7話 三人目のヒロインですよー

「いやー、高校生になってもれんちゃんのくりちゃん愛は相変わらずだね。むしろ酷くなってない?」


 人気のない裏庭をまるで音楽でも聞こえているかのように弾む足取りで歩く羽織はおり。ウェーブのきいた長い髪の毛が腰の上で気持ちよさそうにふわふわと揺れている。

「なってない。僕の栗への家族愛は日々進化こそすれ、間違っても酷くはなってない」

  

 僕は、目を凝らせば透き通った翼が見えてきそうな背中に向かって精一杯唇を尖らせた。いつもは侘しい裏庭も、羽織が一人入るだけでグッと色が映えて見えるから不思議だ。敷地の真ん中に植えられた桜の巨木が、主役の来訪を歓迎するように残り少ない花びらを惜しげもなく桜吹雪に変えて浴びせかけた。


「まあ、栗ちゃん可愛いから気持ちはわからないでもないけど。でも、シスコンもいい加減で留めておかないと、そろそろ児童相談所が介入してくるレベルだよ?」

「誰がシスコンだ、家族愛だっつってんだろ。あのな、誤解のないように言っとくけど、さっきの画像の件は違うぞ。ただ単にお気に入りってくくりで一緒に画像を保存してただけで、栗の写真はちゃんと服を着た日常の写真だからな」

「服って言っても色々あるからなー。心配だわー、お姉ちゃん心配。可愛い妹達を蓮ちゃんに預けて大丈夫かしら。いっそ引き取っちゃおうかしら」

「引き取らせるか。あと、蓮ちゃんはやめろって」


 家が隣で親同士も仲が良く、物心ついた時から家族同然の出入りをしていた宇仁島うにしま家の長女さんは、そのまま当然のように瀬野せの家の長女も兼任するようになり、すっかり背丈が追い抜かれた今になっても相変わらずのお姉ちゃん気取りで僕のことを幼稚園時代の呼び名で呼び続ける。高校生にもなってちゃん付けはないだろうと何度抗議を試みても、

「だって、蓮ちゃんは蓮ちゃんだもん」

 などと、謎の理屈を盾にして頑として名称の書き換えを受け入れようとしない。

「てゆーか、そもそもなんで羽織が秘密画像の事件を知ってるんだよ。昨日の晩に起きたばっかりの我が家一番のトップシークレットだぞ」

「そうなの? 昨日の晩に美愛ちゃんからリアルタイムで続々とメールが届いたけど」

 ………美愛。なに我が家の醜聞実況してくれてんだ。やはり、美愛にはそろそろ愛の体当たり指導が必要な時期なのかもしれない。


「あ、そうだ。それともう一つ」

 と、羽織は顔の横にピンと人差し指を立てると、

「蓮ちゃんが部活決められなくて居残りさせれたって話も聞いたけど……本当?」

 それを軸にするかのようにくるりと一歩で振り返った。

 ……ぐうっ。美愛のやつ。本当に余計なことばかり告げ口しやがる。

「蓮ちゃんは高校に入ってもサッカー部やると思ってたのに、仮入部も行ってないの? もしかして、サッカー部で何かあった?」

 腰を折って僕の顔を覗きこんでくる羽織。く、落ち着け、僕。動揺を悟られるんじゃない。クールにやり過ごすんだ。

「べ、べ、べべべ、別に。ななな、なんもねーぜ?」

「やっぱりあったんだね! 何? 何があったの? お姉ちゃんに言ってごらん。サッカー部の子に文句言ってあげるから、うちの弟を苛めるなって」

「ちげーよ! 何もないって。 ただ、その、あれだよ……サッカーはほら、中学で散々やったからさ、高校はなんか違うことがしたいなって思っただけだよ」

「ほんとに~~?」


 さらに顔を近づけてくる羽織。付き合いの長さなら実の妹である美愛乃みあの栗須くりすよりもはるかに長い。下手な嘘なんて一発で見抜かれる。

「ほんとだって!」

 だから、羽織を騙すのはいつだって真剣勝負だ。茶色がちな大きな瞳を真正面から見つめ返して言い切った。

「ふーん、そっか。蓮ちゃんは、何か違うことがしたいんだぁ」

 その目がギラリと音をたてた気がした。

 ……あ、間違った。


 いくら触れられたくない話題とはいえ、この避け方はマズかった。

やはり、羽織の狙いはそれだったか。ゴミ捨て場で待ち伏せされていた時からうすうす勘付いていたはずなのに。長い付き合い、考えていることがわかるのは僕だって同じだ。そうなのだ。これこそが僕がお隣さんを避けていた最大の理由。

「それならさあ。蓮ちゃん、演劇とか興味ない?」


 ………羽織も演劇部だったりするんだよ。


 昨日、桃紙さんが言っていた。演劇部は新入部員が足りないと。であるなら、新入生であり部活無所属であり奴隷のようにこき使える僕を羽織が放っておくはずがない。だから今まで逃げ回っていたのに、ついに捕まってしまったか。

「どう、蓮ちゃん? 蓮ちゃん手足長いし、舞台映えすると思うんだよね~」

 じりりと間合いを詰める羽織。

「い、いやー、どうだろう。あんま興味ないわー」

 苦笑いでけん制しつつ、そろそろ後ろに足を引く。デジャヴだろうか? 確かつい昨日も誰かとこんな攻防をした気がする。

「興味なんてやってれば後から湧いてくるから。さ、入るよ、演劇研究会」

 しかし、敵の攻撃力は昨日の比じゃない。十五年の月日によって培われた絶対の上下関係をフル活用してぐいぐいと迫ってくる。僕はさらに後ろに…………さがれないだと? 退路は桜の巨木に防がれている。くそう、桜まで羽織の味方なのか。


「さあ、観念しなさい。どうせ部活には入んなきゃいけないんだから」

 動けない僕に羽織はさらに迫りくる。

「いや、でも演劇は……」

「見学だけならいいでしょ」

 さらに羽織は迫りくる。

「いやでも――」

「お姉ちゃんの言うことが聞けないの?」

 さらにズズイと迫りくる。

「ちょ、近い近い! 離れろって!」

 動けないって言ってからどんだけ迫ってくるんだよ。同姓か下手すりゃ犬猫くらいにしか僕のことを思っていない羽織は、平気で色んなものが当たる距離まで体を寄せてくる。息とか……胸部とか………。

「だめ、逃がさない」

 羽織は踵を浮かせてさらにもう一段階距離を詰めると、睫毛が触れるほど顔を近付け、

「蓮ちゃん、最近あたしのこと避けてるでしょ」

 さらに核心へと踏み込んできた。


「いや、そんなこと………」

「避けてる。なんで? 新歓フェスの時以来だよね?」

 ――新歓フェス。正式名称新入生歓迎文化部フェスティバル。決定的なワードが至近距離から核心を撃ち抜く。

「ねえ、ふうちゃん。あたしらの新歓フェスに見来てくれたって言ってたよね? 正直に答えて。あたし達のパフォーマンス見て………………引いた?」

 ああ、もう滅多刺しだ! 僕の核心蜂の巣だ!

「どうなの、蓮冬」

「はい、宇宙の果てまで引きました」

 

……なんてこと言えんわな。

「ひ、引いてないよ」

「ホントにホントにホントに~~?」

「くどいなあ、もう!」

 そして、近いなあ、もう! もう当たるのレベルじゃないよ、ひしゃげてるよ。変なとこばっかり大人になりやがって、こいつは。

「本当なのね?」

 羽織は最後にもう一度僕の発言と己の胸部の成長の念を押すと、


「よかったぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」


 そのままへなへなと崩れ落ちた。

「もう、絶対引かれたんだと思った~~。ああ、よかった~~~~」

 花びらの絨毯に蹲り、ふるふると顔を揺らす羽織。

「な、なんだよ、そんなふうに思ってたのかよ。いや、すげー良かったぜ、羽織達」

「ホントに? じゃあ、避けたりしないでよ。心配したんだから。ところで、蓮ちゃん」

「なに?」

「なんで急に空を見てるの?」

「かつての俺の居場所だからさ」

 あと、顔を見られたら嘘が即バレするからさ。僕は己の真意を見抜かれないよう一生懸命桜の枝に虫喰われた空を見上げるのだった。


 ああ、そうだよ。嘘ついてるよ。僕、今嘘をついてるよ。引きましたとも。むし

ろあれを見て引かないやつがどこの世界にいるんだって話だよ。

 

 はい、今から回想入ります。

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