トラック16

 「おい! 待てって!」


 くっぴーの背中に言葉をぶつけるも、聞こえないその言葉は虚しく空を切るばかりだ。


 「くそッ、意外に速ぇな……」


 そう言い訳しながら一定の距離を保って走り続けているのは、追いついた時にかける言葉を持ち合わせていないからだ。


 追いついて何を言えばいいんだ。


 「バンド、やろうぜ」


 いやいや、そもそもオレは今日そんな事を初めて言われた訳で、楽器なんか持ってないし、てか触った事すらないし……。


 「歌えばバンドできるんだぞ! 頑張れよ!」


 いやいやいや、それならそもそも部室を飛び出すようなマネはしないだろ。


 頭の中を言い訳がぐるぐると回っていると、くっぴーは足を止め、グラウンドの隅に置いてあるベンチに腰掛けた。


 「うぅ……」


 言い訳も見つからないまま、とりあえずくっぴーの横に座る。


 くっぴーはチラッと横目でオレを確認すると、目線を前に戻した。


 気まずいな……。


 目の前では、狭いグラウンドで、野球、サッカー、ラグビー等の運動部が共有しながら体中をドロだらけにして、何かを目指して必死に練習している姿が目に入る。


 なんだか、少し彼らが眩しく見える。形は違えど、何かを目指して頑張る姿は、マルメロの姿と少し被って見えるものがあった。


 「ん?」


 突如、太腿の上に何かが置かれた感触を感じ、目線を下に変える。


 『何?』


 そう書かれたボードが置かれていた。


 これは困った。迷惑だったか? そう思って言葉を書いていく。


 『バンドやらないの?』


 何を言っていいか分からず、とりあえず当たり障りのないことを言おうとした結果がこれだ。自分の語彙力の無さが悔やまれる。


 『ケンカ売ってるの?』


 え?


 思わぬ返事に驚き横に座るくっぴーを横目に見るが、うつむいたまま足元にいるアリに砂の檻などを作って嫌がらせをしている。


 『そんなつもりはなかったんだけど、くっぴーがボーカルやるとオレは思ってたよ』


 『むり』


 無理って……。


 『無理じゃないでしょ? オレなんかスゲエ音痴だけどカラオケに行くぞ? 男なのに女の子の歌を高音で歌おうと頑張って、結局サビで地声になったりするぞ?』


 そう書いて渡すと。奪い取るかのようにボードをひったくり、叩き付けるように字を書くと、それをすぐ横に置いて、ベンチの上で器用に三角座りし、そのまま顔を膝の中にうずめてしまった。


 『歌えない。自分の声が聞こえないの。わかる?』


 どういうことだ……?


 自分の声が分からない? 全く経験したことのないことを言われ(書かれ)てしまい、無理に考えるフリなんかしてみるが、全く意味が分からなかった。


 少し、気が引けるが……


 『分からないと、なんなの?』


 分からない事をちゃんと聞け。と昔から教わって来た。


 そう書いたボードをくっぴーの横にそっと置く。


 すると、すぐにそのボードを取って文字を書いていった。


 『アホ、インポ野郎。頭腐ってんじゃないの?』


 悪口の嵐が書かれたボードを一旦オレに見せると、ゆっくり丁寧に、何度も書いてはつまみをスライドして文字を消して説明してくれる。


 『言葉は話せる。お母さんが小ちゃい頃から、熱心に教えてくれたから。でも、自分の声がちゃんと聞こえないってことは、発音が上手くできるワケがないんだよ。いくら、ア行はそのまま声を出して、お母さんののどに手を当てて震動を覚えて口の形を真似する、とか、カ行はうがいしながら水をのどから外に飛ばす。とか、そんな事したって、完璧に言葉のリズムを覚えられないし、発音だっておかしくなるのは当たり前なんだよ。わかる?』


 自分の言葉が聞こえないって事は、必然的に話せなくなることを意味していたなんて、初めて知った。しかし、確かに、自分の声が聞こえないし、他人の声が聞こえないと言う事は、コミュニケーションを取れないということであり、言語障害に近くなるのも当然ではある。


 でも、それでもだ、くっぴーは違う。


 それはさっき、自分でボードに書いて教えてくれた。


 『話せるんだろ? 言葉、口にできるんだろ?』


 『話せるけど、話したくない』


 『なんで? せっかく覚えた言葉なのに勿体なくない?』


 『笑われる』


 『誰が?』


 『みんなが』


 『なんのために?』


 オレとのやり取りに苛立ちを感じたのか、


 『もう知らない! チリトリと喋ってたら頭に蛆が湧くッ!!』


 と書いてそっぽ向いてしまった。


 オレには、耳が聞こえなくなった経験がないから、正直くっぴーの気持ちが分からないし、どうして話せるのに、発音がおかしい、笑われるって理由で言葉を捨ててしまうのかも分からない。あんだけやりたいって騒いでたバンドも、自分が歌えば出来るのに、諦める意味が分からない。


 「なぁ」


 言葉に出して、背を向けるくっぴーの肩を軽く叩き、


 『こないだ行ったライブの一番最初に演奏してたグループ。上手かったか?』


 と書いたボードを手渡した。


 くっぴーはボードの文字を読むと、横目でチラッとだけオレを確認し、


 『あんまし』


 と短く返答する。


 『だよな。オレも、ロックはよく分かんないけど、そう思った。でも、誰も笑ってなかったぞ?』


 『それとこれとは話しが違う』


 『そんな事ないと思うぞ。一所懸命やってる人を、人は案外笑わないもんじゃないかな?オレだって、下手だと思ったし、耳潰されるかと思ったけど、すげぇなって感動すらしたぞ?』


 くっぴーが唇を尖らせてオレを睨む。


 「な、なんだよ……」


 そして、


 『だったら、ここで、大声で手の平を太陽に歌ってみなよ! 真剣にやってる人を笑わないんでしょ? だったらやってみなよ!』


 「は?」


 手渡されたボードを見て唖然とする。


 『関係ないだろ! なんでだよ!』


 『嘘つき。笑われるのが怖いからでしょ? マルメロの歌でもいいよ? 好きなんでしょ? だったら皆に本気で好きっていうのを伝えてみなよ』


 カッチーン。


 言ってくれましたね、この人は。マルメロを引き合いに出されておめおめと引き下がるオレではない。


 「見てろ!」


 そう力強く怒鳴ってから、肺が破裂するんじゃないかと思うくらい空気を溜め込み、


 「きぃみのォ――――ッ」


 大声で、叫ぶように歌う。


 決して奇麗な歌声ではない。さっきも言った通りオレは音痴だ。音楽の歌のテストではいつも一生懸命歌っているという、いかにも真面目な点でしか評価されないような人間だ。


 グラウンドで運動している連中がオレを指さし、


 「愛が――ッ」


 誰も笑っていない。


 が、「ヤバいヤツが現れた」というような顔でこっちを見て、スグに見ないようにしようという事に至ったのか、黙々と練習を再開する。


 「きぃみが――――好きだから……うッ!」


 突然、背中を押され振り返ると、オレではなく、くっぴーが恥ずかしそうに顔を赤く染めて、鼻息を荒くしてオレの顔を睨んでいた。


 『ヤめなよ! みっともない……』


 「なんだよ。歌えつったのお前だろ」


 『だいたい、音痴すぎるでしょ……しかも、声でかいし、ちょっと聞こえるんだからね』


 そして、


 プッ、とくっぴーが吹き出すと、そのままお腹を抱えて、押せば倒れそうなほど体を曲げて、声を押し殺しながら「クックック」と笑い出す。


 「お前が笑うなよ! 誰も笑ってなかっただろ!」


 聞こえるように大声で怒鳴ってみるが、苦しそうにお腹を抱えて笑い続ける。


 ひとしきり笑い終えたのか、目尻に溜まった涙を拭い、ベンチに腰掛ける。


 『酷い声だね。これなら私の方がマシかも』


 『言い過ぎだろ……でも、誰も笑ってなかっただろ? やっぱりオレの一所懸命さと、マルメロのすばら』


 「おい!」


 マルメロについて書こうと思った瞬間ボードをひったくられ、


 『わたし、ボーカルやってみるよ。だから、チリトリもバンドやってくれるよね?』


 「いや、その……えっと……」


 『ダメ?』


 それは汚い。ズルい。セコい。


 ボードを抱え、オレを部活に誘った時とは違って、本当に女子の必殺ワザであるウルウルとした瞳の上目遣いで今度はバンドに誘って来る。


 こんな状況であっさりと断れる男がいるならオレの目の前に呼んで欲しいものである。


 「ダメっていうか、その……」


 マズイ、もう一押しでオレの心は完全に折れてしまう。


 しかし、オレは今の現状が一番好きだ。授業が終わって、ライブDVDを最高のスピーカーで聞いて、部長とメンバーについて(一方的に)語り合い、面倒そうにDVDを見るくっぴーには素晴らしさをチャットを通じて教えて上げる。


 こんな日常で満足してるんだ。それが、バンドなんて始めたら練習とか、無駄に熱いことして時間を失うことになってしまう。それがイヤだ。


 「やっぱ、オレは――」


 『お兄ちゃん、今でも天野ほえとメールとかしてるよ』


 「なに?」


 空気が変わる瞬間というのを、初めて直に感じた。もし、オレが何かスポーツの監督をしていたら即座にタイムアウトをとり、体勢を立て直すように指示を出すところだ。


 『たまに、レコーディングのお手伝い行ったりしてるってこないだ言ってたよ』


 「つまり?」


 『一緒に見学しに行くよう頼んであげよっか?』


 「バンド、やるからには天下取ろうぜ」


 オレの心が完全に折れた。

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