43話 マジで百回やるのは馬鹿
「ひぃ~~。た、ただいまぁ」
「お帰りお兄ちゃん、遅かったね。お風呂湧いてるから先入っちゃって」
二日連続疲労困憊でリビングの扉を開くと、昨日は泣きべそをかいていた栗が、今日は天使のような笑顔で台所から飛び出してきた。
「おお、風呂か。ありがたいわー、
「お兄ちゃん、今日部活休みだって言ってなかった? 何でそんなにボロボロなの?」
「ああ、何でだろうね。多分、栗が可愛すぎるからだよ」
妹の柔らかい髪の毛を思うさま撫でまわし、僕は鞄を置いてリビングを出た。
廊下を歩くと足が重い。アコーディオンカーテンを開けると腕が重い。ブレザーを脱ぐと肩と背中が痛かった。
いったい、どこが痛くないんだよ。何でこんなに頑張っちゃったんだろう、ダンスレッスン。サンデーゴリラからしばらく距離をおくつもりだったのに、もう二度とゲリラライブには出ないつもりだったのに。内田の熱血指導にのせられたからか? そもそも、どうして内田はあんなこと………。
ブレザーを脱衣かごに放り投げると、勢いでスマートフォンがポケットから顔を出した。何となく画面を擦ってロックを解くと、アイコンが二通のメール着信を知らせていた。一通目は予想通り羽織から。
『
だから、何で二度繰り返す。
あくまで体調不良を疑わず、復帰を急かさず、それでいて決して逃がさないぞというこの感じが恐ろしい。
返事は保留にして二通目のメールを開いた。LINEではなく、未登録アドレスのEメールって時点で相手は察しがつく。
メールのタイトルは、『お手本』。
本文に文章はなく動画が添付されているだけだ………これってまさか。
動画を再生してみると、聞こえてくるのはお馴染みのあのメロディ。画面に映し出されるのは知らない部屋の知らない壁と、
「……内田?」
制服姿で踊る内田先生。
これって、お手本動画ってやつ? これを送るためにアドレスを聞いたのか。しかも、曲付じゃん。わざわざダウンロードしてくれたのかよ?
そこから、一分三十秒。淡々と踊り切った内田はさっと顔にかかった髪をかきあげ、
「保存しときなさいよ、オンリーロードランナーさん」
そこで動画は終了した。
なんだろう、あいつは憎まれ口叩かなくちゃいけない呪いにでもかかってるのか。とはいえ………。
もう一度動画を再生してみる。
「何してるの、お兄ちゃん。早くお風呂入ってよ」
「ああ、うん」
廊下から聞こえてきた栗の声に生返事を返す。どうやら、風呂上がりにもう一汗かくことになりそうだ。
深夜。
「あー、終わっぶはあ!」
舌もまともに動かせない程ヘロヘロになった僕は、汗だくのままベッドに崩れ落ちた。
んばー……やった。やってやったぞ。何時だ、今………………え、十二時半、マジか? 四時間もかかったよ。マラソンじゃん、こんなもん。
でも、やってやったからな、こら。
地獄のような疲労感と、心地よい達成感に包まれて目を閉じる。このまま眠りにつけたらどれだけ幸せだろう、でも………。ギシギシになった右手を持ち上げ、枕元に放って置いたスマホを掴んだ。
宛先:内田
本文:百回やったからな!
送信っと。よし、ザマーミロ、内田め。ロードランナーなめんよ。はあ、これで安からに眠れる…………………と、思った矢先。
――ブブブブ。
右手に握りっぱなしだったスマホが震えた。
着信だ。嘘だろ? どこのバカだ、こんな時間に。メールでも非常識なのに電話とかありえねーぞ。
「もしもし!」
一向に静まる気配のないスマホの画面を擦り、不機嫌さを前面に押し出した声を送話口に叩き込むと、
『ホントにやってどうするのっっっ!』
スマホが破裂しそうな怒鳴り声が受話口から押し返して来た。
ええっと………誰、この人? ディスプレイに表示されているのは未登録を表わす数字の羅列。
『あなた、本当に百回も踊ったの? ストレッチはちゃんとした?』
「ん、踊る? あ、お前、内田か!」
『ふざけないで! ストレッチはしたの?』
「あ、いや、してないけど?」
『だと思った、だから素人は。体壊すわよ、お風呂上がりにちゃんとやりなさい』
「あー、いや、風呂はもう入っちゃったし」
『なんで練習前に入っちゃうの! どこまでバカなの! もういいからストレッチだけは絶対やるのよ、わかった?』
「………はい」
『はあっ!』
さよならでもなく、お休みでもなく、大きな溜息を最後に残して電話は切れた。僕はスマホを耳に当てたまま、しばし呆然として天井を見上げる。
えーっと、僕、何で怒られた? 言われたことを言われたままやっただけなのに………もういいや、寝よ。
と、瞼を閉じた瞬間、またしても手の中のスマホが震える。
今度はメールだ。差出人は怒りんぼ内田、タイトルは『寝るな』。
以下本文に延々とストレッチのやり方が続く続く続く続く続く続く…………………長っ。どんだけスクロールしても終んないよ。よくこの短時間でここまで打ったな、こいつ。つーか、今からこんなにみっちりストレッチとか無理だし。もう寝る体勢整ってるのに………ん?
閉じかけた瞼を開かせたのは、メールの最後の一文。
僕はムクリとベッドから起き上がると、それから二十分かけてメールの指示通りに隅々まで筋肉を伸ばした。そして、体を冷やさないよう丁寧にタオルで汗を拭い、電気を消して再び布団に潜り込む。
暗闇の中、最後にもう一度内田のメールの最後の一文を確認し、僕はすぐに深い眠りへと落ちて行った。
『本当に百回もやるなんてすごいね。バカだけど見直した。』
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