40話 公害に値するダンス

 

……なんか、内田に助けられた。


 って、ことでいいんだろうか。

 桃紙ももがみさんもまさか本当に約束があるとは思わなかったのだろう、内田の言葉に納得したからというよりはあっけにとられたというふうに、手首に食い込んでいた指がするりと落ちた。

お蔭で僕は第二音楽室に連行されることなく、今こうして内田のリズミカルに揺れる後ろ髪を眺めながら廊下を歩いている。


 で、なんで、こいつが僕を助ける?


約束なんてワードをきっちり使って、どう考えても僕と桃紙さんとの会話を聞いたうえで助け舟を出したとしか思えない。昨日脅して今日助ける? 

なんだ、それ? わからない。こいつの考えがわからない。目的も魂胆も、後、下の名前もわからない。わからないことだらけだな。

ついでにいうと目的地もわからなかったりするんだけど。なあ、どこまで行くんだよ、内田さん。行こうと言われて頷いた手前、黙って後について行ってはいるけれど……。


迷いのない足取りでずんずんと歩く内田は、昇降口を出るとゴミ捨て場とは逆方向に折れてテニスコート沿いの道をさらに奥へ、突き当りを左折して、

「はい」

 ようやく内田が立ち止まったのは立ち入り禁止の旧別館前。雑草に半ば浸食されている石畳の上にドサリと鞄を置いて振り返ると、

「じゃ、はじめよっか」

 ……何を?

内田はまるで決闘を始めるガンマンのように僕と向き合い、

「はい、3・2・1……」

何の前触れもなく、何がしかのカウントダウンを開始した。


「ちょ、ちょ、待った! なんだよ、その秒読み。何が始まるんだよ、こえーよ、急に」

「何って………決まってるじゃない」

 こいつは何を言ってるんだという目で僕を見つめる内田。いや、お前こそ何を言ってるんだ。


「まさか忘れたの? 昨日の約束なんだけど」

「え、昨日って………ああ、そうか。一緒にステーキ丼食べる約束だっけ?」

「――っ」

 ピクリと動いた内田の眉が、今度そこ弄ってきたらナイフで刺し殺すからなと言っている。どうやら冗談の通じないタイプらしい。


つーか、口数は少ないくせにずいぶんと表情は豊かじゃないか。眉の微動だけで明確な殺意と凶器まで伝えるなんてとかどんだけだよ。これは真面目に考えた方が良さそうだ。大急ぎで昨日の記憶に検索をかける。


ふむ、確か白だったよな。控え目なフリルがあしらってあって外見からは想像できない意外なボリュームが………ああ、違う違う。おりんさんのブラジャーは関係ない。そうじゃなくて、確か白くてテカテカしてて、少し湿ったような温もりが………だから、違う。お鈴さんのパンツと内田は関係ない。ちゃんと思い出せ、僕。えっと確か……。


「思い出した?」

「白だった!」

「何を言ってるの、あなたは」

 何を言ってるんだ、僕は! なんで昨日の記憶の全てがお鈴さんの下着姿に埋め尽くされているんだ。病気か、僕。ちゃんと思い出せ、確か白くて……。


「レッスンでしょ、ダンスの」

 痺れを切らせたように内田が言う。

「ああ、それか! 思い出した、思い出した!」

 そうね、ダンスレッスンね。そっちね。そういえば、そんなこと………

「言ったっけ?」

「思い出してないじゃないのよ」

思い出してないどころじゃない。そんなことそもそも覚えてすらいないレベルだよ。

「まあ、無理もないか。わたしも本気で言ってたわけじゃないし………あの時は」

 ……なんだよ、随分思わせぶりな間を溜めるじゃないか。


内田は僕の顔じっと見つめ、おもむろに鞄からスマートフォンを取り出した。僕への抑止力がみっしりと詰まった忌まわしのスマートフォン。

「わたしね、あれから何回もあなたの動画を見たの」

「はあ」

「何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も。家でも学校でも通学路でも。多分、昨日今日で一番あなたの顔を見た人間はわたしだと思う」

 何か恥ずかしいな。

「そして、一つの重要なことに気付いたの」

重要なこと……………? 

まさか僕のダンスの才能か? 素人目にはわからない圧倒的なポテンシャル? 俺と一緒に世界を獲らないかのパターン?


………と、思わせておいて、お前のダンスは酷過ぎるって言われるパターンだろうな、どうせ。わかってるよ、上げて落とすパターンだ。そうに決まってる、ほら言ってみろ。


「あなたのダンスは社会の害悪よ」

 上回ってきたぁっ! 方向は予想通りだったけど、遥かに上回ってきたあ! 

「悪い。本当に悪い。足りないものが多すぎる。リズムがずれてる。フリを覚えていない。表現がない。プランがない。躍動感がない。そもそも心構えができていない」

「待て待て、どんだけ言うんだよ!」

「あと顔が悪い」

 そこはどうしようもなくないか?


「以上を加味して、あなたの個人的な活動でこれ以上公の健康と環境が害されるのを見過ごすことは、人道に悖る行為だと気が付いたの」

「公害か! 公害って言いたいのか、僕が! なんだよ、なんでそこまで言われなくちゃいけないんだよ。これでも一生懸命やってんだよ―――!」

「ほら、さっそく出た」

「え?」


 僕の魂の絶叫に、うんざりとしたように首を振る内田。

「いい?」

 綺麗に爪の整えられた人差し指を、眉間に突き刺さりそうになるくらい僕に突出し、

「役者がステージで頑張るのは最低限の義務であって、全然自慢に値するようなことじゃな・い・の!」

「痛い、痛い、痛い」

最後の三語は実際に爪を額に突き刺した。


「心構えができてないって、そういうことよ」

 なんで、こんなエラそうなんだ、こいつ!

「とはいえ、やっぱり一番酷いのはフリ覚えよね。ちょっと、最初のフリやってみて」

 今ここでというふうに地面を指さす内田。

「はあ? なんで、そんなことしなくちゃいけないんだよ」

「抑止力動画に住所氏名電話番号載せて世界中に配信してもいいの?」

「お前、抑止力の意味わかってるのか!」


 くそう、どえらいやつにどえらい物を握られたもんだ。わかったよ、踊ってやるよ。てゆーか、ヘタクソなのは認めるけどフリはちゃんと覚えてるっつーの。

「早く、間違ってたらその都度教えてあげるから」

「あー、はいはい。わかりましたよ、先生!」


 ヤケクソ気味に鞄を投げ捨て、僕は内田の正面に立った。

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