9話 また回想、パンモロでどうか一つ……


 ――しゅるしゅるしゅるしゅる。


 足元から迸るロープ音。何事だ、などと思う暇もなく、

「ひぃゃあああああああああああああああ――――――――――――――!」


 羽織はおりが逆さ吊りに吊り上げられた。


ええええええええええええ! な、な、な、何これぇぇぇぇぇぇぇ! 

 罠? 西部劇の罠? すげー、こんなん初めて見た。いや、テレビとか映画では見たことあるけど、ライブで引っかかる人初めて見たー!

「助けてー、れんちゃん!」

「おおっと、そうだった。待ってろ、今人を呼んでくるからな!」

「だめー、人呼んじゃだめー!」

 なんでだよ! って、ああそうか。羽織は今、足首に絡み付いたロープによって一メートル程の高さに逆さまに吊り上げられているわけで。当然、髪の毛や衣類その他も重力に従って本来の持ち場を離れており、つまるところ並大抵のパンモロじゃない。ヤベェ、こんな角度からパンツ見たの初めてだ。


「見てないで降ろして、蓮ちゃん!」

「おお、そうだったそうだった。待ってろ、今降ろしてやるからな」

 とはいえ、どうやったらいいんだこれ。ロープは頭上の桜の枝に引っかかっており、強く引っ張れば外れそうだが、そうすると………。

「えいっ」

「ぎゃん!」

 羽織はこんなふうに頭から地面に落下することになる。

「大丈夫か、羽織―――!」

「いったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~」

 どうやらあんまり大丈夫ではなさそうだ。今度ロープに吊り上げられた羽織を落とす時は一声かけてから実行することにしよう、次のチャンスがあればだけど


「と、とにかく降りれてよかったな。じゃあ、僕先生呼んでくるから、羽織はここでじっとしてろよ」

「ま、待って、蓮ちゃん……せ、先生は……よ、呼ばなくていいから……」

「いや、さすがに呼ばないとダメだろう! 学校の敷地内にこんな大がかりな罠仕掛けやがったんだぞ。絶対大人を呼ばなきゃダメだろう」

「い、いいから……大事になっちゃうから……誰にも言わないで……ああ、痛いぃぃ」


 弱味でも握られてんのか、あの黒ずくめに。そんなに痛がってるのに何で先生呼んじゃだめなんだよ。まあ、痛いのは僕のせいだけど。

「い、いいから。ホントいいから。と、ところであたし、ものすごく重要な用事を思い出したから…………もう行くね」

この状況で? 用事を?

「じゃあ、またね、蓮ちゃん。ああ、いったぁ~~~」

「ああ、うん。またな、羽織………」

 スカートを吊り上げられたり、後ろから突き飛ばされたり、逆さ吊りにされて地面に落とされたりするより重要な用事が何なのかはさっぱり見えてこないけど、全身からただならぬオーラを噴出させる羽織を止める言葉が見つからず、僕は呆然とその背中を見送るしかなかった。


 ………つーか、めっちゃ怒ってんじゃん、あいつ。

 あんなに怒ってるくせに結局黒ずくめの犯人は逃がしちゃうなんて、相変わらず優しいな、おねーちゃんは。顔よし、性格よし、スタイルよしの三拍子揃った羽織に、未だに浮いた噂の一つも立たないのは………。


「やっぱり、あの白塗り演劇部が原因だよな………」


ため息に散らされたかのように、桜の花びらがハラハラと舞い落ちた。

本当に、何であいつはあんなことをしたんだろう。例えどんなに可愛くたって、大勢の観客の前で、白塗り白タイツ白装束でグネグネ踊ってりゃあ、百年の恋も冷めるってもんだろう。


 ………いや、この際もうそれはどうでもいいか。

だって重要なのはそこじゃないから。そこはただの前フリにしか過ぎないから。むしろ、それだけで終わってくれればどれだけ良かったことか。役者魂拗らせた羽織が、変なカッコで変なことしてたなーっつって、笑い飛ばして済ませることができたんだから。

 実際その時の僕も、多少引いてはいたものの二宮達の手前、何とか笑顔を保つことができていたんだ。しかし、まさか。まさか、ラストであんな展開が待っていたなんて。


 いや、正直な話を言えば、演者達がグネグネしながら隣同士で抱き合い始めた時点で、何となく怪しい気配は感じ取っていたんだ。なんか、妙に艶めかしい抱き合い方するなーとは思っていたから。でもさすがにね、それはないだろうと。だって高校生の演劇ですよ? しかも新入生勧誘用のイベントですよ? そんなことするはずがないだろうと。半ば願望にも近い気持ちで僕はステージを見守っていた。

 

しかし、あの白塗りどもは、そんな僕の祈りにも似た推測を軽々と踏み越えて来やがった。高まる不協和音、それに合わせて激しくなる演者の動き。隣同士で抱き合い、手を絡め、足を絡め、腰を合わせ、胸を合わせ、そして…………………。

 会場の悲鳴はそこで最高潮を迎えた。

いやー、ほんと。何が悲しくてあんなもの見せられなきゃいけないだろう。

 集団のキスシーンとか。

ねえ、想像してみてください。生でキスシーンを見せつけられるだけでも相当キツいっていうのに、それが大群で襲って来たとしたら、その中に家族同然に育った幼馴染が交じっているとしたら、なおかつ妖怪のようなメイクを施していたとしたら。


 地獄だよ。これは、多少やんわりとした地獄だよ。

てゆーかさ、何やってんだよ、お前ら。何やってるんだよ、人前で。

白塗りで舞台に出て来て、前触れもなくグネグネして、挙句集団でキスすれば、新入生が憧れて入部してくるんじゃないかと本気で思ったのか? あほなのか? 

 一応、ペアは同性同士になるよう配慮してあったようだし、あんな恰好なので誰が誰なのかさっぱりわからないということが多少の緩衝材にはなったけれど、だからと言ってそれがおぞましい光景であることに変わりはない。こうして良くも悪くも伝説となった演劇部のパフォーマンスは、悲鳴とどよめきに包まれながらその幕を下ろすのだった。


その日からだ。僕の夢に白塗りの羽織が現れるようになったのは。


「本当に…………なんであんなふうになっちゃったんだよ、羽織」 

 桜の巨木に向かってもう一度独り言ちる。主役の去った裏庭は、魔法が解けてしまったようにすっかりと元の物悲しい空地へと戻っていた。




 羽織からメールが届いたのは、その日の夜、至福のお風呂タイムが終わってすぐのことだった。髪の長い栗にドライヤーを譲り、自室でガシガシと頭をタオルで擦っていると、勉強机の上に放っておいたスマートフォンがメールの着信音をがなりたてた。


羽織

今日はごめんね、蓮ちゃん。なんかバタバタしちゃって中途半端になっちゃって。変なもの見せちゃったし………。でも、演劇のことは真面目に考えてくれないかな? 部員のみんなも大歓迎だって言ってくれたし。見に来るだけもね? お姉ちゃんのお願い


 ………いよいよ、本気だな。羽織のやつ。

チラリとカーテンの引かれた窓を一瞥した。昼間はなんか曖昧な感じで終わったから明日あたりまた勧誘の待ち伏せに合うんじゃないかとは思っていたけど、今日のうちにメールできたか。しかも、これ部員達に報告しちゃってんじゃん。はえーよ、気が。

「あー、どうしよ」


 スマホをベッドに放り投げて自分もマットに横たわった。枕が濡れた髪の毛の水分をじんわりと頭皮に押し付ける。マジで部活どうしよう。演劇部はないにしても、どこかに入らなくちゃいけないのは間違いないないわけで。

 

 ポスターのメッシは今日も僕を睨んでいる。やはり、頭にチラつくのはサッカー部の存在だ。荻丸おぎまるも美愛も羽織もメッシも口をそろえてサッカー部の仮入部に行かないのかと尋ねてくるけど……………………行ったんだよね、実はもう。それも初日に。

「ああ、くそっ」


 口から漏れる苛立ちは、何に向けられたものだろう。サッカー部か、サッカー部を勧めるみんなか、それとも自分自身か。

 中学時代、好きな女の子がサッカー漫画を好きだったからという不純な理由でサッカー部に入部した僕は、たまたま希望者がおらず即レギュラーになれるだろうという打算的な理由でゴールキーパーを志望した。不純で打算的な理由で始めたポジションでも三年間やり通せばそれなりに自信と愛着がわくらしく、高校生になった僕は何の迷いもなくサッカー部の門を叩いていた。


南伊吹中学出身瀬野蓮冬せのれんと、GK志望です。よろしくお願いします!」

 仮入部初日、居並ぶ先輩達を前にして高らかに入部の決意を述べていたあの時は、自分がこの部で三年間青春の汗を流すものだと本気で信じていた。

 しかし、僕は知らなかったのだ。ずらりと並んだ入部希望者の列の一番右端、自己紹介の順番でいえばおおとりになるその位置に僕の目論見をぶっ壊すとんでもない化け物が控えているということを。


「アルゼンチン・ブエノスアイレスから交換留学でやってきまーシタ。フェルナンド・ランゴンテいいマース。191㎝83㎏………………GK志望デス」


 おかしいだろっっ! アルゼンチンからの留学生てっっ! 

 いや、それはいい。百歩譲ってそこまでは許す。

 なんで、GKだよ! 攻めろ攻めろー! 南米系は攻めろー! なんでマラドーナを産んだ国からわざわざ日本のゴールマウス守りに来るんだよ。  


 GKは特殊なポジションだ。基本的に2枠、監督がとち狂えば最大で10の枠が許されるフィールドプレイヤーと違って、GKだけは唯一ピッチに一人だけとルールブックに明記されている。怪我をしにくく、警告でピッチを退くことも、疲労で交代することもほとんどない。GKとは、控えの選手が試合に出場することが極端に少ないポジションなのだ。僕とランゴンテは同じ一年生。それはつまり、この先の三年間、僕らはたった一つのポジションを争い続けるということを意味している。


「オゥ、ライバルですネー! 負けないよ、エルマーノ。一緒に頑張りまショー」

 恐ろしく高い位置から伸びてきたランゴンテの握手を笑顔で受けながら、僕の頭の中は一度出してしまった仮入部届をどうやって撤回するか、その一点のためにだけにフル回転していた。

 ………ま、早い話が戦う前から尻尾撒いて逃げたってことですよ。


「言えねーよなー、こんな理由なんて」

 情けないのはもちろんだけど、何よりこんなにあっさりサッカーを諦められた自分に嫌気がさす。


「あ~、ど~しよ~」

 三度目の独り言はため息と共に漏れてきた。見たくなくても、視線はカーテンの引かれた窓ガラスの向こう、宇仁島うにしま家の長女さんの部屋へと向いてしまう。逃げるように寝返りを打つと、メッシはまだ僕を睨んでいた。

………だから、そんな目で見んなよ。

「少なくとも演劇部だけには絶対入らないからさ」


 四度目の独り言に、メッシは頷きも微笑みもしなかった。


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