トラック8

 デートの心得:遅刻するべからず。

 デートに遅刻する男など言語道断!


 昨日見つけた『恋愛番長』というサイトのありがたいお言葉を全て脳内に叩き込み、今に至る。


 『もし、くっぴーが時間を間違えたりして、朝から来てたらどうしよう』『もし、くっぴーがオレと同じで緊張して早く来てたらどうしよう』など、『もし』という言葉のジレンマにとらわれ、オレは絶対に遅刻しまいと朝五時の始発に乗り、待ち合わせ場所に六時に到着。


 番長の仰る通りに行動をしているオレにぬかりはないはず。


 なにせ、『恋愛』で『番長』だ。完璧のはず。


 気がつけば、駅前にはそれなりの人だかりが出来ており、時計を見ると丁度お昼の十二時を迎えていた。


 ぐぅ~。


 「あぁ、腹減ったなぁ」

 お腹を押さえ、近くの弁当屋に目がいくも、今ここを離れてる隙にくっぴーが来てしまったら、オレが遅刻してしまったのと同じになってしまう。という恐怖から動く事が出来ない。


 「ちっくしょう。なんか食べ物持って来るべきだった」


 自分に反省しながら恨めしそうに弁当屋を眺める。


 その時、真っ赤なママチャリにまたがり、ジーンズに、背中には活字してはいけないような言葉が刻まれた黒のTシャツ姿の少女が弁当屋に自転車を止め、中に入って行った。


 「あれ? 見た事あるような、ないような……」


 そう思い、まばたきせずに弁当屋を眺めること約十分。


 「あ!」


 出てきた少女のは、首からお絵描きボードをぶら下げていた。


 全国どこを探しても、あんなファンキーな事をしてるのはくっぴー以外そういないはず。少なくとも、この街に二人といないはず!


 「おおい! おおおおおい!」


 大声で叫んで手を振るが、一切無視。


 「また無視かよ!」


 向かいの信号が赤に変わり、くっぴーが一旦止まった所で、オレは鉄砲玉のごとき勢いで駆け出す。が、


 「……ぐぅ……こ、こんな時に……がはぁッ……!」


 突然走ったせいか、脇腹に鈍い痛みを感じ始め、身体を屈折しながらのランニングとなった。


 信号の待ち時間が意外に長かった助けもあり、やっとの思いで追いつく。


 暢気に自転車にまたがって、ボーっとしてるくっぴーの肩をチョンチョンと軽く叩くと、一瞬ビクッと肩を震わせてゆっくりと振り返る。


 「ご、ごめん……はぁ、はぁ……ま、待った……?」


 一瞬目を見開いて驚いたような表情を見せたが、スグにオレと確認すると、なんだかその辺に落ちてるガムでも見るかのような、どうでも良さそうな目をむけた。


 『なに?』


 「ああ、だから……はぁ、待った? あ、……オェ……オ、オレはさっき来たとこ……ヘヘ」


 あまりの苦痛に上手く言葉が回らない。


 『待った?』


 「そ、そうそう。オレはさっき来たとこだから気にしないでよ。うん、むしろオレ、待つ事好きだしさ」


 ここで決めポーズ。脇腹を抑える震える手を離し、グッと親指を立てて、冷や汗混じりに微笑む。


 さっきどころか、始発に乗ってきたわけだが、そういうところは伏せておく。番長も仰っていた。女の都合に合わせるのが男だと。ここでオレが早く来たなんて自分の都合を押し付けてはならんのだ!


 『待ったっていうか、待ってすらいないというか……何してんの?』


 本気で困惑した表情を浮かべるくっぴーは、公園を指さし、

 『ちょっとあっち行こう』

 と、自転車を降りて、公園に向かって押して歩いていった。



 朝は太極拳やラジオ体操、夕方はゴムボールで野球をやっている子供で賑わっている公園だが、今は丁度お昼時のせいもあって、思いのほか誰もいなかった。


 どこの公園にも置かれているような木造のベンチに、二人で座る。


 夏を目前に控えた生暖かい風に乗って、くっぴーの短い髪が軽くなびき、シャンプーの匂いがこっちに伝わって来る。


 あぁ、ドキドキしてきた……。


 震えるオレに、ちょんちょんと、絶妙な力加減で服の袖を引っ張る。


 「な、なに……なッ!」


 『ちょっと、喋るとドーテーくさいから、言いたい事はこのボードに書いてくれる』


 くっぴーが鼻をつまみながらボードをオレに渡す。


 「こんのぉ……」


 もう、この一瞬でデートがどうとか吹っ飛んだ。


 生まれて初めて女子をぶん殴ってやろうかと、今にも殴りかかりそうな右拳を必死に左手で静止させつつ、必死に頭の中で暴力はいかん。傷つく事を言われたのなら、言い返せ! と自分に言い聞かせる。


 渡されたお絵描きボードを手に取り、久しぶりにお絵描きボードなんか使った。とかそんな懐かしむ余裕もなく、ボードに付属の鉛筆を叩き付けるようにして文字を書き連ねた。


 『お前は処女臭いけどな!』


 鼻をつまんでボードを返す。


 くっぴーは顔を真っ赤に染め上げ、ぷるぷると震えてやがる。


 くっくっく。ざまぁみろ。


 『サイテー! アホ! バカ! うんこ!』


 「いたッ!」


 書き上げたボードでオレのをポカポカと殴って来る。


 防御力はゼロなのか、文句を言われる耐性がついていないようで、書き連ねる悪口のレベルも下がり、ぷぅっと頬を膨らましながら唇を尖らせて、目には若干の涙を浮かべながら、ボードに何かオレの悪口でも書いてやろうと悩んでいるのか、ぷるぷる震える手で書きあぐねているようだった。


 はぁ……。


 オレはそっとくっぴーの膝の上からボードを取り、


 『ごめん』


 そう書いてボードを渡すと、くっぴーは口を尖らせたままうつむいてしまった。


 『下ネタとかやめてよね』


 そう震える手で書くと、すぐに消した。


 自分は『ファック』だの『セックス』だのバンバン言ってるクセに。なんて言葉が喉まで出かかったが、グッと抑える。


 『ライブ、たのしみだね』


 しばらくして、そう書かれたボードがそっと差し出された。


 オレは何も言わずそれを受け取り、

 『ロックのライブはマルメロ以外初めてだから、きんちょうする』

 と書いて、渡す。


 『マルメロはロックじゃないよ』


 『ロックだよ』


 『ちがうよ! 今日のライブはマジでぶっ飛ぶよ!』


 くっぴーはそのままボードを渡さず、オレに見せると、つまみをスライドして文字を消し、そのまま連続で書き連ねる。


 『祟姉妹ってロックバンドで、ゆらさんの暴力的なギターと、百合様のちょーキレーな高音が組み合わさった、もうキセキのバンド! しかも二人ともチョーかわいいんだから!』


 くっぴーは好きなモノを語る小学生のように、純粋無垢な瞳でそう語る。


 『チリトリだって、ぜったいファンになるよ!』


 そう書くと、小さくガッツポーズを作ってオレを見る。


 『そんでね、ライブっていうのは終わってから、いっしょにライブの感想を語り合いながら帰るまでがライブなんだからね! 先に帰っちゃダメだよ?』


  「へいへい、了解しました」


 まるで遠足終わりの先生みたいなことを言うくっぴーに、オッケーオッケーと軽く親指と人差し指でまるを作って示すと、くっぴーは嬉しそうにうなずいた。


 途端に、くっぴーは立ち上がると、自転車のかごからお弁当を取り出し、膝の上に置くと、その場で封を開け、両手を合わせた。


 そして、から揚げが五つ入ったお弁当を小さな口でもちゃもちゃと食べ始める。


 ぐぅ~。


 そんな光景にオレの腹の虫が泣くが、


 もちゃもちゃ。


 食べる事に集中して完全に無視。


 いいですけどね。


 喋るか、黙るか、どっちかしか出来ないのか、もう食べる事に集中してオレなんて始めからいなかったかのように、小さな口でから揚げを頬張っている。


 リスのように口いっぱいに含んでからあげを食べる姿は不覚にも可愛いと感じてしまった。そうだ、黙っていればくっぴーだって可愛いんだ。


 なんて、頭の中で考えて横顔に夢中に鳴っていると、


 「あっ」


 目が合った。


 『食べたいの?』


 お弁当を横に置いて、膝の上にボードを奥と、慣れた手つきでそう書いた。


 オレはそれを受け取り、

 『からあげ、1コだけください』

 と書く。


 食欲には抗えない。本気で欲しいと思った。


 くっぴーは文字を読むと、軽く首を縦に振り、奇麗なお箸の持ち方でからあげをつまむと、あーんと口を開けながら、オレの口元に持って来た。


 「あ、あーん」


 パクっ。


 いたずらをする事もなく、そのまま素直にから揚げを口に入れてくれると、ニコッと笑い、首を傾げた。


 軽く心臓を撃ち抜かれそうになり、ほんのりと赤くなる顔を逸らすためにオレは思わず顔をうつむき、そらしてしまう。


 『どしたの?』


 ボードを差し出しながら、下からオレの顔を覗き込もうとする。


 えっと、そのぉ……可愛いなんて書いたら引かれるだろうし、なんて言ったものか……。


 急に女子として意識してしまうと、午前と同じように頭が真っ白になり、心臓が高鳴って、口の中がカラカラに乾く。


 恋愛の心得その二:嘘偽りのない素直な意見を言うべし。


 恋愛番長のお言葉が、脳に電流が走ったかのように思い出された。


 震える手でボードを受け取り、

 『関節キス、してしまいましたね』

 と書くと、


 ボギィッ!


 何か、乾いた木が折れたような音がして、音のしたほうを見ると、くっぴーが頬を真っ赤に染めて割り箸を震える手で四等分に追っていた。


 「ん?もしかして一本の割り箸を二人で使えるようにしたとかそういう感じ?」


 オレの言うことは相変わらず無視して、ぷるぷると震えながら折れた割り箸を見つめている。


 突然キッとした瞳で見つめられると、


 「なに? ……あいた――――ッ!」


 くっぴーは右拳を振り上げ、オレの頬を撃ち抜いた。


 『FUCK! このアホ! ファーストかんせつキスを返せ!』


 なんだよ、ファースト関節キスって!


 涙目でぷるぷると震えながら、ボードを顔にグリグリと押し付ける。


 「ちょ、痛い、ごめん、ごめんって!」


 『ブリッジ』


 「?」


 突然提示されたボードの文字に困惑する。


 ブリッジって……なんだ?


 オレが腕を組んで必死に言葉の意味を考えている間にも、くっぴーは試験中に聞こえるシャーペンを走らせるような、カツカツと音を鳴らしながら、ボードに文字を書いていく。


 『わたしが考えた、土下座の最上級。土下寝とか、もうそんなレベルじゃない。相手を見下せて、しかも相手の屈辱に歪んだ顔を拝めるんだから』


 「いや、あのな……」


 くっぴーはオレに背を向けると、何やらボードに必死に文字を書いているようだ。


 『早くやれ!!』


 「………」


 有無を言わさぬ形相でベンチの上に立ち、中指を立てて、すでにオレを見下している。


 「あのなぁ……」


 『早くやれ!!』


 もう、何を言っても聞いちゃくれない。


 もうくっぴーと行動を共にして何度目になるだろうか溜息を吐き、さっさとこの状況を打破するために、晴天の下でオレは大の字に寝転がり、腕と足の力で身体を持ち上げ、ブリッジをした。


 下から見上げるくっぴーの表情はどこか満足そうで、幸せそうな笑みを浮かべながら、プラスチックマイクから取り出したラムネをバリバリ噛み砕いていた。

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