トラック12
「……ただいま」
いつもより小さな声で帰宅したことを伝えると、痛む体をひきずるようにして階段を駆け上がり、そのまま真っ直ぐ自室へ向かう。
この数年乱されることのなかったオレの私生活。帰宅してまずパソコンの電源をつける。というのを無視し、まず服を着替える。
「あぁ、やっぱし……」
服を脱ぐと、やっぱりあちこちにアザが出来ていた。出来れば見たくなかったのに、見た瞬間にズキズキとした痛みが現れ始めた。
「ってぇ……クソッ!」
汗でべちゃべちゃになり、踏まれてドロドロになった革ジャンを雑に脱ぎ捨ていつものライブTシャツに半パン姿のユニフォームとも言える姿に着替えると、なんだか解放された気分になり、疲れがドッとやって来た。
突然もの凄い睡魔に襲われたが、体が勝手にパソコンの電源をつける。
習慣というのは恐ろしいものだな。と自分に納得する。
パソコンの電源がつき、いつものファンサイトの確認に向かおうとした瞬間。
――ピコン。
『一件のメッセージが来ました』チャットからのお知らせが画面中央に現れ、ウェブからチャットに切り替える。
mac『妹がまだ帰宅していないんだが、知らないか?』
メッセージの内容を見て背筋が少し寒くなった。
まだ帰宅していない? パソコンの画面右上に表記されたデジタル時計に目をやると、23時00分と書かれていた。
maluo『出待ちするって言ってましたけど、まだ帰ってないんですか?』
そう返事を送った瞬間、
――ピコン、ピコン。
チャットから、ボイスチャットに切り替える着信音が鳴る。
急な出来事に少し焦るが、通話ボタンをクリックした。
「おい、お前、妹を置いて来たのか?」
部長の低い声がパソコンのスピーカーから響く。
いつもの低く小さい声ではあるが、そこにいつもの気だるそうな感じはなく、ハッキリとした声が聞き取れることから、怒っている雰囲気が感じ取れた。
「置いて来たって、ちゃんとオレは先に帰るって伝えましたよ」
少し気圧されされながらも自分の意見を伝えるが、
「お前はバカかッ!」
急な怒鳴り声に体がビクンと一瞬震えた。
「妹は、耳が聞こえないんだよッ!」
「は?」
耳が、聞こえない?
言ってる事の意味が分からず、頭の中に言葉が何度も反芻される。
「チッ!」
部長は、何やら言いたくない事を言ったのか、軽く舌打ちをすると、
「妹は、感音声難聴で、ほとんどの音が聞こえないんだよッ!」
「え? 待ってください。言ってる意味がイマイチ分かんないんですけど……」
「くっ……」
部長は言葉を詰まらせる。
「妹からは、言うな言うなって言われてたんだけど……アイツは生まれつき耳の最も奥の方にある、音を聞き取る聴神経部分に問題があるんだよ……」
続くように部長が、くっぴーは聴覚障害6級の感音性難聴で、電車がホームに入るときの轟音レベルの音なら感じられる程度。だとかなんとか言っていたが、突然の事に驚きすぎて、耳に入ってはすぐに抜けていった。
「じゃあ……オレがアイツに『先に帰る』って言ったの、聞いていなかったって事ですか?」
「聞いてなかったんじゃない。聞こえなかったんだ」
「えっと――」
「いいから、今日どこのライブ会場に行ったか教えろ」
部長がそう言った瞬間、
「おい?」
オレは弾かれたように部屋を飛び出していた。
おかしいとは何度も思っていた。いくらオレの口が童貞臭いからと言っても、そこまで無視する必要はねえだろ。と思っていたし、ずっとボードで会話する事に疑問を感じてもいた。部室のチャットでの会話を思い出すが、決して話すのが嫌いなヤツなんかじゃないっていう風にも感じていたし、むしろお喋りなんだとも思っていた。
でも、耳が聞こえないとは微塵にも思わなかった。
目が見えない人は、杖を持っていたり、盲導犬を引き連れていたりすることからだいたいは一目で分かる。でも、耳が聞こえない人はそれを印すマークなんかがない事から、オレには区別することができていないかった。
「はぁ……はぁ……」
こんなに全力で走るのはいつ以来だろうか。
焦る気持ちと、そこにいるという確信を持って、オレは元いたライブ会場に向かって全力で走った。
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