49話 プロの方 



 夕方の商店街は夕食時に向けて徐々に賑わいを見せつつあった。

 行きかうのは買い物かごを下げた主婦と、スーツ姿のサラリーマン、そして、学校帰りの伊吹生。いつものコンビニの駐車場でリポビタンをちびちびとやりながら、風景と化して通りを見張る。

自慢じゃないが背景になるのはお手の物だ。


さあ、来てくれよ。いくら待っても来る保証なんてないけれど、それでも祈りを込めてスタミナドリンクをまた啜った。

僕の睨む先には、赤地に黒の墨文字が抜かれた『ステーキ丼専門店』の看板、その下には『好評につき期間延長(ゴマ抜きも承ります)』の幟がはためいている……………来る、やつは必ず来る! 


ややあって、自動ドアが開き、ボブカットの目を疑うような美少女が威勢のいい店員の声に送られて排出される。


――カシャ!


それに合わせて、僕はスマホのカメラのシャッター音を響かせた。

「―――っ」

 その瞬間、美少女の至福の表情が凍りつく。


「あ、あなたあああああああああああああああああ!」


 後はもう、いつかのリプレイだ。鬼と化した内田に首根っこ引っ掴まれ、あっという間に路地の暗がりに連れ込まれた。



「な、な、な、何してるの、あなた! わわわ、忘れたの? わたしには、よ、よ、抑止力があああー! 殺すわよ、抑止力で止め殺すわよ―――!」

「お、落ち着け、内田! 撮ってないから! シャッター音鳴らしただけだから!」

「はあ?」

 怒り狂う内田は、僕の差し出したスマホを引ったくると、煙の出る勢いで指を滑らせ、

「……どういうつもりよ?」

 本当に画像がないことを確認して、ギロリと僕を睨み付けた。


「こうでもしないと話してくんないだろ、すぐ逃げちゃうしさ」

「べ、別にあなたと話すことなんて何も―――ちょっと、何よ?」 

 今にも逃げられそうだったので、言葉が終わる前にペットボトルの緑茶を顔の前に突き出した。

「ありがとな、内田」

「は?」

「メールとかじゃなくて、ちゃんと会って言いたかったら。ありがとう」

「ばっ――」

 途端に、内田の頬が赤く染まる。

「バカじゃないの。お礼とか、レッスンは別にあなたのためにやったわけじゃ……」

「あ、いや、そっちじゃなくて」

「え?」

「見に来てくれただろ、今日」

「……気付いてたんだ」

 ばつが悪そうに赤い顔を背ける内田。


「先生が顔を上げろと指導してくれたおかげでな、よーく見えたわ」

 緊張でガチガチだったけど、しっかり見えた。群衆の奥の一番端、飛び立つ雛を見守る母鳥のような内田の顔が、リズムを失いがちな僕のために、聞こえるはずのない手拍子を必死に打ってくれていた内田の姿が、はっきりと。

「おかげで緊張がぶっ飛んだよ」

 そしてその時、ようやく理解できた。僕がなぜ、あんなにボロクソに言われながら内田のレッスンを受け続けたのか。疲れた体に鞭打って家で百回も踊ることができたのか。


 嬉しかったんだ。たった一人でも、僕のことを見てくれる人がいたことが。

だから、僕は………。

「なあ、内田。もう一度ちゃんと言いたいんだけど――」

「入らない!」

「だから、はえーって、拒絶が!」

「もういいから!」

 どうあっても僕に喋らせたくない内田は、スマホをあさっての方向に投げ返すと、

「うおーい、何すんだ」

 僕が飛びついた隙に素早く駆け出し、

「わたしは………もう芝居はしないから」

 静かに、しかし、確かな感情の荒ぶりを言葉に込めて、三度僕の前から走り去った。


「待てって、内田!」

 僕の声が路地に虚しく反響する。やっぱり、ダメか。でも、あいつ………。

「間っっっ違いなく芝居経験者ね、あの女」

「あ、やっぱりそう思います?」

「百%確実よ。素人は芝居なんて言わないもの。劇か、せいぜい演劇よ。『もう芝居はしないからんっ』だってさ、未練タラタラね。殺すわ~~」

「そっか、僕もうすうすは思ってましたけど、やっぱりおりんさんもそう思いますか…………って、お鈴さああああ――――――んっっっ!」

 路地裏に再び僕の声が反響した。


「うるさっ、狭いところで大声出すな、殺すわよ」

 いつの間にか当たり前のように隣にいたゾンビナースが迷惑そうに耳をふさぐ。

「大声も出るでしょうよ! え? え? いつからそこにいたんですか、お鈴さん!」

「わたしだけじゃないわよ、ほら」

 そう言ってお鈴さんが指を鳴らすと、

「うひひひひ~~。見たよ、れんちゃ~~ん」

「おいおい、面白そうなことになってんじゃねーか、レント」

「油断ならないわ~~、坊や」

「あの女、誰やねん、瀬野せのっちー!」

「どういうことよ、レント君!」

 うおー、出てくる出てくる。あっちこっちからにょきにょきと、着ぐるみやら金髪やらカンフースーツやらフリフリ服やら、サンデーゴリラ勢揃いじゃん! てゆーか、


「その恰好で表に出てきたのか、あんたら!」

 何で気付かなかったんだ、僕!

「そんなことより今の子誰、蓮ちゃん? すっごい可愛いかったけど。彼女? もしかして、彼女? おねーちゃんに紹介しなさいよ、ほらほら」 

「ち、違うっつーの、何言ってんだよ」

 ったく、僕のこういう話をする時は本当に楽しそうだな、羽織はおりのやつめ。

「ホンマか、瀬野っち! 信じていいねんな? 神様に誓えるか?」

「誓ってよ、レント君! 今ここで!」

 で、なんでちゃーさんと桃紙ももがみさんは怒ってるの?

「ま、あれがレントの女かどうかはこの際どうでもいいわ。重要なのはあいつがレントをたった一日でここまで仕上げた敏腕コーチだってことよ。一年生みたいだけど、ガミエの知ってる子?」

「あ、はい、一応。同じクラスの内田さんです、仲良くはないですけど。部活決まってないからってレント君と一緒に居残りさせられてました」

 お鈴さんの問いかけに微妙に棘のある答えを返す桃紙さん。どうやら、いつかの内田の振る舞いをまだ根に持っているようだ。


「内田………内田ねえ………」

 その名前が何か引っかかるのか、一光いっこうさんが脳内のメモリーを検索するようにこめかみを指で擦る。

「どっかで見たことあるような気がするぞ、あいつ」

「そりゃ、あってもおかしくないやろ。同じ学校の生徒やねんから」

 そんな一光さんをちゃーさんはケラケラと笑い飛ばすが、

「いや、そういうことじゃなくて、多分………テレビで」


「「「テレビ⁉」」」


学生であっても、自ら役者と名乗る以上この単語は聞き捨てならないのだろうか。サンデーゴリラ全員の声が綺麗にハモった。

「う、嘘、蓮ちゃんの彼女のさんって、げーのー人さんなんでございますか?」

「だから、彼女じゃねーよ」

 そして、なんで急に敬語なんだよ、羽織。

「なるほど、これは面白くなって来たわね」

「あら、お鈴やる気?」

 ミシェルさんに問われ、お鈴さんがニヤリと音が聞こえるほど口角を持ち上げた。

「当然。ゲリラライブが坊主に終わるかと思ったら最後の最後にやっと獲物が引っかかったじゃない。女なのが惜しいけどこの際贅沢は言ってらんないわ。あの女絶対釣り上げるわよ、生死を問わず!」

 いや、問え、問え! 生と死は厳密に問え!

「欲しいものは殺してでも奪い取る! 演劇界の常識その六よ」

「そんな常識あってたまるか!」

 あんたらが言ってるのは演劇界じゃなくて、サンデーゴリラの常識でしょうが。

「よーし、野郎共。我々の方針が決定したわ。次のターゲットはあの女、全力で行くわよ!」


「「「やってやるぜぇぇぇぇぇぇぇ!」」」


 お鈴さんの号令に、部員達が賛成の意を込めて拳を上げる。

「あら? どうしたのよ、アンタ?」

 ……ある一人を除いて。

「ああ、そっか、アンタが賛成の訳ないわよね~~。愛しの王子様を取られちゃうかもしれないんだから~~」

 ミシェルさんがニヤつきながら、ただ一人手を上げなかった桃紙さんのツインテールを左右に引っ張る。

「ちょっ! ミ、ミ、ミシェルさん、何言ってんですか! あたしはそんな……」

 途端に、顔中の血管が破裂したかように、顔面を赤く染める桃紙さん。

「あはーん、隠せてると思ってたの? 全身から好き好きビームダダ漏れじゃないの。千秋楽だからって順番の交代まで申し出ちゃって涙ぐましいわー」

「ミ、ミ、ミ、ミシェルさん!」

「え、何、桃紙さんってビーム出せるの?」

「はうっ、レ、レント君! いやこれは、えっとえっと、もー、ミシェルさんのバカー!」


「ほほほ~」

 桃紙さんの繰り出すポカポカパンチを華麗に交わすミシェルさん。

「おいおい、お前ら狭いとこで暴れるなよ」

「はいは~い、座長殿。ほら、ガミエ、もう帰るわよ~~」

「待って、ミシェルさん! 一発叩かせて! 絶対叩かせてー!」

 懲りない二人は一光さんに諌められてもなお追いかけっこをやめようとしない。そんな二人をやれやれと見送りながら僕達も路地を後にした。


 商店街はこの僅かな時間でさらに人通りを増している。

 混雑した人ごみの中でも異様に目立つコスプレ集団の後について歩きながら、僕は先ほどのやり取りについて考えた。ミシェルさんのあのセリフはなんだったんだろう。急にわけのわからないこと言い出して、なんのつもりだったんだろう。


………いや、本当にね。


どういうつもりなの、あの人ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ⁉

え? え? え? なんなの? なんなの、あれ? 

思わず知らないふりしてとぼけちゃったけど………………あれって絶対そういうことだよな? 


嘘だろ、桃紙さんが? 僕のことを? じゃあ何か? あの子があんなに熱心に僕をサンデーゴリラに誘ったのって、僕が希少な男子部員だからじゃなく、桃紙さんが僕のことを、あの、その、えっと………す、好きだったからってこと? 

だとして、何で本人の目の前で言う! 何考えてんだ、ミシェルさん!

あんなこと言われて、どうしたらいいんだよ。僕にはどうしようもないだろう。だって、僕は……。


「あれ、どうしたの、蓮ちゃん? そんなにぐっしょり汗かいて」

「あ、いや………何でもないよ、羽織」


 ずっとずっと前から、羽織のことが好きなのだから。



僕の演劇部生活はまだまだ波乱の予感しかしない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サンデーゴリラの常識ですから 桐山 なると @naldini03

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ