放課後の恐竜 ~Who must be extinct?~
紙月三角
Chapter 0
16:22 体育館(一階)
「はぁ、はぁ、はぁ……」
右脇腹を抑える手の間から、ドクドクと溢れ出ている鮮血。多すぎる出血のせいで頭がぼうっとして意識が飛びそうなところを、なんとかその脇腹の痛みでこらえて走っている。まるで、ハリウッドのアクションスターにでもなったみたいだ。
……もちろん、実際にはそんな「いいもの」じゃないんだけど。
キュッ、キュッ。
走るたびに、床とスポーツシューズのラバーソールがこすりあう、小気味のいい音が響く。周囲は全体的に薄暗い。昼間なのか朝なのか、時間は全然分からない。
でも……ここが僕がよく知っている、学校の体育館だってことはすぐに分かった。
僕の名前は、
部活には入ってなくて帰宅部なんだけど、もともと運動が得意だってこともあって、後輩に誘われてバスケ部とかバレー部の練習に混ぜてもらったりすることは今まで何度もあった。だから今日も、確かどっちかの部の練習に参加させてもらう予定だった気がしたんだけど……。
今ここにはボールもネットもないし、部員たちもいなければ、僕を応援する黄色い声援もない。
あるのは、ナイフで刺されて血を出している脇腹と……
「きゃっははははぁー! 逃げてもムダムダなんだよぉー?」
僕をこんな状況に追い込んだ追跡者――同じ学校の同級生、
「だって、シズの異能は無敵なんだからぁー!」
異能……。
はあ? なにそれ、バカじゃないの? マンガやアニメじゃないんだから、高校生にもなってそんなだっさいこと言ってないで……なんて。
そんな言葉で笑いとばせたなら、どれだけ楽だったかな。
普段の僕なら。
クラスのオタクたちが話してるような、そんなくっだらないつまらない冗談なんてあっさり無視してたはずだ。
でも今は、さっきの静海の言葉が残酷なまでに現実味を帯びている。だって僕、ついさっきそれを体験してしまっているんだから。今、こんな重傷を負っているのは、まさにあいつのその「無敵の異能」のせいなんだから……。
「よぉーし、それじゃあそろそろぉー、二回目いっちゃおっかなぁー? ……せぇーのっ、『シャッフル』っ!」
「ああ、クソッ!」
静海のその言葉を聞いた瞬間、無意識的に体を丸くして防御態勢を作っていた。さっき一度体験したあいつの能力が、また僕を攻撃しようとしているって分かったからだ。
でも、そんな抵抗はまるで無意味だったと、すぐに思い知ることになる。
僕の左手の甲に、薄っすらと模様のようなものが浮かび上がる。その模様はだんだん黒さを増していって、ついにはマジックで書いたくらいにはっきりとした濃さになる。
それは、何の変哲もない「1」というゴシック体の数字だった。
続けて、体育館全体にまで届くくらいの声量で、静海が叫ぶ。
「えーっとぉー……『1番』がぁー、『できる限り痛ぁーい方法でぇ、自分の脚を攻撃する』ぅーっ!」
その言葉を聞いた瞬間、僕の右手は血があふれている脇腹から離れて、ゆっくりと学校指定の緑のジャージのポケットに向かっていく。そしてポケットの中から、家とか自転車のカギをまとめたキーホルダーを取り出していた。
「ク、クソッ! やめろっ! こ、こんなこと……」
はたから見ると、一人で何やってるんだって感じで、さぞ滑稽だっただろう。まるで、下手な一人芝居かパントマイムみたいだ。でも当の僕は、震えそうなほどに恐怖していた。だって……そのとき僕は、自分の体を「操られている」状態だったんだから。
キーホルダーを持った右手が、大きく上に振りかぶる。
そして、そのまま力いっぱいその手を振り下ろして、家の鍵のギザギザの部分を自分の太ももに突き刺していた。
グジャッ!
肉が裂ける鈍い音と、それとは不釣り合いなほどに鋭い、右脚の激痛。
「っぁうぁぁーっ!」
その瞬間に操られていた体は解放され、言葉にならない声を上げながら僕は周囲を転がり回る。
「わぁー、痛そぉー……って、シズが痛くしたんだっけぇー? きゃはははははぁー、ごめんなさぁーい。でもでもぉー、仕方ないよねぇー? だって『独裁者』のシズの『命令ぇ』にはぁー、誰も逆らえないんだもぉーん」
これが、不破静海の能力だ。
あいつが僕に対してこの能力を使ったのは、これが二度目。
最初にその能力を使ったのは、なぜかこの体育館で意識を失って倒れていた僕が、目を覚ました直後だった。僕が目を開けると、すぐそばに静海がいて、いきなり説明も挨拶もなしで「『シャッフル』……『1番』が『ナイフで自分を攻撃する』」と言った。すると僕はその『命令』通りに、たまたま足元にあったナイフで自分の脇腹を刺していたんだ。
つまり簡単に言うと……この能力は王様ゲームだ。
まず最初に彼女が『シャッフル』という言葉を言う。すると、それを合図にして僕の体に「1」という番号が現れる。そのあとで静海がその番号を使って何かの『命令』をすると、僕は自分の意思とは関係なく必ずその命令に従ってしまう……というわけだ。
王様が静海で固定で、その王様の『命令』は絶対。しかも王様と僕だけの、一対一の王様ゲーム……本当に、あいつの言う通り無敵の能力だ。
しかもさらにタチが悪いことには、そんな無敵の能力をもった静海は今、なぜか僕に対して明らかな敵対心を持っている。クラスも部活も違う、今まで大して関わりがなかった僕のことを敵とみなして、殺そうとしている。
こんな状況、最悪としか言いようがないじゃないか……。
激痛は、すでに体の許容量を振り切ってしまったらしい。痛みが消えたわけじゃないけど、常に痛い状態が続いていることに脳が慣れてきたんだ。僕は少しだけ冷静に事態を観察出来るようになっていた。
静海は今、体育館の出入口のほうからこちらに向かって来ている。脚を怪我をした今の状況では、僕がその方向に向かっていっても静海を避けて出入口まで行くのは不可能だ。でも、この体育館には出入口の反対側に、非常口がある。そこまでたどり着ければ、静海から逃げ切れるかもしれない。
再び立ち上がると、僕はまた走り出した。
「えぇー? まぁだ諦めてないのぉー? しぶとぉーい」
黒い笑顔を浮かべながら、余裕ぶった様子で歩いてくる静海。
「もぉ、あがいたって無理なんだってばぁー。いい加減気付いてよぉー」
きっと、脚を怪我させた時点で、僕をもう追い詰めたと思っているんだろう。彼女には少しも慌てている様子はなく、ゆっくりと、つかず離れずの距離を保ちながら僕のあとを追ってきている。
今は、あいつのその油断にかけるしかない……。
ほとんど老人並のスピードで、走り続ける。走って体が揺れるとその分痛みが増して、許容量を超えたと思っていたのに激痛がぶり返してくる。
でも、ここで止まるわけにはいかない。ここで止まったら、もう終わりだ。
「あああああぁぁぁぁーっ!」
痛みを誤魔化そうと、僕は体中から振り絞ったような絶叫をあげていた。
「んん? ……ああ、もおうっ!」
そこで、何かに気づいたように静海も声を上げる。
「ちょ、ちょっとぉっ! 非常口から逃げる気ぃー? させないからぁーっ!」
余裕ぶってた静海が、方針を変更してこっちに向かって全力で走ってくる。
チ、気づかれたか……上等だ! 文化部のあいつと、いつも運動部のヘルプに入ってるような僕の実力の差を、見せてやるよ!
「あああああぁぁぁぁーっ!」
絶叫を続けながら、僕は限界を超えて走った。
体育祭でリレーのアンカーを頼まれたときも出したことのないくらいの、全力中の全力。百パーセント中の百パーセントの走り。そして、静海から数メートル離して、非常口に到着した。
よし! あとはここを開ければ、体育館の外に出られるはず……。
だったのに……どう見ても、内鍵は開いているのに……その非常口の扉は開かなかった。
ガチャ、ガチャ!
揺らした拍子に、扉の向こう側から鎖のような音が聞こえてくる。
そう言えば……「この扉は使用禁止だから、外側からチェーンで閉めきっておく」なんて、いつか体育教師が言っていたような気がする……。
「あはっ! あはっ! あはははははははぁぁぁーっ!」
背後から、もう走るのをやめたらしい静海の馬鹿笑いが聞こえてる。
「鍵開いてなかったのぉー? うわぁ、ついてないねぇー。かっわいそぉーっ!」
「クソ……クソぉっ!」
僕は乱暴にその非常口の扉を叩いて、もう何度目だっていうくらいにこぼしてきた愚痴を、また頭の中で繰り返していた。
どうして、こうなるんだよっ⁉
なんで、僕がこんな目に合わなくちゃいけないんだよ!
そもそも、この非常口が開いていたとしても、本当に静海の能力から逃げ切れる保証なんてなかった。ただ、目の前に突破口が見えたような気がして、他のことが考えられなくなってしまっただけだったんだ。
心が一気にやる気をなくしてしまったせいか、身体の怪我にあらがう力も失われて、今まで抑えていたものがどっと押し寄せてくる。激痛はだんだん、春の陽気のような眠気に変わっていく。
背後から近づいてくる静海の足音も、もうあまり気にならない。
ああ……クソ! クソ! クソ!
どうして僕が、静海に攻撃されなくちゃいけないんだよ。僕があいつに、何したって言うんだよ!
僕は、恨みを買うようなことをした覚えなんてない。こんな目に合うの、納得いかないよ……!
愚痴は、次第に自虐的なつぶやきになっていく。八つ当たりで非常口の扉を叩く力も、徐々に弱々しくなっていく。
だいたい……あいつの能力、無敵すぎじゃないかよ……! こんなの、完全に初見殺しだろ。誰が決めたか知らないけど、バランス悪いにも程があるよ……! 責任者、いたら出て来いよ……!
「僕の」は、こんな役立たずなのにさ……。
血を失いすぎたのか、意識が朦朧として、もう自分でも半分何を考えているのか分からない。その場に立っていることも出来ずに、ずるずると非常口の扉にもたれかかってしまっていた。
ほんとに、無敵すぎてやる気無くすよ……。
これじゃあ、何か弱点でもないと、釣り合わないじゃないかよ……。この無敵さに釣り合うような、単純な弱点でもないと……………え?
「さぁーてとぉー……それじゃあそろそろ、トドメさしちゃおっかなぁー? シズ、もう飽きてきちゃったぁー」
いつの間にか静海は僕の真後ろにいて、退屈そうに伸びをしながら、そんなことを言った。その姿も、今はめまいのせいで若干ぼやけて見える。
でも、朦朧とする意識の中で、何か小さなひらめきがあったような気がした。見逃してはいけない、小さいけれどとても重大ひらめきが……。
「最後は、どぉしよっかなぁー……最初に使ったナイフも、さっきのキーホルダーも、白石ちゃんどっかに投げちゃったよねぇ? シズがわざわざ拾いに行くとか、めんどくてやりたくないしぃ……」
これって多分、僕の人生で最大のピンチだ。
そりゃそうだよ。だって、大して知りもしない同級生に変な能力で殺されそうになってるなんて……こんな経験、そうそうあっていいはずがない。
だけど……。
だけど実は僕、ピンチのほうが燃える体質なんだよね。ヘルプに呼ばれた試合とかでも、プレッシャーがあればあるほどパフォーマンスを発揮するっていうか……。
さっきの一瞬のひらめきは、脳内をものすごいスピードで駆け回って、何かを形作っていた。これまでの出来事が、フラッシュバックするように蘇っていく。
どうして静海の能力は、こんなに強力なのか?
どうして静海は、僕が非常口に向かって走ったときに能力を使わないで、自分で走って追いかけてきたのか?
そして……どうして最初に能力を使ってきたとき、静海はわざわざ僕が起きるのを待っていたのか?
それは、この能力には弱点があるから……。
「……よぉーし、決ぃーめたっ! 『シャッフル』!」
やがて、静海はついに僕の処刑方法を決定したらしく、いたずらっ子のような無邪気な表情でそう言った。
僕の手の甲に、これまでと同じように数字の「1」が現れる。
「『1番』がぁ、『二階の観覧席まで行って頭から飛び降りる』っ!」
何の悪気もなく、本当に、ただのコンパの王様ゲームでもやっているかのように、静海はその『命令』を言った。
『1番』の番号を振られたのは僕だ。だから僕はその『命令』を実行しなければいけない。あいつが言ったとおり、自分で自分を傷つけるような行動をとらなければいけない。
今までならね。
でも、もう静海の能力の弱点が分かっていた僕には、そんなものは効かなかった。
血だらけで、いまだに意識が危うい状態だけど、ゆっくりと立ち上がる。そして、彼女に言ってやった。
「静海……もう、お前は僕には勝てないよ。こっからは、僕の能力でお前をぶっ飛ばす番だ」
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