45話 世の中だいたい顔でごまかせる。


「ねえ、何でそんなに頑張ったの?」

 

内田にそう問われ、僕はどきりとして振り返った。『サンデーゴリラを辞めるつもりだったくせに』、そう言われた気がしたからだ。


「何でって………何でだろう?」

「何で?」

「何か………テンションあがっちゃって?」

「だから、そのテンションが上がった理由を聞いてるんだけど」

「それは…………」

「それは?」

「う、うるせーな。知らねーわ、そんなん。いいだろ別に。そんなことよりほら、練習やろーぜ。時間ないんだし。褒めてくれるのも嬉しいけど、悪いところとかあるんだろ?」

 なぜだか妙に照れ臭くて、無理矢理に会話の流れを変えた。


「うーん、悪いところねぇ」

 内田はパンを齧りながら目を眇めると、

「顔かな」

「………できれば改善できるところがいいんだけど」 

「できるわよ」

「いや、こればっかりは無理だろう。さてはメスか、メスを入れろって言うのか、おい」

「――ちっ。だからぁ」

 またぞろ内田は舌を鳴らすと、

「顔上げろって言ってんの」

 僕の顎にこつんと拳を当てた。


「へ? 上げるって………」

「ステップに不安があるとどうしても目線は下向きにがちになるもんだけど、そこはグッと堪えて顔を上げる。そして、笑顔」

「笑顔………?」

「笑って」

「………こうか?」

「気持ち悪っ! ふざけないで!」

ふざけてねーわ、渾身の笑顔だよ!

「いいわ、じゃあ決め顔よ。飛びっきりのイケメンになって」

「決め顔って…………こう?」

「ふざけないでって言ってるでしょ!」

「精一杯やってるよ! なんだよ、もう! 顔なんて踊りと関係ないだろうがよ」

「大ありよ」

半泣きになって喚く僕に、内田は真顔で言い返す。


「え、マジっすか? 関係あるんすか? ダンスに? 顔が?」

「――ちっ。これだから素人は………」 

 ………あ、まただ。内田はまた舌打ちしながらキョロキョロと辺りを見回すと、

「ああ、あれでいいや。あれ見て。隅の方で赤いラケット振ってる、ほら、黄色い靴の」

 テニスコートで朝練中の女子テニス部を指差した。

「赤いラケットの黄色い靴って………ああ、新堂さんか」

 同じ中学だったから知っている。一個上の新堂彩菜さんだ。スラリと鼻筋の通った美人さんで、本人は気にしてるみたいだけど、左目の泣きぼくろが色っぽくて………。


「顔見てるでしょ?」

「え?」

 ぱんぱんとパンくずを払いながら内田が言う。

「わたしは赤いラケットの黄色い靴としか言ってない。けど、あなたはあの人の顔を見てるでしょ?」

「あ、確かに見てるけど………いや、見るだろ、普通」

「そうよ。普通、人間は人間を見ろと言われたらまず顔を見るの。それほど顔ってのは重大な情報なのよ。ステージでもそう。ダンスを専門にやっている人間でない限りまずは顔を見る。その時に自信なさげに下を向いている人がいたらどう?」

 再び内田の拳が僕の顎を突っつく。

「どんなにうまく踊ってても下手に見えるもんよ。逆に自信満々の顔で踊っていたら、例えフリを間違えても、ああ、あそこはそういうフリなんだって思ってくれる」

 そ、そーなんすか。


「だから、笑顔」

 内田は両手の指を僕の頬に突き刺すと、無理矢理口角を上げさせた。

「ね、すぐに改善できるでしょ?」

「ああ、うん………」

 いや、指が! 女の子の指が僕の顔に! 恥ずかしいやら嬉しいやら!

「後はそうだな、リズムかな」

 僕の頬から指を引き抜いて内田が言う。

「リズム? ずれてるってこと?」

「そう。フリの手数が多くなると慌てて走る傾向があるわ。気持ちはわかるけど、そんな時こそ落ち着いてリズムキープ。心の中で手を叩くの。ワンツー、ワンツーってね」

 胸の前で手を叩いて見せる内田………………何か、シンバル叩く猿みてーだな。 

「今なんか、失礼なこと考えてなかった?」

 内田の眼光がギラリと閃く。一光いっこうさんといい、内田といい、どうしてみんな軽々と僕の思考が読めるんだろう。

「ふん。まあ、いいわ。取りあえず、すぐに改善できる点は以上よ。何か質問はある? 気になるところとか」

「あ、じゃあ、一ついいか?」

 不機嫌そうに髪の毛をかき上げる内田に、僕はおずおずと人差し指を突き立てて、


「内田ってさあ、どっかでダンスやってたの?」


 昨日の放課後からずっと気になっていたことを質問した。

「………え?」

 途端に内田の顔色がガラリと変わった。

「なによ………なんでそんなこと言うのよ?」

 そんなにおかしなことを尋ねただろうか。そこまで声が震えるほど、瞳の奥が震えるほど。

「なんでって、ほら、なんかスゲー色々詳しいし」

「べ、別に………これくらい普通だと思うけど」

 そう言う内田の様子は、とても普通だとは思えない。

「それにあれじゃん。内田って、たまにこれだから素人はとか言うよな?」

「――あっ」 

 とまでは言わないけれど、露骨にしまったという色を表情に覗かせる内田。そう、この言葉は自分を玄人だと認識していないと出てこない。


「なあ、内田」

「なによ!」

 僕の言葉に殴られたように、ビクリと肩を震わせる内田。

「もしまだ部活って決まってないならさ――」

「入らない!」

「ええっ、はえーな、おい! 僕まだ何も――」

「う、うるさい、わたしは演劇部には入らない!」

だから、拒絶が早いって。もはや動揺を隠そうともしない内田は、昨日のリプレイのようにあわあわと鞄を拾いあげ、

「も、もう行くわ。あなたは時間いっぱいまで練習してなさい」

「お、おい、内田!」

「このレッスンのことは誰にも内緒だから」

 最後に、副将軍の印籠のようにスマホを突き付けて走り去った。


 ……いや、反応が過剰すぎるだろ。演劇研究会に入ってくれなんて、僕はまだ一言も言ってないじゃないか。本当にどうしたんだよ、内田先生。


まるで、ずっとその言葉を恐れていたようじゃないか。


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