1話 今時部活強制とかありえない

「えっと、だからですね。なぜ今日居残りさせられているか分かりますよね? えーと、瀬野君せの。瀬野……れん・と? ………おほん、瀬野蓮冬せのれんとくん」


 担任の小宮さおり先生は、机の上に広げた出席簿をガン見しながら辛うじて僕のフルネームを読み上げた。

「………はあ」 

 僕は困惑を隠せないまま曖昧な返事をする。

 

出席簿って生徒の目の前で堂々と開いてていいもんなんだっけ? 丸見えなんですけど。不穏な記号や書き込みが丸見えなんですけど。いくら今年赴任したばかりの新人教師だからって………色々とねえ、小宮先生。

 

 一緒に出席簿を凝視するのもの気が引けて、何となく窓の外に視線を逃がした。

 先週、盛大に寒の戻りがあったせいだろうか、校庭の桜は四月の終盤を迎えてもなお、若々しい緑の中に鮮やかなピンク色を残している。そんなまだらの桜に囲まれたグラウンドを、我が物顔に走り回るボールを使う部活の部員達。野球部、バスケ部、バレー部、サッカー部。文化部の部室棟から漏れてくる楽器の音色と春の日差しに彩られ、彼らはまるで青春の権化のように見えた。


「聞いてるんですか、瀬野君!」

「あ、はい、すんません…………」

 それに比べて教室の隅で居残り説教食らっている僕はいったいなんだろう。

 ………青春の絞りかす。

 

 いかんいかん。不意に浮かんだ死にたくなるようなフレーズを、首を振って頭から追い出した。落ち着け、僕。弱い心に支配されるな。大丈夫だ、僕の青春はまだ始まったばかりじゃないか。これからいっぱい楽しいことが待ってるんだよ。よし、とりあえず小宮先生の顔見とけ。学校一の美人教師の顔を眺めて青春エネルギーを補給しろ。


「いいですか、瀬野君。学生の本分は確かに勉強です。でも、それだけじゃいけないの。私の結婚を考えてる彼も小中高大とずっと帰宅部だったんだけどね………」

 あれ、先生彼氏いたの? 学校一の美人だって紹介してんのに、何サラッと男の存在カミングアウトしてんですか。


「……ほんとにもうコージったら、何を思ったか社会人になってから急に演劇に目覚めてね。私に何の相談もなしに会社辞めちゃって、もう大喧嘩よ。付き合って以来の大喧嘩。あんな頑固な人だと思わなかったわ。ねえ、私どうすればいいと思う?」

 知りませんよ、早急に別れてくださいよ。つーか、何の話してたんだっけ、僕ら……。


「まあ、そういうことだからね、瀬尾君」

 先生は仕切りなおすように眼鏡のセルフレームを持ち上げると、

「お願いだから、部活に入ってちょうだい」

 真剣な眼差しでそう言った。

 ……ああ、そうか。そういう話でしたよね。

  

 僕、瀬野蓮冬がこの四月から通うことになった県立伊吹いぶき高校は県最南端の三つの中学を校区に収める公立校であり、特に勉強熱心というわけでもない普通の生徒が普通に進学する、いわゆる『普通』の高校だ。ただ一つ、学生たるもの皆須らく部活動に勤しむべし、というはた迷惑な不文律が存在するところだけが強いて挙げれば特徴といえなくもないだろうか。


 普通とはマジョリティの裏返し。高校進学を選択する中学生の大半が伊吹高校に進むことになるわけで、部活重視の校風もすでに各中学に知れ渡っており、大抵の受験生はある程度希望する部活を定めてから願書を出すのが、これまた普通だ。

「ねーねー、ココアちゃんはどこの高校受けるのー? あたし伊吹なんだけどー」

「きゃー、クランベリーちゃんも伊吹なのー? じゃあ、受かったら一緒に部活決めよ?」

 なんて会話が中学で普通に聞かれるくらい入学と部活がセットで捉えられている。

いや、例えばの話だよ? 身近にいないよ? ココアちゃんとかクランベリーちゃんとか。

 

 まあ、つまり何が言いたいかというと、僕みたいに仮入部期間ギリギリまで部活が決められない生徒はごくごくまれだということだ。男子は特に即決する傾向があるようで、薄々覚悟していた通り、僕がクラスで最後の部活未所属男子であるらしい。

 そして……。


「あなたも聞いてるんですか、内田さん!」

 僕の隣で、私は何も関係ありませんとばかりの顔で佇んでいる内田が、クラスで最後の女子なのだろう。

「あなたは仮入部すらしたことないじゃない。もう入学して三週間も経つんですよ、内田さん。内田……えっと……有しゅさん。あれ、違う。ありしゅしゃん。あれ? 内田りゃりしゃしゃん! あれれ?」

 いや、名簿見ながらどんだけ噛みたおすんだ、この人は。

 本来なら苛立つはずの教師としてあり得ないほどのボケボケぶりも、この人がやると誰もが笑って許せてしまうから美人は得だ。


内田有栖ありすです。入学してからもう三週間も経つのに、まだ受け持ちの生徒の名前も覚えられないなんて本気で覚える気あるんですか?」

 

 ……………………。


えー、どうやら誰もが許しているというわけではないようだ。

小春日和の教室が一瞬にしてデイアフタートゥモローを迎えた。

なに、こいつ。めっちゃこえーじゃん。目も口調も冷た過ぎるだろ。


「え、あ、あの………ごめんなさい」

 ああ、先生しょんぼりしちゃったよ。やめてやれよ。小宮先生、プライベートが大変なんだぞ。まったく相変わらず冷たいやつだな、内田…………えっと、有栖だっけか? 


……なんだよ、可愛い名前があるんじゃん。

ちらりと隣人の顔を盗み見た。怒っているのか、呆れているのか、はたまた悲しんでいるのか、一切の感情が読み取れない仮面のような顔。ただし、仮面は仮面でもこいつがかぶっているのは国宝級の名人の手による最高クラスのヴェネチアンマスクだ。


 ………今日も綺麗ですね、ヒャド子さん。

 ショートカット? ボブカット? どっちの名で呼ぶのか知らないけれど、女子にしては短めに切り揃えられたサラサラの黒髪。細い顎。白い肌。涼しげを通り越して寒気すら感じさせる大きな両目の上では、直線的な眉が鋭角を刻み、ただでさえ冷たそうな印象に厳しささえも加えている。余計な肉を全てそぎ落とした体型は、女の子的な柔らかさやボリュームまで一緒にこそぎ落としているのが玉に瑕だけれど、全体としてはやはり文句のつけようのない別嬪さんだ。入学式直後の一時、氷河期以来の美少女がやってきたと持て囃されたのも納得がいく。


 ………ま、本当に一時だけだったけど。

天性の美貌を起爆剤にしてロケットスタートを決めた内田人気は、三日もたたないうちに、やはり持ち前の冷淡さによって豪快にスリップしてクラッシュした。


とにかくね。男に冷たいんだ、内田さんは。

 交際の申し込みや遊びの誘いはもちろん日常会話すら拒絶する内田の冷酷さは、上級生まで混じっていた取り巻き男子の熱い恋心を片っ端から凍結させ、桜の花が散り始めるころには、氷河期云々の仰々しい称号もクールをこじらせたコミュ障女という汚名に取って代わられていた。


んで、ついたあだ名がヒャド子さんと。

今となってはそのあだ名ですらもこうやって二人で居残りさせられてようやく思い出す程度にまで存在感が霞んでしまっている。自業自得というか、奢れる美女も久からずというか。女の子はやっぱり愛嬌だよねって話です。以上、内田ヒャド子さんの教訓に満ちた栄枯盛衰の物語でした。

 で、何の話してたんだっけな………?


「と、とにかく、先生も一刻も早く皆さんの名前を覚えますので、あなたたちも一刻も早く入る部活を決めてください。いいですね?」 

 ああ、そうだったそうだった。そういう話をしてたんだった。僕の思考を読んだかのように小宮先生が滞った議論を再開させ、

「いやです」

 内田が素早く終わらせた。


「ちょ、いやってなんですか、内田さん! だめです。伊吹生たるもの必ずどこかの部活には入ってもらわないと――」

「そんなこと生徒手帳には書いてません。校則じゃないなら従いません。そんなバカみたいなルール」

「バ、バカって、あなた――」

 バ、バカって、お前………。 

 思ってても面と向かって口に出すやつがあるか。絶句、小宮先生絶句だよ。

 そして、内田は自らの暴言が生み出した間隙を逃さずに椅子を引くと、

「帰ります」

 ……マジか、こいつ。


 席に戻って帰り支度を開始した。

「ま、待ちなさい、内田さん!」

 うん、そうなるよ。さすがの気弱な新任教師も机を叩いて立ち上がるよ。いいよ、先生、あってるよ。ここは怒らなくちゃいけないところだから。さあ、いっちゃってください。もうビシッといっちゃってください、先生。


「ルールを破ることは許しません。いいですか、今月末までです。仮入部期間が終わるまでに、必ずどこかの部に入部しなさい。さもないととても困ったことになりますよ!」

 怒れる小宮先生は気丈な態度で教師の威厳を示すと、


「――――」

「………わ、私が」

 

ヒャド子さんの一睨みであっさりとそれを引っ込めた。


        ※

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