4話 こういう無茶ぶりをされる部活

 昔から高校生に憧れていた。


だってほら、漫画でもゲームでも主人公に隠された力が目覚めたり、異世界に連れ込まれたり、前世の恋人と運命的な出会いを果たすのってだいたい高校生からじゃないですか。

 だから、僕も高校に入学さえすれば、行き詰った日常を根本からひっくり返すようなイベントが全自動でわらわらと押し寄せてくるものと信じていた。

高校一年は始まりの年。変化の年。けれど、実際に高一の春を迎えた僕に待っていたのは、やっぱり相変わらずで鬱屈した日常生活の延長線―――。


「おにーちゃーん、起きて起きてー。ほら、ボケーっとしないで、朝ご飯だよー」

 朝になると、僕は相変わらず可愛い栗に起こされて、

「なにボケーっとしてんのよ、バカ兄貴。朝からキモいなー」

 リビングに下りると、相変わらず生意気な美愛みあに憎まれ口を叩かれる。

「うーす、蓮冬れんと。なんだ、朝からボケーっとしやがって気持ちわりぃな」 

「……うす」

 そして、家を出れば、待ち合わせ場所で待っているのは相変わらずうるさい二宮と相変わらず無口な荻丸おぎまる。目新しかったはずの通学路も一か月も通えばすっかり日常風景だ。


僕の世界はまだ変わらない。

この相変わらずの日常もそれなりに居心地はいいけれど、それでもやっぱり僕は待っている。堂々巡りのような日常に劇的な変化をもたらす何かが現れるその日を――。


「だから、ボーっとすんなって言ってるだろ、蓮冬。前、前!」

「――え?」

 我に返るのが一足遅かった。現実世界で僕の目の前に迫っていたのは、ひょろりと背の高い後ろ姿。

「うわっ」

「うおっと」

 避ける間もなくその背中に突っ込んだ。やたらと軽い悲鳴と手応えを残して、男子生徒がアスファルトに転がる。

「あ、ごめん。大丈夫か。つい考え事を………していましたもので」

 言葉遣いが途中から敬語にきり変わったのは、慌てて駆け寄った男子生徒の胸元で二年生を表す緑のネクタイが揺れていたから。なんてこった、よりによって先輩を突き飛ばしてしまうなんて。一瞬、体育会系出身の血が凍ったが、


「おう……大丈夫だぞ、少年」

 幸い先輩は怒った様子もなく、むしろ穏やかな口調でそう答えた。

 背が高い。立ち上がると僕より頭一つ分は大きいだろうか。しかし、縦幅の伸びに栄養を費やしてしまったせいか、横の広がりはやや頼りない。くねくねとうねった天然パーマとあいまって、先輩はまるでタンポポの綿毛のように見えた。

「気をつけろよ、少年。俺の背中がゴジラなら今頃背ビレで串刺しだぞ」

 綿毛先輩はいまいちピンとこない注意を述べると、胸のあたりをぱっぱとはたき、

「………あれ、ねーな」

 そこでぴたりと手を止めた。


「あっれー、やっべ。家出る前は確かにあったはずだけどな、どっこだー?」

 そのままわさわさと胸元を探り始める先輩。

「え、ちょ、どうしたんですか、先輩?」

 なになに? 落とし物? 最悪だ。よそ見して突き飛ばしただけでも相当なのに、無くしものまでさせるとか。

「おい、どうした、蓮冬。大丈夫っすか、先輩」

 異常を察した二宮と荻丸も寄ってくる。先輩はひとしきり体中のポケットを探り回すと、

「うーん、やっぱりねーな…………」

 気だるそうな視線をしばし宙に泳がせ、

「帰るか」

 そこだけは機敏な動作で振り返った。


「ええっ、帰っちゃうんですか、先輩?」

「ん? うん。あれがねーと学校いけねーからな」

「行けないって……もしかして、貴重なものだったりします?」

 コンタクトレンズ、スマートフォン、財布、クレジットカード、車のキー、銃、手錠等々。嫌な想像が頭に浮かぶ。いや、後半はさすがにないだろうけど。

「そうだなー、貴重っちゃあ貴重だけど………まあ、気にすんな」

「いや、気になりますって! 僕も探しますから。この辺ですよね、落としたのって」

 先輩と入れ替わるように道路にしゃがみこむ。

「おー、そうか。探してくれるか。わりぃな、少年」

 先輩はそんな僕を見下ろしながらボリボリと頭をかくと、

「んじゃ、何か面白い話してくれるか?」

「……はい?」

 なんだか、よくわからないことを言い出した。


「面白い話…………ですか?」

 思わず顔を上げる僕。

「おう、なんでもいいぞ。創作でも体験談でも。ただし、短いやつな」

「えっと、それはなんのために?」

「ん? 面白い話して笑ってたらさ、無くしたものも出てくるかもしんねーだろ」

 え、おびき出すの? 落し物を? 大丈夫か、この人。

「はい、わかりました。やります!」

 などという思いを微塵も顔に出さず元気よく手を挙げる………二宮

「っておい、なんでお前が答えてるんだよ!」

「なんだよ、やっときゃいいじゃん」

「いや、何かやばいってこの人。あんま関わらない方がいいって、絶対」

 ボリュームは最小限に、しかし、最大限の警戒色を声に乗せて二宮に訴える。

「だったらなおさらやっとけよ。相手は先輩だぞ、後でややこしいことになるくらいなら笑い話くらい安いもんだろ。ちゃちゃと喋ってちゃっちゃと爆笑とってこいや」

 それがどんだけ高いハードルか分かってんのか。


「ん? 大丈夫か、少年? あれだぞ、無理なら別にいいんだぞ、俺帰るし」

「大丈夫っす。やります。こいつモノマネ得意なんす」

なんで引き留めてんだよ! お引き取り願えよ、せっかくなんだから。しかも、モノマネって! 

「んじゃ、いきます。蓮冬くんの爆笑モノマネ・消火器」

 せめてお題を考えろ!

「そんなんできんのか、少年! なんだ、粉末か? 泡か? まさかハロゲンか?」

 知らん知らん、消火器の種類は知らん。なんでそんなに消火器に食いつくんですか、先輩。あんなに眠そうだった目が爛々と輝いてるじゃないですか。くそう、こうなったらもうやるしかねーじゃん。知らないぞ、どうなっても。えっと消火器だよな?


 僕は気を付けの道路に姿勢で立つと、ノズルに模した右手をニョロリと前に伸ばし、

「ど、どーも、消火器でーす……ぶしゃー……

 とりあえず、そう名乗ってみた。


………………………………………。

 

そして、降ってくる地獄のような沈黙。

……うん。

……ね。

……そりゃこうなるだろうよ。急にこんな無茶ぶりされたんだもん。地獄の一つや二つ降ってくるだろうよ。

「おい、少年……」

 先輩はさっきより少し眠気が覚めたような顔で僕の肩に手を乗せると、

「全然面白くねーぞ」

 ありがとうござまーす! わざわざご確認ありがとうござまーす!

「ぶしゃーとか、ちょっと●なっしーに寄せてるところが猛烈に恥ずかしいな」

 先輩、分析は。本人の前で分析はちょっと。

「おい、蓮冬………ぶしゃーはねーぞ」

 何でお前まで引いてんだ、二宮! お前は笑えや、お前にはその責任があるだろう!


「いやー、すげーな、少年。こんなに面白くないモノマネ初めて見たぞ。ちょっと、もう一回やってくんねえか?」

「なんのためにっ! ……ですか?」

 危うく先輩にタメ口をききかけた。

「いや、こんなに明確にスベッたやつ久しぶりに見たからさ。何かの間違いかと思って、念のため」

「やれるわけないでしょ、そんなこと言われて!」

「頼む頼む。当たって砕けろだ、少年」

 拝むように手を合わせる先輩。いや、当たって砕けろって言われても………。

「ほれ、3、2、1、キュー」

「消火器……ぶしゅー」

「うわ、輪をかけてつまんねー」

 ほら、砕けたー! やっぱ砕けたー! 絶対砕けるんだよ、そういう心積りで挑んだら。汗かくわ、小春日和に汗だくになるわ!

「な、なんか、すまんかったな、少年。どんなつまんないギャグでも二回やれば普通は面白くなるもんだけど、まさか初回を下回ってくるとは思わなかったわ。すげースベりポテンシャルだな。超つまんねーけど、元気出せよ」

 そのエールでは無理です、先輩。


「でも、まあ、なんだ。とにかくおかげで見つかったわ。あんがとな、少年」

 そう言うと、先輩は鞄を肩にかけなおして歩き出した。

「え、見つかったって、いつの間に? てゆーか、そもそも何をなくしたんでしたっけ?」

「んー?」

 僕の声に先輩は面倒くさそうに振り返ると、

「俺のやる気」

 胸の真ん中を親指で示してそう言った。

 ……は?

「じゃーなー、少年。我が身が大事なら二度とよそ見歩きとモノマネはすんなよー」

 そして、ぞんざいに手を振って去っていく。

……え、待って待って。やる気って、え? 

色々な気持ちが心の中で渦巻いていたけれど、先輩の鷹揚な背中を見ていると何も言葉にはならなかった。

「なあ、蓮冬」

 そんな僕の肩に荻丸がそっと手を添える。

「俺は似てたと思うぞ、消火器」

「ああ……うん」

 

 違う。そうじゃない。僕が望んでいた変化とは、僕が消火器に変化するとか、そーゆーことじゃない。

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