33話 演出家は眼が命


「なんだよ、あの女は―――――っっ!」

 

渡り廊下を踏みしめながら心の中で毒づいた。

二人組の女子がすれ違い様に振り返ったところをみると、もしかしたら呟きは心中に納まっていなかったのかもしれない。


 驚かせてごめんなさいね、お二人さん。

 もちろん君達のこと言ってるんじゃないんだよ。僕の憤りの対象は君達よりずっと傲慢で、冷血で、乱暴で、貧乳で、細くて、青白くて、でも肌ツヤはよくて、意外に白い下着が似合ってて、お腹から腰に掛けてのラインが素晴らしくて、鎖骨が色っぽくて、あーもう、後ろを向くタイミングをあと一秒遅らせていればと悔やんでも悔やみきれない………って、違う違う! 

 あぶねー、危うく騙されるところだった。健全な男子高生を色香で釣ろうだなんて、やっぱり卑劣な人だよ、おりんさんは。


 いったいどんな人生歩んで来たらあんな独善的な性格に仕上がるんだろう。やってることも意味不明だし。羽織はおりを客寄せパンダに使っておいて、羽織目当ての新入部員はいらないだって? なんだよ、この絵に描いたようなマッチポンプは。自作自演で勝手にイラついて、あなたが怒鳴り散らす度、机を叩く度、羽織がどんな気持ちなると思ってるんだ。

 確信した。

 うすうす思っていたけれど、今日で完全に確信した。あの人が副座長として運営を担っている限り、いくらライブをやったところでサンデーゴリラに部員が増えることはない。いや、それどころか、今いる部員を引き留めることだって………。


「おい」

「でぃうふぅぅ!」


 そこまで考えたところで、突然誰かに奥襟を掴まれた。ついさっきネクタイで締め上げられたばかりの首から、謎の怪音が絞り出る。

「ゲホッゲホッ、いきなり何すんじゃ、こらー!」

いきりたって振り返ると、

「おー。こえー、こえー」

 ヒョロリと背の高い縮れ頭が、眠そうな顔で笑っていた。

一光いっこうさん。何するんすか、いきなり」

 つーか、今までどこに行ってたんすか。ライブの後フラッとどこかに消えちゃって。座長のあなたがいない間に、副座長のお鈴さんがドえらいことになってたんだからな。


「わりーわりー、校長室の帰りでよ。いかにも奥襟引っ張ってもらいたそうな顔したやつ見かけたから、ついな」

「なんすか、それ。つーか、校長室なんて行ってたんですか?」

 独特の笑い声と共に、澄子すみこ先生の顔が頭に浮かぶ。

「おう。色々やらなきゃいけねーことがあるんだよ、座長には。今回みてーに、特急で許可を取りつけようと思うとさ」

 一度も踊っていないはずなのに、さも疲れてふうに体の筋を伸ばす一光さん。いや、何をしてきたんだ、校長室で。


「んで、瀬野せのは何してたんだよ。そんないかにも奥襟引っ張ってもらいたそうな顔して」

「だからしたことないですよ、そんな顔。やろうと思ってできませんし」

「あれー、違ったかあ。部員達の気持ちは顔見ただけでわかるはずなんだけどな、俺って。じゃあ、さっきの顔は何だったんだ?」

「え?」

「難しい顔して前のめりで歩いて。何回声かけても全然答えねーし」

「それは、その………」

「お鈴のやり方が気に入らないって顔かー?」

「―――んぐっ」

 背伸びのついでに図星を突く一光さんは、開いた窓枠に肘をかけて壁にもたれかかった。話してみろよと、姿勢が言っていた。



「ふーん、なるほどね。ウニを休ませるか………」

 部室での一幕を聞いた一光さんは、やはり眠そうにボリボリと頭をかいた。

「羽織、今の状況に責任を感じていると思うんですよ。去年のこともあるし」

「そうかもしんねーなー」

 窓の外見ながら一光さんが頷く。

「夜も、あんまり寝れてないんじゃないかと思います」

 いつもなら十時に灯りの消える羽織の部屋が、このところ日付をまたいでも明るいままだ。たまたま玄関先で一緒になった羽織のおばさんも最近羽織が晩御飯を残すようになったと心配していた。よく食べよく寝ろと口を酸っぱくして言っていたあのおねーちゃんが………。


「こんな状況が続くようなら羽織を休ませるか、いっそライブ自体を………」

「あいつは、なんて言ってた?」

「え?」 

 一光さんが眠そうな瞼の奥を微かに光らせた。

「ウニは、休みたいって言ってたか?」

「それは………………」

 明日はきっとうまくいく、いつかの羽織の言葉が頭を巡る。

「ウニがやりたいって言ってる以上、俺達に言うことはなんもねーんじゃね?」

「で、でも、お鈴さんがあんな調子なら言いたいことも言えませんよね」

「あんな調子? ああ、まあ、お鈴はな、ちょっと誤解されやすい性格だからな」

 何を思い浮かべているのか、噴き出しながらそう言う一光さん。

「誤解………ですか?」

「んあ。あいつはさ、ああ見えて傲慢で、冷血で、乱暴で、独善的な性格なんだけどよ」

 じゃあ、誤解してないですよ。きっちり輪郭を捕まえてますよ、僕。


「でも、あれで優しいところもあるんだぜ?」

 無理ですよ。それだけ欠点並んじゃったら、優しいところがあったくらいではリカバー不可ですよ。

「お前のこともよく褒めてるしな」

「は、はい?」

 予想外過ぎる言葉に思わず声が裏返った。そんな僕を眠そうな目で見つめ、

「辞めんなよ、サンデーゴリラ」

 一光さんはそう言った。

「え?」

「俺はお前が気に入ってるんだからよ」

 そして、僕の肩に腕を回してまた笑う。

「あ、あの、僕………」

「んじゃ、俺部室いくわー。あーあ、校長のご機嫌取りの次は、女優どものご機嫌取りかー。座長は辛いねー」

 ボサボサの頭を左右に振りながら渡り廊下を歩いていく一光さん、

「あ、瀬野。俺、リポビタ●な」

あと少しで渡りきるというところで、急に振り返ってスタミナドリンクの名を告げた。


「はい?」

「罰ゲームでコンビニにパシリにいくんだろ?」

「あ、そうですけど………」

一光さんにそんな話したっけな? つーか、リポビ●ンっつっても色々あるけど……。

「Dだぞ、D! 間違えんじゃねーぞ、一番ベタなやつな!」

 首をかしげる僕にいつになく強い口調で銘柄を念押しして、一光さんは廊下を曲がっていった。


 ………あの人。まさか、本当に顔見ただけで考えがわかるんじゃないだろうな。

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