20話 学生劇団でキスシーンとか引くだけですから


「ふうぅぅ~~~~~~」


一人きりになった途端、内臓が二、三個転げ出ていくような深い深い溜息が漏れた。さっきまでが騒がしすぎたせいだろうか、誰もいない廊下の静けさが耳に痛い。

左肩に食い込む鞄を右にかけかえて歩き出す。ぬかるみのような廊下を一歩踏みしめる度、すずぶずぶと顎が沈んだ。


 なんだろう。どうしてこんなに足が重い。ようやくあの変人集団から解放されたというのに、ようやく煩わしい部活問題が解決するというのに、どうしてこんなに、心も体も鞄も全部重い。


『ガンガン避けられてると、やっぱ………キツいから』


 桃紙ももがみさんの言葉が頭の中で蘇った。やっぱり気付いてたんだな、避けてること。将棋部頑張ってだってさ。頑張らないよ、駒の並べ方も知らないのに。


 足取りはどんどん重くなる。

 こんなやつが入ってきたら将棋部もいい迷惑だろうな。かといってサッカー部には戻れない。今更他の部活というわけにもいかないし………。

 いや、いくか。全然いくよな。別に何部だろうが、将棋部だろうがサッカー部だろうが入ろうと思えばどこでも入れる。でも……。

 気が付くと足は止まっていた。思えば、人からあんなに歓迎されたことって今までの人生で一度もなかったかもしれない。


『一緒に芝居やろーやー。絶対楽しいで』

今度はちゃーさんの言葉が、弾けるような笑顔とともに再演される。


『わたし達はあんたが欲しいの』、

続いておりんさんが、


『あたしの歌の続き、聞きたくないの?』

 ミシェルさんはまあいいとして、


『サンデーゴリラは、100%ウェルカムでお前のことを歓迎してんだ』

 一光いっこうさんの言葉が鼓膜に押し寄せる。

れんちゃん……』

 最後はやっぱり羽織はおりだ。結局、一光さんの最後の誘いを断ってから部室を出るまで、一度も羽織の顔を見ることは出来なかった。それでも、どんな顔をしていたかなんて大体想像はつく。


振り返ると、第二音楽室の扉が見えた。まるで僕を誘うように薄く開かれた、サンデーゴリラの部室。どうせどこかの部活に入らなくちゃいけないのならいっそ………。

 ……いや。

 いやいやいやいやいやいやいやいや。

 あほか。あほか、僕は。今何を考えてた? 

ないぞ。いくら身の置き所がないからって、サンデーゴリラは絶対にないぞ。あそこに入るっていうことは、イコール白塗り。そして、その先には………。できるのか? 公衆の面前で? あんなこと。

膝が崩れて床に手をついた。

無理。それだけは絶っっっっ対に無理だ。そんなことしちゃったら………。


「でえええええい!」


全力で床に額を打ち付けた。

リノリウムの床は低反発の枕よりはるかに硬い。眩暈のするような強烈な痛みは、しかし、熱に浮かされた僕に確かな理性を呼び戻してくれた。

よし、今だ。床を蹴って駆け出した。

そうだ、走れ、僕。なまじのろのろと歩いているから余計なことを考えるんだ。何も考えず、一心不乱に将棋部の部室まで突っ走れ。蹲った姿勢を利用してクラウチングスタートを切った僕は全速力で廊下を駆け抜け、


――がしっ!


と、第二音楽室の扉を掴んでいた。


あれ――?? あれれれれれれ―――???? 逆っ! 逆っ! 走る方向、逆っ! 

何やってんだ、僕。何で帰って来ちゃった、僕。まさか、あれか? 本能か? 僕の本能が無意識にサンデーゴリラを求めているっていうのか? いや、ない。そんなはずがない。ばかなこと考えてないで早く扉から手を離せ。もしかしたらちゃーさんか、お鈴さんあたりが扉の裏に張り付いて隙間から覗いているかもしれないぞ。一刻も早くこの呪いのような場所から離れて今度こそ将棋部へ走るんだ。それが正解なんだよ。

そう自分に言い聞かせ、僕は音が鳴らないよう静かに扉から手を離し、


 ――ガラガラ。


 扉が大きく扉が開かれた。

「……え?」


「「「「………あっ」」」


そして、予想通り扉の裏に張り付いていた、サンデーゴリラの全員と目が合った。

「いや、全員は予想外ですけどねっっ!」

「ちょっと押さないで」、「あぶない」、「うわぁっ」、「きゃー!」

「うおおおおおおおお!」

 支えを失いどたどたと雪崩を打って倒れこんでくる部員達、押さえきれずひっくり返った僕の上に人の山が積み上がる。

「いったぁ。なんで扉開けたの、ミシェル!」

 一番上のお鈴さんがミシェルさんの頭を叩き、

「あたしじゃない、ちゃーよ!」

 二番目のミシェルさんは三番目のちゃーさんを叩き、

「はあ? うちちゃうし! ガミエやろ!」

「違いますよ。うにさんですよー」

 ちゃーさんから桃紙さん羽織へと責任が下へ下へと押し付けられ、

「重い重い! そこで揉めないで! 降りてからにして!」

 一番下の僕が悲鳴を上げた。


「あらあら、底辺に誰かいると思ったら一年坊主じゃない。ついさっき出ていたはずのあんたが何をしてるの、部室の前で」

 人の山に乗っかったまま、わざとらしい棒読みでお鈴さんがニヤリと笑う。

「え、いや、それはその……あーもう、とにかくどいてくださいよ。重いから」

「な・ん・で・引き返してきたの? 答えないと揺れるわよ~、ほらほら~~~」

「ぐえぇぇー、やめて、揺らさないで。忘れ物、忘れ物を取りに来たんですよっ」

「のほほほほ、忘れ物ぉ? 下手な嘘ついてんじゃないわよ、坊や。廊下で悩み倒してのちゃーんと見てたんだからね」

 身動きの取れない僕の眉間をミシェルさんが指で弾く。

「ちょ、なんで見てるんですか!」

「何でって……ねえ?」

 ミシェルさんの視線を受けて、ちゃーさんが「うん」と頷く。

「めっちゃ帰って来そうやったやん、自分」

……か、帰って来そう?

「あんな露骨に後ろ髪引かれる感じで出ていくやつ初めて見たわー。絶対帰って来るやん思て、みんなで見ててん」

「そんな、後ろ髪なんて別に………」

「いやー、引かれてた引かれてた。ごっそり引かれた。何やったら前髪も横髪も全部後ろに引かれたで。前から突風吹いてんちゃうかと思ったもん」

 吹いてねーよ、んなもん。

「オラオラ、白状しなさい、一年坊主。やっぱり芝居がやりたくなったんでしょー?」

「あたしの歌が聞きたくなったんでしょー?」

「うちらの仲間に入りたなったんやろー?」

 ニヤつきながらさらにグラグラと体を揺する三人組。

「ぐええええ、ちょ、止めて! 違うから、そんな理由で帰ってきたんじゃないから!」

「まあ、この際理由なんてどうでもいいんだけどよ」

 僕の顔の横に膝をついたのは、ちゃっかり将棋倒しを逃れていた一光さん。

「重要なのは結果として帰ってくることを選んだお前の気持ちだ、ほらよ」

 そして、指に挟んだ入部届を目の前にひらつかせる。

「特別に『瀬野蓮ノ』まで書いといたぞ。あと一本足して『人』にしてくれりゃいいや」

「ちょっと、何勝手なことしてるんですか! 入んないっていってるでしょうが」

「ここまで足突っ込んでおいてよく断れるな。お前らもうちょっと揺らせ、震度四だ」

「やめてー!」

マジで吐くから。伊吹デニッシュがもう喉の辺りまで返ってきてるんだよ。ちょっと口の中がまずいんだよ。


「ねえ、蓮ちゃん。何がそんなに嫌なの?」

「え……?」

 そう尋ねたのは、それまでずっと黙っていた羽織。顔にうっすら苦悶の表情を浮かべているのは四人分の重さを背負っているからだけじゃないだろう。

「あたしは、蓮ちゃんと一緒に部活をやりたいよ。蓮ちゃんは何が嫌なの」

「何がって……」

 今それを聞くか? この状況で。

羽織が担っているのは人間ピラミッドの下から二段目、つまり僕と直に体を接している。潰れるほど、強く。鼓動を感じられるほど密接に。

「い、嫌に決まってるだよ、あんな……」

「あんな、何………?」

ともすれば、触れ合ってしまいそうな距離にある羽織の唇が答えを求めるように、少し動き、

「キスとか、出来るわけないだろう……お前と」

「え……」

 そのまま固まった。

 ばか、何を驚いているんだよ。それが以外になんの理由があるんだよ。

 白塗りなんて別にいいよ。ホラーテイストでグネグネ踊るのもの恥ずかしいけど別にいい。でも………それだけは絶対だめだ。キスとかは、だめだ。あの時は同性同士だったかもしれないけれど、それが異性で行われない保証がどこにある。むしろそっちの方が話としては自然なんだから。つまり、サンデーゴリラに入るということは、羽織とその……してしまう可能性があるってことで。それだけは絶対にだめなんだ。

「瀬野くん……」

 羽織の硬直はその上の桃紙さんにも伝わり、そのままちゃーさんミシェルさんと登って行く。

「少年、お前……」

 そして、最後に傍らの一光さんにまで伝播し、


「だーーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」


 大爆笑となって廊下に爆ぜた。

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