17:11 図書室

 哀田アリス。

 彼女は、中学までの私の友だちだった。


 仲良くなった経緯は、もうあんまり覚えていない。でも確か、小学校のときに気弱なアリスがクラスメイトにイジメられていたのを、私が助けたことが始まりだったような気がする。

 私にとって彼女は、何人かいる友だちのうちの一人だった。でも、アリスが私以外の人といるところを見たことはなかったから、アリスにとって私は、たった一人の友だちだったのかもしれない。


 だから、そんな彼女と最後に気まずい別れ方をしてしまったのは、今でもちょっと後悔している。

 一緒の高校に行こうねって約束してたのに、親の仕事の関係で私が引っ越さなくちゃいけなくなって、それが出来なくなった。しかも私はそのことを、いつまでたってもアリスに言うことが出来なくて……。

 結局、彼女に伝えることができたのは、卒業式が終ったあとの帰り道だった。そのことを知ったアリスはすごく驚いて……最後は、もうほとんどケンカみたいな感じで口論になっちゃって……。

 それっきり、別々の高校に通うようになってからは、彼女とは一度も会っていなかった。


 その彼女が、自殺した……。


「飯倉さんがやってくる前に一度この図書室に集まった私たちは、そこで、他の人間もこのようなカードを持っているということを知りました。はじめはお互いにカードの内容は秘密にした方が良いのではないか、というような意見も出たのですが……いかんせん与えられている情報が少なすぎて、何も分からないような状況でしたので。結局、お互いのカードを見せ合って確認することにしたのです。

 そして、不破さんのカードには『独裁者』、大神先輩の持っているカードには『嘘つき』、私の持っているカードには『臆病者』……というように、すべてのカードには表の面に『肩書』と、それに関連するような能力の説明が書いてあることが分かりました。さらには、カードを見せ合ったことに反応するかのように、カードの裏面に先ほど見ていただいた文章も浮かび上がってきたのです。

 このカードのおかげで、私たちは自分たちが置かれている状況についての理解を深めることが出来ました。つまり、私たちをこんな世界に閉じ込めた首謀者とは、自殺した哀田アリスのようだということ。そして、私たちは彼女によって集められた罪人で、彼女の復讐を果たすために自分たちの中から『犯人』を見つけて殺害しなければいけないらしい、ということをね。

 それぞれに与えられている能力は、『犯人』を倒すための武器。そして、カード裏面に書かれていた哀田アリスの飛び降り時刻は、それをするまでのタイムリミットだと考えられます。つまり、それぞれの能力を駆使して、八時半になるまでに『犯人』を探して殺害するのがこの世界のルール、ということなのではないでしょうか?」

「そぉそぉ」

 いつの間にかテーブルの上に座っていた静海が、そこで割り込んでくる。

「ほら、アリスちゃんが飛んじゃった『十月二十八日』って、シズたちが持ってるスマホの時間とか見ると『今日』のことでしょぉ? だからぁ、タイムリミットっていうのはぁ、『今日』の『八時半』ってことになるわけぇ。

 えぇー、でもそれって、もうあと三時間くらいしかないよぉー? それまでに『犯人』のこと殺せなかったら、シズたちどうなっちゃうか分かんないよねぇー? 最悪、一生このわけわかんない世界に閉じ込められちゃうかもしれないよねぇー? だからぁ、シズが白石ちゃんのこと『犯人』かと思って殺しちゃったことも、ある意味仕方ないってことでぇ、絵里利ちゃんも納得してもらえるでしょぉ?

 ……まぁ、いまだにシズたちが元の世界に戻れてないってことは、あの子はハズレで、無駄死になっちゃったわけだけどねぇー。ざぁーんねぇーん」

 彼女はゲームの結果でも言うように、そんな風に言った。


「そ、そんな……」

 私は絶句してしまう。

 『肩書』と能力……アリスを追い詰めた『犯人』……白石という人物が既に殺されていること……。あまりにも一度にいろいろとショッキングなことを聞きすぎて、理解が追いつかない。


 でも、やっぱり一番信じられないのは、中学のときの友人の哀田アリスが自殺した……死んでしまっているということだ。


「ほ、本当に……」

 私の口から、頭に浮かんでいた言葉がこぼれ落ちた。

「本当にアリスは、死んじゃったの? この世界は、死んじゃったアリスが作った世界なの?」

「つまり、飯倉さんも哀田アリスとは面識があるわけですね……」

 ディミ子ちゃんが、突き刺すような瞳で、私を見つめる。

 そして、逆に私に尋ねてきた。

「彼女の死が……信じられませんか?」

「し、信じられないよ。だって私が知っている中学時代のアリスは……ちょっと気弱なところはあったけど、自殺なんかする子じゃなかったもん。

 そんな彼女が、校舎から飛び降りたなんて……そんなの、ありえないでしょ? まして、こんな世界を作ってみんなを閉じ込めて、その中の誰かを殺させるなんて……私には、何かの悪い冗談としか……」

「えー?」

 と、そこで。

「そぉーかなぁー? シズ的にはぁ、このくらい全然想像できちゃうんだけどぉー?」

 また静海が、空気の読めないテンションで割り込む。


「だってアリスちゃんってぇ、この学校でめちゃくちゃイジメられてたしぃ。ふつーに、そのイジメに耐えられなくなって、死にたくなっちゃっただけじゃないのぉー?

 それにほら、あの子って友だち少ない陰キャだしぃ、こういう『デスゲーム』とか『バトルロイヤル』的な根暗アニメとかも好きそぉだったもんねぇ? 自殺したときにシズたちを恨む気持ちが強すぎて……その呪いの気持ちが異世界にまでつながっちゃって、シズたちをこんなところに呼び出しちゃったぁー! ……なぁーんてオカルト現象起こしちゃうくらいのことは、あの子だったらやりかねないかもぉー」


 こ、こいつ……。


 だんだん私も、この不破静海っていう人間のことが分かってきた。

 ついさっき、彼女がおかしな『命令』を言おうとして、それを途中で止めたこと。ディミ子ちゃんがそれぞれのカードと能力を見せてくれた今では、あのときの行動の意味は明らかだ。

 あのとき静海は、『独裁者』の能力で私たちに自殺をするように『命令』して、『犯人』もろとも私たちを皆殺しにしようとしたんだ。ディミ子ちゃんが『臆病者』の能力で静海の体を止めてくれたおかげで、ギリギリのところでそれは阻止されたけど……それがなければ、私たちはあのときこいつに殺されていたかもしれないんだ。

 しかもこいつは、既に白石っていう人を一人、殺してしまっているらしいし……。


 つまりこいつは、突然おかしなことを言いだしたりする、ただの気分屋でワガママなやつ、ってわけじゃない。

 自分が元の世界に戻るためなら他人のことなんてどうなっても構わない、他人を殺すことなんてなんとも思わないような、完全に頭のネジが外れた自分勝手な『独裁者』だったってことだ。

 そんな異常者が、いったいアリスの何を知っているっていうんだよ。


 完全に、静海のことを敵として認識した私。

 こんなやつのことなんて、もう無視してもよかったのだけど……。静海が好き勝手なことを言っているとなぜだか無性にイラついてきて、いつの間にか睨みつけるような表情になっていた。


 そんな私の気持ちに気付いているのか、いないのか。静海は、面白い冗談でも言うように続けた。

「まぁ、シズもアリスちゃんからは相当憎まれるようなことした自覚はあるからぁ、アリスちゃんに呪われても仕方ないとは思うけどさぁ。でも、シズはアリスちゃんを殺した『犯人』じゃないからさぁ、こんなところに連れてこられても困るっていうかぁ……」

「……あ?」

 クスクスと嘲笑を浮かべている静海。

「だいたいさぁ……シズが『アリスちゃんイジメてた』のだって、ただのストレス解消っていうかぁ、単純に暇つぶしみたいなもんだしぃ。だってあの子、全然抵抗しないからリアクションとか面白くなくってぇ、最後のほうはもうシズも飽きてたくらいだもん。

 だから、こんなわけわかんないことにいちいちシズを巻き込まないで欲しいっていうかぁ。死ぬんなら一人で勝手に死んでろって感じでぇ……ん?」


 それは、ほとんど無意識だった。

 気付いたときには体が勝手に動いて、私は彼女に掴みかかっていた。


 きっと、この世界での今までの出来事がわけ分からなすぎたせいだ。

 驚けばいいのか、冷静に考えなくちゃいけないのか、それともショックをうけて悲しめばいいのか。どんなリアクションが正解なのかが分からなくなっていたところで……ポンと沸き上がってきた確かな自分の気持ち。それに、身を任せてしまっていたんだ。

 確かに感じた、静海への怒りに。


「……ちょーっとぉ? 絵里利ちゃん、何してんのぉ? もしかしてシズに、ケンカ売っちゃってるぅ?」

「う、うるさいっ! あんたがアリスのことイジメてたとか言うから……!」

 制服の襟首を掴まれても、彼女は全然動じた様子はない。それどころか、こんなことをしている私のことをバカにしているような表情だ。

 そんな彼女を見ていると、彼女に向けた怒りが更に増幅される。

 許せない……。アリスのことをイジメていたこと……そして、それを何とも思っていない静海の態度が。

 私は彼女を掴んでいるのとは逆の腕を、思いっきり振りかぶっていた。


 もしも本当に、アリスが校舎から飛び降りてしまったのだとしたら……。死にたいと思うほどの苦痛を感じて……復讐したいほどの憎しみを心にためて……この世界を作ったのだとしたら……。

 それだけのつらいことが、彼女の身にあったってことだ。そして、「アリスをイジメていた」と公言する彼女が、それに無関係なはずがない。そう考えたら、目の前の静海をぶん殴ってやらなくちゃ、気が済まないと思った。それは、このわけの分からない世界で、唯一はっきりと正しいことだった。


「あ、あんたのせいで……アリスは!」

 そして私は、振り上げた拳を静海めがけて思いっきり振り下ろそうとした。

 でも。

「⁉」

「ざぁーんねんでしたぁ」

 気付いたときには、私は図書室の壁に激しく叩きつけられていた。堅い壁にぶつかった背中。それから、「小さな体」にタックルされた脇腹に、強い痛みを感じる。

 その痛みを我慢して、何が起こったのかと確認すると……。


「ああ、もう……アザできそうだし」

 そこには、まだバカにするように私を見下している静海と……その隣で自分の肩をさすっている、鶴井千衣がいた。

「えと……シズちゃん、大丈夫だった? これでいいんだよね?」

 私がさっきいきなり吹っ飛ばされたのは、千衣にタックルされたかららしい。


 私だって、真横から誰かがタックルしてくるのが見えたら、逃げるなり受け身をとるなり、もう少しなんらかの対応が出来たと思う。でも、さっきは彼女の姿が全く見えなかったから、どんな対応もとることができなかった。

 彼女が、『卑怯者』の能力――誰か一人の視界から、何か一つを隠す――で、私の視界から自分の姿を隠していたから。


「つーか千衣、ちょっとやり過ぎなんじゃないのぉ? 別にシズ、ここまでやれなんて言ってないんだけどぉ? これじゃあ絵里利ちゃんが可哀そーじゃぁん?」

「えぇ? だって、さっきシズちゃんが合図送ってきたから、私はそれに従っただけだし……」

「ってかさぁ……」

 自分から話しかけておいて、千衣の答えは最後まで聞かない静海。倒れている私のほうに向き直って、くったくのない笑顔で言った。

「絵里利ちゃぁん、シズの話ちゃんと聞いてたぁ? シズは確かに、アリスちゃんのことイジメてたけどぉ……でも、あの子が死ぬキッカケを作った『犯人』は、シズじゃないんだってばぁー。

 だからさぁ、もしか、絵里利ちゃんがアリスちゃんの友だちとかで、アリスちゃんが死んじゃったことを怒ってるんだったりしたらぁ……それをぶつける相手はシズじゃないんだよぉ? 『犯人』は、他にいるんだよぉー? きゃははは」

 その笑顔はとても可愛らしくて、その分、とても憎たらしい。まるで、心の中の怒りの炎に注ぎ込まれた、ガソリンだ。

「バ、バカにしないでよっ! そんなわけないでしょっ⁉ あんたがアリスをイジメてたんなら、アリスを追い詰めて……あの子を死にたいって思わせたのだって、あんたに決まってるでしょうがっ!」

 私は起き上がって、もう一度静海に掴みかかろうとする。


 でも、今度もそれは出来なかった。それも、さっきみたいに千衣に邪魔されたわけじゃない。

 私の全身が、金縛りにあったみたいに動かなくなっていたからだ。

「ど、どうして……?」

 ディミ子ちゃんだった。

 静海に向かって行こうとしたとき、私は一瞬だけ彼女のほうに目線を向けてしまっていた。その瞬間に、ディミ子ちゃんが私に対して『臆病者』の『動けなくさせる』能力を使ったんだ。


 『臆病者』のカードに書いてあった内容によると、目を合わせたときに彼女が口を閉じていると、さっきの静海のときみたいに、相手は口と体がどっちも動かすことが出来なくなる。でも、今みたいに彼女が口を開けた状態で目を合わせたときは、能力の対象になっている私は体だけが止まってしまって、喋ることは自由にできるようだ。そして同様に、能力を使っているディミ子ちゃんが喋っても、私の固定が解除されることはないらしい。


「飯倉さんも不破さんたちも……少し、落ち着いていただきたいのです」

 私と目を合わせながら、口だけを動かして喋るディミ子ちゃん。

「ディミ子ちゃん、なんで私を止めるのよっ!」

「この世界のこと……それに、哀田アリスを追い詰めたという『犯人』のこと。私たちには、まだまだ分からないことがあるかと思います。

 それが解明されるまでは、少なくとも表面上だけでも手を組んでいるほうがメリットが大きいのではないでしょうか? 私たちは、所詮同じ罪人なのですし、ね」

「……で、でも!」

「えーでもぉー」

 不本意ながら、私と同じタイミングで静海も同じ言葉を言う。

「さっきのはぁ、絵里利ちゃんのほうから仕掛けてきたんだよぉ? だからぁ、シズたちは自分の身を守るために、しかたなくそれにやり返しただけだもぉーん。

 正当防衛ってやつぅー?」

「あ、あんたねっ! よく、そんなこと言えるよねっ⁉ もとはといえば、あんたがアリスをイジメてたとか言うから……」

「だってそれは、ただの事実だしぃ」

「こ、こいつ……!」

 怒りに任せて殴りかかりたいのに、動きを固定されていてそれが出来ない。それどころか、今の私には怒りの表情を作ることも、静海のほうを睨みつけることさえも、出来ない。ディミ子ちゃんと目を合わせてしまったときの姿勢のまま、完全にその場に固定されてしまっている。

 だから私は、ディミ子ちゃんにそれを解放してもらえるように訴えるしかなかった。

「ディミ子ちゃん! どうして、こんなやつの味方をするのっ⁉ 『アリスをイジメてた』なんて、どう考えても悪いのはこいつじゃんっ!」

「いや、ですから……私は、誰かの味方をしているつもりはないのです。今の状況で、この場にいる人間が対立することが妥当ではない、と判断しただけなのです」

「そ、それにしたって……私とこいつだったら、ヤバいのはこいつのほうでしょっ⁉ 動きをとめるなら、私よりもこいつに……」

「ただ……」

 そこでディミ子ちゃんの私を見つめる青い瞳の、雰囲気が変わったような気がした。よく言う、ヘビがカエルを睨みつけるような瞳だ。『臆病者』の能力なんかなかったとしても身動きがとれなくなってしまいそうな、厳しい目つきになった気がした。


「ただ……今の状況で私たちにとって『より注意すべき存在』だと思えるのは、不破さんよりも……むしろ飯倉さん、貴女の方であると言えるかと思います」

「え……」

 その言葉の意味を理解しているらしく、静海が追撃してくる。

「っていうかぁ……いつまですっとぼけてるつもりなのぉ? このまま話題変えれば、誤魔化せるとでも思っちゃったぁ?」

「ご、誤魔化すって、何を……?」

 彫刻のように動きをとめたまま、ディミ子ちゃんは冷たく言い放った。

「私たちはまだ、飯倉さんのカードを見せてもらっていませんよね? 貴女がどんな能力を持っているのか? そして、貴女が哀田アリスにとって『何者なにもの』であるのか?

 それを教えてもらわないうちは、貴女を完全に信用することは出来かねます」

「そ、それは……」


 私は、言葉を詰まらせてしまった。


 さっき静海に言われたことは、実は、図星だった。

 私はさっきみんなが自分たちのカードを見せてくれて、『臆病者』や『独裁者』のような『肩書』を教えてくれたときから……「それであなたはどうなの?」って聞かれることを、恐れていた。だから、話題を変えて誤魔化そうとしてしまっていたんだ。


 でも、ここまできたら言わないわけにはいかない。その結果どう思われても、仕方がない。


 結局私はみんなに、『本当のこと』を言った。

「じ、実は私……アリスとは小学校からの友だちだったけど、中学の卒業のときにちょっとケンカして以来、会ってなくて……。だからかなのかどうか分からないけど、みんなが持っているようなカードは、持ってないんだ。

 今の私はアリスにとって、『何者でもない』ってことなのかもしれない……」

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