20:15 図書室

 思い返してみれば、ディミ子ちゃんはこれまでずっと、断言を避けるような喋り方をしていた。

 「……のようです」とか、「……と考えられます」とか、あるいは疑問形で「……ではないですか?」なんて感じで、何かを言い切ることを避けているような口ぶりだった。

 それは、彼女が本当は『嘘つき』だったからなんだ。


 もしもディミ子ちゃんが何かを断定するようなことを言って、それが真実と違っていたら……それは、『嘘つき』がついた『嘘』になってしまう。

 仮にディミ子ちゃんが「この世界には七人の人間しかいない」と断言したあとで、そこに私が八人目として現れたら? 『嘘つき』のディミ子ちゃんが言った「七人」という言葉は『嘘』になってしまうから、もしも誰かが「七人じゃなくて八人だった」って言ったら、それだけで『嘘』を『告発』されたことになって、ディミ子ちゃんは死ななくてはいけない。

 だから、ディミ子ちゃんは今まで断定を避ける話し方をしていた。

 そして、『大神先輩の持っている嘘つきのカード』なんていう回りくどい言い方をしていたんだ。


 最後の決め手として、私はさっき大神先輩の血だまりから回収した『嘘つき』のカードを懐から取り出して、テーブルの上に叩きつけた。

「もしも私が言った言葉が違うって言うなら、ディミ子ちゃんが持っているはずの『臆病者』のカードを、今ここで見せてよっ! 出来ないんでしょっ⁉

 だって、本当の『臆病者』だった大神先輩は、もう死んじゃったんだから! カードは、本当の持ち主が死んじゃうと、その体と一緒に溶けて血だまりになっちゃうんだから!」


 土岐先生が、『嘘を告発』されて死んでしまったとき。

 彼女の体は砕けて真っ赤な血の塊になって、後には「途中で着替えたドレス」だけが残った。彼女が持っていたはずの『偽善者』のカードはなくなっていて、彼女と一緒に溶けてしまったみたいだった。

 静海が最初に殺してしまったっていう白石さんは、体育館一階には血だまりだけで何も残っていなかった。直接見たわけじゃないけど……静海や千衣についても、「跡形もなく血の塊になってしまった」らしいから、多分彼女たちの体と一緒に着ていた服もカードも溶けてしまったんだろう。

 だけど、さっき大神先輩が死んでしまったときだけは、そうじゃなかった。

 体も服も溶けてしまったのに、先輩が持っていた『嘘つき』のカードだけは、一緒に溶けずに血だまりの中に残っていた。まるで、土岐先生が「途中で着替えたドレス」みたいに……。


 だから私は、ディミ子ちゃんに対してずっと感じていた違和感について、結論を出すことが出来たんだ。

 カードは、本人が死ぬと一緒に溶ける。だけど大神先輩が死んでも『嘘つき』のカードは溶けなかった。それはつまり、『嘘つき』が本当は大神先輩のカードじゃなかったから。誰かが先輩のカードと自分のカードを入れ替えたってことだ。そして……視聴覚室すぐ近くのこの図書室で目を覚ましたディミ子ちゃんなら、多分それは可能だった。


「……」

 私の言葉を否定するでもなく、ディミ子ちゃんはいまだに平然とした態度でお茶を飲んでいる。


 お、おかしい……。

 どうして、そんなに平気でいられるの?

 だって、今言った私の言葉は、絶対にまぎれもない真実なのに……。

 つまりこれは、『嘘つき』のディミ子ちゃんの『嘘』を、私が彼女の目の前で『告発』していることになるはずなのに……。


 なのに、どうして……?


「ふふ……」

 そこで、ディミ子ちゃんは紅茶のカップをテーブルの上に置くと、静かに言った。

「もしも飯倉さんが、亡くなった大神先輩の血の中から持ってきたその『嘘つき』のカードを、洗ったり拭いたりした記憶があるのでしたら……どうぞ、表面に書いてあった文字をよく見直してみてください。もしかしたら、少し字がにじんだり、消えたりしているかもしれませんよ? 私、水性ペンを使いましたので」

「え……ま、まさかっ⁉」

 さっき自分でテーブルに叩きつけた『嘘つき』のカードに、慌てて視線を向ける。


 確かにディミ子ちゃんが言うように、私はそのカードを洗ったり拭いたりしてからここに持ってきていた。大神先輩の血だまりの中から回収したそのカードは、最初は血がべったりとついていて、そのまま持ってくることはできなかった。だから私は、途中にあったトイレで水とティッシュを使ってカードについていた血を軽く落としてから、この図書室にやってきたんだ。

 そのときにはよく確認しなかったけど……今見るとそのカードの表面の文字……『嘘つき』の能力が書かれていた部分は、ところどころ消えて読めなくなっていた。



“あなたは嘘つきです。

あなたがついた嘘は、それを知った全ての人間が信じた場合にのみ、真実になります   し、あ  が   嘘を目の   と告発さ      なたは死 ます。”



 消えていたのは最後の段落、『嘘を告発されたら死ぬ』という、ペナルティの部分だった。


 私が「それ」を理解したことは、声に出さなくても完全に表情に現れてしまっていたのだろう。ディミ子ちゃんは満足げにまた微笑むと、言葉を続ける。

「飯倉さんの言う通り、本当に一番最初に『嘘つき』のカードを持っていたのは、私です。私は三時半ごろにこの図書室で目覚めたあと、階段を上って四階の視聴覚室に行き、偶然そこで、まだ眠っていた大神先輩を見つけました。そして、自分が持っていた『嘘つき』のカードと、大神先輩のポケットに入っていた『臆病者』のカードを交換した。

 ……でも。

 交換する前に、自分の『嘘つき』のカードに、一文を書き加えておいたのです。近くにあった水性ペンで、カードの他の文字と同じ書体になるように注意しながら、『嘘を告発された死ぬ』というペナルティの文を加えたのです。

 ……だから、本当の『嘘つき』にはペナルティなんかありませんし、『嘘を告発』されても死なないんです」

「そ、そんな……」


 『告発』で、死なない……それは、私にとって完全に予想外の事態だった。

 私はディミ子ちゃんが『嘘つき』であることを確信した時点で、彼女を『告発』する覚悟を決めていた。彼女を殺すために、この図書室に戻ってきたんだ。

 なのに、『告発』じゃあ彼女を殺せない、なんて……。

 その事実が私に与えた感情は……恐怖だった。


「ど、どうして……?」

「そうですね……やはり、『嘘つき』の能力は強力ですからね。下手に使われてしまうと手に負えなくなりそうでしたので。大神先輩に不用意に『嘘』をつかせないためには、それを躊躇せざるを得ないほど強力なペナルティを書いておくのがいいかな、と思ったのです。

 それに、いざとなったらこじつけでもなんでも『嘘を告発』して、いつでも大神先輩に死を与えられるという状況を作っておける、というメリットもありましたし」

「そ、そうじゃなくって……どうしてディミ子ちゃんは、そんなことしたのっ⁉

 ペナルティが無かったんなら、そもそもカードの交換なんて……そ、そんなことをして、一体、何の意味が……」


 私は……『嘘つき』にペナルティがあったから、ディミ子ちゃんはカードの交換をしたのだと思っていた。ディミ子ちゃんは、死と隣り合わせの危険な『嘘つき』のカードが嫌で、誰かに押し付けてしまいたかったんだと思っていた。

 でも、そうじゃなかった。

 死のペナルティは、ディミ子ちゃんがわざと書き加えたものだった。彼女はわざと大神先輩が危険になるような一文を加えて、カードの交換を行った。明確な意図をもって『嘘』をついて、私たちをだましていたんだ。

 

「私はね、飯倉さん……」

 彼女に対する恐怖で足がすくみ、軽い頭痛とめまいを感じ始めていた私。

 ディミ子ちゃんは、静かに続ける。

「この世界で目を覚まして、自分のポケットの中に『嘘つき』と書かれたカードを見つけた瞬間に……自分が置かれている状況について完全に理解したんです。

 そのときはまだ、『十月二十八日』に自分が犯した罪の記憶はありませんでした。しかし、この世界が哀田アリスの『復讐のステージ』で、私はそこに集められた罪人であることが、すぐに分かったのです。だって、私のことを『嘘つき』だなんて呼ぶ人間は……哀田アリス以外に思い当たりませんでしたから。

 だから、それに協力しようと思った。

 彼女の願いをかなえ、この世界に集められた罪人たちを残らず葬るための手伝いをすることにしたのです。哀田アリスへの……せめてもの罪滅ぼしとして」

「そ、それじゃあディミ子ちゃんの目的は……アリスの復讐を果たすこと?」

「そうです。私、最初からそう言っていましたよね? 私は『嘘つき』ですが、私の目的は嘘ではなかったということです」

「カ、カードを交換したのも、アリスの復讐として、静海たちを殺すためってこと……」

「ええ。この世界に何人の人間が呼ばれているのかは分かりませんでしたが……自分と同じように何らかの能力が与えられている可能性が高いことは、想像に難くありませんでした。そんな人間を残らず確実に殺害するためには、『嘘つき』の能力を存分に発揮する必要がある。そのためには、まずは私が『嘘つき』のカードを手放すことが必要だと思ったのです。

 だって、『嘘つき』の能力は、その『嘘』を信じてもらわなければ意味がないのに……『嘘つき』なんて名前のカードを持った人間が言った言葉なんて、誰が信じると思います? それに……」

 そう言って私と目を合わせるディミ子ちゃんには、もう『臆病者』の力はない。私が、それを信じていないから。彼女が本当は『嘘つき』であることを、知ってしまったから。

 でも、そのときの彼女の瞳には、『臆病者』の能力にも負けないくらいの迫力があった。私をその場に縛り付けるような、無言の圧力があった。

「で、でも……ちょっと待ってよっ!」

 私は彼女の圧力に抵抗するように、無理やり絞り出したような声で叫ぶ。

「残らず殺害、って……ア、アリスの望みは、『犯人』を殺害することなんでしょっ⁉ ここは、最も憎い一人に復讐するために作った世界なんだから、全員を殺す必要なんて……」

「ふ……」

 ディミ子ちゃんが、また微笑む。

 ただし、それはいつもの表情とは違う。冷たくて、残酷な微笑みだった。

 彼女への恐怖が、さらに高まる。脚が震えて、立っているのがやっとだ。

「哀田アリスの死に最も責任がある、『犯人』……そんなもの、最初からいませんよ」

「え……」

 彼女は、吐き捨てるように言った。

「もともとカードの裏面に書いてあったのは、『日時』と『哀田アリスが飛び降り自殺をした』という事実だけです。そこから先の記述は、私が書いたんですよ。

 不破さんたちと四時にこの図書室で集合したとき、頃合いを見計らって、私は『カードの裏面に文字が浮かび上がっている』と言って、記述を付け足しておいた自分が持っている『臆病者』のカードを、彼女たちに見せたのです。私のカードに見慣れない文が書かれているのを確認した彼女たちは、私の『嘘』を信じた。だからその『嘘』は真実となって、彼女たちのカードの裏面にも、本当に同じ文章が浮かび上がってきたのです。

 そうすることで私は彼女たちに、この中に『犯人』がいると思わせたかった。『犯人』さえ殺せれば自分たちはここから脱出することが出来ると思わせて、自らの手で自分たちに罰を与えるように仕向けたのです。

 おかげで白石さん、不破さん、鶴井さんは、私が手を下すまでもなく醜く争って死んでくれました。それに、大神先輩も勝手に自滅してくれたのですよね?

 全く……つくづく哀れな人たちですよ。哀田アリスの死に責任があって、たった一人復讐されるべき『犯人』なんて、いるはずがないのに……。

 彼女の死に責任があるのは、この世界に呼ばれた罪人全員……私たち全員に決まっているでしょう? 最初から、この世界にいる罪人は、全員死ぬべきなんです。その宿命から逃れることなんて、許されるはずがない。どれだけ逃れようとしても……アリスの遺志を継いだ私が、それをさせません」


 ガタ……。

 気づくと、私は無意識のうちに後ずさりを始めていた。

 ディミ子ちゃんに対する恐怖は、すでにピークに達している。今すぐにでも、ここを逃げ出したい。

 いや、逃げ出さなくちゃいけない。


 だって……だって……。

 彼女はもう、気づいている。

 もう、思い出してしまっているのだから。

「さて……私の話は、もうこんなものでいいでしょうか? それでは、ようやくさっき話そうとしていた話の続きに戻れますね?」

 そんな私の気持ちを察しているかのように、しっかりと私を見つめるディミ子ちゃん。

 そこで、急に真顔になって、言った。


「私、言いましたよね? 『今日』の『十月二十八日』にアリスに何があったのかを、思い出したって。そう……実は彼女は『今日』、中学時代の友人に久しぶりに電話をかけて、話をしていたんです。

 その友人の、名前は……」

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