トラック14

 オレはスグに携帯からチャットにログインして、部長のIDである、macに『くっぴー発見。スグに自宅まで送ります』と送信。


 するとすぐに、


 mac『了解。待つ』


 と、短い返事だけが帰ってきた。


 そのままくっぴーに帰ろうと訴えかけるが、『お兄ちゃんに泣いてる所みられたくないから待って』と、せがまれ、くっぴーと近くのベンチに腰掛けながら、虫の泣き声をBGMに肌寒い夜風を浴びる。


 空を見上げると、丸い満月が爛々と輝いていた。


 『もういいよ。ごめんね』


 くっぴーはそう言って、目に溜まった涙を服の袖て拭き取ると、ニカッと、白い歯を輝かせて笑ったが、オレは笑顔で返事をする事が出来ず、ボードを指さしてから、両手を合わせ、貸してくれとジェスチャーで頼んだ。


 首を傾げながら、なんだか不満そうにボードをオレに渡すと、


 『なんで、耳が聞こえないってこと、教えてくれなかった?』


 すぐにそう書いて、くっぴーに手渡す。


 くっぴーは驚いたように一瞬目を見開き、ジッとオレの顔を見つめる。


 「な、なんだよぅ」


 『お兄ちゃんに聞いたの?』


 書いたボードを手渡してくる。それを受け取り、ボードに書いては消して、交換日記のように言葉のやり取りを行った。


 『そうだよ。ちゃんと教えてくれてたらこんな事になってなかった』


 『嘘つき。教えてたらチリトリは私と喋ってくれなかったに決まってる!』


 くっぴーが頬を膨らませてオレを見る。


 「うっ……」


 『嘘じゃねえよ。多分……』


 何か見透かされてるようなその目に気圧されされながらもそう書いて渡すと、くっぴーはどこか悲しそうに笑った。


 『始めはね、みんな私に話しかけてくれるの。でも、確かに多少は聞き取れるんだけど、聞き逃す言葉の方が多くて、私は今まで何千、何万の言葉を聞き逃してきたの。だから、適当に笑顔で返事するんだけど、聞こえないって分かると誰も話しかけてくれなくなる。病院に行ってもそう、私と話してるはずなのに、私じゃなくてお兄ちゃんに診断結果を伝えるの。そこに私は存在していないの』


 くっぴーは、何度も書いてはオレに見せ、消してはオレに見せ、言いたい事をボードに書いて熱心に伝えて来る。


 『チリトリだって、わたしが聞こえないって分かったらもう、喋ってくれなくなるに決まってるよ』


 最後にそう書いてみせると、またくっぴーは俯き黙り込んでしまった。


 耳が聞こえないなんていう現実は、聞こえるオレには想像もつかない。耳を両手でふさいでも自分の声はしっかり聞こえるし、完全に音を遮断するなんてことは不可能だ。くっぴーが今まで聞き逃して来た言葉っていうのは、大事じゃなかったものなんてなかっただろうし、それをただ意味も分からず笑顔でうなずいていただけだっただなんて、想像してみると、虚しいものでしかなかった。


 「…………」


 くっぴーの膝の上に置かれたボードをそっと取り、オレは文字を書いて行く。


 『今日のライブ、凄かったな』


 そう書いて、くっぴーの膝元に返すと、


 ハッと顔を上げ、


 『どこが凄かった!?』


 と書き、グイグイと強めに渡して来る。


 「痛い、痛い!」


 『正直、うるさいだけだし、なんか危険だし、ボコボコにされたけど、羨ましいとは思った。なんか自分の思ってる事をあんだけ大きな声で歌って、たくさんの人に伝えてることは、素直に凄いと思った』


 この返事に、くっぴーは急に立ち上がると、オレの目の前に立ち、右手を差し出して来た。


 「へ?」


 意味も分からず戸惑っていると、無理矢理右手を掴み、握手すると、ブンブンと手を上下させた。


 そして、ボードを奪い取り、


 『分かってるじゃん! そう、凄いの! ロックって凄いんだよ! ああ、これ私も思ってたの! って思ってた事を私の変わりに大声で歌ってくれるの。そう、私が言いたかったのはこういう事だ! って』


 くっぴーは書いてはスグに消し、


 『ダメだ、何が言いたいのか分かんない』


 と書き、へへへ、と頭を掻きながら舌を出す。


 オレはくっぴーからボードを貸してもらい、


 『オレで良かったら、これからもロックの話し聞くよ?』


 とボードに書いて手渡した。


 くっぴーの頬が朱に染まり、途端にオレに背を向ける。


 「え? なんだよ……」


 そして、振り返ると、


 『FUCK! 当たり前だ! これからも私とロックを語れ! チリトリの中に宿るロック魂にまだ火は点いていないんだから!!』


 そう書かれたボードを首からぶら下げると、奇麗に輝く満月をバックに人差し指を立て、舌足らずの舌をチロッと出す。


 「はいはい、語りますよ、語りますとも。そんかし、次はお前がマルメロを聴く番なんだからな」


 そう言うと、くっぴーは正直に、


 『何言ってるか分かんねぇ』


 なんて言いながらニコやかに笑っていた。


 そんなくっぴーの笑顔につられてオレも笑っていると、ヴーッ、ヴーッとポケットの携帯が鳴り、


 mac『今どこ?』


 チャット画面が表示されていた。


 「あ……」


 携帯電話の画面に表示されている時刻を確認すると、日付が変わってからもう三十分経っていた。


 mac『遅すぎね? もしかして卑猥な事してたりする?』


 maluo『してません。断じてしてません。もうすぐでつきます』


 スグに返事を返す。


 すると、写真が添付され、


 mac『ウチの母親。今、男といるらしいって言ったら台所で包丁研いでた』


 写真を開くと、言葉の通りに、背を向けて包丁を研いでる、背中から禍々しいオーラを放った母らしき姿があり、


 mac『ウチの母親、過保護だから多分お前、殺されんぞ?』


 maluo『スグに向かいます! だから、余計な事言わないでくださいよ!』


 ボタンを叩きながら返信し、オレはくっぴーの手を取り、涙目になりながらくっぴーの自宅に向かって走り出した。

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