5話 君は日常じゃないから


 キ―――――ンコ―――――ン、カ――――――ンコ―――――――ン。


「おはよーっす」

 顎に滴る汗を拭いつつ、本鈴ギリギリに教室に飛び込んだ。予定外の道草を食ったため少し走るはめになったけれど、なんとか始業には間に合ったようだ。


「うーす。遅かったな、瀬野せの」、「よう、瀬野。なんか疲れてねーか、お前?」

相変わらずのクラスメート達と相変わらずの挨拶を交わし、相変わらずの席について一息つく。

 ……ああ、相変わらずの日常って素晴らしい。

朝から酷い目にあったおかげで何気ない日常の温かさが身に染みた。なんだよ、変化とか。死ねよ、変化。高校生にもなって何を子供じみたこと言っていたんだろう、僕は。

 そこいら中のJ―POPにも腐るほど歌われているじゃないか。変わらない日常こそが何よりも大事な宝物なんだと。変わる必要なんてない。僕はこの相変わらずの日常と妹達を愛して生きて行こう。平凡で退屈で、もどかしいけれど平和な日常を………。


「ひゃー、遅れた遅れた。あ、瀬野君、おっはよー。なにボケーっとしてんの気持ち悪い。さては花粉症? ティッシュいる?」

 桃紙ももがみさんは通学鞄を机に乗せると、パックジュースのストローをくわえながら微笑んだ。

「ああ。お、おはよう、桃紙さん。いや、ティッシュはいらないよ。花粉症はないから」

「わかった、さては喉が乾いてるのね? じゃあ、これ一口あげる。美味しいよ、トマト抹茶オレ。自販機コーナーの新作なの」

「いやあ、それも大丈夫。喉は乾いてないからさ、うん」

「くそ、騙されなかったか。ホントは超マズいの。バナナ抹茶と迷ったんだけど、チャレンジ精神が裏目にでたわー。あははは」

「そ、そうなんだ。ははは……」

 ひとしきり笑いきった桃紙さんは満足気に席に着くと、しばし笑いの余韻を楽しむようにグラグラと上体を揺らし、

「ねえねえ、瀬野君。今日の放課後のことなんだけどさー」

 再びグインと体をこちらに傾けてきた。


「ちょ、ちょ、ちょっと待って、桃紙さん!」

 堪らず立てた両手を差し挟む僕。

「へ、なに?」

「いや、なにって、その……」

 ……すごい話しかけてくるなと思ってさ。

誠に勝手な事情ながら、今このタイミングでそんなにぐいぐい話しかけてこられると、こうやって君とお喋りするのが相変わらずな日常みたいにな感じになっちゃうんだよ。

「あれ? 引いてる、瀬野君? あたしばっかり喋りすぎちゃった?」

「いや、喋りすぎっていうか、その……ははは」

 そもそもほとんど喋ったことないんだって、僕ら。昨日が初めてくらいでしょ? だってほら、君って僕からガンガンに避けられてる人じゃない。近くないかな、急に距離が。少なくとも気持ち悪いとかジュースの回し飲みとか、そーゆーのが普通に会話に出てくる間柄じゃないでしょ。だってガンガンなんだよ、君。


「あははは。ご、ごめんね。あたし、ちょっと緊張してて。仲良くなんなきゃと思ってすごい喋っちゃったー」

「ああ、そうなんだ。わかるよ。あははは」

いや、違う違う。わからない、何にもわからない。なんで? なんで仲良くなんなきゃいけないの? 何か、おかしくないか? 断った……よな? 演劇部の件なら昨日やんわりと断ったよな? 『考えとく』と『行けたら行く』は断り文句のツートップだろう。まさか伝わってないなんてことないよな、桃紙さん。僕は信じてるよ、桃紙さん。

 しかし、桃紙さんはツインテールを顎の下で一本に纏めて両手でごしごしとしごくと、新婚初夜の新妻のような目で僕を見つめ、


「……これから一緒の部活になるんだもんね」


 ぎぃやああああああああああ! 伝わってないどころの騒ぎじゃねえええええ!

 なんでだ、どの言葉をどうひん曲げたら昨日の返事がそこまで曲解できるんだ!

「よろしくね、瀬野君。あ、そうだ。芸名決めよっか? せっかく同じ劇団員になったのにいつまでも苗字じゃ他人行儀だもんね。じゃあ、あたしのことはモモって呼んで。それでね、瀬野君はね、変に捻らずにレントがいいの思うのっ! カタカナのレントね。瀬野レント。ミュージカルみたいでかっこよくない? どうどう、レント君?」

「待って待って。だめだ、呼ばないで! 入んないから。僕は演劇部には入んないから!」

「またまたー。昨日入るって言ったじゃーん」

「言ってないし! 考えるって言っただけだし、来世まで!」

「それって今世は演劇のことしか考えないって意味だよね?」

「ポジティブ! 捉え方ポジティブだな、君! うらやましいわ、その思考。違う、演劇部には入らないって言ってるの!」

「大丈夫大丈夫、安心して。うち演劇部じゃなくて演劇研究会だから」

「どっちでもいいわ、そんなもん! 『部』か『会』かを心配してるんじゃないんだ、僕は。とにかく君の部活には入らないから」

「ええー、そんなー! 今頃になってそんなこと言われても」

「昨日からずっと言い続けてるでしょ!」

「きりーつ」


僕らの不毛な言い合いは、日直の元気な号令よって強制的に断ち切られた。

出席簿を小脇に抱えた八葉先生が教壇に上り、クラスのみんながガタガタと椅子を引いて立ち上がる。しかし、よっぽどショックだったのだろう。桃紙さんだけは腰を上げることもできないまま、ボンヤリと前の席の背もたれを見つめていた。

「気をつけー、れー」

 そして、一礼を終えてまたガタガタと鳴り響く椅子の音に紛れながら、

「どうしよう、サンデーゴリラはもう動いちゃってるのに…………」


 聞こえるか聞こえないかの音量でそう呟いた。

 

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