トラック32

 『なに?』


 近くの公園のベンチに腰掛ける。


 公園はお昼の活気が嘘のように人っ子一人おらず、虫の泣き声しか聞こえない。


 ふぅ、何から話したもんか。


 そう思いながら自分の足元を見つめて考えていると、やけに左頬にくっぴーの視線を感じる。恥ずかしい。


 『アザ出来てる。どうしたの?』


 真剣な表情で見つめられ、


 「ケ、ケンカだよ! ロックだよ!」


 シャドーボクシングのようなフォームを見せてそう言う。


 とてもじゃないが、女に一方的に殴られただなんて言えない。


 理解したのか、くっぴーは目を細めたまま小さくうなずいた。


 「あ、そうそう」


 カバンからサイン色紙を取り出し、


 「これ、くっぴーにだって」


 百合様……あの忌々しいガキから手渡された色紙を目の前にかざすと、有無を言わさず、獲物を捕る鷹のように無駄の無い動きで奪い取られた。


 サインが嬉しいのか、天にかざしながらキラキラした目で眺める。


 最近見られなかった明るい表情に少し心がホッと、息を立てた。


 『これ、どしたの!?』

 ボードを手渡され、オレも大分手慣れて来たのかスラスラと文字を書いていく。



 『今日ライブ会場に行ったらくれた。渡してくれってさ』


 くっぴーの表情が一瞬にして曇る。


 『何しに行ったの?』


 その質問に正直に答えるか悩んだが、


 『不協和音のノイズってヤツをロック的にぶっ飛ばしてやろうかと思って行った。まぁ会えなかったけどな』


 何ぶん嘘はついてはいけませんと、家族や先生から教わった正確のため、正直に答える。


 『余計な事しないでよ』


 そう書いて、すぐに消す。


 『わたし、もうロックなんて――』


 全てを書き終える前に、オレはくっぴーの前に今日もらったチラシをかざした。

 そして、半ば無理矢理ボードを奪い、つまみをスライドさせて文字を奇麗に消してから、


 『もっかいやろう』


 と書いて渡した。


 『これ、ワンマンだよ?』


 『今日、出てもいいって言ってくれたんだよ。祟姉妹の二人が。特に、くっぴーの好きな百合様なんか是非出てくれって言ってたぞ』


 『無理だよ』


 『無理じゃない』


 『無理だって!』


 バンとボードを叩いて立ち上がり、


 『わたしの声は、キモイの! 誰も聞きたくないの!』


 そう言って力なく膝から崩れ、ボードを落とし、両手を顔で多い、声を押し殺すようにして涙を流す。


 くっぴーの丸まった背中を見て、もうやめとこうと思ったが、ボードをゆっくり拾い上げ、オレは文字を書き連ね、泣き崩れるくっぴーの頭をちょんちょんと、叩き、ボードを見せる。


 『オレは、くっぴーの声好きだ』


 流れる涙を手の甲で何度も拭いながらその文字を見つめ、オレは続けて文字を書いていく。


 『一生懸命やってる人の奇麗な声だった』


 くっぴーの表情がみるみる崩れ、ボロボロと目から涙が溢れるが、目はボードを真っ直ぐ見つめている。


 『ロック、バンドやるの夢だったんだろ?』


 紙芝居を見る少女のように、まっすぐ見ながら、首を何度も縦に振る。


 『人間、やってみれば何だって出来る。やる前から諦めるような格好悪いマネだけはやめよう。オレ手伝うからさ、やろうぜ』


 くっぴーは両手を伸ばして、そっとボードを取ると、


 『それ、マルメロの言葉?』


 うっ……。


 オレは照れた表情を浮かべながら後ろ髪を掻いて、うなずいた。


 ぷっ。


 くっぴーが息を吹き出すと、声を出すのを我慢しながらお腹を抱えて、ボロボロと涙を流しながら小刻みに震えて笑っていた。


 そしてスグに腕で目に溜まった涙を拭うと、


 『やるに決まってんだろ! FACK!!』


 と、いつもの笑顔で、丸い月を背景に人差し指を立てた。


 そんなくっぴーに対して、オレも人差し指を立て替えし、突き出された拳をコツンと合わせた。

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