしたら今目覚めちゃったのかも……あはは。
これから起きることへの期待と興奮でアドレナリンが大量分泌されて、僕はもう自分の怪我の痛みを忘れてしまっていた。
「……! ……!」
可愛らしい顔をゆがめて、何かを叫んでいる静海。惨めだな。そんなの何の意味もないって、まだ分かんないのかな。
あと数秒で、バーベルと発射マシンのボールとライトが静海に直撃する。それは、もう決定事項だっていうのに。
「さあ、これで終わりだよっ!」
完全に勝利を確信した僕は、思わずそんなことを叫んでいた。
そのとき。
足元に、何かが落ちたのが見えた。
音が聞こえない僕には、それが何なのかはすぐには分からなかった。確認するために首を動かす。
そして、そこに落ちていたのが「血の付いた果物ナイフ」だと気づいて、思わず声を出してしまった。
「え……?」
あれ? なんでこれが、ここにあるんだ……?
このナイフって、最初に僕が『命令』されて自分の脇腹を刺したやつ……だよね?
たしか、静海がまたナイフを使った『命令』してきたらヤバいと思って、命令が解除された瞬間に遠くに放り投げたはず……。
なのに……そのナイフが今、自分の足元にある。
もちろん、僕が持ってきたわけじゃない。静海だって、今までナイフを回収する素振りなんてなかった。そもそも、バスケゴールが落ちてきてからは、その場で身動き取れなくなってるはずだし。
でも、じゃあどうして……?
そのとき、バスケットゴールにつぶされている静海が、口の片端を上げてニヤリとほほ笑んだ気がした。それが、見間違いかどうかを確認する間もなく……。
次の瞬間には……僕の両耳に、いろいろな音が飛び込んできた。
バーベルが転がる音、ボール発射マシンが発射準備をする音、天井のライトがバチバチと火花を散らす音……。
「あれ……?」
僕は、耳をふさいでいたはずの手をいつの間にか下におろしていた。
もちろん、自分からおろしたんじゃない。僕の背後にいた「誰か」に下に引っ張られて、無理やり下ろされたんだ……。
振り返った僕が、そこに自分たち以外の「第三者」を見つけたのと、静海の『声』を聞いたのは、ほとんど同時だった。
「『シャッフル』! 『1番』が『ナイフで自分の心臓を突く』!」
「し、しまっ……」
僕の後ろにいたのは、耳をすっぽりと覆うヘッドホンを付けた、メガネの少女。確か、いつも静海と一緒にいる彼女のクラスメイトの、
でも、そんなことはもう、どうでもいい。
『独裁者』の『命令』を聞いてしまった僕は、既に体の自由を奪われている。ゆっくりと、さっき床に落ちたナイフを拾いあげ……流れるように滑らかな動きで、なんの躊躇もなく、そのナイフを自分の胸に突き刺していた。
「ぐ……ぶはっ……」
不思議と、痛みはなかった。それに、静海たちに対する恨みや憎しみも。
ああ、そっか……。
静海には、協力者がいたのか……。その可能性は考えてなかったな……。
せめて、もう少し慎重にやってれば、良かったのかな……? 周囲に誰かいないかちゃんと確かめるとか……、ナイフを回収できないくらい遠くに隠してしまうとか……。
いや、そんなの無理か……。だって僕は、どうせ『怠け者』だし……。
視界が真っ赤に染まり始めていたけど、気持ちはすごく落ち着いていた。まるで、赤ん坊のころに戻って母親に抱きかかえられているみたいな。自分が犯したすべての罪を許してもらったみたいな。そんな、晴れ晴れとした気分だった。
意識が遠のいていく。
現実と頭の中のイメージの区別が、曖昧になっていく。
薄れていく僕の視界には、すごく懐かしい……かつて経験した過去の風景が、映画のように蘇っていた。
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