トラック1

 「……めんどくせぇ」


 職員室で、ひげ面で、大柄で、昔はラグビーで国体まで行きました。が唯一の取り柄なのか生徒に吹聴しまくっている脳味噌筋肉馬鹿の体育教師に、「この大馬鹿野郎ッ! 罰としてお前は旧校舎の掃除でもしてろッ!!」と、怒鳴り散らされ、このホコリと蜘蛛の巣だらけの体育祭や文化祭などで使う道具の倉庫みたいな旧校舎の廊下掃除を命じられたのがついさっきの事。


 確かに、昨日オレは学校を休んだ。はい、確かに休みましたよ。


 でも、それがいけない事なのか? 昨日は外せない用事があります。と、事前に連絡はしておいた。それなのに耳が痛くなるくらい怒鳴られ、こんな誰も使っていない倉庫みたいな旧校舎の掃除までさせて……。


 そんな苛立ちも束の間、胸につけられた新品の『ROCK』と書かれた缶バッジを見ると、ついつい頬がゆるみ、目尻が垂れ下がる。

 しかし、昨日のあれは最高だったなぁ。


 「~~~~♪」


 思わずメロディを口ずさんでしまう。

 もちろん、歌はマルメロのラストナンバー『君に届けこの想い』だ。


 マルメロとは、リーダーの天野ほえちゃん率いる3Pガールズバンドであり、アイドルであり、天使である。


 昨日は、そんな彼女たちの一周年記念ライブのため、学校を休んだ。


 確かに、学校を休むのはよくないかもしれない。しかし、オレはそんな記念すべき日を逃してまで机にかじりついて眠くなるような授業を聞く気はないし、もうライブが気になって授業には一切集中できないだろう。だから休んだ。いや、学校のために休んでやったんだ。それを正直に言ったらあの筋肉馬鹿のゴリラ野郎のせいで廊下の掃除だ。


 とまぁ、そんな愚痴ばっかし言ってても仕方がない。

 オレは黙々と廊下と壁の隅に溜まったホコリを一箇所に集める。


 「~~~~♪」


 口ずさむメロディに合わせて軽快にほうきを掃いていると、思わず体が勝手にリズムを刻み、昨日のライブの余韻が抜けないのか、体も徐々に熱を帯びてきて、

 「イェーイ! きぃみにぃーこぉのおぉもいぃ――」

 鼻歌だったメロディを大声で歌いだし、歌だけでは収まらず、手に持っていた竹ほうきをギターのようにして、ジャカジャカと奏で――


 「アイタッ!」


 竹ほうきの鋭く尖った先っぽに指があたり、軽く切ってしまい、薄く血が滲む。


 「フッフゥー! イェ――ア――」


 しかし、怪我をしてもなお、オレの高まるボルテージは暴走を抑えられず、竹ほうきは投げ捨て、床に置いてあったプラスチックのチリトリを拾い上げ、無意識のうちに歯でギターを奏でるような素振りをみせ、ついにはチリトリに噛み付く。


 「たったひとつの、愛してるぅ――ッ! き…………へ?」


 ミシミシィッ。


 そんなノリノリで歌っていられたのも、ラストのサビを目前にするまでのこと。


 背後から、老朽化が進んだ木造建築独特のホラー描写のような音が聞こえた。


 そんな音と同時に、心臓に刃物を直接突きつけられたかのような、ゾクッという嫌な感覚が背筋に走り、球のような冷や汗が額に滲んでいく。


 いいかオレ。振り返るな。人間必ずしも後ろを振り返る必要なんてないんだ。前だけを見据えて、真っ直ぐ真っ直ぐ進んでいけばいいんだ。


 そんな自分の意思とは裏腹に、振り返る必要もないのにゆっくりと首を回した。


 「…………」


 振り返った瞬間、まず頭の中に浮かんだ言葉は「やっぱりな」という絶望の言葉。そして、少し遅れてから羞恥心がやってきて、顔から「ボッ」と言う音と共に、火が噴き出た。


 「…………」


 唖然としてもう何も言えない。


 額からはちょっとした水たまりが出来そうほどの汗が噴き出す。


 オレから5メートルほど離れた廊下のど真ん中で、髪をギザギザのシャギーに整えた女の子が、オレをまるで、裸踊りでもしているオヤジを見たかのように、本来ならアーモンド形で、適度に大きいであろう目を、今はただ鋭く冷たい目線で凝視していた。


 「よ、よぉし! 掃除すっかぁ! やるぜー、掃除やるぜ――ッ!」


 恥ずかしさを紛らわすために、誰もそんな事聞いちゃいないのに、余計な事を言って自分の首を絞めながら掃き掃除を再開するが、ちっとも集中できない。同じ場所をただ乱雑に掃いて、レレレのレーと言わんばかりに溜まっているホコリを散らしまくっていた。


 ああ、誰かオレをマルメロのライブ会場の見える丘にでも埋めてくれ。心の底からそう思う。


 ジ————。


 背中に穴が空きそうなほど強烈な視線を感じる。


 うぅ、さっさとどっか行けよ。


 緊張と苛立ちで、胃にキリキリとした痛みを感じるようになってきた。


 いや、待てよ。

 腕を組んでよく考えてみると、確かに廊下で歌を歌って、チリトリを齧って首を振り常軌を逸脱した行動をとっていたのはオレだ。まごうことなきオレだ。


 しかしだ、『廊下を走ってはいけない』や『不純な男女交際は禁ずる』などの校則はあるが、『廊下で歌を歌ってはいけない』とか『チリトリは齧ってはいけない』なんて校則はない。生徒手帳の校内一般の心得にだってダメとは書いていないし、どの項目にもそんな事は載っていない。


 そう! つまりオレは別に何一つ悪いことをしていたわけじゃない。


 恥ずべきなのはオレではなく、健全な行動を取っていたオレを冷たい目で見るアイツが恥ずべき女なんだ!


 そう思うと、少しの勇気と反発心が生まれ、「オレは別に何も悪いことしてませんけど? そういう差別的な視線を送るあんたがおかしいんじゃないんですか!」という言葉を込めて、強気な態度で軽く少女を睨んでやることにした。


 そんなオレの目線に気がついたのか、少女もオレを力強く睨み返してくる。


 軽く二人の間でジリジリとした睨み合いが続く。


 よく見てみると、ウチの高校、阿野高校指定の黒とグレーのチェック柄のスカートを今どきの女子高生のように短くするのではなく、膝下までのロングスタイルに、黒のタイツで生足を一切見せる事なく防御し、黄色のスニーカーにピンクのカジュアルリュックを背負っていて、制服をオシャレに着崩している。


 しかし、そんなオシャレさを台無しにするかのように、子供用お絵描きボードとサイズの大きめなヘッドフォンを首からぶら下げ、何歳児だよ、と突っ込みたくなるようなピンク色のラムネが入ってるプラスチックマイクを左手に握り締めていた。


 火花が飛び散るほどではないにしと、お互い何かを牽制し合うように睨み合う事二分ほどしたところで、少女はプラスチックのマイクから、白い錠剤のようなラムネを取り出し、口に複数含むと、バリバリと噛み砕いた。


 な、なにしてんだ?


 妙な行動に頭をハテナにして少女を見つめていると、マイクを腋に抱え、お絵描きボードにスラスラと何やら文字を書く。


 『FUCK!!』


 なんともまぁ下品な言葉が書かれたボードをコチラに見せると、小さな舌をチロッと出し、人差し指を立てた。

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