トラック10

 『着いたぜ! ファッキンガイ!』


 「…………」


 くっぴー宅を出てから約一時間。電車で六つの駅を越え、乗り換えてさらに三つ。それなりの長旅を経て辿り着いた目の前に見える壁に無数のオシャレなスプレーの落書きが施されたライブハウスは、コンビニくらいの大きさで、ライブをする場所のわりには対した大きさじゃないことに少し驚く。


 携帯を確認すると時刻は十五時。ライブ開始にはあと一時間あるというのに、会場前は結構な人で賑わっている。


 そして、その観客に来た人というのがまた様々で、ゴスロリと呼ばれるファッションをした女子や、特攻服姿のどこかの暴走族のような出で立ちの男と女。両極端な客層が会場前で賑やかに談笑していた。


 そんな客層には似つかわしくない、Tシャツにジーンズ姿のくっぴーが、オレを見上げて、両手で小さく拳を作り、


 『楽しみだね! くぅぅ、たぎってきたぜ!』


 『くぅぅ』なんて興奮を表す文字まで書かれたボードを首から下げて、本当に目を星にしてオレを見つめている。


 「…………」


 特に何も言う事なく、オレは明後日の方向を見る。


 ああ、オレは一体何をしてるんだろ。


 ちょんちょん。


 くっぴーがオレの服の袖を引っ張る。


 『にあってるぞ! ロックだぜ!』


 親指を立てて、首を縦に振るくっぴー。


 「……あほぅ」


 オレは、着替えた事をここに来るまでの時間、ひたすら後悔していた。


 「なんだよこの服ッ!」


 夏を目前にしたこの熱い時期に、真っ黒の革のズボンに、革ジャン、もちろんインナーはなしで裸だ。ピッタリと肌にまとわりつく革の感触が気持ち悪い。そして、目元には真っ黒ななサングラス。何故か指先だけ穴の空いた革の手袋には、これまたなぜか拳の部分には攻撃性に優れた鉄の丸い固まりがついている。そして極めつけは、このセットされたテカテカのオールバックな髪型。


 鏡に映る自分を見てまず思ったのは、出来損ないのターミネーターだった。


 『格好よくセットしてあげる』なんて優しい言葉を投げかけて来たかと思えばこれだ。タイムマシンがもし存在するなら一時間前に戻って、「浮かれるな!」と怒鳴り、自分自身をぶん殴ってやりたい。


 全身真っ黒で、オレの貧相な体つきも手伝って、とてつもなく似合わない。


 いや、袋から出した時点でおかしいとは思ったんだ。思ったんです。でも、女子からのプレゼント。浮かれたって仕方ないじゃないっすか。それに、一度着るのが礼儀だと思ったんです。はい、どっか有頂天になってたんです!


 しかも、この革づくしの服に着替え終わった瞬間、ベストすぎるタイミングでくっぴーが部屋に乱入し、オレの姿を見るなり目を輝かせ、『最高だぜ』とボードに記入。その後、オレの服は……どこかに隠された。


 ここに向かう途中、何度人から指を指された事か。二十から先は数えていない。


 実際に、この会場に来てからも、何かと特攻服集団の怖いお兄さんやお姉さん方がオレを見ては何やら耳元で話し合っているように見える。もしかしてカツアゲの作戦でも立てているのだろうか。残念ですが、現在オレの財布には二千円しか入っていませんよ。


 『うし、行くぞぉ!』

 オレの心を察することなく、くっぴーは気ままに手を引いて、ライブハウス内へと歩を進める。


 中に入ってみると、一階は受付になっているらしく、隣には時間を待つためのスペースなんかも用意されているが、今は派手な格好の人たちで埋まっている。


 受付カウンターにいたバイトらしき、金髪に鼻ピアスのなんだかパンクな感じのお兄さんに慣れた手つきでくっぴーがポケットから出したチケットを二枚手渡し、まるでアルプスの少女のようにルンルン気分でスキップしながら案内された地下へと降りていく。


 ライブハウスに初めて入るが、なんだか印象としては地下駐車場を無理矢理ライブ出来るようにしました。というようなイメージで、コンクリート丸出しの壁にはあちこちロック的なポスターやステッカー、スプレーの落書きが目立つ。なんだか、不良の溜まり場みたいで、怖い。


 「なぁ、か、帰らねえ?」


 オレの手を引いて、スキップ気味に歩くくっぴーの背中にそう呟きかけるも、聞く耳持たず。


 「はぁ……」


 たまらず溜息が出る。


 マルメロのようなトップに立つグループなんかのライブ会場は、そりゃもう何人ものスタッフや警備員がつき、何から何まで完成されているが、今いるここはなんだか違う。いつ暴動が起きても誰も止めてくれそうにない。


 くっぴーが急に足を止めて振り返る。


 くっぴーは重そうな防音扉に背を預けて、


 『じゅんびはいいか?』


 なんてわざわざ書いて目の前に示す。


 オレはゴクリと生唾を飲み込み、深く深呼吸をして、うなずく。


 奇麗な白い歯を見せて、ニシシと聞こえてきそうな笑顔を浮かべるくっぴーは、くるりときびすを返し、重そうな扉を両手で押して開く。


 「「キャァァアアアア」」


 「うおッ!」


 扉を開けた途端、音が洪水のようにあふれ出してきて、その圧力に体が後ろに倒れそうになり、必死に踏ん張った。


 突然の空気を震えさせるほどの悲鳴のような叫び声と、音楽と呼ぶにはあまりにも暴力的すぎる音の力にたまらず両耳を塞ぐ。


 目の前に広がるのは、体育館のような舞台に、席一つないオールスタンディングの会場で、暴力的な音楽に身を任せてたくさんの人たちが、飛び跳ね、激しく首を振り回し、手を上下させたりと、力の限り舞台を煽っている。


 舞台で歌い、楽器を奏でるバンドは、それはもう決して完成された奇麗な音楽とはほど遠く、なんだか自分の好き勝手に楽器を掻き鳴らし、言いたい事を叫んでるだけに見えた。


 タワーのようにつまれたスピーカーからは、デカすぎて無茶苦茶に割れているギターの音、低すぎてワケの分からないベース、よく分からないが、恐らく世の中への不満を金切り声で叫ぶボーカルと、なんだかもう、最低だ。


 「くっぴー! おい、くっぴー!」


 大声で名前を呼ぶが、そんな声も目の前で歌うバンドの音にかき消される。


 「おい――」


 くっぴーの横に立ち、無理矢理呼び止めようと思ったが、その表情は、まるでスーパーヒーローに憧れる少年のように、何一つ汚れのない、キラキラした瞳で舞台を見上げていた。そんなくっぴーの表情を見ていると、何を言おうとしたか一瞬忘れてしまい、ただ黙ってその横顔を見つめていた。

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