12話 鉄の絆ってゆーか。鎖
放課後。
「起立、気をつけ、礼!」
日直の号令に合わせて腰をおり、そのまま頭を上げることが出来ずに膝を崩して机に突っ伏した。
ああ、やっと一日が終わったか。
今日はなんか、長かったなあ。頬を机に貼りつけたままもそもそと教科書を鞄にしまう。ひどく腹が減っているけど、今日はまだ帰るわけにはいかない。今日こそは仮入部を決めてしまわないと。
「よしっ」
空っぽの腹に力を込め、短く息を吐き出して頭を起こすと、
「将棋部行くか」
「なんでっっ!」
隣で
「ちょ、ちょ、待って、
錫ってなんだよ、間違えるにしても銅だろう……なんて、もうツッコまないからな。
「もういいから、桃紙さん」
努めて穏やかに、しかし、確かな感情の重みを手に込めて、僕は通せんぼをする桃紙さんの腕をゆっくりと腰まで下ろさせた。
「僕さ、散々付き合ってあげたよね?」
そして、真正面から目を見据えて言う。
「瀬野君………?」
「朝からずっと。いや、一昨日からずっと君ら演劇部の茶番に付き合ってあげたよね?」
「違うの、瀬野君」
「そりゃ、僕も悪かったよ。考えるなんて曖昧な言い方して変に期待持たせちゃったからさ。だからもうはっきり言うよ。僕は演劇部には入らない」
「だから違うのよ、瀬野君」
「何が違うんだよ、ずっと演劇部に入れようとしてただろ」
「うちら演劇部じゃなくて演劇研究会なの」
「そういうのも、もういいから!」
「よくないよ! だって………」
「ねえ、なんで僕なの?」
「え?」
そうこれだ。僕がずっと疑問に思っていたことは、これなんだ。
「一年生は僕だけじゃないだろ。誰でもいいじゃん。桃紙さん友達多そうだし、頼んだら入ってくれる人なんていっぱいるだろ。なんで僕なんだよ」
「そんな、誰でもよくなんかないよ。だめなの、瀬野君じゃなきゃ」
「なんで?」
「なんでって、それは……その……」
質問を重ねると、桃紙さんは今にも泣き出しそうな表情で僕を見上げる。大きなカーブを描く瞼の端にうっすらと光るものが見えた。
ああ、だめだ。それをやったら終わりだよ、桃紙さん。
嘘泣きとか。
僕がどれだけ長い間女に囲まれて生きて来たと思ってるんだ。そんな嘘泣きはとっくの昔に見飽きてる。
「瀬野君………」
もういいよ、僕の中で君の評価は固まった。その嘘泣きが決定打だ。君は自ら墓穴を掘ったんだ。だからもうやめろ。その………………可愛い表情をやめろ。
「あたし……あたしは…………」
いや、ホント、止めてくださいよ。眉をハの字に傾けながらギュッと唇を噛みしめて、精一杯涙を我慢してる感じの、その庇護欲そそられるたまんない顔をどうかやめてくださいよ。ただでさえ可愛い顔してんのに、反則だよ、その表情。昼休みはあんな大根芝居だったのに、なんで泣きまねだけそんな上手いのさ。
「じゃ、じゃあ、もう行くし」
これ以上この子の顔を見ていると抱きしめたくなってしまう。僕は顔を伏せて言い捨てると、そそくさと桃紙さんの脇をすり抜けた。
「待って、瀬野君!」
しかし、桃紙さんは諦めない。必死に後から追いすがり、僕の腕を、
――――ガチャリ。
と、掴んだ。
ん? 何かおかしかったな、今。何だ、今の音。腕を掴むならガシィだろ。もしくはパシッだろ。何でガチャリ? 違和感はまだ右手に纏わりついている。恐る恐る振り向くと、僕の右手首には振り子のようにブラブラと揺れる銀色の手錠。
………え?
「ええええええ! て、手錠? なにこれ、なにやってんの、桃紙さん!」
「きゃー、なにやってんのあたしー! ごごご、ごめんなさーい。わざとじゃないのー!」
「わざとじゃなくて、手錠なんかかけられるか! つーか、何でこんなもん持ってるの! 怖っ、怖っ、この人、怖っ!」
「ち、違うの違うの。これはお芝居の小道具で、たまたま鞄に入ってたから。ああああ、ごめんなさいごめんなさい。本当に悪気はないの、怒らないでー!」
「もういいよ、とにかく外してくれよ、これ」
「は、はい! 少々お待ちを。えっと、確か鍵がここに………」
桃紙さんはパニクった猫型ロボットのように通学鞄の外ポケットをあわあわと漁り、次に内ポケットを探り、鞄の底をさらってからまた内ポケットに戻り、
「ごめん、鍵は部室だった」
最後にぺこりと頭を下げた。
「マジでかっ! マジで言ってるのか、それっっ!」
「ごめんなさいごめんなさい! 部室にはちゃんとあるから今から行こ?」
「行かないよ。演劇部の部室なんか、行ってたまるか!」
「え、でも、そうしないと鍵が………」
「取ってきてよ」
「へ?」
「教室で待ってるからさ。鍵取って戻って来てよ」
「ああ、なるほど」
桃紙さんはポンと手を打つような仕草で、
――ガチャリ。
と、自分の腕にもう片方の手錠をはめた。
「うお―――い! 何やってるんだ、それええええええ!」
「きゃ――! 何やってるの、あたしぃぃぃ! 違うの、これはワザとじゃないの――!」
ワザとじゃなけりゃ、病気だろ、もう!
「どうすんの? これ、どうすんの?」
小道具とはいえ手錠は手錠だ。お互いの手首にガッチリとはまった鉄輪は力を込めても開かないし、引っ張っても鎖はちぎれない。
「いたたた、引っ張んないで、瀬野君。外すから、ちゃんと外すから一緒に部室行こ?」
「行かないっつってんだろ!」
「えー、でもー、一緒に来てくんないと鍵取りに行けないよー?
こ、このやろー。
「ちなみにあたし、さっきから猛烈にトイレに行きたくって、このままだとお互いすごい距離でとんでもない経験をすることになるかもよ?」
うわぁぁぁ、忘れてぇ! 倫理感とか道徳感とか全部忘れて、この子の横っ面を握りしめたこの拳で何とかしてぇぇ!
「ああっ、女の子に手を上げる気? いいの? あたしのダムは決壊寸前なんだよ。ショックでとんでもないことになるよ? 高校の思い出全部塗り潰されちゃうよ?」
「むぐぐぐぅぅ。ふぅ~~~~~~~~~」
全身に満ち満ちた怒りを細長い息に変えて、肺の奥から絞り出した。
……そうだ、落ち着け、僕。桃紙さんの言う通りだよ。女の子を殴るなんて、絶対にやっちゃいけないことじゃないか。
「………わかった。じゃあ、行こうよ。部室に」
低く低く抑えた声で、僕は言った。
「え、ホントに来てくれるの! やったー。ありがとう、瀬野君。いや、レント君☆」
……抑えろ。抑えろ、僕。暴力は絶対だめだぞ、少なくとも周囲の目のあるうちは。
「うひひひ。レント君、かーくほ。それでは部室に連行しまーす」
上機嫌で行く手を指差す桃紙さん。繋がれた僕の右手も強制的に同じ方向を指すことになる。
こうして、さまざまな思惑と感情を鎖一本で繋ぎつつ、僕らは仲良く並んで教室を出るのだった。
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