48話 客の顔をあえて見ない役者もいる
「最後だよ、レント君。頑張ろ」
隣に寄り添った桃紙さんが僕の腕をつついて笑う。
――最後。その言葉を聞いた途端、音が鈍った。
全ての音が消えそうなほど遠ざかった。まるで水の中から外の音を聞くように。
だめだ。
だめだだめだだめだ。
落ち着け、僕。内田とのレッスンを無駄にする気か。そうだ、内田先生の言葉を思い出せ。えーっと、なんだっけ? そうだ、顔を上げるんだ。
途端に、視界に飛び込んでくる群衆の顔、顔、顔。
視線がレーザー光線のようにステージに降り注いているのがわかった。
最前列に軍艦クラブ、その後ろに一年生とその他の上級生と………
ああ、ランゴンテ! ランゴンテもいるじゃん! まさか、初回からずっといてくれたのか?
すごいな、僕。今まで誰の顔も見ずに踊ってきたのか。でも、今は違う。お客さんの顔がよく見える。でもだからこそ、その視線が体を縛る鎖となって…………………………………あっ。
体が嘘のように軽くなった。
群衆の奥の奥、視界の端にその影を捉えた瞬間、鎖は一瞬にして溶け落ちた。
音が聞こえる。
ベールを脱いで飛び出した。
鼓動はさらに跳ね上がるけれど焦りはない。
声援は重圧ではなく、僕の心を奮い立たせて躍らせる。
左に誰かが飛び込んできた。
僕の右にはミシェルさん、ウィンクをくれる。
フォーメーションチェンジだ。以前、蹴り飛ばされたちゃーさんが、
「ふー!」
と、すれ違いざまにタッチをくれた。
僕の前にはお
ラジカセの脇に待機している
「
そう気付いた瞬間、あんなに難しかった笑顔が、ごく自然に浮かんでいた。
※
こうして、夢のような一分三十秒は瞬く間に終了し、サンデーゴリラのゲリラライブ千秋楽は大盛況のうちに幕を閉じた。
まあ、いくらライブが盛り上がろうとも、結果的に集まった入部届は今日もウニ姫目当てのラブレターばかりだったので、当初の目的である部員集めという観点からすれば、今回のゲリラライブは大失敗ということになってしまうのだけれど。
それでも、意気揚々と引き上げる先輩達の後について第二音楽室に帰った僕は、
「蓮ちゃ――――ん!」
「んぶうっ!」
即座に思い切り羽織に抱き締められた。
「すごいすご――い! どうなってるの? 今日のダンスすっごく良かったじゃない!」
「ちょっと、離せ、羽織。大袈裟だって……」
「大袈裟ちゃうわ、ハゲ――!」
「ぐぇぇっ!」
背中に飛び着いてきたちゃーさんが、首に手を回してぶら下がる。
「ほんま急にめっちゃウマなってたやんけ! どないしてん、惚れてまうやろ、こらー!」
「ホント見違えたわよね、坊や。昨日の空白は秘密特訓ってわけ? 油断ならないわ~」
「ミ、ミシェルさんまでやめてくださいよ、恥ずかしいっすよ」
僕がどう特訓したところで、あなたの方が遥かにうまかったわけですし。
「ほほほ、謙遜しなくていいのに。どう、ガミエ? あんたが一番坊やの良さがわかったんじゃないの?」
そう言ってミシェルさんが桃紙さんの背中を叩く。
「うえっ? や、止めてくださいよ、ミシェルさん! あ、あたしは、他の人を見る余裕なんてその、あの………ふひゅうぅぅぅ」
余程強く叩かれたのだろうか、桃紙さんが真っ赤になって顔を伏せた。
「ね、ね、一光。今日はもう蓮ちゃんで決まりだよね?」
「ん? ああ、まあ、そうだな。今日のMVPはレントだ」
羽織に促され、一光さんが本日の順位を宣言すると、
「「「異議な――し!」」」
部員達が賛成の意を拍手で示した。
「ちょっと、止めてくださいって。恥ずかしいですから」
嘘です、止めないでください。ヤバい、嬉しい。知らなかった、人から受ける拍手ってこんなに気持ちのいいものなんだ。これは………癖になる。
――ガザゴソガサゴソ
ん、何の音だ? 拍手のパチパチに混じって聞こえるこの異音………。
「おーい、お鈴ー。おめーは不満かー?」
音の発生源に向かって一光さんが呼び掛けると、
「あぁ? 何よ?」
ラジカセやらメガホンやらを必要以上の大きな音を立てて片付けていた副座長が振り返った。ゾンビメークのままでいつも以上に不機嫌そうに眇められた目に、部員達の「わかってるだろ」という視線が集中する。そして、沈黙に押し出されるように、
「……………ま、今までの中では一番良かったから、レントでいいんじゃない?」
お鈴さんは吐き捨てた。
「「「ふー!」」」
途端にまた拍手と歓声が湧き上がる。
「ただし!」
その盛り上がりを切り裂くように、お鈴さんがビシッと人差し指を突き出した。
「あくまで今までのレントの中ではって話だからね。単純なダンスの比較ではちゃーやミシェルの足元にも及ばないんだから調子に乗ってると殺しまくるわよ、ヘタクソ。それと秘密特訓は今後一切禁止だから」
「ええ、なんでですか⁉」
「当っっったり前でしょうが! うちにはうちのやり方ってもんがあんのよ! うちらの目の届かないとこで勝手な練習して変な癖でもつけられちゃかなわないわ」
「そんな………」
「わかった? 一年坊主」
ぐぐぐ、なんだ、この人。せっかくスゲー自主トレ頑張ったのに。褒めてくれてとは言わないけど、そんな言い方するか、おい。
「ふん」
僕の恨みがしい目を避けてお鈴さんは顔をそらすと、
「練習がしたいのなら、そう言えバカ。朝までだって付き合ってやるっつーの」
拗ねたように唇を尖らせた。
………えーっと、今の発言はどう捉えたらいいのだろう。
「おら、レント。演劇界の常識その四だ」
考えあぐねていると、一光さんがいつものようにガッと肩に腕を回し、
「ぎゃんぎゃん叫ぶやつは寂しがり屋」
ニヤついた顔で囁いた。
「あいつはな、どんな理由があろうと本番で仲間が減るのが嫌なんだよ」
「え?」
「秘密で特訓なんて寂しいことすんなよ、仲間だろ?」
そして、高らかな声で笑い飛ばす一光さん。その笑い声は、どちらかと言えば僕というよりお鈴さんの背中に向けられているような気がした。
この人は、本当に人の気持ちが読めるんじゃないだろうか。疑いは増すばかりだ。
「よーし、それじゃあ、MVPも発表したところで、最下位も発表しとくぞー」
ひとしきり笑い終わった後で、一光さんが声を上げる。
「最下位もレント!」
………は?
「「「異議な――し!」」」
またしても部員達の声が唱和する。
「ちょ、ちょ、ええー、待ってくださいよ! 何でMVPの僕が最下位なんすか?」
「ああ? 連絡もなしに三回も本番に穴開けたボンクラ以外に最下位がいるかよ」
僕の抗議を相変わらずの眠そうな顔で跳ね返す一光さん。
「ま、こればっかりはしゃーないわなー、
「三回分だからね~。頑張って、坊や」
ウソウソ、そりゃないでしょ、先輩方! 何か言ってよ、おねーちゃん、桃紙さ…………あー、頷いてる! 二人とも深々と頷いてる!
「さ、罰ゲームどうする、お鈴?」
座長に促され、鬼副長は待ってましたとばかりにチャームポイントをギラつかせ、
「コンビニまでパシリ。ポカリ千本買ってこい」
「店でも開く気か!」
と、喉まで出かかった抗議の言葉は、
「はーい、わっかりましたー!」
舌先を通過すると真反対の意味に変わって口から出てきた。
「ウソ、蓮ちゃん、ホントに行く気?」
目を丸くする羽織を尻目に、僕は着替えを持って部屋から飛び出す。馬鹿げた罰ゲームだけれど、今だけは与えてくれた鬼副長に感謝だ。
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